頭上の翼
急に空が暗くなり、いよいよ視力が駄目になったと覚悟する。
ライナスは息を呑み、剣を持つ手に力を込めた。額に嫌な汗が伝う。
気配は五つ。戦闘になれば、さらに向こうにいる連中も気付くだろう。
逃げ道はあの路地裏の住民たちが隠れる方向のみ。使えない。
ここまでならば、せめて一人でも道連れにと剣を掲げて振り返った。
しかし、敵どもは空を見上げて呆けている。
「何事……」
ライナスもまた空に目を向け、思わず言葉を失った。
邪悪な煙をかき消しながら、二匹の巨大な生物がはるか頭上を飛び交う。渇いていたはずの空に雷鳴が轟き、無数の氷の刃が降り注いだ。
見たことのない生物のひき起こす天災に、蛮族どもは恐れをなして逃げ惑う。その先々でいかずちが地を貫き、氷点の風が体温を奪うと、完全に戦意を喪失した。
辺りに静けさが戻り、ただ巨大な生物たちの翼が擦れる音だけが響く。
巨体たちはしばらくライナスの頭上を旋回し、やがて北の空へと去っていった。
「まさか、そんな」
ライナスは震えた。
かつて平和だった頃に、城下街で流行っていた書物を思い出す。あれはでたらめな作り話ではなかったのか。
北の森に、あの巨大な生物が、竜と呼ばれる生物が棲んでいるのか。では、噂通り、それを操る竜使いも……
よもや北の森にひとが住まうとは思わず、深く捜索していなかった。
ライナスは解けた金の巻き毛をかき上げる。
「セシル姫……」
あの夜の、少年兵と若い侍女の他愛のない会話が脳裏をよぎった。胸をかすめる黒い想い。いけないと首を振る。
何にせよ、死を覚悟するのはまだ早い。