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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

黄色の目

作者: 黒井ハナ
掲載日:2026/08/27

【ご注意】

本作品集には、家庭内暴力、精神疾患、希死念慮、自傷行為、暴力的描写を含む表現があります。


読者の方の心身の状態によっては、強い不安や動揺を引き起こす可能性があります。


これらの表現に不安を感じる方は、閲覧をお控えいただくよう、お願いいたします。


(1)


 中学1年生。


 私にはエリナという親友がいた。

 いつも穏やかで、(ひん)があり、とても物静かな女の子。


 彼女とは幼い頃から仲が良く、中学校に進学してからも、毎日、一緒に下校していた。


 私たちの通学路は、お洒落(しゃれ)なパン屋さんやケーキ屋さんなどが並んでいた。

 その中で、場違いにポツンと、こじんまりした家があった。

 二等編三角形の屋根を持つ洋風の家。

 そして、窓際に並ぶ、たくさんの洋風の可愛らしい人形たち。

 まるで、西洋画の一枚のような、そんな幻想的な家。


 やがて季節は夏を過ぎ、校庭の隅の木々たちも、気がつけば、夕日のような赤色に染まっていた。


 エリナの誕生日まで、あと少し。

 私はエリナに少し早めの、そして些細(ささい)な誕生日プレゼントを渡した。

 エリナは小さな手でプレゼントを握り、きらきらと輝く光を目に浮かべ、私に「ありがとう。すごく、大切にするね」と言ってくれた。


 これがエリナとの大切な思い出。

 私が決して忘れることが出来ない思い出。

 私の中で、決して、「忘れてはいけない」思い出。


 しかし、下校中、あの洋風の前を通ろうとした瞬間、エリナの目から、すうっと光が失われた。

 彼女の目は、曇り空のように灰色によどみ始め、私は、彼女の視界から「排除(はいじょ)」されてしまったような感覚を覚えた。

 古い外観のその家は、いつもとは違った、どこか薄暗い雰囲気があり、彼女はそのまま、家に吸い込まれるように入ってしまった。


 あなたは来ないで。

 あなたは呼んでない。

 あなたではないの。


 誰とも分からない声が、私に(ささや)いているように聞こえた。

 私は正体の分からないその気配に気圧(けお)されてしまい、彼女が出てくる前に、一人で帰ることにした。

 この時の私の決断を、私は一生、呪い続けることになる。

 この世に「もし」が存在して、過去に戻れ奇跡が存在するのならば、私は迷うことなくこの瞬間に戻るだろう。


 古い家から離れるとき、窓際に置かれている一体の人形が目に入りました。

 フランス人形。

 鮮やかな黄色の目をしていた。

 水晶のように(きら)めく目。

 そしてその人形の顔は、とても嬉しそうに、とても幸せそうに、穏やかに微笑(ほほえ)んでいた。


(2)


 夜の9時。


 エリナから電話がかかってきた。

 けたたましく鳴り響く着信音に急かされ、半開きの(まぶた)を無理やりこじ開けて、私はそのままスマホを耳に当てる


 最初、スマホの故障を疑った。

 スマホの向こう側から、ザァー、ザァーと波が割れるような雑音が続いていたからだ。

 まるで、チャンネルが合っていないラジオのような、不快な機械の音。


 だが、それはラジオのノイズではなかった。

 エリナが泣いている声だった。


 電話の向こう側。

 彼女が()き込む音、鼻をすする音が確かに聞こえてきた。

 泣き続けて、()れてしまったエリナの声が、彼女が泣き声をあげるたびに、ノイズのように聞こえていたのだ。


「エリナ、大丈夫……?」

 呼びかけた私の声は、ザー、ザーというノイズによってかき消されてしまう。 

 私は一瞬、身体(からだ)強張(こわば)らせた。

 かすかにエリナの声が聞こえたのだ。。

 ノイズではなく、ちゃんと意味を成す言葉が。


「……人形が……」


人形。

 彼女の言葉から聞き取れたのは、その単語だけだった。


「どうして……この人形を……」

「……どうして……ころ……したの……?」

「……どうして……ここで……?」

「あの目で私を……私から離れないの……」

「あの黄色の目で……」


 黄色の目。

 彼女を落ち着かせるため、私は再度、いくつか言葉をかける。

 しばらくの間を置いて、彼女はやっと、たどたどしく、話が出来る様になった。


(3)


「私、どうしてか分からないけど、家に着いた時に紙袋を持っていたの……」

「それがどこから……どこで私が受け取ったのか分からないけれど……木の箱が入ってて……」

「その箱はすごく綺麗な……ヴァイオリンの金色の刻印(こくいん)がされていたんだけど……その中に……あの子が……」


 あの子って、誰……?

 私はエリナに聞き返す。


「……あの子がいたの……。フランス人形が入っていたの……黄色の目をした……あの子が……」


 そして、エリナは私に、黄色の目を持つフランス人形について、語り始めた。


「その人形……昔持っていた人形にそっくりだったの……ずっと……大切にしていたあの子に…………」


 エリナは胸と(のど)の奥が苦しそうだった。

 けれども、彼女は話を続けた。


「……わたし、5歳の時、誕生日プレゼントに、あの子を……フランス人形をもらったの」

「その子、わたしと同じで……黄色で……目が黄色で、わたし、妹のように可愛がっていたの」

「わたし、ずっと思ってたの……。その子を自分の双子のように、ずっと思ってた……」

「……でも去年、家からパパが出て行って。それから、ママが毎日お酒を飲むようになってしまって……」

「必死に止めようとしたの。わたし、ママがお酒飲まないように、お酒隠したりして、頑張って止めようとして……」

「でもそうしているうちに……あるとき、ママとすごい喧嘩になっちゃって……」


 エリナは()き込み続ける。


「そのとき、ママは言ったの……。わたしに……言い放ったの…………」

「わたしを産まなければよかったって……」

「わたしを産まなければ、きっと『しあわせ』だったに違いないって……」

「……わたし、ショックで…どうしようもなくないくらいにショックで…………そのまま、自分の部屋にこもっちゃったの」

「そうしたら……あの子がこっちを……その人形がこっちを見ている気がしたの……」

「あの子の顔、すごく、わたしのことを心配しているように見えたの……」

「でも、その目線が……とても悔しくて、苦しくて……」

「なんだか……わたし、自分のことが……とてつもなく、惨めな存在にしか思えなくなってしまって……」

「……机の上に置いてあった、その人形を、思いっきり床に叩きつけてしまったの……」

「あの子、丈夫(じょうぶ)に見えたんだけど、本当はとても傷つきやすかったの……本当はとても、(もろ)かったの……」

「地面に当たった、あの子の顔は、右側がひどく(ゆが)んでしまった……」


 エリナの声が震える。恐怖と嫌悪(けんお)から来る震え。


 「歪んだあの子の……その顔を見るのが、とても(つら)くて、耐えられなくて……」

「あたしとママは人形を捨ててしまったの」


 じゃあ、もしかして箱の中で、あなたを待っていたのは……?


「……今日、箱に入ってたあの子を見て、ママも気味悪がって……人形を見た瞬間、明日捨てようと言ったの」

「そしたらママが急に……ママが急に!」


 エリナはもう一度、絶叫する。

 今度の絶叫は「恐怖」のみから来る絶叫。

 この世のものとは思えないほどの怖しい絶叫。


「ママが急に……自分で頭を机に打ち付け初めてしまって……」

「何度も!なんども!私が何度、止めても……」

「……ママは血が止まらなくなっても、頭を打つのをやめなくて、私は力ずくで止めようとしたら……まだ潰れていない方の目が……わたしの方を向いていて……」

「その目が黄色だったの……あの人形と全く同じ……」


 エリナの声はまた途切れ途切れになりました。

 ママが……もう顔が……目が……右目が……その言葉が何度も聞こえました。

 しばらく彼女の泣き声と叫び声が交互に聞こえたあと、かすかにエリナの小さな声が聞こえた。

 まるで、電話口から何メートルも離れているところから(つぶや)いているような、とても小さな声が。


「…………私を…………ころした……?」

「……ころ……した……?」

「…………どうして…………の?」

「どうして…………私を…………たの?」

「私は…………大切に…………」

「私…………は大切……?」

「私は…………殺す……の……」

「それでも」

「…………たすけて………あ……て」

「たすけて」

「………………だれか」


 ガチャン。

 大きな音がした。

 どうやらエリナが電話機を落としてしまったようだ。

 電話はそのまま途切れてしまった。

 私は何度も彼女に電話をかけなおす。

 しかし、決して、彼女に電話が繋がることはなかった。


(4)


 数日後。

 

 私はニュースで知った。

 エリナの母親は、頭蓋骨と右目が潰れた状態で、遺体として発見されたことを。


 母親の顔は潰れていた。

 あの人形と同じく、右側が潰れてしまった状態で。


 遺体が発見される前日、家にいたのはエリナと彼女の母親だけ。

 エリナには母親の殺害容疑がかけられた。

 しかし、エリナはもう会話が出来る状態ではなかったらしい。


 そして、エリナはただ一人、呟いているという。


 「ごめんなさい」


 誰に語りかけるでもなく、彼女は今日も、(つぶや)いている。


 もし、この世に「呪い」というものが存在するのならば、エリナの母親の顔を潰してしまったものは、黄色の目を持つ人形の呪いだったのかもしれない。


 あるいは。


 呪いなんて存在するはずがなく、母親を(あや)めてしまったエリナが正気を保つために、彼女自身についた嘘だったのかもしれない。


 いずれにしても、全ての真相は闇の中。

 もはや、分からない。

 なにもかも。

 だれにさえも。


 けれども、私は、今日も、考えてしまう。

 もし、呪いが実在したのだとしたら。

 全ては人形の起こした惨劇だったとしたら。

 どれだけ、エリナは救われるだろうか、と。


 同時に、私は、疑問に思う。


 もし、人形に不気味な力があって、全ての惨劇をひきおこしたのだとしたら。

 あの人形は、果たして満たされたのだろうか。

 今も、しあわせなのだろうか。


 あなたは本当に今もしあわせ?


 心の中で、真っ黒に染まった感情のまま、泣きながら、私はずっと問い続ける。


 昨日も。

 今日も。

 明日も。

 ずっと。ずっと。

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