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決意の書

 ライナスは見張り台からじっと彼方を睨みつけた。

「来たか」

 ようやく空が白みはじめた頃、人々に休む隙を与えず南の大河に黒い影が現れた。

 次第に近付く影は河を渡り、上陸し、じりじりと市街地に迫りくる。その数、千か二千。歩兵、騎兵に加え、岩のような獣が重機を引く。

「こんなに早く……!」

 ライナスは悔しげに壁を殴った。握りしめた拳に血がにじむ。

 まるで図ったような進軍、あやしの力で覗き見でもしていたのか。せめて一日あれば、迎え討つ準備もできたであろう。今はまだ篭城するにも強度がたりない。

 よかれと思い避難させた市民を、危険にさらしてしまう。

 この首一つで済むのなら喜んで差し出すが、仮染の王の首になんの価値がある。ましてや奴らにまともな交渉が通じるとも思えなかった。

 昨夜のうちに、彼らだけでも逃がすべきだったのだ。

 ライナスは天を仰いだ。

「なんだ、あれは」

 人々が騒ぐ。

 彼らが指差すのは北の空、すらりと広げた翼をはためかせ、それは中庭に飛来した。

 ああ、神よ、あなたは我々を見捨てはしなかった。

 ライナスは目を閉じ感謝する。

 巨大な生物の背に乗り手を振る美しい金髪の少年、いや、男装した美少女。凛と立つ姿は神々しささえある。

「あれは、まさか」

「まさか」

 彼らは驚き、涙を流し、手を合わせ、ひざまずいた。どれほど様相が変われども、その高貴な美貌を見間違うことはない。

「ああ、姫様だ!」

「姫様が戻られた!」

「どうか、我々をお救いください!」

 セシル姫は優雅に右手を挙げて応えた。たたえた笑みは確固たる自信に満ちている。

 まっすぐに見張り台の方に向き、何か紙切れのようなものを掲げた。

「ライナス! そなたの欲するものを持ってきた。受け取れ!」

 急いでライナスは中庭に降りる。胸が熱い。

 髪を短くし、男物の服を着て勇ましく立つそのひとこそ、まさに探し求めた愛しい姫。再び逢えようとは。

「姫、数々のご無礼を……」

「私は許しはしない」

 セシルはきつく睨みつけた。父を、母を、友を、大切なひとを奪ったことは決して許しはしない。

 ライナスは覚悟し膝を折る。

「だが、今はそんなことを言っている場合ではない。急がねば、すぐそこまでガァラは迫っている」

 顔を上げさせ、書状を差し出した。

「遅くなってすまぬ」

 あの儚げな姫が、どうしてこれほど強くなられたのだ。眩しそうにライナスは目を細めた。

 瞳は輝き、生き生きとした表情、竜を従え、あの大人しく抱き上げられていた姫はもういない。

 ライナスはうやうやしく書状を受け取った。


  アディンセル王家は

  全権をライナス・アルフ・コンラッドに譲り

  王位に就くことを承認する


      セシル・エノーラ・アディンセル


 短い文に署名と花の印章が添えられただけの簡単な宣言だが、確かな効力を持つ。

「改めて、新王の誕生だ」

 突然の出来事に戸惑う人々の前で、セシルはライナスにかしずいた。慌てて皆それにならう。

「……貴女はわかっていない」

 つぶやいた声は風にかき消され、誰にも気付かれなかった。

 貴女は本当に、私がこんなものを望んだとお思いか。

 ライナスは自嘲気味にほほ笑んだ。これも我欲のために人々を苦しめた報い。

 セシルは事実を知らぬまま、じっと彼の瞳の奥を覗き込んだ。澄んだアイスブルーに心が洗われる。

「ライナス、そなたに王権を譲るかわりに、約束してほしいことがある」

「約束?」

「北の森には干渉するな」

 北の森、あの竜と竜使いが住むという。やはり、姫は竜使いを。

「それを私が守るとでも?」

「だから、ここに来た」

 セシルは当然と笑った。なぜ、裏切り者の私をそれほど信用する。

「考えておきましょう」

 心に湧き起こる黒いものを押さえ込んだ。

 唯一求めたひとは無事だったのだ。それで良いではないか。

「おいで、アンナ」

 セシルは足元をころころと転がり、草と戯れる生き物を抱き上げた。よく見て、それも竜だと気付く。

 アンナとは、また懐かしい名を。あの頃を思い出す。

「さあ、アンナ。皆を救いにいこう」

 わかっているのかいないのか、小さな竜はみゅ、みゅ、と鳴いてセシルの頬を舐めた。

 そのほほえましい光景に、不思議と心が安らいだ。

「まさか、その小さな竜でガァラと戦うおつもりか?」

「ふふ、こう見えて最強の竜なのだ」

 セシルは控えていた竜に命じて城壁に登る。

 ライナスは呆気にとられた。なんという世間知らず。

 ため息をつき、腰の剣を確認した。この方のために命を落とすのは惜しくない。とうに任は解かれているが、近衛の心得は今も胸にある。兵を引き連れ後を追い、共に城壁に立った。

 敵の軍勢はすでに街の中心まで踏み込んでいる。破壊された街をさらに破壊しながら進む蛮族ども、影にしか見えていなかった一団の個々の輪郭がはっきりするにつれて、セシルは緊張で身体を強張らせた。赤銅色の肌、烈火を思わせる髪、赤い軍勢が街を侵略している。

 本当に、アンナの力は効くのだろうか。もし効かなければ……


  逃げないで


 腕の中の竜が激励した気がする。

 それとも、いつも見守っていてくれた、あの気のいい侍女だろうか。

 そうだ、逃げてはいけない。争いを終わらせるためにここへきたのだ。迷わず、信じなければ。

 目を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。

 私は、私たちは、負けない。

「ユイット、もう一飛び頼む」

「その必要はない」

 よく知った声が、上空から降る。まるで夜のように周囲が暗くなり、見上げた空には巨大な竜たちがずらりと並んでいた。

 誰もが呆然とする中、ただ一人、ライナスだけがセシルから目を離さなかった。

 先頭の竜が群れを抜け、セシルの前を横切る。その背から、セシルを奪う男の手が見えた。駆け寄り、剣を抜いたが、すんでのところで間に合わない。

 セシルが城壁を蹴り、その腕に飛び込んだのだ。

 彼女を抱き留めた男が振り返る。珍しい銀髪に銀灰色の瞳。あれが唯一、愛しい姫を奪われると畏れた男、北の森の竜使い!

 ライナスはきつく奥歯をかみ締め、憎い男を睨みつけた。

「はちみつのお兄ちゃんだ!」

「何?」

 背後で幼い少女たちが満面の笑みで手を振っている。男も手を振り返した。

「今日は急いでたから。苺はまた今度な!」

「うん!」

 路地裏から避難してきた人々は、まさか、まさかと口々につぶやく。

「皆、あの男を知っているのか?」

 正直者たちは困惑し、顔を見合わせた。

「知っているというほどでは……」

「てっきり森の向こうの国の商人だと……」

 まさか、それが噂の竜使いだったとは。

「王様、あのね。あのお兄ちゃんが、石を投げちゃダメって教えてくれたんだよ」

 ライナスは剣を収めた。

 敵わない。

 あの男の元で、愛しい姫は成長された。きっと、深い愛情を注がれたのだろう。

「ライナス、ライナス! 国を、アディンセルの民を、よろしく頼む!」

 遠く去る姫は、まるで永久の別れのように後のことを託していった。


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