21.その身
昼間は陽泰が学校なので暇で、医務室にいたりするが裏世界は基本的に夜が本番なので。昼は暇で暇で。
「……失礼します」
「どうしたの?」
「暇なので遊びに来ました」
「どうぞ。紅茶淹れてくれる?」
「はい」
にこにこと笑ってそれをやってくれる睦にありがとうと言って、仕事の手を止めた。
「体調どう?」
「全然、悪いとかは無いです」
「ほんとに?……熱も治すんだもの、びっくりしたよ」
「今出したら、余計な心配をかけてしまうので」
「優しいねぇ。……体調が問題無さそうなら一つ言っておきたいことがあってね」
「はい?」
現在、世界の情勢は悪化する一方である。
原因は明快、世界の闇たる佚世がいなくなったからである。
人脈と存在、畏怖と尊敬により裏世界の全てから認知され、裏に深く関わりのない表世界の人間でさえ、そこには彼がいるという認識があった。
佚世がいなくなり、睨み合っていた組織は手が出始め、裏は表へ干渉し、表裏の境がぼやけている。
表への干渉はすなわち法へ踏み込むことである。
法の中にいるのに法を犯せば政府は黙っておらず、裏は政府へ対抗する。
この単純な構造で、もう一つの抗争が勃発する。
それが今、大陸中で起こっている。
望まれるのはただ一つ。
世界の均衡を保つ絶対的帝王である。
御三家に加え、準大規模組織のイノンダイやガンラン、中小規模組織のルハッドやその他闇組織。
そして、政府や、裏に多少なりとも干渉する表企業、裏が干渉しざるを得ない企業など。
多種多様な世界の頭が集まる集会。
ボスと睦は二人だけの車に乗って、運転席とも壁で区切られ。
「何を言われてもここにいるんだよ。睦君の居場所はここにあるからね」
「……廃教会に残った方がよかったのかもとか、思うんです。俺一人でいても何も出来ないけど、あの人が帰ってくる場所があった方が、皆安心するんじゃないかって」
「ここにいなさい。世界の都合で君が寂しい思いをする必要は無い」
車を降りて、降りるボスに手を貸した。
「怖いのは分かるよ。私もものすごく怖いから」
「ね。震えてます」
「なんで私の代で起きるの……!? あと、もう三、四年もしたら、私じゃなくなるのにッ……! あと五年早かったら私じゃなかったのに……!」
「諦めましょう?」
「私ただの一般人なのに……!……胃がねじ切れちゃうよ」
「胃薬ありますよ。あとで飲みましょうね」
「うん……」
トワイライトは六人。本来なら九人ぐらいいてもいいんだけど、幹部は二人しかいないし、幹部頭もいないので。
ボスに右腕として睦に、幹部二人、一班二班の指揮官としてフルグと恋弥。
本来なら恋弥はいらない階級だが、佚世の弟子と有名なので。陽泰を連れてくるのはさすがに危険すぎるのでやめたが。
ホテルのロビーに行くと、雨々驟が立っていた。
「睦さん……」
「雨々驟さん、管理人は?」
「もう上にいます。あの、睦さん、行かないでください。御三家じゃ守りきれない……」
「大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないです。睦さんが行く必要は無いんです。全部、自分達で起こした火を貴方に押し付けようとしてるだけで、まだ体調悪いでしょう。貴方がいなかったら、トワイライトが晒されることもありませんから。お願いですから行かないで」
「廃教会にいた時点で負うべき責任です」
「廃教会は関係無いです。佚世様に頼りきった世界の自業自得です。佚世様といたからと言って、貴方が言われる筋合いは無い」
「筋なんていらないです。人は生きるのにはけ口が必要ですから」
「お願いですから行かないで……!」
「守ろうとしなくていいです。異形が人ほど弱くないのはよく知っているでしょう」
上はさながら地獄である。
怒号こそ無いものの、睦に向けられる敵意と憎悪の目。
十六の少年に向けられる、責任と怒り。
話しかけてきた人間は包み隠さず睦に敵意をぶつけ、睦はそれを聞き流せない質だから。
トワイライトから離れ、人に囲まれ、怒りと非難と罵声と侮辱を一身に聞き入れ。
言い訳も肯定もせず、ただ黙って、髪を掴まれようと水をかけられようとただ黙って、感情を見せない顔でそれを聞き入れる。
佚世が自ら作り上げた責任も、世界が廃教会に擦り付けた責任も、他人が勝手に抱いていた異形への期待も、盲信していた平和な世界も。
全てお前のせいであると、少し冷静になれば分かることなのに。
世界情勢の悪化に睦は無関係であり、十六の少年は、一番に家族を失った被害者であると。
「トワイライト」
巻積が恋弥の腕を拘束していると、傍に一人の男がやってきた。
中央政府長と、その後ろに控えるは金の世代が一人小雨。
トワイライト時代の佚世と共に、金の世代に名を連ねた男である。
「何か?」
「……詫びをしに来た。すまなかった」
「はぁ」
「睦を引き取ってくれてありがとう。感謝している」
佚世は別に、失踪したわけじゃない。
政府によってトワイライト時代の罪が掘り返され、裏組織には無干渉を貫いていたくせに。
佚世に限っては何故か掘り返し、捕まえただけである。
「謝罪も謝礼もいりませんよ。私が聞いても意味が無い」
「睦にも伝えてくれ」
「嫌です。貴方達は、子供から家族を奪って、子供を殺そうとしたんです。裏組織と言えど許せる行為では無い。あの子自身が死にたいと言ったほどには、政府はあの子を傷付けた」
虫唾が走る。
自分勝手な大人に振り回されるしんどさはよく分かるから、それをした大人がごめんねなんて。
謝られたとて。到底許せるものでは無いから、こうして苦しんで、世界の負を一身に受けている子がいるのに。
「傷付けたことは分かっている」
「分かっていませんね。政府はあの子の首を絞めてなお、死ぬなと言うのですから」
「佚世も、自分がそこまで睦に深く入り込んでいるとは思っていなかった」
「では共犯です。二度とあの子に関わらないでください」
トワイライトボスの、明確な憎悪。怒り哀れみも、優しさも、悲しみもない、ただそれに対する純粋な憎悪。
その目の、深淵の。
「睦君」
「はい」
「おいで、帰ろう」
「でもまだ来たばかりです」
「いいよ。おしまい 」
「俺は大丈夫です」
「分かってるよ。でももう話は終わったから」
寄ってきた睦の腕を掴んで傍に寄せると、睦の頭を撫でながら会場を降りた。
二人で車に揺られて、もたれてくる睦の頭を撫でて。
「だから気にしないでって言ったのに。帰ったら紅茶淹れてね」
「俺がいたら、トワイライトに迷惑がかかるかもしれないです」
「迷惑かけられてこその仲間だよ。……佚世君と脳之輔先生に迷惑かけないようにって、頑張ってきたかもしれないけれど。ここにいるのは家族でも親でも師匠でもなくて、仲間だから。友達で、戦友だから。迷惑かけて、迷惑かけられて、それでも助け合えるのが戦友だから。ね、だから、迷惑がかかるなんて言わないで。睦君はここにいていいんだよ」
本部に着いて、睦は顔を上げた。
まだ涙が止まらなくて、けれど外を見たら、恋弥も陽泰も待っているし。
外からは真っ黒にしか見えないけれど、中からは超クリアに見える不思議な窓。ボス専用車は全てこの窓だ。
「落ち着いてから降りといで。ゆっくりして、焦らなくていいからね」
「…………部屋行ってもいいですか?」
「もちろん。私紅茶待ってるから」
ハッとした睦はこくっと頷いて、それを見てからボスは一人で車を降りた。
運転手をしていた雨地科が手を貸してくれて、雨地科はボスに言われて扉を閉める。
「ボス、睦は……」
「もう少ししてから降りてくるって。先に入ってよう」
「待ってたら駄目ですか?」
「うん。一人の方が落ち着く時もあるよ」
目を伏せた陽泰は恋弥と共に、ボスに背を押され中に入った。
それを見送って、後部席に寝転がる。
さっきのパーティーで、酷いことを言われたのは分かるんだけど。防衛本能なのか、思い出そうとしたら思考が消えていく。別に思い出す必要も無いしいらない記憶だけど。
ぐるぐると回っていた思考が止まって、少し落ち着いたのは十分も経たない頃で、天使って優秀と自分で自分を褒めながら。
車を降りると、ロビーの入り口に日幻兎が座っていた。
見張り、は別の人達だった気がするが。
「……睦」
「はい。こんなところで、どうかしたんですか?」
「来て」
立ち上がった日幻兎は睦と手を繋ぐと、三階まで上がって睦をキッチンに連れて行った。
「連れてきた」
「あ、睦! おかえり!」
「皆さん、何か作ってたんですか?」
「見て!」
キッチンに群がっていた一班はカウンター前から退くと、カウンターに置かれたフルーツタルトを見せた。
フルーツがいっぱい乗って、てんこ盛りの。
「わぁ」
「睦のために作ったんだよ! タルトは甘くないやつで、中のえーと、生地も甘さ控えめのナッツのやつにしてね!」
「クリームはチーズ使って甘くないやつにしたぞ!」
「すごい。いつの間に……。美味しそう」
「しかの功績」
「こいつらすぐつまみ食いする」
「……俺食べていいんですか?」
「もちろん! 部屋持ってこうか?」
「……あ、じゃあ……」
睦はエレベーターに乗って、すぐにボスの部屋に向かった。
「ボス」
「おかえり。にこにこだね」
「俺の部屋行きましょ」
睦の部屋はボスと陽泰の部屋と同階にある。
この階はボスの執務室や寝室の他に、ボスの子供部屋とか奥方の部屋とか、幹部頭の部屋とか。あとは、それこそ資料庫とか。
その部屋の一つが睦の部屋だ。
なので恋弥の部屋より広い。
ボスが空いてるから使っていいよと言ってくれたのだ。
睦は紅茶の道具を持って自室に移動すると、自室でボスの紅茶を準備した。
「ありがとう。お楽しみって何?」
「まだ秘密です」
睦は久しぶりに自分もドリップコーヒーを淹れると、机に置いた。
ちょうど部屋にノックが鳴って、睦は扉を開ける。
「お待たせ」
「ありがとうございます。ボス、来ましたよ」
「何〜?」
「え、ボス」
「や〜」
睦は硬直した雨地科からそれを受け取ると、机に置いた。
だんちが包丁とタオルも持ってきてくれて、それも受け取って。
「睦、なんでボスがいるの?」
「今日は俺の部屋でお茶するので」
「いつも、やってるの?」
「いつも……というか、ボスが呼んでくれた日とかに?」
「ボスとご飯食べれるのは管理人と社長だけ」
日幻兎の言葉に雨地科はこくこくと頷いて、睦は首を傾げた。
「だそうです」
「いいじゃない別に。私食堂で食べるぐらいにはそういうの気にしないしできない人だから。慣れてね!」
「開き直りますね」
「早く開けてよ。何、ケーキ?」
「すごかったですよ」
睦がクローシュを開けると、ボスは目を丸くした。
「おぉ!?」
「一班が作ってくれたそうです。甘さ控えめでって」
「すごい! おぉ。……よかったね」
「はい。楽しみです」
「えーすごいなぁ。切ってくれる?」
「はい」
睦は日幻兎に綺麗な切り方を教わりながら、皆癇癪を起こさずすらすら喋る日幻兎に感動しながら。
「上手。睦上手」
「日幻兎さんも教えるの上手です。ありがとうございました」
「可愛い。ケーキあげるから睦ちょーだい」
「よく分かりませんね。離れてください、刺しますよ」
くっ付いて来る日幻兎を避けながら、睦はタルトを皿に乗せた。
「包丁と余ったケーキは貰うね。キッチンの冷蔵庫に入れとくから、全部食べていいからね! こいつら作ってる段階で信じられないぐらい食ったから」
「食ってないけど」
雨地科の隣に立った日幻兎は雨地科を見上げ、雨地科はしまったと顔を逸らした。残念ながら材料はもう無い。
「じゃあ日幻兎さんは明日一緒に食べましょう。朝起きてきてくださいね」
「うん。睦も食べようね」
「はい。ありがとうございました。堪能します」
「うん!」
「ごゆっくり〜」
睦は扉を閉めると、紅茶を飲んで待っていたボスの向かいに座った。
「いただきます」
「いただきます」
「……あ、美味しい」
「うん。このぐらいの甘さなら食べれる?」
「大丈夫です。フルーツの甘さを邪魔しないからすごく食べやすいです。美味しい。夜中に食べたら太る味がします」
「やめて。被害に遭うの私だけだよ」




