泡沫の恋
城で働く侍女たちの仕事は、姫の世話だけではない。掃除、洗濯が行き届いているかきちんと管理し、衣装を整え、来客をもてなす支度を怠らず、常に気を配っていなければならない。
「姫様が心配なのはわかるけど、仕事はきちんとしてくれないと困るのよ」
「さぼった罰に、今夜の蝋燭の交換はアンナにやってもらうわね」
詰所に戻ったアンナは、やはり他の侍女たちに叱られ、嫌な役目を言いつけられた。
今夜は新月、いつもより闇が濃い。
中庭を通る渡り廊下は不気味なほど静まり返り、気の強いアンナでさえ何か良からぬものが現れるのではと怯えた。生温かい風が木々を揺らすたびに手を止めてふり返るせいで、なかなか作業ははかどらない。
大広間から漏れる音楽が終盤に差し掛かり、いよいよアンナは焦りだす。
「もう、誰か手伝ってくれたっていいじゃない……」
憂鬱そうにため息をつき、燭台を一つ一つ確かめては、短くなった蝋燭を新しいものに取り替える。
「おつかれ!」
突然、背後の植木ががさりと音を立てた。悲鳴をあげようとしたアンナの口を、飛び出した影があわててふさぐ。恋人のコーザだ。
「なによ、なによ! 驚かすことないじゃない!」
瞳いっぱいに涙を浮かべて睨みつける。本当はうれしいのに、素直になれない。
「あはは、ごめん。手伝うよ」
コーザは優しく髪を撫でてなだめ、蝋燭の入ったかごを受け取った。隣に並ぶ肩が頼もしくて、アンナは安心して緊張をとく。
「ライナス様のお見送りはいいの?」
「これが終わってからだから」
肩をすくめて大広間の方を指す。国王主催の晩餐会は貴族までしか出席できない。平民のコーザは支度を整え待機中だ。
あらかた替え終えたところで、二人は歩く速度を落とした。
「姫様の具合はどうだった?」
「大丈夫よ。長引きそうだけど」
「?」
アンナはふふっと笑った。薔薇色に頬を染めたセシルを思い出す。
「姫様はね、恋をしたのよ」
「へえ! いったい誰に?」
辺りに誰もいないことを確認し、驚くコーザの耳に口を近付けてささやいた。
「森の竜使いに」
「なんだって?」
あれは、物語に出てくる架空の人物だ。コーザが顔をしかめると、アンナは楽しそうにくすくすと笑った。
「本当かどうかはわからないけど、森の中に竜と一緒にいたそうよ」
「へえ?」
あのセシル姫がそのような作り話をするとは思えないが、竜だの竜使いだのにわかには信じがたい。詐欺師か、妖しい術師か、とにかく姫の心を奪う不審者がいることを報告し、手を打たねば。
「あら、ライナス様には内緒よ」
「なんで?」
「夫となる方に、他の男への恋心なんて言うもんじゃないでしょ」
「まあ、そうだけど」
衛兵としては姫の身辺が気がかりだ。同僚に事情を話し、密かに警護を増やすか。しかし、どこから知れるかわからない。
「コーザ?」
難しい顔で考え事をする恋人を、不安そうに見つめる瞳。握りしめた拳に触れられ、ひとを想う温もりを思い出す。
「恋の病か……それは確かに長引きそうだ」
風邪のように効く薬がなく、こじらせると厄介だ。
いずれセシルは王に相応しい男、おそらくは騎士団長ライナス・アルフ・コンラッドと結婚し、ともに国を治めることになる。叶わぬ恋を知ることは、余計な苦しみを負うことになるだろう。
「だから男ってわかってないのよ。恋もせずに一生を終えるなんて」
アンナはそっとコーザの胸に額をすり寄せる。
今、誰かを想うことを覚えたセシルは、きっと幸せなのだと信じたい。
「そんなもんかな」
コーザは優しくアンナの肩を抱きしめる。想い合える自分たちの境遇に感謝して。
淡い光を放つ小さな炎が、どうかいつまでも消えることのないようにと願いながら。
最後の旋律が静かに消え、上品な笑い声ときぬ擦れがそそと空気を揺らす。
夜風に当たって酔いを覚ましていた金の巻き毛の騎士はくちびるを噛み、つい力のこもった指先が小枝を折った。