表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第二章 逆光のアダージョ

蓮のスタジオに国税局監査ロボットが現れたのは、紫陽花が人工降雨で色を変える梅雨の隙間だった。


「ご夫妻の婚姻生活に疑義あり」


球体ドローンが天井から垂下し、合成皮革の質感の声を撒き散らす。湊は蓮の肩越しに、ドローン底部の生体スキャナーが回転する音を数える。毎秒120回転――祖母の介護用ベッドのモーター音と同じ周波数だ。


「昨年との生活パターンの相違点、87箇所」ドローンの光学センサーが蓮の左足首を狙う。「特に久我山氏の足部X線画像に、申告書にない治癒痕が検出されました」


蓮の小指が湊の掌でSOSモールス信号を打つ。〈演技モード5〉。彼女が突然、スコートを捲し上げた。


「あんたたち機械は何でも数値にしたがるけど」膝の古傷が淡い光を放つ。湊が先月埋め込んだ人工関節補強材だ。「夫が開発したバレエ用インプラントはまだ特許前やから、非公開って書類作っとるやろ?」


湊は黙ってタブレットを差し出す。偽造の医療特許申請書が、蓮の肌の温もりでディスプレイが曇る。監査ドローンがデータを吸い上げる0.8秒の間、蓮の足先が湊のふくらはぎに「ありがとう」と綴った。


「次の指摘」ドローンが厨房を指差す。「冷蔵庫内の栄養ドリンク本数が婚姻届の嗜好データと矛盾」


蓮の笑い声がスタジオの鏡を震わせた。「そらあんた、この人ったらプロポーズの時……」演技としての嘘が、本物の思い出に化ける瞬間を湊は感じた。「介護と研究で倒れそうな私に、毎日一本ずつドリンクを仕込むんです」


それは契約条項外の真実だった。湊が掌で隠すドリンク缶の底には、蓮が描いた羽根の落書きが毎日変わらず眠っている。


監査ドローンの去った夜、蓮は初めて湊の研究室に現れた。医療用クリーンルームの中で、彼が祖母の介護ロボットに仕込んだダンスプログラムを見つめる。


「これ…私の『ジゼル』の動きやないか」


モニターに映るロボットアームが、蓮が引退公演で見せた宙吊りのアラベスクを再現していた。精密なモーションは、彼女の古傷を再発させない最適解でもある。


「筋肉の負荷率を0.3%まで削減」湊が調整パラメータを示す。「ダンスの美学と介護の機能性は同根だと気付いたんです」


蓮の瞳に初めて涙が光った。彼女がスタジオの鏡に背を向けて以来の生理的反応だ。湊のスマートグラスが警告する。〈感情検知レベル4 通報基準値超〉。


咄嗟に蓮はモーションキャプチャースーツを纏った。未発表のダンスで監視システムを撹乱するため――二人で仕組んだ非常用プランだ。


「『逆光のアダージョ』や。あなたのロボットが覚えてた動きとは真逆やで」


無重力ダンスが始まった。蓮の身体が介護ロボットの予測を裏切り、AI監視システムの学習モデルを混乱させていく。湊の開発した感情偽装プログラムが暴走し、スタジオ全体が虹色のデータ嵐に包まれる。


その混乱の中で、湊は蓮の本心を聞いた。


「なんで引退したか知ってる?」彼女の人工関節が悲鳴を上げる音程で。「あんたの祖母さんと同じ病や。遺伝性の神経難病や」


モニターが真っ赤に染まる。蓮の生体データが、湊の祖母のカルテと一致する数値を示していた。監視カメラが回線不良を起こす0.3秒間、湊は蓮を現実の重力から引き離した。


「私のダンス寿命と、祖母さんの余命は」蓮の吐息が医療用消毒剤の匂いを濁す。「同じタイムリミットやったんや」


翌朝、スタジオの鏡に謎の数式が残されていた。湊が徹夜で書いた、神経難病の進行を遅らせるダンス理論。蓮がその横にバレエ用語で書き添える。


《アン・ドゥオール(外へ)――羽根が生える方向へ》

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ