第3話 勇者の残した意志
「――ハッ」
またしても意識を失っていたようだ。体に感じる痛みはどうやら本物らしい。ところどころに擦り傷ができている。衝撃で飛ばされたせいだろう。
勇者はいったいどうなったんだ。
傷だらけの体を引きずりながら、土埃の中心へと歩みを進める。視界がぼやけている中で、足元になにか感触があった。巨大狼の頭だ。
「ゆ、勇者さーん。無事ですかー?」
投げかけた言葉に返ってくるものは何もない。探り探り歩いていると、土埃の中に人影が見えた。
「よかった! 生きてたんですね」
「……ええ、今はまだ、ね」
勇者だと思ったその人影から発された声は、聞き覚えのあるものだった。俺をなんの躊躇もせずに殺そうとした炎の男。
最後の一撃のぶつかり合いをもってしても、彼を殺しきるまでには至らなかったということなのか。
俺は恐怖のあまり腰を抜かし、その場にへたりこんだ。
「相変わらず小物ですねえ。言ったでしょう。今はまだ、と」
突如突風にあおられ、視界を阻害していた土埃が完全に霧散して初めて、男の言っている意味を完全に理解することができた。
炎の男と呼ぶのに相応しくないほど微弱な炎が心臓のあたりで燃えているだけで、他は人間の体と何ら変わりないように見えた。
大きく変わっているとこといえば、左半身が完全に失われているということだろう。
「流石、勇者と呼ばれるだけのことはありますね。このわた…………魔王……引導、渡すとは……」
とぎれとぎれに言い終えると、男は空を見上げるように背中から倒れた。倒れるとほぼ同時に、体はまるで崩壊するように黒い粒子へと姿を変えて空気に溶けていった。
ひとまず命の危機は避けたといっていいだろう。安堵から大きく息を吐いた。
今はとにかく状況を整理したいが、まずは勇者の安否を確認しないと。あたりを見渡すと、少し離れたところに赤いマントが地面に落ちているのが目に入った。
一目散に駆け寄ると、そこには地面にうつ伏せる形で勇者が倒れこんでいた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
勇者は俺の問いかけに一切反応を示さない。こういうときって、とりあえず脈があるか確認した方がいいよな。
勇者の手首に人差し指と中指を当て、意識を集中させるが、なんの反応も感じない。
そもそもこのやり方があっているかも怪しいところだが。
次はなにをしようかと悩んでいると、ざざ、と衣擦れような音が耳朶を打った。それは確かに、勇者の体から聞こえてきたものだった。
立ち上がろうとしているのだろうか。肩を貸そうと、勇者の体と地面の間に腕を入れ込もうとしたその時、触れた箇所が崩壊を起こし始めた。
「は?――え、なんで!?」
炎の男と崩壊の仕方は酷似しているが、粒子の色だけが大きく違っている。勇者の粒子は、澄み渡る青空のような色をしている。
とりあえず勇者を起こすことを諦め、次に何をすればいいのかあたふたするしかなった。
そんな俺のことを意にも介さず、うつ伏せたままの勇者は左手の人差し指を伸ばし、地面に何かを書き出した。
書いている最中にも崩壊が止まることはない。しかし勇者は、その崩壊さえも些細なことに過ぎないといわんばかりに、左手を動かし続けている。
言葉はないが、勇者の行動は俺に対して向けられているということだけは確かに分かった。勇者の死が近いことを直感で悟り、書き記すものから目を離さなように集中する。
やがて手は止まり、力尽きたようにぴたりと動きを止めた。
気付けば崩壊はかなり進行し、もうすでに残っているのは胸から頭、左腕にかけての部分しか残っていない。
顔も知らない勇者と呼ばれる男。俺が分かっていることといえば、彼は俺を助けてくれた命の恩人だということだけだ。
俺は勇者の左手を握った。
「助けてくれて、ありがとう」
言い終わると同時に、勇者はすべて、青い粒子となって空に溶けていった。残ったのは勇者が身に着けていた装飾品と、地面に記されたメッセージ。
ひとまず命があることに感謝しながら、地面に座り込んだ。ふと空を見上げると、薄暗い空に七色の星々が、これでもかというほどに輝きを放ちながら虹を象っていた。
ようやく思考が落ち着いて、冷静に考えを巡らせることができた。
ここは明らかに俺がいた日本、ひいては地球でもない。異形の姿をした炎の男、魔法陣、勇者の光る剣……俺は異世界に転生したんだ。
普通転生した直後はもうちょっと落ち着かせてくれて状況を整理する時間をくれるのが定石ってもんだろう。
いきなり勇者と魔王との一騎打ちに巻き込まれるとか、不運にもほどがある。
今はとにかく、勇者がなにを残したのかを見ておくのが先だ。
先ほどまで勇者の左手があった地面に目をやると、見たことのない象形文字のようなものが書かれていた。見たことはないが、どうしてか俺はその言葉の意味が理解できた。
そこには確かに、こう記されている。
『王都 搬送 早急 ↖』
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