麗しの姫
衣装部屋では待ちくたびれた仕立て屋が落ち着きなく歩き回る。それを見て宝石職人もレース職人もうんざりとため息をついた。
ほどなく扉が開き、美しいセシル姫が入室すると、仕立て屋は飛び掛からん勢いで迎えた。
「お待ちしておりました! ささ、明日のドレスをお作りしましょう」
鼻の上の眼鏡を直し、用意していた淡いブルーのサテン地を広げる。慎重にハサミを入れ、セシルの身体に合わせてピンを打ち、仮糸で縫い合わせていく。宝石職人とレース職人も、自慢の作品から最良のものを見繕ってあしらった。
セシルは鏡の前にじっと立ち、全身の力を抜いて三人に委ねる。彼らに任せておけば、とりあえずは恥をかかぬ程度のドレスが仕上がるのだ。
「姫様、ここはリボンにいたしましょうか。それともフリルにいたしましょうか」
「……良い方で」
「では、フリルにいたしましょう」
仕立て屋は器用に布をつまみ、華やかなフリルを形作る。
セシルは興味もなく、こぼれそうな欠伸をこらえた。機嫌を損ねたと勘違いした仕立屋は、首をひねりながら何度も布を取り直し、鏡越しにセシルの顔色をうかがった。
毎日の茶会に、ただ一度だけ披露されるドレス。翌日には流行遅れと笑われてしまうらしい。用済みとなったドレスのその後の行方を、セシルは知らない。知る必要もない。
町の娘たちは敏感に、セシルのドレスを真似て次々と自分のドレスを作り替えた。
ソファーに寝そべり眺めていた母君が、機嫌よくほほ笑む。親の目から見ても、セシルは美しい。最良の夫を見つけてやりたいと願う親心は、王族だろうと平民だろうと変わりはしない。
「明日はライナスも出席するそうね」
揺れる扇に隠された口元はほほ笑んではいるが、その声はどこか冷ややかだった。皆が確定だと思い込んでいるライナスを、母君はまだ納得していない。
完璧すぎるのだ。
職務も私生活も振舞いも、何もかもが完璧なところが、逆に疑わしかった。
そうとは知らず、セシルは明日を心待ちにする。各地を巡り、どんなおもしろい話を持ち帰ってくれただろう。
いくら他の夫候補たちが珍しい話題を用意しても、所詮は狭い王都で集めたもの。実際に見聞し、体感したライナスに敵うはずがない。
あの、竜使いの話も聞かせてくれるだろうか。
珍しく表情を緩めるセシルを見て、母君は眉をひそめた。
夕暮れ時の城下街では新たな流行に人々が沸く。
どこで聞きつけたのか、セシル姫が竜使いに興味があるらしいと知った貴族の子息たちは、すぐに関連する書物を買い占めるよう召使いたちを走らせた。
店じまいしようとしていた店主はあわてて暖簾をかけ直し、店の奥から次々と商品を運ぶ。便乗した別の店では竜のうろこだとか竜の涙だとか、あやしげな品々が並びはじめた。
仕事のあとの一杯を楽しむ飲み客たちは、さっそく竜の血だと謳う美酒に酔い、姿を見せない竜使いについて議論する。
「そもそも人間が森で暮らせるはずがない」
「竜を従えるくらいだ、強靭な精神の持ち主なんだろうよ」
「ちょっと森を探索してみるか」
「よせよせ。毒虫に噛まれて寝込むのがおちだ」
平和な街の、平和な人々は、薄暗く不気味な森になど踏み込まない。では、いったい誰が竜と竜使いを見たのだろう。
あやふやな話ではあるが、それで景気が良くなるのだから店主たちは感謝せねば。
「ねえ、そんなことより、今日の姫様のドレスはどんなだった?」
「おぐしの結い方は? 何色のリボン? それとも花を飾られていたのかしら」
給仕係の娘たちにとっては、未知の生物や謎の人物よりも、美しい姫にあやかる方が重要らしい。下級兵士や貴族の小間使いに酒を注ぎつつ質問するが、彼らが深窓の姫を見れるはずもなく。たとえ垣間見たところで、野暮な彼らにわかるまい。
「そういや、あんたは北の国から来ているんだろう? 森を抜けて。竜使いのことは知ってるかい?」
「……知らないな」
荷車の積み荷を降ろしていた男は、手を止めることなく短く答えた。愛想のない男に苦笑して、女将は麦酒と塩漬け肉の燻製を出してやる。
「ん、ありがとう。ここのは美味いからな」
「あんたが運んでくれる木材やハーブが良いからね」
女将は荷物を確認して、下男を呼んだ。薪にハーブ、きのこや果実、はちみつ、薬草、それに上質な狐の毛皮……下男はそれらを奥に運び、代わりに大きな木箱を二つ手押し車に乗せてきた。
「いつものやつでいいかい? ああ、燻製は多めに入れておいたよ。ぜひ、北の国でも広めておくれ」
女将がにかりと笑うと、男も少しだけ口の端を上げた。笑っているつもりかもしれない。
「ここのが美味いのは、いい餌を食っているからだと思っていた。木材とハーブの効果なら、俺にも作れそうだな」
「おっと、そんな簡単じゃないよ? 微妙な火加減や時間の調節が必要でね」
「……冗談だよ」
貴重な取引き相手を失うと焦る女将に、男はやはり下手な笑みを見せる。まったく、似合わない冗談など言うものでない。女将はほっと胸を撫でおろした。
荷物を積み終えた男は、麦酒と燻製肉の礼を述べ、また来ると言って店を出た。
いつしか日は落ち、一つまた一つと星が輝きはじめる。冷たい風が火照った空気を静め、やがて優しい夢が街を包んだ。