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碧空の祈

 優しい秋風が頬を撫でる。木陰でついまどろんでいたセシルはあわててかごを拾い上げ、散らばったきのこや山菜を集めた。

 見上げればいつしか木々の葉が赤や黄色に染まりはじめている。もう、ずいぶんと長い時間をこの平和な森で過ごしたが、そろそろ出ていく時がきた。

《あ、いたいた、セシル!》

 人懐こい小柄な竜が、セシルの姿を見つけて嬉しそうに寄ってきた。

 彼女が外に出る度に話しかけ、小さなつむじ風を起こしたり、花吹雪を撒き散らしたり、まるで見世物のように彼女を驚かせ楽しませる。さて、今日は何をする気だろう。

 セシルは笑い、困ったようにうつむく。情が移っては離れにくいではないか。それでなくとも、この竜たちの森を居心地がいいと思ってしまっているのに。

 セシルはずっと考えていた。竜の力を用いずに、アディンセルを救う方法を。

 そして、一つだけその方法があることに気付いていた。

 早急に城に戻り、あのライナス・アルフ・コンラッドを夫とし、国王として認めると宣言するのだ。

 もし彼がすでに正気に戻っているならば、苦しみながら、誰の協力も得られぬまま、アディンセルを守ろうとしているに違いない。本来ならば、強く、賢く、優しい男なのだ。

 セシルの承認さえあれば、国民は彼に心を許し、再興への力を貸してくれるだろう。

 しかし、ライナスや国民たちが今なおガァラの香の煙にやられているならば、それは無謀で危険なことである。

 ライナスが王位に就いた真意を、そしてアディンセルの現状を知る必要があった。

 だが、セシルはそうできずにいる。卑怯者、と思う。

《セシル?》

 小竜に話し掛けられ、はっと我に返った。心配そうに顔を覗いていた竜は、安心してほほ笑む。最近は、竜の表情までわかるようになった。

《ねえ、セシル。空を飛んでみないかい? 僕ね、やっとひとを乗せてうまく飛べるようになったんだ。君、最初に竜の背に乗りたいって言ってたよね? 僕、ずっと、君を背に乗せて飛びたいって思っていたんだよ》

 まったく、おしゃべりでお節介な竜だ。

 セシルが躊躇していると、ユイットという名の小竜は姿勢を低くして翼を広げた。早く乗れと合図しているのだ。

《靴のままで大丈夫。僕のうろこは堅いんだ。セシルの足が傷ついちゃうよ。そう、たてがみをしっかり掴んで。じゃあ、いくよ》

 ユイットは後脚にぐっと力を込め、大地を蹴った。左右の翼を強く動かし、尾で舵をとる。

 激しい風に吹き飛ばされそうになり、細い腕で懸命にしがみついた。

 遠く、高く、空の青に吸い込まれるほどに竜は登っていく。

 しかし、森の木々を一望できるくらいまで登ったあたりで、ユイットは突然体勢を崩した。右に左にと揺れ、思うように進まない。

《あれ、あれ? 変だな、前はちゃんと飛べたのに》

 小竜は焦り、必死に翼をはためかせた。

 セシルはどうにもしてやれない。たてがみにしがみつく腕が疲れて痺れ、このままではじきに手を離してしまうだろう。

「落ち着け、ユイット」

 耳元で、男の声がする。

 男は背後からセシルを抱き留めた。温かく、力強い腕が苦しく、セシルは息ができない。胸が張り裂けそうになる。

《わ、わ、僕、まだ、二人も乗せて飛べないよ!》

 ユイットは驚き、ますます混乱した。

 男は……竜使いは、風を読みながら巧みに竜を操る。

「大丈夫だ、ユイット。頭を下げて、そう。左の翼をもう少し強く、ゆっくり動かしてみろ」

 ユイットが言われたとおりにすると姿勢が戻り、森の上を大きく旋回しはじめた。

 頬に受ける風が強過ぎて、セシルはきゅっと目を閉じ顔を伏せる。

「怖れずに、よく見てごらん」

 いつか、聞いた声。

 低く穏やかな声に従い、そっと目を開けた。

「……!」

 眼下に広がる美しい街。西の湖はきらめくさざ波を立て、そこから悠然と南を囲うように大河が流れ、突然切り立つ東の渓谷へ落ちる。北は深い森に守られ、全ての中心に……

 しかし、そこにあるはずの荘厳なアディンセル城は、もう以前の姿ではない。城壁は崩れ、焼け落ち、残った柱は傾いている。

 よくよく見ると、城下の街の通りは石畳が欠け、周辺の街路樹は枯れ、その陰に人々がうずくまっていた。飢えているのか、病に冒されているのか、みなやせ細っている。

 セシルの瞳から、大粒の涙がこぼれた。

 これが、アディンセルの現状か。

 救いを求めて彷迷う人々はしかし、肩が触れ合うだけで怒鳴り、暴力を振るう。そこかしこに狂気が満ちていた。

 早く、救わなければ。

 国を、民を、美しい裏切り者を。

「あれは……!」

 セシルは涙を拭い、ぐっと身を乗り出した。

 薄暗い路地裏にうずくまる青年は、場にそぐわぬ高貴な輝きを放っている。あの豊かな金の巻き毛を見間違うはずがない。

「ライナス! ライナス!」

 声のあらんかぎり叫んだ。生きているのか、それとも。

 セシルを抱きしめる力が強くなる。

「戻れ、ユイット」

「待って、あれはライナスだ! 助けなければ!」

「戻れ、ユイット!」

 風の小竜は困惑する。

「お願い、彼を助けて!」

 あの美しい騎士が、こんなところで野垂れ死ぬべきではない。セシルは必死の形相で竜使いのシャツにしがみつき、懇願した。

 竜使いは舌打ちする。

「……あの男を助ければいいんだな」

 いつのまにか集まった住民たちが、ライナスに拳を振り上げている。

 ああ、やはり彼は嫌われ、憎まれているのだ。当然だろう。

 父を、母を、直接手にかけたあの男を恨む気持ちはセシルにもある。あの男がガァラを呼び寄せさえしなければ。

 だが、今、アディンセルを救えるのは、悔しくも彼しかいないのだ。

「ユイット、カトルとスィスを呼べ」

 ユイットは天に向かって咆哮を上げた。空が裂け、巨大な竜たちが集う。一匹は雷光を纏い、一匹は風をも凍てつかせる吹雪を撒き散らしながら。

「カトル、スィス、あの男を援護しろ。ああ、住民は傷つけるなよ!」

 地上でどのような会話がなされているのかわからない。人々は振り上げた腕を下ろし、彼に背を向け立ち去った。

 セシルはアディンセル復興の光を見た気がした。

 彼らはきっと、正気を失ってはいない。

 ほっと息をつく。が、それもつかの間。

 白刃煌めき、かの美しい騎士の背後に、赤銅色の肌、烈火の髪と瞳の蛮族どもが踊り出た。

 セシルの脳裏に悲劇がよみがえる。

「早く戻れ、ユイット!」

 竜使いが怒鳴り、今度こそ風の小竜は進路を変えた。


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