環菜の人生…。
この主人公、環菜は四国出身で関東地方育ち。
家族は、会社員の父とパートで働いてる母3人兄弟の環菜は1番上の長女と弟2人。
5人家族で弟2人は環菜と違って優秀だった為弟たちは、両親は環菜よりその弟2人に対して愛情を注がれていた。
環菜というと、小学校ではクラスメイト、上級生、下級生と学年関係なくいじめがひどく登校拒否を起こしていた。
理由は、勉強ができなくて意味がわからないのに話しに合わせようとしたりしてみんなから白目で見られていて学校の帰りとかで1m以上ある高さから田んぼに突き落とされたり、無視、悪口を言われていた。
それをみた先生はみんないじめた人の肩をもち環菜には味方がいなかった。
学校を休んだ日は、両親に怒られ正座させられて説教と同時に物を投げられたり怒声を浴びせさせられたりした。
それが毎日続いた。
正直、その時の気持ちは「もう嫌だなぁ。逃げたいなぁ。」と思っていることを覚えている。
土日は、弟2人がスポーツをしてた為両親は小学生だった環菜を家に置いてお茶当番などで家を空けていた。そのときは、とても天国で「何からしようかな?」とか思ったけど家事をしないといけないという試練がありそれをしないと「また、両親にまた怒られる。」っていうことが多々あった。
何をしても両親に怒られたり弟2人からも「こんな姉ちゃんいなくなれ。」といわれ心の逃げ場所や居所がなかった。
中学生になった環菜は、勉強はダメでも部活のテニスが楽しく毎日学校に行き始めまだ、いじめは続いていたけれどなぜか不思議と学校は嫌いになれなかった。
そのころだった。
父から娘としてではなく女性として目で見られハラスメントがはじまった。
最初は、服の上から下着を着ているかなど触りながら確かめるようになりそれを大人になるまで続いた。
それが「普通なのかな?」って思い我慢していた。それから、徐々にエスカレートして身体を触るようになってきた。
抵抗してもやめてくれないけれど、母の目もあり断ることができなかった。
高校受験の時、第1志望だった私立高校が落ちてその時両親は労う言葉はなく「高校に受かるまで寝るな。」という新しい試練を与えた…。
それと同時に弟2人に「ねぇちゃんは高校が受からなければ仕事をすることになって家を出ていく。」と話していた。
それが、毎日同じ話しを毎日されて本当に地獄を見ている気持ちだった。
それでも、1週間毎日8時間勉強した。
ある公立高校の受験日…。
花粉症だった私と闘いながらした数学、国語、英語、理科、社会と5教科の筆記試験。
そして、「合格。」
その時の両親は、「おめでとう」という言葉をかけてくれた。
それから、高校生活がはじまり友達が増えて楽しいはずだったのにそこでもクラスメイトからのいじめがありロッカーのドアを破壊されたり嫌味や「おばちゃん。」って言われたりして辛かった…。
先生に、いじめや嫌味を言われたことを話すと「親御さんが知らないと指導ができない。」と話された。けれど、うちの両親は「全部お前が悪いから自分でどうにかしろ。」と言われたから言えなかった。
それでも、心の居所が部活の合唱部があったからこそストレス発散になったり部活後に集まっていたスーパーがありそこでみんなで話したりして楽しかったが、毎月のお小遣いが小学生と変わらず''1000円"。そのお金で、遊びにいったりしたけどすぐになくなってしまった。
だけど、お金を貯めたいために「バイトがしたい。」と両親に話した。けれど、母親は「そんなにお金を使い道はどうしたいの?」と聞かれて「色んなものを買いたい。」と話した。
反対されたけど、お弁当屋さんでアルバイトを始めた。
そこでは、仕出し弁当屋さんだった為に朝が早くてそれが終わると次のバイト先としてレストランのウェイトレスをしたけれど、毎週末しかできなかった為お給料が5万も届くか届かないかところだった。
それでも楽しかった。
高校3年生になり進路のとき…。
看護学校にいくのが夢だった私だったけど両親から「お前がいけるような学校ではない。」と言われ猛反対されて断念した。
その時、夢を潰された最悪な気持ちになって泣いた。
そんなこんなで恋をしたり失恋したりして充実した3年間を送れた。
大学生になった環菜はある「委員会」に入った。
そこの委員会は、毎日掃除をしたり何かがあれば他の委員会やサークルの手伝いをしたりしてその、当時の委員長がよかったみたいで上級生、下級生も関係なくみんな仲良くできていた。
18歳になった環菜はある男性を好きになり恋をした…。
その男性は、テキパキしていて考え方も大人でとても素敵だという印象で告白して彼氏ができて毎日、楽しくそしてウキウキしながら勉強したりサークルをしたりした。
それが突然の出来事…。その日は、天気がよくデートしていたら突然彼から「別れてくれないか。俺との未来を捨ててくれ!」と告げられた。
やっぱり、「結婚とか夢をみていた私がダメだったのかなー?」とか反省をしつつ2年間の恋が終わった。
それから、就職活動がはじまってから3年生のある時ある病気が見つかった。
それは、「卵巣嚢腫」(らんそうのうしゅ)
手術をしないといけないということで大学病院に10日間入院した。
その間、就職活動はお休みしたけれど焦っていた私は、早く戻りたかった気持ちを抑えていた。
ようやく、体調も回復して就職活動して何十社も受けたけど"内定"がとれずに4年生の秋にある介護施設の職員として「内定」された。
それから、卒業してすぐに入職した。
22歳の春入職…。
何にもわからない私に先輩方から丁寧に教えていただきながら仕事をしていたけれど覚えられなかった私に新たな試練を与えられた…。
半年も経ったある日「なんで仕事が覚えられないのに仕事にきているのか?遊びにきているの?」という言葉から始まりそこから、パワハラ、いじめが始まった。
最初は、「ごめんなさい。ごめんなさい。」と言い続けていてそれを面白がっていた先輩方は1人である利用者さんを任せるようになったりしていつ辞めさせようか考えが働くようになった。
けれど、私は辞めないで22歳の秋には「ヘルパー2級」を取得して仕事を続けた。
それから、3年後の冬あるSNSで今の夫である翔太と出会った。
最初はおなじ"名字"ってところから始まり話すようになったと同時に同じ"パーク"が好きということで翌年の1月に初めて翔太と会ってその"パーク"に行った。
そこは、すごく混んでいて待ち時間が長く「大丈夫かな?」って翔太のことを心配になった私だったけど「大丈夫。」ということを言ってくれた。
どんどん、月日が流れたある夜事件が起こった…。
私の車でデートした帰りに翔太が運転していたら事故に遭った。
その時は何が起きたかわからなかったけど病院で彼の母と会いまず、「保険の等級が上がってしまう。」という言葉が第一声だった。
「えっ…。私の車なのに謝罪もない人たちなの?」って初めて翔太の母の本性がわかった。
この人は、私と翔太の体の心配よりも"等級"
…。
結局、お金が心配という話しだった。
それよりも「両親に怒られる…。」という頭にあった。
仕方がないけど、夜中に帰宅して両親に話していたけれど父は不敵された態度をしめして母は、永遠と私を責めた。
翌日、緊急でかかった病院に行き検査したけれど"何ともないという"ことで会計に進んだけど私は、もち金がなかった為彼の母にお願いして「あとで返す」約束で建て替えてくれた。
全部、終わりにしたいと思いそのお金も全部返金して翔太と別れた。
けれど、何度も翔太から「やり直したい。」って言われてやり直して交際から2年後つまり、27歳の4月に婚約して結婚した。




