1.雪の季節
雪の降り積る二月半ば、気温は氷点下を下回り、水も凍るし雨も雪と化す。
風が吹き、黒い外套がなびき小さく震えた。
街中の人の視線が集まって、早足に路地裏に逃げる。
真っ黒な髪の奥、ピーコックブルーの瞳を不安げに揺らす少年は人目がない奥まで入って、小さくため息をついた。
寒い。吸う息で肺が凍ってしまいそうだ。
帰りたいけど、路地裏から出ないと。路地裏は、何かされては誰も助けてくれないから。誰にも助けてもらえないから。
外套を頭に被り直して、早く帰ろうと足の向きを変えた時、後ろから雪が詰まる音がした。
ギュッと、雪を踏み締める音の直後、少し遠くからの銃声。
振り返ると、男が立っている。
黒い髪、翡翠の瞳の、端正な顔立ちの長身の男。
血色感も何もない真っ白なきめ細かな肌、筋の浮いた細い首、節ばった男特有の手。
長いまつ毛も、高い鼻も、薄い唇も、整いすぎたが故に、この世のものではないような。
銃声が近くなり、止まっていた時間が進み出す。
直後、男が崩れ落ちた。
硬直して、再度の銃声でハッとする。
「大丈夫ですか……」
駆け寄ろうとした時、男の後ろの曲がり角から影が伸びた。
後ずさったとき、見たことのある人が現れた。
「佚世……!」
背広姿の、服に筋肉が浮かぶほど筋骨隆々の男性。トワイライトの重役の一人。
「……あ、お前先生んとこの……!」
「ぇあ、えと……」
「急ぎで悪い、案内してくれ。俺方向感覚最悪なんだ」
「は、はい。……さっきからの、銃声は……」
「俺の仲間だ、一班の奴ら。こいつが追いかけ回されてたから守ってた。急ぎで頼む」
「こっちです」
裏通り、通っていこう。
二人で息を切らしながら走って、じんわりと額に滲む汗で額が凍てつく。
暗い路地裏の中にある古びた扉を開け、二人で青年を連れ中に入る。
「先生急患です!」
「はーい」
「先生ッ! 血出しすぎてんだ、頼む」
「だんち君……に、イツ君……!? 睦君輸血用意して。あるだけ全部」
「型は?」
「なんでもいい」
睦と呼ばれた美少年はさっと顔を青くしながらも、輸血パックを六つ、自身の父であり師であり主治医である脳之輔に渡した。
青年に経鼻で胃にチューブを入れ、直接血液を流し込む。
睦が輸血パックの管や針を外している間に、また新しい患者がやってきた。
「先生! 診てくれ、死にそうなんだ!」
「俺行きます」
「頼んだよ」
睦は一人で患者の対応をして、隣の小間で手術も始めた。
「……まだ十二でしょう?」
「立派なもんだよ。四歳からメス触ってだけあるね」
「それ危険すぎません?」
「さすがに見付けたら取り上げてたよ」
結果見えないところで生物解剖するようになっちゃって。
「……あ顔色戻った」
二パック入れたところで脳之輔は血液の投与を止めると、すぐに管を引き抜いた。
青年、佚世が目を覚ます。
「……いったぁ……」
「傷塞がってないか? 大丈夫か?」
「鼻……痛い……」
「自分が吸血鬼だってこと自覚した方がいいよ」
青年は手術台の上にうずくまったあと、顔を跳ね上げた。
「……夢?」
「倒れたからここまで運んだんだよ! 守ってやったんだかんな!」
「患者になったから助けたよ。世話にはならないって豪語してたのにね」
「……夢かなぁ……」
顔を押さえたまま下を見下ろした佚世はまだ気の入らない声でとりあえずと、二人にお礼を言った。
「何があったの?」
「街歩いてたらピステルの下っ端に見付かったんです。銃なんて持ってないしバンバン撃ってくるから逃げてたら……そうとんでもない美少年に会った! とんでもない美少年に会った!」
「二回も言わなくていいよ、隣にいるから」
「ふぇ!?」
「俺は逃げる佚世を見付けて一班と一緒に守ってた。そろそろ終わったと思うけど」
「助かったよだんち君。これはこっちで引き取るね」
「お願いします。俺はこの辺で、あ、睦君にもお礼言っといてください。助けてくれたので」
「分かった。じゃあね」
「失礼します」
脳之輔が手を振りながらそう言うと、筋骨隆々背広男は出ていって、隣小間の影からそれを見ていた睦は、脳之輔のいる小間に移動した。
「失礼します。先生、隣の処置終わりました」
「おつかれ。生きてた?」
「左心室が破裂してましたけど、生き返りました。不死身って自慢するそうです」
「そりゃかっこいい。カルテの処理しといで」
「はい」
睦は脳之輔と話し終わったあとに、佚世にも小さく会釈をしてから小間を出ていった。
それを見送った佚世は脳之輔を見上げる。
「誰?」
「私の子」
「え誰に手出したんですか」
「冗談だよ。拾ったの、何年か前に」
治療台に座った脳之輔は足を組むと、振り返って佚世に顔を近付けた。
「君の子供拾ってくる癖は私譲りだよ」
「やなとこ似ましたね」
「何がやなとこだ」
額を弾かれた佚世はきょとんとアホ面を晒した後、ぼろぼろと泣き始めた。
本人が驚く中、脳之輔は平然と管の処分を始める。
「金の名が廃るよ。泣いてないでこれ飲みなさい。また吸血してなかったんでしょ」
「扱い酷い……」
「泣くなジジイ」
「ねーッ!?」
世界に生まれる人間のうち、ごく稀に天使と吸血鬼が生まれる。
等しく人間。ただし異形。
吸血鬼、現在世界に五人いる。
不老不死に次ぎ、消えた腕が瞬時に治る、首が飛んでも胴体が生える、超回復を持つ異形。
尽きない体力、鋭い聴覚、飲まず食わずでも死なないタフネス。
遺伝子が人間より遥かに優れ、故に麗人。
唯一の欠点は、名の由来ともなる吸血。
栄養を他者から得るため吸血、やるものは食人さえ行うため、古くから気味が悪いと迫害されていた。
またその二点は吸血鬼の技能と知性を恐れるもの達が吸血鬼を追い出すための常套句にも使われる。
ただし、吸血しなければ動けないため人から離れては生きられない。
天使はその対に当たると言われる存在。
吸血鬼と同じ異形であり、超回復とともに特有の体質を持つ。しかし吸血鬼とは打って変わり、天使が人に与える癒しは人々の心を救い、暮らしを豊かにするという。
人を襲う吸血鬼が悪だとすれば、こちらは絶対なる善。悪が永遠なのに対し、善は儚い。
天使の寿命は平均三十歳に達しない。早ければ子供の頃に、長くても六十まで生きれないとされる。
その原因は天使特有の毒。毒に犯されれば病を発症する。天使の死因はその毒一種のみであり、その毒は超回復が原因であり、超回復では消えない呪いのようなものでもある。
人間から見れば相対する存在、異形から見れば同じ異形。
天使の体を蝕む唯一にして絶対のその毒は、天涯孤独を余儀なくされる吸血鬼の本能的好物である。
「睦君、おいで」
「……はい先生」
「紹介するよ」
睦と呼ばれたその少年は脳之輔の後ろに隠れ、台の上で足を組む青年佚世の方を見た。
二人とも、黒髪にピーコックブルーか翡翠の目という似た容姿。それでも睦は十二という幼い子供であるのに対し、佚世はいつから生きているのか記録がないほど古の吸血鬼である。その姿は二十歳よりも若そうな青年さながら。
「この子、何回か話したことある佚世君。トワイライトの元幹部だよ、私の一番弟子」
「……吸血鬼ですよね……?」
「そう。……大丈夫だよ、吸血忘れるぐらい生存本能が著しく欠落してる子だから」
「大丈夫ですかそれ……?」
「知らない」
二人で佚世を見ると、佚世はへらっと笑った。
「動けなくなるだけで死なないもの。百年経っても死ななかったし」
「実験済みみたいです」
「暇人め。……この子睦君、何年前かな。私が拾った子、今はここの事務兼助手してるの」
「十年前です。二歳のときなら、ちょうど十年前のこの季節」
「もうそんなにか。育ったねぇ」
脳之輔に頭を撫でられた睦は嬉しそうに笑って、佚世のその目に映る笑顔が記憶と重なった。
「睦君は幼い頃に吸血鬼と関わってて、吸血鬼がちょっと怖いんだよね」
「ちょっとだけです」
「二歳の頃に拾われたんならまだ毒は出てなかったでしょ。天使は熱で気付くことも多いのに」
「頭が良かったんです。生後半年の頃には意思疎通してたらしいですから」
「異形あるあるだね」
「その観客の中に吸血鬼がいたんでしょうね。そのまま誘拐されて」
「観客て」
「生まれて見世物小屋で育ちましたから」
「あら同じ」
二人して目を丸くすると、脳之輔がため息をついた。
「嘘つきどっちだ」
二人して挙手し、また目を丸くする。
脳之輔はけらけら笑って、睦もいたずらが成功した子供のように笑う。
大人びた子だと思っていたけれど、ずいぶん陽気らしい。
「まぁ見世物小屋より前の話は本当ですから」
「そう。私は毒にも血にも肉にも興味がないから、安心してねじゃないけど。そんな気張らなくていいよ」
別に天使が吸血されるデメリットってほとんどないけどな。
人間は失血死や臓器不全、ショック死をしたりするが、天使は毒は吸われるわ血は回復するわで、ただ噛まれた時が痛いだけ。まるで問題ない。
「イツ君、今は旅人でしょ? 医者はやらないの?」
「どこも雇ってくれませんし、まぁ道端でふらっとはあるんですけど」
「ここで働く? 全く手が足りてないんだよね」
「トワイライトの元幹部でしょう? 大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。悪い噂はない子だから」
二人が佚世を見ると、佚世は暇だしいいよと、軽く頷いた。




