1:執事セバスが言うところには。
「ねぇセバス」
「はい、お嬢様」
「どうして私は、婚約を破棄されちゃったのかしら」
泣き腫らして熱くなった目のまま、部屋に入ってきたセバスにそう尋ねると、セバスは一瞬悩んだ素振りを見せたかと思うと、いつものように淡々と言い放った。
「王太子殿下が、自身の立場も弁えず平民の女性に懸想して、国の将来やバランスなどを一切考えることのない、それはもうとってもお馬鹿な方だからでしょう」
普段から毒舌のセバスだけど、今日はそれ以上に毒舌だった。
***
『僕は、本当の愛を信じることにしたんだ』
私が一度も座ることのなかったソファの隣に可愛らしい女性を座らせて、王太子殿下がそうおっしゃったのは、つい数時間前のこと。
5歳のときに婚約し、公爵令嬢として、そして次期王太子妃として必死に勉強してきた私にとって、それはとても衝撃的な宣告だった。
『だから、僕との婚約は解消してほしい』
『え、でもそれって……』
『というよりかは、もうお父様に了承をもらって、貴族院にも届出をして受理してもらったんだ』
たしかに私は、その隣に座る女性のように可愛げもないし、そんな簡単に笑顔は見せないし、王太子殿下と距離を取るために隣に並ばず、一歩後ろに控えていた。
「でも、私だって本当の愛を持っていたと思わない!?」
思い出すたびあふれる涙はそのままに、私はベッドを叩いて顔を押し付け泣き喚きながら、部屋の扉近くに立つ執事、セバスに問いかけた。
王太子妃教育だって5歳のときから、ほかの令嬢のお茶会に参加したり、世でとても人気の小説だって読んだりする時間を惜しんで、必死に頑張った。
政略結婚かもしれないけれど、私は彼のためにいろいろなものを捧げて、四六時中愛していたというのに……
拳をベッドに叩き続けるのも疲れてきて、だらりとベッドにうつぶせになって脱力する。
まだお昼間だけれど、もう寝ちゃいたい。
ドレスのままシーツを手繰り寄せ、ベッドに潜りこむ。
「でも、もう終わっちゃったんだわ」
王太子との恋も、次期王太子妃の立場も。
そして、一人の令嬢としての人生も。
何せすでに20歳を過ぎていて、世の中では行き遅れと言われる年頃。
しかも婚約を破棄された経験のある、いわば傷物というわけだ。
「もう、終わったわ……」
20歳過ぎても結婚していない、しかも婚約破棄されたことがある公爵令嬢だなんて、貰い手がいるはずがない。
「はぁ……」
目を閉じると、すぐに微睡みだす。
先ほどから小一時間泣いていたから、身体的に疲れてるし、朝からいろいろなことがありすぎて精神的にも疲れてしまった。
そのまま寝に入ろうとして――
「お嬢様。寝るならお化粧を落として、お風呂に入って身を綺麗にしてからになさい」
シーツを剥ぎ取られて、強制的に起こされてしまった。
婚約破棄された今日も、セバスは通常営業だ。
「ねぇセバス。私、今日婚約破棄されたのだけど」
「さようでございますか」
「だから、身も心も本当に疲れているのだけど」
「さようでございますか」
淡々として返事にイラッとして、ベッドシーツを掴む執事を睨みつけた。
御年58歳、勤続43年のベテラン執事のセバス。
白く染まり切った髪を後ろに撫で付け、顔のいたるところに皺こそ刻まれているものの、すっと通った鼻筋や切れ長の目は、王都一有名な劇団の一枚目に引けを取らないほどカッコイイ。
お祖父様がまだ若い頃からこの家で勤め、お父様も頭が上がらない。
他の公爵家だけじゃなくて、王家や他国からもスカウトが来るほど優秀なのに、なぜかうちにずっといてくれる、変わった執事だ。
でも毎日こんなふうに厳しくて、モノクルの向こうの瞳はいつも感情を窺わせない。もう少し笑えば絶対にモテるのに、といつも思っている。
セバスは私の睨みを見るなりため息をつくと、手早くシーツを畳んだ。
「お化粧を落とすのも、お風呂に入るのも、普段からメイドがやっていてお嬢様は座っているだけでしょう?」
「それはそうだけど……」
「そのまま寝てしまったら、お化粧がシーツについて汚れるし、その大事にされているドレスにも皺がついてしまいます。誰がそれを綺麗にするのですか」
ぐうの音も出ず、私は黙るしかできない。
すると、セバスはもう一度ため息をついた。
「それに、そんなにキツく腰をしめつけて、顔面を武装して寝たところで休もうにも休めませんから」
「……ふふっ、顔面武装って」
なんだか一周まわっておかしくなってきて、笑えてきてしまった。
言っていることも言い方も厳しいけれど、セバスはいつも私のことを考えて言ってくれているのだ。
「わかったわ。我が家の執事様の命なのだから、ちゃんと身を綺麗にしてまいりますわ」
「よろしい。そのドロドロの顔面は見るに堪えませんから」
「ちょっと! さすがに言い過ぎじゃなくて!?」
思わず言い返すと、セバスは私を見て、少しだけ口角を上げた……ように見えた。いや、やっぱり普段と変わらないかもしれない。
その後、セバスがメイドたちを呼ぶと扉の外に控えていたようで、すぐにお風呂の準備が始まった。
たぶんここまで想定して、先回りして準備してくれていたのだろう。
「では、私は一度退室いたしますので、十分に綺麗になってくださいませ」
「わかったわ。いろいろありがと」
「いえ、これが執事の仕事ですので」
いつものように淡々と礼をとるセバス。
部屋から出ていこうと扉に手をかけたが、すぐに動きを止めて私を振り返った。
「こちらで、あとはどうにかしておきます」
そう言い残して、扉はバタンと閉まった。
それから、私はメイドの手によって身綺麗にされ、化粧も落とされ、すぐに寝に入る準備にされた。
ベッドに寝転がると、新しいシーツになっていたようで涙の痕も化粧もなくなっていたし、クローゼットにはお気に入りだったドレスが綺麗に仕舞われていた。
そして、シェルフにはホットミルクと、『良い夢を』というメッセージが書かれた香り付きのカードが置かれていた。




