黄色の目
【ご注意】
本作品集には、家庭内暴力、精神疾患、希死念慮、自傷行為、暴力的描写を含む表現があります。
読者の方の心身の状態によっては、強い不安や動揺を引き起こす可能性があります。
これらの表現に不安を感じる方は、閲覧をお控えいただくよう、お願いいたします。
(1)
中学1年生。
私にはエリナという親友がいた。
いつも穏やかで、品があり、とても物静かな女の子。
彼女とは幼い頃から仲が良く、中学校に進学してからも、毎日、一緒に下校していた。
私たちの通学路は、お洒落なパン屋さんやケーキ屋さんなどが並んでいた。
その中で、場違いにポツンと、こじんまりした家があった。
二等編三角形の屋根を持つ洋風の家。
そして、窓際に並ぶ、たくさんの洋風の可愛らしい人形たち。
まるで、西洋画の一枚のような、そんな幻想的な家。
やがて季節は夏を過ぎ、校庭の隅の木々たちも、気がつけば、夕日のような赤色に染まっていた。
エリナの誕生日まで、あと少し。
私はエリナに少し早めの、そして些細な誕生日プレゼントを渡した。
エリナは小さな手でプレゼントを握り、きらきらと輝く光を目に浮かべ、私に「ありがとう。すごく、大切にするね」と言ってくれた。
これがエリナとの大切な思い出。
私が決して忘れることが出来ない思い出。
私の中で、決して、「忘れてはいけない」思い出。
しかし、下校中、あの洋風の前を通ろうとした瞬間、エリナの目から、すうっと光が失われた。
彼女の目は、曇り空のように灰色によどみ始め、私は、彼女の視界から「排除」されてしまったような感覚を覚えた。
古い外観のその家は、いつもとは違った、どこか薄暗い雰囲気があり、彼女はそのまま、家に吸い込まれるように入ってしまった。
あなたは来ないで。
あなたは呼んでない。
あなたではないの。
誰とも分からない声が、私に囁いているように聞こえた。
私は正体の分からないその気配に気圧されてしまい、彼女が出てくる前に、一人で帰ることにした。
この時の私の決断を、私は一生、呪い続けることになる。
この世に「もし」が存在して、過去に戻れ奇跡が存在するのならば、私は迷うことなくこの瞬間に戻るだろう。
古い家から離れるとき、窓際に置かれている一体の人形が目に入りました。
フランス人形。
鮮やかな黄色の目をしていた。
水晶のように煌めく目。
そしてその人形の顔は、とても嬉しそうに、とても幸せそうに、穏やかに微笑んでいた。
(2)
夜の9時。
エリナから電話がかかってきた。
けたたましく鳴り響く着信音に急かされ、半開きの瞼を無理やりこじ開けて、私はそのままスマホを耳に当てる
最初、スマホの故障を疑った。
スマホの向こう側から、ザァー、ザァーと波が割れるような雑音が続いていたからだ。
まるで、チャンネルが合っていないラジオのような、不快な機械の音。
だが、それはラジオのノイズではなかった。
エリナが泣いている声だった。
電話の向こう側。
彼女が咳き込む音、鼻をすする音が確かに聞こえてきた。
泣き続けて、枯れてしまったエリナの声が、彼女が泣き声をあげるたびに、ノイズのように聞こえていたのだ。
「エリナ、大丈夫……?」
呼びかけた私の声は、ザー、ザーというノイズによってかき消されてしまう。
私は一瞬、身体を強張らせた。
かすかにエリナの声が聞こえたのだ。。
ノイズではなく、ちゃんと意味を成す言葉が。
「……人形が……」
人形。
彼女の言葉から聞き取れたのは、その単語だけだった。
「どうして……この人形を……」
「……どうして……ころ……したの……?」
「……どうして……ここで……?」
「あの目で私を……私から離れないの……」
「あの黄色の目で……」
黄色の目。
彼女を落ち着かせるため、私は再度、いくつか言葉をかける。
しばらくの間を置いて、彼女はやっと、たどたどしく、話が出来る様になった。
(3)
「私、どうしてか分からないけど、家に着いた時に紙袋を持っていたの……」
「それがどこから……どこで私が受け取ったのか分からないけれど……木の箱が入ってて……」
「その箱はすごく綺麗な……ヴァイオリンの金色の刻印がされていたんだけど……その中に……あの子が……」
あの子って、誰……?
私はエリナに聞き返す。
「……あの子がいたの……。フランス人形が入っていたの……黄色の目をした……あの子が……」
そして、エリナは私に、黄色の目を持つフランス人形について、語り始めた。
「その人形……昔持っていた人形にそっくりだったの……ずっと……大切にしていたあの子に…………」
エリナは胸と喉の奥が苦しそうだった。
けれども、彼女は話を続けた。
「……わたし、5歳の時、誕生日プレゼントに、あの子を……フランス人形をもらったの」
「その子、わたしと同じで……黄色で……目が黄色で、わたし、妹のように可愛がっていたの」
「わたし、ずっと思ってたの……。その子を自分の双子のように、ずっと思ってた……」
「……でも去年、家からパパが出て行って。それから、ママが毎日お酒を飲むようになってしまって……」
「必死に止めようとしたの。わたし、ママがお酒飲まないように、お酒隠したりして、頑張って止めようとして……」
「でもそうしているうちに……あるとき、ママとすごい喧嘩になっちゃって……」
エリナは咳き込み続ける。
「そのとき、ママは言ったの……。わたしに……言い放ったの…………」
「わたしを産まなければよかったって……」
「わたしを産まなければ、きっと『しあわせ』だったに違いないって……」
「……わたし、ショックで…どうしようもなくないくらいにショックで…………そのまま、自分の部屋にこもっちゃったの」
「そうしたら……あの子がこっちを……その人形がこっちを見ている気がしたの……」
「あの子の顔、すごく、わたしのことを心配しているように見えたの……」
「でも、その目線が……とても悔しくて、苦しくて……」
「なんだか……わたし、自分のことが……とてつもなく、惨めな存在にしか思えなくなってしまって……」
「……机の上に置いてあった、その人形を、思いっきり床に叩きつけてしまったの……」
「あの子、丈夫に見えたんだけど、本当はとても傷つきやすかったの……本当はとても、脆かったの……」
「地面に当たった、あの子の顔は、右側がひどく歪んでしまった……」
エリナの声が震える。恐怖と嫌悪から来る震え。
「歪んだあの子の……その顔を見るのが、とても辛くて、耐えられなくて……」
「あたしとママは人形を捨ててしまったの」
じゃあ、もしかして箱の中で、あなたを待っていたのは……?
「……今日、箱に入ってたあの子を見て、ママも気味悪がって……人形を見た瞬間、明日捨てようと言ったの」
「そしたらママが急に……ママが急に!」
エリナはもう一度、絶叫する。
今度の絶叫は「恐怖」のみから来る絶叫。
この世のものとは思えないほどの怖しい絶叫。
「ママが急に……自分で頭を机に打ち付け初めてしまって……」
「何度も!なんども!私が何度、止めても……」
「……ママは血が止まらなくなっても、頭を打つのをやめなくて、私は力ずくで止めようとしたら……まだ潰れていない方の目が……わたしの方を向いていて……」
「その目が黄色だったの……あの人形と全く同じ……」
エリナの声はまた途切れ途切れになりました。
ママが……もう顔が……目が……右目が……その言葉が何度も聞こえました。
しばらく彼女の泣き声と叫び声が交互に聞こえたあと、かすかにエリナの小さな声が聞こえた。
まるで、電話口から何メートルも離れているところから呟いているような、とても小さな声が。
「…………私を…………ころした……?」
「……ころ……した……?」
「…………どうして…………の?」
「どうして…………私を…………たの?」
「私は…………大切に…………」
「私…………は大切……?」
「私は…………殺す……の……」
「それでも」
「…………たすけて………あ……て」
「たすけて」
「………………だれか」
ガチャン。
大きな音がした。
どうやらエリナが電話機を落としてしまったようだ。
電話はそのまま途切れてしまった。
私は何度も彼女に電話をかけなおす。
しかし、決して、彼女に電話が繋がることはなかった。
(4)
数日後。
私はニュースで知った。
エリナの母親は、頭蓋骨と右目が潰れた状態で、遺体として発見されたことを。
母親の顔は潰れていた。
あの人形と同じく、右側が潰れてしまった状態で。
遺体が発見される前日、家にいたのはエリナと彼女の母親だけ。
エリナには母親の殺害容疑がかけられた。
しかし、エリナはもう会話が出来る状態ではなかったらしい。
そして、エリナはただ一人、呟いているという。
「ごめんなさい」
誰に語りかけるでもなく、彼女は今日も、呟いている。
もし、この世に「呪い」というものが存在するのならば、エリナの母親の顔を潰してしまったものは、黄色の目を持つ人形の呪いだったのかもしれない。
あるいは。
呪いなんて存在するはずがなく、母親を殺めてしまったエリナが正気を保つために、彼女自身についた嘘だったのかもしれない。
いずれにしても、全ての真相は闇の中。
もはや、分からない。
なにもかも。
だれにさえも。
けれども、私は、今日も、考えてしまう。
もし、呪いが実在したのだとしたら。
全ては人形の起こした惨劇だったとしたら。
どれだけ、エリナは救われるだろうか、と。
同時に、私は、疑問に思う。
もし、人形に不気味な力があって、全ての惨劇をひきおこしたのだとしたら。
あの人形は、果たして満たされたのだろうか。
今も、しあわせなのだろうか。
あなたは本当に今もしあわせ?
心の中で、真っ黒に染まった感情のまま、泣きながら、私はずっと問い続ける。
昨日も。
今日も。
明日も。
ずっと。ずっと。




