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不治の病

 セシル姫の失踪と救出から幾日か、今日も茶会の中止が告げられ諸侯はがっくり肩を落とす。どうにも具合が悪く、食事もままならずに臥せっているらしい。せめて見舞いだけでもと申し出てみるが、今は誰にも会いたくないとの返答に胸を痛めた。


「いったい、姫様はどうなされたのだ」


「森の毒に当てられたのか」


「まさか姫様が、木になる果実を手ずから取って召し上がるとは」


「では、毒虫にでも?」


「ああ、姫様にもしものことがあったら……」


 噂を聞いた城下の人々は仕事など手につかず、特効薬だの万能薬だのを見つけては城に押しかけた。その中から効き目のありそうなものを商人が買い取り、貴族に売りつけ、貴族はさも苦労して手に入れたように見せかけて姫に贈る。預かる大臣たちはうんざりとため息をついた。


「やあ、おつかれさん。何か食うものある? 腹へっちゃって」


 重い空気をかき消す、明るい少年兵の声。暇を持て余して料理長を慰めていた侍女が目をつり上げた。


「ちょっと、コーザ! 不謹慎よ!」


「なんだよ、姫様が食えないからって、俺たちまで我慢することないだろ?」


 そのとおりだ、と料理長は気を取り直して簡単な食事を出してやる。うまそうに煮込み肉をほお張る恋人を見て、たしかに休憩は必要だと思い直し、アンナも茶を淹れコーザの隣に座った。


「で、姫様のお具合はどうなんだ?」


「よくないわね。お医者様は、足首の捻挫はほとんど治っているし、その他はどこも悪くないっておっしゃるんだけど」


 とにかく顔色が悪く、無理に起き上がったところでため息をつくばかり。ぼんやりと膝をかかえ、何かを思い出しては涙をこぼし、とても公務どころではないとのことだ。


「きっと、森の中で怖い思いをなさったんじゃないかって思うの」


「聞いてみたら?」


「無理よ。会ってくださらないもの」


 楽しい噂話も、美味い菓子も、今は姫の心を慰めることができない。どうすれば、またあの輝く宝石のような笑顔を見れるだろう。アンナは頬杖をついて思案する。


「……せめて何か召し上がらないと、治るものも治らないと思うのよね」


「だったらさ、姫様のお好きなパイを焼いてみたらどうかな」


 アンナはぱっと顔を輝かせた。


「あんた、たまにはいいこと言うじゃない」


 勢いよく背中を叩かれ、コーザは喉を詰まらせむせ込む。しかし、はりきって袖をまくり、棚から材料を厳選する恋人を見つめると、安心したように席を立った。


「ごちそうさま。おいしかったよ」


「そうかい……ありがとう」


 少し自信を取り戻した料理長は、アンナの邪魔をしないように夕食の献立を考えた。


 鼻唄まじりにアンナは生地を広げ、新鮮な苺をふんだんに盛り、手製のクリームを惜しみなくしぼる。焦がさないように釜の温度に注意し、次第に広がる甘い香り。これならきっと、姫の食欲も戻るだろう。


 アンナは茶葉を選び、薄紅色の陶器に金粉で花を描いたカップを用意し、セシルの部屋に向かった。


「姫様、アンナでございます。姫様のお好きなパイを焼いてお持ちしたのですが……」


 しばしの沈黙の後、入室の許可が下りる。アンナはほっと息をつき、扉を押した。


「姫様、お具合はいかがですか」


 厚く閉ざされたカーテンと窓を開け放ち、新鮮な空気を取り込む。薄暗い部屋に光が差し、ベッドの上で枕を抱きしめていたセシルは、まぶしそうに目を細めた。


 たしかに顔色は良いとは言えないが、やつれることもなく相変わらずの美しさを保っている。やはり毒や病などではないようだ。


 切り分けたパイの甘いにおいにつられて、セシルは静かに席につく。細い指でフォークをとり、そっと一口ほお張った。苺の程よい酸味が忘れていた食欲を刺激する。しかし深いため息がこぼれたきり、手は止まってしまった。


「すまぬ……どうも胸が苦しくて、今は何もほしくないのだ」


「姫様……」


 できることなら、その苦痛を代わって差し上げたい。アンナは自身の無力さを悔やんだ。


 せめて心休まるようにと香り高い茶を淹れる。その手元をぼんやり眺めながら、セシルは再びため息をついた。何かを言いかけて、飲み込む。


「心配ごとがおありですか?」


 セシルは首を振るが、美しいアイスブルーの瞳はみるみるうちに涙ににじんだ。


「……じつは」


 苦しげに胸を押さえ、くちびるを震わせる。


「じつは森の中で……竜使いに会った」


 アンナは驚きのあまり、うっかり茶器を取り落とした。甲高い音が響く。しかしアンナは茶器を拾うのも忘れて瞳を輝かせた。


「まあ、まあ、まあ! 本当ですの!」


 それは男か女か、若いのか年寄りなのか、いったいどういう風貌で、なぜ森に住まうのか。興味津々に質問する。


 無邪気な侍女につられてほんの一瞬セシルもほほ笑んだが、あの男のことを思い出すとまた胸が騒ぐ。込み上げるこの感情の名を、セシルは知らない。


「まったく、無礼なやつだった」


「まあ……」


「私はただ、竜の背に乗りたかっただけなのに。竜で威し、髪を切ってドレスを脱げと言ったのだ」


「なんですって!」


 激しくテーブルを叩いたせいで、再び茶器が高い音を立てた。そんなことを気にしている場合ではない。


 アンナはセシルよりも激しく怒り、くちびるをわななかせる。許せない。すぐに森を捜索し、不届き者を捕らえねば。


 口に出したことで受け入れがたい事実を認めてしまい、セシルはさめざめと涙をこぼした。


「私の方を見ようともせず、なぜ……あの男は意地の悪いことばかり言ったのだろう」


 あら、とアンナは思う。


 その竜使いとやらの無礼な態度に腹を立てていることは間違いなさそうだが、それはどうやら王族としてではなく。まるで好意に気付いてもらえない少女のような。


 よく見ると、青ざめていたはずのセシルの頬が、うっすらと薔薇色に染まっているではないか。


 そういうことかとアンナは握りしめた拳を解く。この病は長引きそうだ。


「つらい思いをなさいましたね」


 セシルを見つめる眼差しは、まるで幼い妹を見守るように優しい。


 胸のうちを吐き出し、理解してもらったことで少し気が晴れたのか、セシルはもう一口パイを食べた。アンナは穏やかにほほ笑み、茶を淹れなおす。


「……森の中には、知らないものがたくさんあった」


 目を閉じると今でもはっきり思い出す、奇怪な動物や美しい植物。あの薄暗い森で、自由に生きる……


「では、先生にお願いして、森での課外授業はいかがですか」


「いや……いい」


 またあの男に出会ったら……


 再び扉を叩く音に、思いが途切れる。アンナが伺うと、セシルは小さくうなずいた。


 涼やかな風をひき連れて入室したのは、騎士団長ライナス・アルフ・コンラッドだ。優雅に頭を下げると、金の巻き毛がきらめいた。


「今夜、また任地に戻りますのでご挨拶に参りました」


 とうとう、土産話を聞けなかった。とても楽しみにしていたのに。


 うつむくセシルに、ライナスは小脇に抱えていた鳥かごを差し出した。美しい色の小鳥が二羽、仲睦まじく止まり木に並んでいる。一羽はライナスの瞳と同じエメラルド、もう一羽はセシルの瞳と同じサファイアの色をした小鳥だ。


「まあ、可愛い」


 アンナが覗くと、小首を傾げてちちちと鳴く。くるくると丸い目で部屋を見回し、敵がいないとわかるのか、のんきに羽根をつくろい青菜をついばむ。


「少しでも、姫のお心を慰めますように」


 ライナスはセシルの手を取りくちづけると、マントを翻して去っていった。


「では、私も」


 そろそろ戻らなければ、またさぼってと叱られる。アンナは扉の前で振り返り、スカートの端をつまんでお辞儀した。


 部屋が憂鬱な静寂で覆われる。


 一人になったセシルは、じっと鳥かごを見つめた。


 こんな狭い鳥かごの中でさえ、小鳥たちは自由に生きている。悩みなどはあるのだろうか。


 セシルは窓辺に立ち、鳥かごの鍵を開けた。


 まるで捕らわれていたことすら知らなかったのか、エメラルドの小鳥はためらいもせずに飛んでいく。


「おまえも、お行き」


 促され、それでも慎重に辺りを確認し、ようやくサファイアの小鳥も空へ帰っていった。


 せめてこの瞳と同じ色をした小鳥が、自由に世界を見てくれればいい。はるか彼方に消えるのを確認し、セシルは窓を閉じた。


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