花束をとじこめたハンカチーフ
そのとき、私は泣いていたように記憶しています。
どうして涙を流していたのか、今ではおぼろげにしか覚えていませんが、確かに、ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙の粒をこぼしていたのです。人目もはばからずに。
「どうしたの?」
そう声をかけてくれたのが、他でもない、貴女でした。
私は貴女の問いかけに、何と応えたのでしょう。貴女は少し困ったように微笑み、そして、私の目の前にハンカチーフを差し出しました。
控えめなレースで縁どられた、白いコットンのハンカチーフ。
その瞬間ふうわりと、微かにコロンが香りました。
色とりどりの花束の中に、みずみずしい果実をとじこめたような。
――貴女と同じ、香りでした。
「それで涙をお拭きになったら」
貴女は私の両手をとり、その上にハンカチーフを乗せました。
「どうぞ。それ、差し上げるわ」
それだけを告げて、貴女は去ってゆきました。
私は涙を流すことも、頬をつたう雫をぬぐうことも忘れて、ただハンカチーフを宝石を扱うような慎重さをもって両手に頂いておりました。そしてぼんやりと、角を曲がって見えなくなってしまうまで、小さくなってゆく貴女の背中を眺めておりました。
貴女がいなくなっても、私の身体は、貴女と同じ香りにつつまれたままでいます。まるで、貴女がすぐ隣にいて、私の頭を優しく撫でてくれているかのように。そのようなことを考えると、お腹のあたりがほんわりとあたたかくなるような、不思議な心地がしました。
そのときに感じた気持ちは、きっと、貴女のつけていたコロンの香りのように微かなものだったのでしょう。
あまりにささやかで甘やかな、幼き日の記憶。
あのときのハンカチーフは、いまでもクロゼットの中に大切にしまいこまれています。
いまはもう、そこから、貴女の香りがすることはありません。
あの日の感情を、明確に思い出すこともできません。
けれど、私の中には確かに、あの日香ったコロンが静かに、けれどはっきりと息づいているのです。
貴女の香りが、色とりどりの花束の中に、みずみずしい果実をとじこめていたように。
私は私の中に、そして、あの白いハンカチーフの中に。
貴女の記憶を、甘やかな想いを、そっと、とじこめておくのです。
<了>