DAY -9 -8
2030年8月16日 午前7時03分
東京都新宿区・防衛省
「昨日と同じですね」
若い分析官が言った。
佐伯直哉二等海佐は返事をせず、目の前に並んだ複数の画面を眺めていた。
航空機。
艦艇。
海警船。
ロケット軍。
通信量。
補給活動。
昨日の数字、その前の週の数字、そして前年の演習2日目の数字が並べられている。
どれも前日から大きく変わっていなかった。
「航空機は?」
「昨日より3機多いです」
「艦艇」
「海軍が1隻増。海警は変わりません」
「配置」
「ほぼ同じです」
「ロケット軍」
「移動訓練を継続。発射はありません」
「通信量は?」
「昨日とほぼ同水準です。誤差の範囲ですね」
佐伯はそこでようやく椅子にもたれた。
「じゃあ昨日と同じだな」
分析官が少し笑う。
「最初に言いました」
「確認したんだよ」
「信用ないですね」
「仕事だからな」
分析官は別の画面を開き、前年の演習データを重ねた。
「去年も2日目に少し増えています」
「どのくらい?」
「航空機で約12パーセント。艦艇はほぼ横ばいです」
「今年は?」
「航空機で11パーセント増」
佐伯が画面を見る。
去年の航跡と今年の航跡。
完全に同じではない。
だが、違いを探そうとして見なければ気づかない程度だった。
「きれいだな」
「何がです?」
「去年と」
分析官も画面を見直す。
「ああ……確かに」
「昨日は去年より少し大きい。今日は去年とほぼ同じ増え方」
「演習としてはかなり自然ですね」
「そういうことになる」
佐伯の声には、不満よりも安堵が混じっていた。
そこへ情報班長の一佐が入ってくる。
「今日は何か面白いもの出たか」
佐伯が振り返った。
「ありません」
一佐が少し笑う。
「残念そうだな」
「むしろ嬉しいですよ」
「本当に?」
「昨日も普通。今日も普通です」
佐伯は画面を指した。
「このままなら、私が考えすぎてたってことで終われます」
一佐が近くの椅子を引いた。
「それはそれで悔しくないのか」
「全然」
「分析官としての面子とか」
「いりませんよ、そんなもの」
佐伯は笑った。
「当たったら戦争じゃないですか」
一佐が小さく頷く。
「それもそうだな」
若い分析官が横から言う。
「昨日も同じようなこと言ってました」
佐伯が見る。
「お前、最近俺の発言記録してないか」
「してませんよ」
「怪しいな」
「議事録に『佐伯二佐、本日も気持ち悪がる』って書きます?」
「やめろ」
一佐が声を出して笑った。
しばらくして、笑いが収まる。
3人はもう一度画面を見た。
戦闘機は飛んでいる。
艦艇も動いている。
中国軍は台湾を囲むように展開している。
それでも、昨日見たものとほとんど変わらない。
一佐が静かに言った。
「でもまあ、本当にこのまま終わってほしいな」
佐伯が頷く。
「はい」
若い分析官も何も言わず頷いた。
8月22日正午。
その時間になって中国軍が演習終了を発表し、艦艇が港へ戻り、航空機が通常配置へ戻る。
今なら、その未来をまだ普通に想像できた。
午前8時41分
台湾・新北市
怡君は自宅のテーブルでノートパソコンを開いていた。
画面には会社のチャット。
昨日まで演習関連の話題で流れ続けていた欄にも、いつもの仕事の話が戻り始めている。
物流遅延、昨日よりマシらしい。
高雄向け部品は通常便に戻ったって。
演習、思ったより普通じゃない?
その下にはすぐ、
午後の会議、14時からで大丈夫?
というメッセージが続いていた。
怡君はコーヒーを飲む。
俊偉が冷蔵庫を開けながら言った。
「今日も在宅?」
「うん」
「会社行かないの?」
「行ってもいいよ」
「じゃあ何で行かないの」
怡君はキーボードを打ちながら答えた。
「楽だから」
俊偉が笑う。
「危機関係なくなってるじゃん」
「会社が使っていいって言ってるんだから使う」
「去年もそうだった?」
「去年も」
「演習あるたびに在宅勤務?」
「演習がなくても在宅勤務」
俊偉が冷蔵庫からペットボトルを取り出す。
「じゃあ本当に関係ないな」
「最初からそう言ってるでしょ」
テレビでは中国軍演習2日目のニュースが流れていた。
映像は昨日とよく似ている。
戦闘機が離陸する。
艦艇が海を進む。
軍用車両が道路を走る。
俊偉がリモコンを取った。
「昨日と同じだな」
「ニュースも飽きたんじゃない?」
「視聴者も飽きてるよ」
チャンネルを変える。
スポーツ。
天気。
芸能ニュース。
怡君が笑った。
「もう見ないの?」
「何かあったら速報出るでしょ」
「それはそう」
「ずっと中国軍見てても、こっちが疲れるだけだし」
「昨日まで結構見てたじゃん」
「昨日は初日だったから」
「今日は?」
俊偉はテレビの天気予報を見る。
「2日目」
「理由になってない」
2人とも少し笑った。
昨日までテレビ画面の隅に居座っていた台湾周辺の地図は消えていた。
代わりに映っているのは、週末の降水確率だった。
戦争の可能性が消えたわけではない。
ただ、人間は毎日同じ緊張を続けられない。
そしてその朝、台湾の多くの家庭で、中国軍演習は少しずつ「ニュース」から「背景」へ戻り始めていた。
午前10時16分
中国・福建省福州市
東部戦区指揮施設
「2日目の航空活動、計画比101パーセント」
作戦参謀が報告した。
周啓明中将が資料を見る。
「増えたな」
「微増です」
「予定の範囲?」
「はい。昨年の2日目とほぼ同じ推移です」
「海上は」
「水上艦艇19隻。海警22隻。いずれも計画どおりです」
「ロケット軍」
「移動訓練のみ。発射なし」
情報参謀が別の資料を開く。
「日米台の警戒態勢に変化ありません」
周が顔を上げた。
「評価は?」
「米国30パーセント維持。日本も昨日と同様です。台湾にも追加の大規模動員はありません」
作戦参謀が少し笑う。
「落ち着いてきましたね」
周が横を見る。
「誰が?」
作戦参謀の笑みが少し止まる。
「相手がです」
「そう見えるか」
「少なくとも、追加措置はありません」
周は数秒考えた。
「それを落ち着いたとは言わない」
「では?」
「待っているだけかもしれない」
情報参謀が頷く。
大型画面には台湾側の戦闘機、米軍の哨戒機、日本側の監視活動が表示されていた。
どれも続いている。
「安心しているなら、監視密度は下がる」
周が言う。
情報参謀が数字を確認した。
「まだ目立った低下はありません」
「そういうことだ」
作戦参謀が小さく頷く。
「こちらが普通に動いているからといって、向こうが信用したわけではない」
「信用させる必要もない」
周が答える。
「決断させなければいい」
「演習ではない、と?」
「そうだ」
作戦参謀が資料を閉じる。
「今日も基本計画を維持しますか」
周は即答した。
「維持する」
作戦参謀が少し笑う。
「今日は迷いませんね」
周も少しだけ笑った。
「昨日よりはな」
「明日は?」
「明日のことは明日考える」
「毎日疑え、ですか」
周は画面を見たまま答えた。
「覚えているなら、何度も言わせるな」
午後0時32分
ハワイ・キャンプ・H・M・スミス
米インド太平洋軍司令部
「2日目も大きな変化なしです」
情報参謀が言った。
司令官は画面を見る。
「本当に退屈になってきたな」
若い情報将校が少し笑う。
「良いことです」
「情報屋が退屈するのは良いことか」
「今回は」
「普段は?」
「何もないところから何か見つけろと言われるので嫌です」
司令官が笑った。
「正直だな」
資料へ視線を落とす。
「航空活動、昨年とほぼ同じ推移」
「はい」
「艦艇も」
「はい」
「ロケット軍も射撃なし」
「移動訓練のみです」
「通信量は?」
「演習初日から大きな変化なし」
司令官は椅子にもたれた。
「30、下げる?」
若い将校が少し考えた。
「まだ維持で」
「慎重だな」
「昨日までの病院と物流があります」
「忘れてないか」
「忘れてません」
司令官が笑う。
「偉い」
情報参謀が横から言う。
「ただ、心理的には少し下がっています」
司令官が若い将校を見る。
「君も?」
若い将校が苦笑する。
「正直に言えば」
「俺もだ」
司令官は台湾周辺の地図を見る。
昨日までなら、赤い演習区域を見るだけで嫌な感覚があった。
今日は同じ地図を見ても、その感覚が少し薄れている。
「人間ってのは簡単だな」
司令官が言った。
「昨日一日何もなかっただけで、もう慣れ始めてる」
情報参謀が答える。
「正常性バイアスは専門家にもあります」
「嫌な言葉だ」
「でも事実です」
司令官は演習日程を確認した。
「終了予定は22日正午」
「はい」
「このまま何も起きなければ、あと6日」
若い情報将校が少し嫌そうな顔をする。
「始まる前は、それくらいすぐだと思ってました」
「今は?」
「6日もある」
司令官が笑った。
「東京の分析官みたいなこと言うな」
若い将校も笑う。
「向こうも同じこと考えてるかもしれません」
「なら、全員で退屈な6日間を過ごそう」
司令官は資料を閉じた。
「それで終わるなら安いものだ」
午後2時18分
台湾・台北市
国防部関連施設
「演習2日目、現時点で異常なし」
情報将校が報告した。
上官が資料から顔を上げる。
「異常なし、って言葉使うの久しぶりだな」
「使っていいですよね?」
「今日はな」
「よかった」
上官が少し笑う。
「そんなに言いたかったのか」
「最近ずっと『異常ではないが注意』とか『説明可能だが懸念』ばかりだったので」
「俺も嫌になってた」
情報将校が演習区域を表示する。
「航空活動も去年と似ています」
「海軍は?」
「少し多いですが想定内です」
「海警」
「ほぼ同じです」
「ロケット軍」
「目立った変化なし」
上官は腕を組んだ。
「じゃあ今日も維持」
「はい」
「追加なし」
「了解」
情報将校は記録を入力する。
少ししてから、手を止めた。
「このまま終わりますかね」
上官が彼を見る。
「終わってほしいか」
「もちろん」
「俺もだ」
「でも昨日までは、かなり警戒してましたよね」
「今もしてる」
「じゃあ何が違うんです?」
上官は少し考えた。
「昨日までは、何か始まるかもしれないと思って見てた」
「今日は?」
「何も始まらないかもしれないと思って見てる」
情報将校が小さく笑った。
「同じ画面なのに」
「見る側が変わったんだろ」
画面では中国軍機が演習区域内を周回していた。
「毎年みたいに、最後に少し派手なことやって、22日の正午に終わる」
情報将校が頷く。
「それが一番ですね」
上官も静かに頷いた。
「今年もそうであってほしい」
午後5時49分
東京都新宿区・防衛省
夕方になって、若い分析官が画面を拡大した。
「これ、少しだけ気になります」
佐伯が椅子を寄せる。
「何?」
「昨日、東側にいた駆逐艦2隻です」
「それが?」
「通常なら午前中に西側へ戻る予定でした」
佐伯の目が画面に止まる。
「戻ってない?」
「はい」
分析官が位置情報を拡大した。
台湾東方。
2隻は前日の演習区域からさらに南東へ移動していた。
佐伯は数秒見た。
「次の訓練区域?」
「たぶん」
「予定には?」
「明日の対海上訓練で使う可能性があります」
「なら、それじゃないか」
佐伯の返事は早かった。
分析官が別の画面へ切り替える。
「もう1つ」
「まだあるのか」
「航空部隊です。昨日、東方で活動していたJ-16の一部が基地に戻らず、前方基地へ移っています」
佐伯が眉を寄せる。
「何機?」
「4機」
「少ないな」
「はい」
「次の訓練?」
「十分あり得ます」
佐伯は少し黙った。
「何が気になる?」
分析官も言葉を探す。
「戻らないことです」
「連続訓練なら普通だろ」
「そうなんですけど」
「そうなんですけど?」
分析官が苦笑した。
「昨日まで全部『少し』だったじゃないですか」
佐伯が笑う。
「またそれか」
「艦艇が少し多い。航空機も少し多い。区域も少し広い」
「うん」
「今度は、戻らないのも少しだけです」
佐伯は笑ったまま画面を見る。
2隻。
4機。
戦争を語るには、あまりにも小さな数字だった。
「じゃあ普通だ」
「ですかね」
「少なくとも、これだけじゃ何も言えない」
「ですよね」
佐伯はもう一度地図を見た。
「メモには残しとけ」
「評価は?」
「変えない」
「了解」
分析官が入力を始める。
佐伯は画面から目を離さなかった。
「たぶんな」
分析官が振り返る。
「何がです?」
「次の訓練だよ」
「そうでしょうね」
「明日戻るかもしれない」
「はい」
「戻らなくても、その次の訓練かもしれない」
分析官が少し笑った。
「何日まで言えます?」
佐伯も笑う。
「22日まで」
「終了予定ですね」
「ああ」
「それでも戻らなかったら?」
佐伯は一瞬だけ黙った。
「その時考える」
軽い調子で言ったつもりだった。
だが、2人ともそれ以上は話さなかった。
午後9時17分
中国・浙江省
空軍基地
若い整備士が駐機場を見回した。
いつもなら並んでいるはずの機体が、いくつか見当たらない。
「昨日より少ないですね」
整備主任が工具箱を閉じる。
「前方基地に回した」
「何機?」
「4機」
「明日の訓練ですか」
主任の手が一瞬だけ止まった。
「そう聞いてる」
「戻ってこないんですか?」
「演習が終わるまでは向こうだ」
若い整備士が少し意外そうな顔をする。
「珍しいですね」
「そうか?」
「去年は毎日戻ってきてた気がします」
主任は少し考えた。
「今年は演習区域が広い」
「なるほど」
「毎日往復するより、前に置いた方が楽だろ」
整備士が頷く。
「それもそうですね」
「燃料も使わないし、整備時間も稼げる」
「合理的ですね」
主任が若い整備士を見る。
「お前、最近よく覚えてるな」
「暇な時に去年の記録見てるんです」
「余計なことまで覚えるな」
「整備員は飛べる機体を作るだけ?」
主任が少し笑った。
「覚えてるじゃないか」
「言われましたから」
「なら、それだけやってろ」
「はい」
2人は笑った。
整備士は工具を持って歩き出す。
駐機場の一角。
昨日まで4機のJ-16が並んでいた場所だけが、ぽっかりと空いていた。
広い基地の中では、小さな空白だった。
理由もある。
説明もつく。
前方基地へ置いた方が効率がいい。
演習区域も今年は広い。
何もおかしくない。
少なくとも、その夜の時点では。
演習2日目。
中国軍の活動量は、前年とほぼ同じ推移を見せた。
日米台の警戒態勢にも大きな変化はなかった。
台湾では演習ニュースから天気予報へチャンネルが変わり、ハワイでは「退屈」という言葉が会議で使われ、東京では佐伯自身が「考えすぎだったかもしれない」と思い始めていた。
その一方で、演習初日に台湾東方へ出た艦艇2隻は戻らなかった。
J-16、4機も元の基地へ戻らなかった。
どちらも、次の訓練で説明できた。
どちらも、単独なら気にするほどのことではなかった。
そして、説明できるものほど、人は深く追わなくなる。
演習終了予定、8月22日正午まで、あと6日。
2030年8月17日 午前6時37分
中国・福建省沿岸
海面は穏やかだった。
沿岸から数十キロ。
民間塗装の大型RO-RO船が、低いエンジン音を響かせながらゆっくりと演習海域へ向かっている。
船体の塗装だけを見れば、どこにでもいる民間貨物船だった。
だが甲板には軍用トラック、コンテナ、燃料車が並んでいる。
車体は整然と固定され、乗員の一部には民間作業員とは明らかに違う服装の者も混じっていた。
その後方を海軍艦艇が同じ方向へ進んでいる。
船橋で船長が双眼鏡を下ろした。
「本当にここまで行くのか」
隣にいた航海士が計画書を見る。
「指定位置までです」
「去年より沖だな」
「今年は演習区域が広いそうです」
船長は前方の海面を見た。
水平線の近くに、灰色の艦影が小さく見えている。
「帰港は?」
「夕方予定」
船長が横を見る。
「予定?」
航海士が笑った。
「船長、最近その言葉嫌いですね」
「軍の仕事が絡むと嫌いになる」
「私は元から嫌いです」
「船乗り失格だな」
「船長に言われたくないです」
2人とも少し笑った。
RO-RO船は一定の速力を保ったまま沖へ進んでいく。
「終わったら酒でも飲むか」
船長が言った。
「いいですね」
「あと何日だ」
航海士が予定表を確認する。
「終了予定は22日の正午ですから、あと5日です」
船長が嫌そうな顔をした。
「長いな」
「昨日始まったばかりです」
「だから長いんだよ」
航海士が笑う。
遠くで海軍艦艇がゆっくりと針路を変えた。
船長はその動きを目で追った。
「まあ、終わったら全部元に戻るんだろ」
「そうでしょうね」
「船も?」
航海士が計画書を見直す。
「今日の分は夕方帰港予定です」
「また予定か」
「今度は信じてください」
船長は鼻で笑った。
「夕方になったら考えるよ」
RO-RO船はそのまま、台湾へ向かう海域のさらに沖へ進んでいった。
午前7時24分
東京都新宿区・防衛省
「民間船出てきました」
若い分析官が言った。
佐伯直哉二等海佐が椅子を寄せる。
画面には複数の船舶航跡が表示されていた。
「何隻?」
「確認できているのは6隻です」
「用途は」
「輸送訓練。RO-RO主体です。軍用車両と補給物資を積んでいます」
「去年は?」
「4隻」
佐伯が少し笑う。
「また少しか」
「はい」
「航空機が少し、艦艇が少し、区域が少し。今日は民間船が少し」
「便利ですね」
「便利すぎるんだよ」
分析官が前年の演習データを表示する。
「民間船を使った輸送訓練自体は去年もやってます」
「今年は2隻多い」
「はい」
「演習区域も広い」
「はい」
「なら自然だな」
分析官が少し頷いた。
「私もそう思います」
返事が早かった。
佐伯はそれに気づいたが、何も言わなかった。
代わりに昨日の画面を開く。
「東側の駆逐艦は?」
「まだいます」
「2隻とも?」
「はい」
「J-16」
「4機とも前方基地のままです」
「何か新しい動きは?」
「ありません」
「予定されていた対海上訓練は?」
「今日から一部始まります」
佐伯が腕を組んだ。
「じゃあ、やっぱりそれだろ」
「ですね」
昨日なら「たぶん」と付けていた。
今日は付かなかった。
分析官がRO-RO船の航跡を拡大する。
「民間船も、昨日までより沖まで出しています」
「演習区域が広いからだろ」
「はい」
「他には?」
「今のところありません」
佐伯は画面を見る。
艦艇2隻。
航空機4機。
民間船6隻。
数だけ見れば、何かを意味するほどのものではない。
それぞれに説明がある。
しかも、その説明はかなり自然だった。
「評価は?」
分析官が聞く。
「変えない」
「ですよね」
佐伯が横を見る。
「最近、答え分かってて聞いてるだろ」
「確認です」
「昨日俺が言ったやつじゃないか」
分析官が笑う。
「便利だったので」
佐伯も少し笑った。
「好きにしろ」
画面では民間RO-RO船が台湾海峡周辺へ進んでいる。
民間船を使った輸送訓練。
去年もあった。
今年は、少し多いだけだった。
午前9時02分
台湾・新北市
怡君は今日も自宅で仕事をしていた。
ノートパソコンの横にはコーヒー。
テーブルの端には、数日前に買った水の箱がまだ置かれている。
俊偉はソファでスマートフォンを見ていた。
「今日も普通だって」
怡君は画面から目を離さない。
「何が」
「演習」
「誰が言ってるの」
「ネット」
怡君が顔を上げた。
「一番信用できないやつ」
俊偉が笑う。
「国防部も似たようなこと言ってる」
「じゃあ大丈夫」
「会社は?」
怡君が社内チャットを見る。
「普通」
「最強だな」
「何が」
「会社」
怡君も少し笑った。
会社のチャットでは、演習関連の話題はほとんど消えていた。
代わりに納期。
会議。
昼食。
週末の予定。
同僚の一人が、午後にどこの店からコーヒーを頼むか聞いている。
俊偉がテレビをつけた。
中国軍の演習映像が流れる。
昨日までとは少し違う映像だった。
大型の民間船。
開いた船尾ランプ。
そこから軍用トラックがゆっくりと降りてくる。
俊偉が画面を見る。
「これ、民間船?」
怡君も少しだけ顔を向けた。
「軍の船じゃないんだ」
「去年もやってたらしい」
「じゃあ普通」
俊偉が笑う。
「最近そればっかりだな」
「誰のせい」
「姉ちゃん」
「私じゃないでしょ」
「何でも会社が普通なら普通って言うじゃん」
怡君が会社のチャットを見る。
「会社が普通なんだから仕方ない」
「会社が戦争判定機になってる」
「便利でしょ」
俊偉はテレビを見る。
民間船から次々と車両が出てくる。
画面だけを切り取れば、かなり物々しい。
だがアナウンサーの声は落ち着いていた。
昨年も類似の訓練が実施されている。
今回の規模は若干拡大している。
現時点で異常な動きは確認されていない。
いつもの言葉が並ぶ。
俊偉がリモコンで音量を下げた。
「もう見ないの?」
怡君が聞く。
「仕事の邪魔でしょ」
「昨日まで自分でつけてたじゃん」
「もう同じような映像ばっかりだし」
怡君は少し笑って、キーボードへ目を戻した。
テレビの中では軍用車両が民間船から降り続けていた。
だがその音は、もうほとんど聞こえなかった。
午前10時31分
台湾・台北市
国防部関連施設
「今日は輸送訓練が中心です」
情報将校が報告した。
上官は大型画面を見る。
RO-RO船。
上陸用舟艇。
海警船。
海軍艦艇。
いずれも公表済みの演習区域内で活動している。
「民間船は?」
「6隻確認」
「去年は4」
「はい」
「増えたな」
「ただし、この規模なら大規模演習として不自然ではありません」
上官が少し笑った。
「その言葉、また普通に使えるようになったな」
情報将校も笑う。
「最近はかなり」
「航空活動は?」
「昨日よりやや減っています」
「海上は?」
「横ばいです」
「ロケット軍」
「目立った変化なし」
上官は椅子にもたれた。
「本当に普通になってきたな」
「はい」
情報将校が少し迷った。
「警戒態勢、下げます?」
上官がすぐに顔を上げる。
「それはまだ早い」
「ですよね」
「でも上げもしない」
「維持?」
「維持」
情報将校が頷く。
「あと5日ですね」
上官が嫌そうな顔をする。
「数えるな」
「みんな同じこと言いますね」
「長く感じるんだよ」
「でも、何も起きなければ」
上官が少し笑った。
「何も起きない5日なら歓迎だ」
情報将校も笑った。
少ししてから、別の表示を開く。
「東側の中国艦艇2隻、まだ元の位置には戻っていません」
上官の表情が少しだけ変わる。
「今日の訓練で使ってるんだろ?」
「その可能性が高いです」
「航空機は?」
「前方基地に移った4機もそのまま」
「それも?」
「同じです。東側での訓練を考えれば自然です」
上官が頷く。
「なら、それでいい」
情報将校は画面を見る。
「記録は残します」
「当然だ」
「気になります?」
上官は少し考えた。
「気になる」
「でも評価は変えない」
「気になることと、意味があることは別だ」
「なるほど」
「意味が出てから慌てるのも困るけどな」
情報将校が苦笑する。
「難しいですね」
「だから給料もらってる」
「高くないですけど」
上官が笑った。
「そこは俺に言うな」
会議室に小さな笑いが起きた。
午後0時44分
ハワイ・キャンプ・H・M・スミス
米インド太平洋軍司令部
「3日目も評価変更なしです」
情報参謀が言った。
司令官が資料を見る。
「30のまま」
「はい」
「下げる議論は?」
「一部あります」
若い情報将校が口を開く。
「私はまだ維持を推します」
司令官が笑う。
「頑固だな」
「病院の件があります」
「まだ言うか」
「忘れろと言われるまで言います」
情報参謀が少し笑った。
「物流も正常化しています」
若い将校が頷く。
「それも分かっています」
司令官は画面を見る。
「演習そのものは?」
「想定内です。今日は民間輸送船を使った兵站訓練が中心」
「去年も?」
「ありました」
「規模は」
「少し大きい程度です」
司令官が笑った。
「日米台でその言葉が流行ってるな」
情報参謀も笑う。
「便利ですから」
「便利な言葉は危ないぞ」
若い将校が言った。
司令官が横を見る。
「君が言うのか」
「最近思い始めました」
司令官は台湾周辺の地図を見る。
「このままなら、明日あたり30を下げてもいいかもしれない」
若い将校が少し黙った。
「反対?」
「まだ」
「理由」
「戻ってない部隊があります」
司令官が顔を上げる。
「どれ」
「台湾東方の水上艦2隻。航空機4機。演習初日の配置から戻っていません」
情報参謀が補足する。
「次の訓練準備と見ています」
若い将校が頷いた。
「私もそう思います」
司令官が眉を上げる。
「じゃあ何が問題だ」
若い将校が少し困ったように笑う。
「問題ではないんです」
「それは困るな」
「ただ、記録しておきたい」
「理由があるから?」
「はい」
「何の?」
若い将校は画面を見た。
「戻っていないからです」
司令官はしばらく彼を見る。
「それだけ?」
「それだけです」
「少し弱いな」
「分かっています」
「でも気になる」
「はい」
司令官は資料を閉じた。
「なら記録しろ」
「はい」
「評価は?」
「変えません」
司令官が笑う。
「結局そこか」
「はい」
会議室に少し笑いが起きた。
司令官はまだ地図を見ていた。
艦艇2隻。
航空機4機。
その程度のものに意味を持たせようとすれば、どんな意味でも作れてしまう。
だから意味を付けない。
ただ記録する。
情報分析には、そういう時間も必要だった。
午後2時26分
中国・福建省福州市
東部戦区指揮施設
「民間輸送訓練、予定どおり進行中です」
作戦参謀が報告した。
周啓明中将が画面を見る。
複数のRO-RO船が指定海域を移動し、一部は模擬的な揚陸支援を行っている。
「日米台は」
「評価変更なし」
「監視密度」
情報参謀が資料を見る。
「わずかに低下しています」
周が顔を上げた。
「どこが」
「米軍の哨戒機滞空時間が昨日比で約8パーセント減。日本側の衛星画像取得優先度も一部下がっています」
作戦参謀が少し笑う。
「安心し始めましたね」
周は答えなかった。
「中将?」
周は画面を見る。
「そう見える」
「違いますか」
「分からない」
作戦参謀が少し笑った。
「珍しいですね」
「何が」
「今日は素直に分からないと」
周も少しだけ笑う。
「毎日疑えと言っただろ」
「はい」
「相手が安心しているように見える。だから安心していると決めつけるな」
情報参謀が頷く。
周は地図を見る。
「我々も同じだ」
「相手の警戒が下がった、と見たい?」
「そうだ」
作戦参謀の笑みが少し消える。
周が続ける。
「昨日まで我々は、相手がこちらを警戒していることを恐れていた」
「はい」
「今日は、相手が警戒を弱めたと信じたくなっている」
情報参謀が小さく頷く。
「都合のいい情報を見ていますか」
「その可能性を疑えと言っている」
「だから数字を見る」
「そうだ」
情報参謀が資料を確認する。
「哨戒時間は実際に8パーセント下がっています」
「8パーセントだ」
「はい」
「誤差かもしれない」
作戦参謀が苦笑した。
「昨日までこちらが相手に使わせていた言葉ですね」
周が少し笑う。
「便利だろ」
「便利すぎます」
「だから危険なんだ」
会議室に小さな笑いが起きた。
作戦参謀が別の地図を表示する。
「今日の輸送訓練終了後、民間船は予定どおり帰港させますか」
周が画面を見る。
一瞬だけ間があった。
「基本は戻せ」
「基本は?」
「2隻だけ、次の訓練準備として海上に残す」
作戦参謀が頷く。
「了解」
情報参謀が周を見る。
「目立ちませんか」
「6隻のうち2隻だ」
「理由もあります」
「そうだ」
周は淡々と答えた。
「理由のない動きはするな」
「理由があれば?」
「それでも見られていると思え」
周は画面のRO-RO船を見た。
少しずつ。
一度に変えない。
活動量を増やさず、位置だけを変える。
それは演習としても合理的だった。
午後4時18分
神奈川県横須賀市
護衛艦「まや」
「今日も普通です」
副長が言った。
村瀬健一艦長が海図を見る。
「毎日それ言ってるな」
「良いことでしょう」
「まあな」
副長が資料を置いた。
「民間船を使った輸送訓練が始まりました」
「去年もやってたな」
「はい。今年は少し規模が大きいですが」
村瀬が笑う。
「また少しか」
「またです」
「そのうち全部少しで戦争になったりしてな」
副長が笑った。
「縁起悪いですよ」
村瀬も笑う。
「冗談だよ」
少し沈黙。
副長が海図を見る。
「東側の中国艦2隻、まだ戻ってません」
「次の訓練だろ」
「そう見られています」
「じゃあそうなんだろ」
副長が村瀬を見る。
「今日は楽観的ですね」
「3日目だからな」
「関係あります?」
村瀬は椅子にもたれた。
「3日間何も起きなかった」
「まだ3日です」
「3日も、だよ」
副長が少し笑う。
「艦長、昨日は『まだ始まったばっかり』って言ってませんでした?」
村瀬が横を見る。
「記録してるのか、お前も」
「防衛省でも流行ってるんですか?」
「知らん」
2人とも笑う。
村瀬は海図へ目を戻した。
「人間、慣れるんだよ」
「危険に?」
「何にでも」
村瀬は画面上の中国艦艇を指した。
「初日にこれ見た時は嫌だった」
「今は?」
「まだ嫌だよ」
「でも」
「見慣れた」
副長が少し黙る。
村瀬はその表情を見て笑った。
「そんな顔するな。だから警戒監視してるんだろ」
「そうですね」
「見慣れたから見なくなる、じゃ困る」
「艦長、意外と真面目ですね」
「意外とは何だ」
副長が笑った。
村瀬も少し笑った。
ただ、海図上の2隻はまだ台湾東方にいた。
午後6時57分
東京都千代田区・首相官邸
「3日目も大きな変化なしです」
黒田慎吾参事官が報告した。
官房副長官が資料をめくる。
「本当に今年も普通の演習だったんじゃないか」
黒田が少し笑う。
「その可能性は高まっています」
官房副長官が顔を上げた。
「やっと言ったな」
「何をです?」
「安心できること」
「安心までは」
「また始まった」
黒田が苦笑する。
「すみません」
「でも危機レベルは上げない?」
「まだ維持が妥当かと」
「下げる?」
黒田は少し考えた。
「それも、まだ早いと思います」
官房副長官が笑う。
「結局維持か」
「はい」
「慎重だな」
「昨日までの情報がありますから」
「病院、物流」
「それに、演習初日に東方へ展開した一部部隊がまだ戻っていません」
官房副長官の手が止まる。
「それは問題?」
「今のところは、次の訓練で説明できます」
「じゃあ問題じゃない」
「現時点では」
官房副長官が黒田を見る。
「今日くらいその言葉封印できない?」
「努力しています」
「してないだろ」
黒田が少し笑った。
官房副長官は資料を閉じる。
「まあいい」
少し間を置いた。
「あと何日だ」
「終了予定は22日正午ですから、あと5日です」
「長いな」
黒田が笑う。
「皆さん同じことを言いますね」
「何も起きない5日なら、長くてもいい」
「その通りです」
官房副長官はもう一度資料を見た。
「5日後、本当に全部帰ったら」
「はい」
「この何週間か、俺たちは何だったんだろうな」
黒田は少し考えた。
「警戒して、何も起きなかった政府です」
「それでいいのか」
「一番いい結果です」
官房副長官が笑った。
「そうだな」
午後8時36分
東京都新宿区・防衛省
若い分析官が画面を見ながら言った。
「今日も終わりそうですね」
佐伯が腕時計を見る。
「まだ早い」
「何か出ます?」
「出ない方がいい」
「ですよね」
画面には中国軍の配置が表示されていた。
昨日と似ている。
一昨日とも似ている。
ただ、少しだけ違う。
分析官が台湾東側を拡大した。
「この2隻、まだここですね」
「うん」
「J-16も」
「うん」
「民間船6隻も夕方までに戻る予定でしたけど、2隻は沖に残ってます」
佐伯の目が止まる。
「理由は?」
「明日の訓練準備と見られます」
「なら、それじゃないか」
「たぶん」
昨日より早い返事だった。
佐伯は3つの表示を並べる。
東側に残る艦艇2隻。
前方基地に残るJ-16、4機。
沖に残ったRO-RO船2隻。
「他には?」
「ありません」
「活動量は?」
「むしろ昨日より少し低いです」
「通信量」
「変化なし」
「ロケット軍」
「目立った動きなし」
佐伯は腕を組んだ。
「じゃあメモだけ」
「評価は?」
「変えない」
「ですよね」
分析官が入力する。
演習3日目としては、現時点で大きな異常なし。
佐伯はその文章をしばらく見た。
「おかしくないな」
「はい」
「艦艇が残ってるのも」
「次の訓練」
「航空機も」
「同じです」
「民間船も」
「同じ」
分析官が少し笑った。
「全部説明できます」
佐伯も笑う。
「いいことじゃないか」
「ですよね」
「……たぶん」
分析官が振り返る。
「今つけましたね」
「何を」
「たぶん」
「うるさい」
分析官が笑った。
佐伯も少し笑う。
「帰るぞ」
分析官が時計を見る。
「珍しいですね」
「何が」
「こんな時間に帰るなんて」
「毎日泊まり込んでも仕方ないだろ」
「警戒は?」
「続ける」
「でも?」
佐伯は上着を取った。
「普通の演習なら、普通の生活もしないとな」
分析官も立ち上がる。
「いいですね、それ」
「明日も同じならな」
「はい」
2人は部屋を出た。
照明が一部落とされる。
画面だけが残った。
台湾東方。
演習初日に展開した中国艦艇の一部は、まだそこにいた。
その少し内側では、前方基地へ移った航空機も戻っていない。
さらに海上では、訓練を終えたはずの民間RO-RO船2隻が沖に残っていた。
午後11時08分
中国・福建省福州市
東部戦区指揮施設
「3日目、終了です」
作戦参謀が報告した。
「航空活動、計画比100パーセント。海上部隊、計画範囲内。民間輸送訓練、問題なし」
周が頷く。
「相手の反応は」
「変化ありません」
「監視密度」
「昨日よりわずかに低下」
「評価は」
「据え置きです」
周は椅子にもたれた。
作戦参謀が言う。
「かなり安定しましたね」
「そうだな」
「明日から活動量を上げますか」
周は首を横に振った。
「まだだ」
「しかし、予定では4日目から段階的に増やす計画です」
「知っている」
「では?」
周は台湾東側の画面を見る。
「配置だけ少し進める」
作戦参謀が地図を拡大した。
「水上部隊?」
「東側の2隻はそのまま」
「航空部隊はどうします?」
「前方基地を維持」
「民間輸送船は」
「2隻だけ残せ」
作戦参謀が少し考えた。
「活動量は増やさず、位置だけ?」
「そうだ」
情報参謀が周を見る。
「相手には気づかれます」
「もう気づいている」
「なら、評価を変える可能性は?」
周は少し考えた。
「まだ変えないだろう」
「なぜです」
周は大型画面を見る。
「演習3日目だからだ」
作戦参謀が小さく笑う。
「便利な言葉ですね」
周も少し笑った。
「便利すぎる」
情報参謀が地図を見る。
「艦艇2隻、航空機4機、民間船2隻」
「少ない」
「はい」
「理由もある」
「あります」
「なら、相手は記録する」
「そして?」
「今は、それだけだ」
周は椅子の背にもたれた。
「相手は今日、我々が何を増やしたかを見ている」
「実際には増やしていません」
「そうだ」
周は画面上の記号を指した。
「だから増やす必要はない」
作戦参謀が少し考えた。
「戻さないだけでいい?」
「今はな」
その言葉に、会議室が少し静かになった。
周自身も、その静けさに気づいた。
「勘違いするな」
参謀たちが彼を見る。
「戻さないこと自体を目的にするな。次の段階に必要だから残す。それだけだ」
「了解」
「我々自身が物語を作り始めるな」
情報参謀が頷いた。
周は最後に言った。
「毎日疑え。相手だけじゃない。自分たちもだ」
演習2日目。
異常はなかった。
演習3日目。
やはり、大きな異常はなかった。
航空機は飛び、艦艇は動き、民間船を使った輸送訓練も行われた。
去年にもあった。
一昨年にも似たものがあった。
ニュースの扱いは少しずつ小さくなった。
台湾ではテレビのチャンネルが変えられた。
東京では分析官が少し早く帰宅した。
ハワイでは警戒評価を下げる議論まで始まった。
演習として見れば、何もおかしくなかった。
ただ。
演習初日に東へ出た艦艇の一部は戻らなかった。
前方へ移った航空機も戻らなかった。
そしてこの日、訓練を終えた民間船の一部も港へ帰らなかった。
それぞれには理由があった。
次の訓練。
効率化。
演習区域の拡大。
連続した運用。
どれも合理的だった。
どれも単独では、評価を変えるほどのものではなかった。
だから誰も、評価を変えなかった。
中国軍は活動量を大きく増やしてはいなかった。
ただ、少しずつ。
元の位置へ戻らなくなっていた。
演習終了予定、8月22日正午まで、あと5日。




