第21話 口づけ
ファリスから孤児失踪の噂を聞いた俺たちは、それからしばらく施設で子どもたちと触れ合った後に帰路についた。
子どもたちは皆、食事に満足にありつけていないことなど感じさせないほどに元気に溢れていて、申し訳ない気持ちになるばかりだ。
ファリスは、子どもたちも徐々に元気がなくなってきていると言っていたが、勇者が戻ったとあってか、始終笑顔をこぼしていた。
この子どもたちにとって勇者とは、生きる希望なのだろう。
影の落ちた王都は、昼間に見た快活さを忘れそうになるほどに物静かで、俺たちの間に会話も起こらない。
表通りに出ると、露店であふれていた道路もそのほとんどが店じまいをしていて、人もまばらだ。
特にこれといった会話もしないまま寮にたどり着いた俺たちは、また明日、という簡素な挨拶でそれぞれの部屋に戻った。
自分の部屋に入るなりベッドに突っ伏し、ファリスの言っていたことを反芻する。
もしも俺が自分のスローライフ生活を求めてこの国からトンズラしたら、あの子どもたちはどうなる。
それに子どもたちだけではない。俺に祈りを捧げていた信者の人たちだって、無事でいられる保証もない。
……どうして俺が、あんな関係のない人たちのためにこれほど悩まなければならないのだ。
俺はただ俺として、生きていきたいだけなのに。
勇者の頼みごとを善意で聞いてやったのがすべての間違いだったんだ。
勇者が書き記した遺言を無視してれば
善意で動いてやったせいでどうしてこうも苦しまなければならないんだ。
考えても考えても納得する答えなど出るわけもなく、気分転換をしようと部屋を出た。
確か、この寮には屋上に自由でに出入りできたはずだ。
重い足取りの中階段を上り、屋上へと繋がる扉を開く。
すっかり空は暗くなっていて、屋上には人っ子一人いない。
欄干のある端っこまで歩いていくと、屋上からは王都の街並みが一望できた。
昼間のようなまぶしさはないけれど、たくさんの建物の窓から光が零れ、その一つ一つが夜景を彩っている。
この多くの光がこの国の血液であり、命そのものなんだ。この場所から見える光だけでも数えきれないほどあるというのに、それが国中となればいったいどれほどになるだろう。
あの日、俺のことを命を懸けて守ってくれた勇者は、いったいどれほどの想いを背負って戦っていたというのだろう。
死んでしまう間際、俺に対して言葉を書き記していた時、どれほど悔しかったのだろう。
勇者という生き方は、考えていた以上に壮絶な茨の道なのかもしれない。
今になって思うと、テレビ画面の向こうで世界を救ってやるだなんてのたまっていたいた勇者も実は結構すごい奴だったのかもな。
夜風に吹かれながら物思いにふけっていると、背後から扉が開く音が聞こえた。
振り返ると、扉は開いているが、向こう側は光が届かず真っ暗になっている。
人の気配はある。俺と同じくファリスから衝撃の事実を聞いてしまったミラたちも同じく屋上に来たのかと思ったが、そこには予想だにしない人物が立っていた。
「こんばんは、勇者シオン」
人に向かって言っているとは思えないほど感情の乗っていないその声に、俺は聞き覚えがある。
暗闇の中か現れたその人物の顔も声と同様に無感情で、しかし両の瞳は俺を見定めるように見つめている。
降り注ぐ月明かりを受けた青髪は煌びやかに輝き、昼間とは違った妖艶とも思える雰囲気を纏った人物、名前は確か――
「アリア……だったっけ。どうしたんだ、こんな時間に屋上にくるなんて」
「別に、あなたがすごい顔して屋上に向かうのが見えたから、気になってついてきただけ」
「そうか」
沈黙が流れる。
これ、俺が会話を繋がなきゃいけない感じか?
次に何を話そうか思考を巡らせていると、いつの間にかアリアは俺の隣に来ていた。
「記憶がないっていうのは、本当なの」
「ああ……カインが言ってたやつな。本当だよ。おかげ様でこの世界のことも、魔法のこともなにもかも忘れちまったよ。ほんと、頼りない勇者だよな」
「…………」
再び沈黙が流れるが、アリアは何か思案にふけっているように見える。
黙って夜景を眺めていると、アリアの中で何か纏まったようで再び口を開いた。
「なぜ、記憶がないのに勇者を継続するの。あなたは今やただの一般人、いや、一般人以下。そんな足手まといを引き連れて戦地に赴く仲間のことは考えないの?」
「――は?」
突如向けられた明確な敵意に、思わず怒気を込めてたった一言の言葉を漏らした。
実に勇者らしくない。慌てて気持ちを切り替え、なんとか取り繕う。
「どうしたんだよ、急に」
「どうしたも何も、そのまま。ハッキリ言う、今のあなたは戦場に出れば確実に死ぬ。記憶があったころはマシだったようだけど、今の状態では話にならない。それは多分、あなたが一番わかっている。それなのに学院に入り、再び勇者として戦地へ行こうとしている。破滅願望でもあるの」
好き勝手言ってくれる。何か反論しようと考えていたが、アリアはまだ続けた。
「私は幼い頃から、ある目的のために必死に鍛えてきた。魔法の才能もあったおかげで、魔法学院始まって以来の天才って呼ばれている。あとは、わかるでしょう。私がいれば――勇者はいらない」
この世界は、どれだけ俺のことをイラつかせれば気が済むのだろう。
俺は勇者になんてなりたくないというのに、周りの人間は勝手に勇者だと祭り上げる。微かな希望を失わないようにと俺の善意でかろうじて勇者を演じてやっているというのに、今度は勇者はいらないと。
どいつもこいつも俺のことなんて知らないくせに、知ろうともしないくせに好き勝手言いやがる。
誰が、誰がやりたくてこんな――。
そこまで考えたところで、喉まで出かかっていた言葉を俺はもう自分の意志で止めることが出来なくなっていた。
「俺が本当に、勇者をやりたくてやってるように見えるのか? どうせ言ったって信じないだろうがな、俺は勇者なんかじゃねえんだ。今は俺の好意でお前らの望むから演じてやってるのに、今度はいらないだ? 好き勝手押し付けるのはもう辞めてくれ!」
胸につっかえていた言葉が濁流のように口をついてでた。
押さえつけていた分勢いをつけて体外に放たれる。
怒りなのか、悲しみなのか、思考はぐちゃぐちゃになって何を思っているのか自分でも分からない。
今はただ、我慢していたものを解放させたことによる爽快感だけが胸を占めている。
この世界に来てからというもの、常に身に余る重責を強いられてきた。
ほんの少し、たった少し欲をかいただけじゃないか。一度でいいから称賛を浴びてみたかった。
誰かに手放しでほめてもらいたかった。それだけじゃないか……。
しかし、この世界は俺の事情なんて考慮しない。そんなものは意味を成さない。
この世界にいる人たちは確かに息をして、地に足をつけ生きているんだ。
俺にはそんな人たちの人生を背負うなんて出来っこない。俺は魔法もなにもしらない、ただの17歳のクソガキなんだ……。
勇者を神とあがめるこの世界で、勇者を放棄するともとれるセリフを吐いてしまった。
もう、どうにでもなれ。どうにでもなってくれ……。
絶望に打ちひしがれ、しかしどこかすっきりとした俺は空を見上げていた。
七色の星々が今日もその輝きを放っている。俺も星になれたら、こんなことで悩むこともなくなるのだろうか。
言いたいことを言ったことに満足感を覚えていた俺は、今になってアリアのことを思い出した。
きっと、失望しただろうな。
俺はどんな顔をしたらいいかわからず、早くこの場から退散しようと屋上の扉の方へと体を向き直した。
「――!」
あまりに突拍子のない出来事に、思考が止まる。
先ほどまで隣にいたアリアの顔が、なぜか俺の顔に触れそうな距離にあった。
閉じているアリアの両目から、一粒の涙が滴り落ちている。涙に気を取られて、自分の唇に柔らかな感触があることに遅れて気付いた。
アリアの唇が、俺の唇と重なっていた。




