第19話 ファリス孤児院
あてもなく歩いて1時間くらいが経った頃だろうか。
どんよりした空気漂う裏通りに似つかわしくない、小奇麗な建築物の前に俺たちは立っていた。
白い壁と赤茶色の屋根の教会を思わせるような建物。正面の木製の扉は重厚で、扉の上には小さな鐘塔があり、静けさの中にかすかな気品が漂っていた。
異質な雰囲気に思わず立ち止まって見渡していると、木製の扉がぎぎい、と音を立てて静かに開かれた。
「おや、こんな時間に客人とは珍しい」
扉から出てきたのは、グラスチェーンをつけた眼鏡を装着した、白髪交じりで黒髪の老爺ろうや。
不気味な場所に見合わないほどの品を身に備えた彼は、柔和な表情でこちらを見ている。
「いきなりすみません。ここら辺で、俺たちと同い年の緑の髪色をした女の子を見ませんでしたか?」
「はて、ここら辺に住む子どもたちでしたらだいたいは顔見知りですが、そのような子には見覚えは……おや?」
老爺の、俺たちに合っていた焦点がずれている。老爺は俺たちのさらに後ろにある何かを見ているようだった。
「もしかして、あなた方の探してる方とはあちらの御仁では?」
老爺の視線の先を追うように振り返ると、片手には袋を、もう片方の手には子どもの首根っこをつかんでこちらに歩いてくるミラの姿があった。
「ミラ!」
見失っていたミラの姿を見つけて駆け寄ろうとしたその時、
「アルル!」
落ち着きを見せていた老爺が突如、叫ぶように言った。そうして俺たちより先にミラの元へ駆け寄った。
「お、お嬢さん、アルルが何か粗相を働いてしまいましたか」
老爺はおそらく、自分の孫ほど年の離れたミラに対して腰を低く尋ねた。
その様子を見てか、怒りが見えていたミラの表情も少し和らいだ。
「粗相もなにも、この子は私たちが購入した果物を目の前で盗んでいったんです」
ミラの言葉を聞いた老爺は、怒りというよりは悲哀に満ちた双眸を子どもに向けてすぐ、ミラに対して深々と頭を下げた。
「私の教育がいたらず、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。どうか、どうかお許しください……」
ミラの顔から怒りの感情はとっくに消え去っていた。今は、歳の離れた人に平謝りされて居心地悪そうにしている。
「そ、そこまで怒っていませんから頭を上げてください」
ミラは子どもを離した。子どもはなぜか自分を庇ってくれたはずの老爺を睨みつけている。
「なんでじいちゃんが謝るんだよ。そんな簡単に、頭下げてんじゃねえよ!」
「お前たちのためであれば、私の頭なぞいくらでも下げよう。いつも言っているだろう。どれだけ劣悪な環境に身を置こうとも決して最期まで良心を損なうなと」
お前たち、という言葉が引っかかる。盗みを働いた目の前にいる子ども1人に対して使う二人称としては適切ではない。
違和感を覚えていると、老爺が出てきた扉の向こうから、子どもが心配げにこちらを見ていた。
その様子が気になって、疑問をぶつけてみる。
「おじいさん、ここは一体なんなんですか?」
「ここはファリス孤児院といいまして、身よりのない子どもたちを預かっている施設なのです。アルルもこの孤児院の子です。……少し前まではこんなことをする子ではなかったのです」
老爺は俺たちから果物を盗んでいったアルルという子どもの頭を無遠慮に撫でながら、目を閉じて眉をひそめた。
「もしかして、何かお困りなのですか?」
「ええ……。しかし、その……」
老爺はどこかきまずそうに眼を泳がせている。なにやら事情がありそうだ。
ここでこの老爺に深入りするとなにか厄介ごとに巻き込まれるような気がして、俺は気持ちを切り替える。
「おじいさん、お子さんのことは別に憲兵に引き渡すようなことはしません。なにかお困りのようですし、少ないですが果物はもらってください。僕たちはこの辺で――」
「おじいさん、ぜひ僕たちにお話を聞かせてください! 何か力になれるかもしれませんから!」
リンは俺の言葉を遮って意気揚々と啖呵を切った。リンの方をみやると、生き生きとした表情をしている。
勇者に強い憧憬しょうけいを抱くリンにとって、この状況を見過ごすこどなどできはしないのだろう。
一度口に出してしまった以上、もう戻ることは出来ない。
俺は小さくため息を吐いて、肩を落とす。
おじいさんもリンの気迫に押されているようで、強く返すこともできないといった様子だ。
「で、でしたらどうぞ中へお入りください。そこで詳しいお話を」
俺たちはおじいさんに連れられて、孤児院の中へと立ち入ることにした。
建物の中に入ると、開けた空間が出迎える。扉からカーペットが一直線に伸びていて、それを挟むように横長の椅子が等間隔に並べられている。
カーペットの先には祭壇のようなものが設えれていて、カラフルな光が降り注いでいる。
天井を見上げると祭壇の上には窓があり、剣とマント、それにペンダントを身に着けた男がステンドグラスによって表現されている。
「ここはかつて、勇聖教の教会として使用されていたのですが、移転に伴い売却されたものを私がそのまま買い取ったのです」
老爺はまるで慈しむように椅子に触れながら、教会内を見渡す。
アルルと呼ばれた子は老爺に引っ付いていて、こちらを警戒した目つきで見ている。
辺りを見渡すと、柱や椅子の陰からこちらを覗くようにみる子どもがちらほら。
「申し遅れました。私、このファリス孤児院を運営しております、ファリスと申します。早速本題に入らせていただくのですが、実は最近資金繰りが上手くいっておらず、子どもたちにろくにご飯を食べさせてあげることが出来なくなってきているのです」
そういうことだったのか。
だから、あの子は俺たちの飯を盗んでいったというわけか。
しかし困ったものだ。金の問題となると俺たち学院生になど解決できるだろうか。
何を聞いていいかわからず黙っている俺とは違って、リンは積極的にファリスに質問を投げかける。
「ここはどれくらい運営しているのですか?」
「今年でもう7年になります」
「今までの資金繰りは?」
「最初は私も働きながら、寄付を募ったりしていました。仕事を引退してからは貯金を切り崩しながらなんとかやってきていたのですがそれも尽きてしまい……。それからは……」
どうしてか、ファリスは言い淀んでいて視線も落ち着いていない。
「沈黙の勇者様がいつも食事を持ってきてくれていたんだ! なのにしばらく来なくなって、何かあったかもって、心配してたんだ。だけど生きてて、帰ってきた。帰ってきたのに……ここには、ここには戻ってこない!」
アルルが目に涙をためて、叫ぶように言い放った。
おじいさんはそんなアルルを抱き寄せて頭を撫でている。
「シオン君はやはりすごいです……なんと慈悲深い」
ミラが誇らしげにそう言った。リンも嬉しそうにほくそ笑む。
「ファリスさん安心してください。勇者様が来られなくなったのには訳があったのです。勇者様は強力な魔族との戦闘で記憶を失ってしまったから、決して自らの意志でここを離れたわけではないのです」
ミラはまるで自分のことのように語り、俺といえばこの厄介事の中心にいるはずなのに、目の前で勝手に進められる話をただ傍聴しているのみ。
「記憶喪失……? 確かそんな噂も耳にしましたが……」
「シオンくん、安心させてあげてはいかがですか?」
ミラはそういうが、俺にはどうも、それがこの人たちのためになるとは思えなかった。
だって、俺は偽物で、本物はもう死んでしまったのだから……。
いっそこの人たちには真実を伝えてもいいのではないのだろうか。
本物の勇者は王様にさえその素性を明かしていなかったけれど、孤児院の人たちとはかなり近しい仲のようだし。
この人たちには誠意をもって真実を伝えることとしよう。
「ファリスさん、どうか心して聞いていただきたいのですが、俺は実は――」




