救いの手
獣の瞳 狂気に閃く剣 赤い液体
美しい裏切り者 燻る煙 不幸な恋人たち
獣の瞳 狂気に閃く剣 赤い液体
美しい裏切り者 燻る煙 不幸な恋人たち
獣の瞳 狂気に閃く剣 赤い……
自分の発した悲鳴に驚き、セシルは目を覚ました。息が乱れ、寝汗で服がべとつき、早鐘のように鳴る鼓動に胸が痛い。
「う……あ……」
なんと恐ろしい夢を見たのだろう。ありえない、ありえない、あのようなこと、現実に……セシルは震えながら頭を抱えた。
「目が覚めたのか?」
男の声……誰? ここは……周囲を確認しようと目を見開いても、脳裏に浮かぶのは惨劇ばかり。
「あ……あ……」
言葉を失い、セシルは喘ぐ。
夢は次第に鮮明に、確かな記憶としてよみがえる。残虐な光景に、セシルの心は今にも壊れてしまいそうだ。
「……入るぞ」
返事を待たずに男は仕切りをめくった。
憔悴したセシルは一点を見つめ、くちびるをわななかせている。泣き方さえ忘れてしまったのか。
見かねた男は、竜使いは、隣に座ってセシルの頭を自分の胸に引き寄せる。何も言わずに肩を抱き、短くなった金髪を撫でてやった。
「あ……う……、ああ……」
救いを求めてさまよう手が、彼のシャツを見つけてしがみつく。よほど混乱しているのだろう、意味のわからないことをわめき散らした。
竜使いはうんざりとため息をつく。
「……だから俺は、ひとと関わるのは嫌いなんだ」
自然の理を無視して線を引き、取った取られたと騒ぎ、損だ得だと計算する。取った者の陰で取られた者が怒り、損した者を得した者が嘲笑う。
終わることのない連鎖はただ悲しみを生み出すばかり。そしてこんな幼い少女を苦しめる。
なんとも馬鹿馬鹿しい世の中だ。
「もし行くあてがあるなら、送り届けるが」
セシルはきっと竜使いを睨みつけた。
「わたし、は、と……取り戻す……っ! 必ず、アディンセルを……蛮族を、うう……裏切り者を、決して、許しはしない!」
「……そうか」
竜使いは立ち上がり、布巾を濡らして腫れたまぶたにそっと押し当ててやる。
「……街ではいつも、きれいなお姫様の噂話で持ちきりだった。若い娘はみんなお姫様の真似をしたがったし、男たちは一目でいいからと会いたがっていた。平和で、明るく親切なひとたちだった。無事だといいな」
セシルは声を上げて泣いた。頭が割れてしまうのではないか、心が砕けて吐き出してしまうのではないかと思うほど、激しく泣いた。冷やしたばかりのまぶたがますます赤く腫れる。
竜使いは椅子に座って静かに見守っていた。
やがて涙は枯れ果て、セシルはぐったりとベッドに横たわる。
スープを用意してやろうと立ち上がった竜使いの背を視線だけで追いかけ、ぽつりとつぶやいた。
「なぜ、私はここへ……?」
たしかに行く宛てなどはなかったが。まさか無意識にこの男を頼ってしまったのか。いや、きっと先人たちはここに竜と竜使いがいると知っていて、あの秘密の抜け道を作ったに違いない。
もう、二度と会いたくないと思っていたのだから。
「おまえは、全て予見していたのか?」
「まさか。あれは、あんたを追い払うために言ったんだ」
セシルが心を取り戻した途端、竜使いはまた素っ気ない態度をとった。スープ皿を差し出し、さっさと仕切りの外に出る。
「全部飲めよ。強くなるんだろ。飲んだら着替えて、もう一度寝ろ」
わかってはいたが、なんと腹の立つ物言いをする男だろう。
重い体を起こし、味わうことなくスープを腹に収める。あの男のにおいのする服など着たくはなかったので、アンナが貸してくれた服のまま寝そべり頭から毛布をかぶった。
ほどなくして規則正しい寝息が聞こえてくる。せめて夢の中くらいは安らぎをと、竜使いは安眠を誘うハーブを枕元に添えてやった。