哀愁の街
どれほど眠っていたのだろう、慣れない固いベッドのせいで身体中がきしきしと痛む。ゆっくりと起き上がり、周囲を見回した。
窓から差し込むやわらかな日差し、小鳥たちのさえずり、吹き込む風が優しく頬を撫でる。
仕切りのシーツをそっとめくってみるが、誰もいない。乱雑に散らかったテーブルには一人分のスープ皿とパンが用意されているのみ。
セシルはまだぼんやりとする頭で状況を把握しようと試みた。
「ああ、起きたのか。ちょうどいい、街に行くが、何か必要なものはあるか?」
部屋に戻ってきた竜使いは、スープをよそって茶を淹れてやる。セシルは戸惑いながら席についた。
「ん、お城のご馳走なんて、期待するなよ?」
「……いや、すまない。世話になる」
なんとも味気ない食事だが、弱った今のセシルにはちょうどよかった。身体が温まり、緊張がほぐれる。
「それで、何を買ってくればいい? それとも、一緒に行くか?」
「何も……」
「着替えだとか、身の回りのものだとか、いろいろ揃えないと。ここには何もないぞ」
そうは言われても、何が必要なのかわからない。全て、用意されていたのだから。
「その、これ以上、迷惑をかけるわけには……」
竜使いはうんざりと肩をすくめた。適当に見つくろうしかないか。まったく、世話の焼ける。
テーブルの上の小間物を荷車に詰めて外に運び、待たせていた竜の背にくくり付けた。
「あ……これを……」
セシルはあわてて追いかける。面倒くさそうに振り返る竜使いに、小さな指輪を差し出した。
「その、礼に……これしか持ち合わせておらぬゆえ……」
「……いらないよ。大切なものなんだろう?」
「しかし……」
ああ、これは受け取らないと話が終わらない。そう察した竜使いは、乱暴にひったくって懐にねじ込んだ。
「まだ調子が戻ってないなら寝てろ。起きられるなら、掃除くらいしておいてくれ」
それだけ言い残し、竜の背に乗り彼方の空へ飛び去った。
(まったく……こんなもの売れるはずないじゃないか)
懐を確認する手に嫌な汗がにじんだ。
次第に眼下の木々が低くなり、正面に城壁が現れる。門は開いたままで、番兵はいない。いつもなら色とりどりの花が飾られているが、いつから変えていないのか枯れた花がまばらにこうべを垂れている。
竜使いはくぼ地に竜を降ろし、荷車をはずした。
前に訪れてからまだほんの幾日しか経っていないのに、城下街はまるで様相が変わっていた。
花壇は踏み荒らされ、整備された大通りは石畳が欠け、傾いた家屋にはそこかしこに焼け焦げた跡が残る。人々は崩れた垣根や倒れた大木の陰にうずくまり、虚ろな瞳で宙を見つめていた。
「……ひどいな」
竜使いは眉をひそめた。
「あの男のせいだよ」
馴染みの商店主が憎々しげに言う。
「あの男が、ガァラを手引きしたせいだ」
「ガァラ?」
「河の向こうの蛮族たちさ。あの男はガァラに国を売り、賎しくも王を亡きものにしたんだ」
「まったく許せないね。勝手に即位したかと思ったら、税は倍にするし、徴兵で働き手を連れてってしまうし。ろくなことしないよ」
隣の店の女将も話に加わってきた。頼んでおいた小麦は半分の量しかない。
「すまないね、これだけしか換えてやれないよ」
「いや、いい。ありがとう」
男は小麦袋を受け取り、荷車に積む。他所に持っていくつもりだった薪と薬草も女将に渡してやった。
「ああ、助かるよ。なにせ物がなくて。うちも、いつ売り物がなくなるかわかりゃしない」
「……気をつけて」
「あんたもね。アディンセルの次は、北の森を越えて、あんたの国にも攻め込むよ、あいつらは」
わかったと手を振り、軽くなった荷車を引く。
家を失い、家族を亡くし、虐げられた人々は、稀有な髪色の竜使いに恨みがましい目を向けた。今は異国の人間は全て敵だと思っているのだろう。仕方あるまい。
足が折れて泣いている少女の手当てをしてやると、別の少女に石を投げられた。
立ち上がり、哀しい瞳で少女を見下ろす。少女は恐怖に泣き出した。
竜使いは石を投げた方の手をとり、その甲に小さな石を落とす。こつん、と当たり、足元に転がった。
「……石をぶつけられる気持ちはわかったね? なら、もうやっちゃいけないよ」
少女は竜使いの手を振りほどき、助けてと叫びながら走り去った。しかし、誰も彼女を助けようとはしなかった。
「ひとの心が荒れている」
応えるように、風が木の枝を揺らした。