不真面目シスター【番外編】 ぶっ飛びシスター、旅の目的を決定す の巻
迷った。
あっさりと、迷った。
訳あって王都を追われ、はるか西の地へと旅立った私。進むのは東西交易の主要街道、きちんと整備され、ひたすらまっすぐな道だから迷いようもない。でもそれって、退屈で仕方がないということでもあるわけで。
「ちょっと脇道行きましょう」
「いやだめですってば」
私の提案を、同行者は即座に却下した。
むう、生意気な。私の妹分のくせに。
「着の身着のままで逃げてきて、路銀もないんですよ。さらに道に迷うリスク取ろうなんて、アホのすることです」
これだから世間知らずは、なんて目で見られてカチンときた。
ええ認めますとも。どうせ聖堂育ちの世間知らずですよ。だからこそ、見分広めるためにも経験値稼ぐ必要があるんじゃない。
よし決定。次の分かれ道で脇道に入ります。
「だぁーめぇーでぇーすぅー!」
ぎゃーぎゃーうるさいなぁ。ちょっと入ってすぐ戻るからいいじゃない。迷ったりしないってば。
「そういう人に限って、迷うんですよ!」
――ま、結論から言うと。
あの子が正しかったと、そういうわけ。
◇ ◇ ◇
は、自己紹介?
めんどくさいなぁ。あーはいはい、やりますよ、やればいいんでしょ。
私はリリアン。
二十二歳になったばかりの元シスター。今でも一応シスターのつもりだけど、ちょっとやらかしちゃって、王都から逃げ出したところ。さすがに破門されてるでしょうね。
王都生まれの王都育ちで、この歳になるまで王都から出たことはない。ついでに言うと、物心ついた時から聖堂暮らしで、そのままシスターになったから、純粋培養の箱入りシスター、てわけ。
そんな私が王都を逃げ出した後、西へと向かうことにしたのは、同行者の故郷が西にあるから。
同行者――私と同じ元シスターのハヅキ、四つ年下の十八歳。
これがまぁ、シスターしてはどうなのよ、て子で。
教典は読まない(というか読み書きができなかった)。
何かと理由をつけて修行をさぼる。
行く先々でトラブル起こす。
極めつけは、シスターのくせに悪霊を従えてる。
て感じで、正直振り回されてばかりだった。そのくせ、なんやかんやと問題を解決していくから、腹立たしいったらありゃしない。嫌いどころか、本気の殺意抱いてたくらいよ。
でも、魔族に騙されて闇落ちし、「邪神の巫女」なんてものになった私を助けてくれたのは、そのハヅキだった。
まあなんていうか、感謝してる。
ハヅキが色々とぶっ飛ばしてくれたおかげで、なーんか吹っ切れちゃったし。
とはいえ、シスターやめた私には、なーんにも残らなかったわけで。正直、この先どうしたものかと途方に暮れた。で、やることもないから、とりあえずハヅキの故郷へ行くことにしたんだけど。
「しっかし、まさかゴンダーラとは」
それは、古の王国があった場所。でも今は、これといった特産品もない超ド田舎の村。
歩いて行ったら半年はかかる場所じゃない。しかも旅費その他準備万端整えて、という条件で。着の身着のまま無一文の私たちなら、マジで二、三年はかかりそう。ぐずぐずなんてしてられない。
「だから、道に迷ってる時間なんてないんだけどなぁ」
私はため息とともに、周囲に目をやった。
木々がうっそうと生い茂る山道。なんだか同じ場所をぐるぐる回ってる気がするんだけど、気のせいかな。霧っぽいものも出てきて見通し悪いし。
てゆーかハヅキ、どこに行っちゃったわけ? 気がついたらいなくなってるし。なんで一本道ではぐれるのよ。
「迷子になるなんて。ホント困った子ね」
このまま進めば街道に戻るはず。とりあえずさっさと進んで、街道に出たところで待つとしよう。
でも、行けども行けども街道に出ない。
おっかしーなー、地図で確認した限り、もう街道に出てもいいんだけど。このまま日が暮れて野宿、てなったら困る。
「ん?」
そのまましばらく行くと、山道の脇でへたり込んでいる人がいた。
私と同じ年ぐらいの女性。大きな籠を背負っていて、なんだか苦しそうな顔で足首をさすっていた。うーんそうね、この近くに住んでいる村娘が山菜取りにでもきて、足をくじいた、てとこかな。
「ああ、よかった」
私に気付いて、女の人がホッとした顔をした。私はにこやかな笑みを浮かべ、女の人に会釈をした。
「どうも、お仕事お疲れ様です♪」
「あ、はい……え、あの、ちょっと! ちょっと待ってください!」
そのままテクテク通り過ぎたら、なぜか呼び止められた。
「はい、なんでしょう?」
「立ち止まってくださいよ!」
振り向いただけで足を止めなかったら、なぜか抗議された。
「すいませーん、先を急ぎますのでー」
「ケガ! 私、ケガしてるんですよ! 見捨てないでください!」
「では街道に出たら、人を呼んで戻ってきますね」
「いえそうじゃなくて! お願いですから立ち止まってください!」
あーもー、めんどくさいなぁ。
私はしぶしぶ立ち止まった。
「で、何の用?」
「あの……戻ってきてもらえると嬉しいんですけど」
わがままな人だなあ。
私は盛大にため息をついてから、彼女の近くまで戻った。
「はい、戻りましたよ。で、何の用ですか?」
「見てわかりません?」
「わかんないから聞いてるんでしょうが。さっさと言いなさいよ」
ヒクッ、と女の人の顔が引きつった。何よ、文句があるなら言いなさいよ。
「い、いいえ。旅の途中に申し訳ありません」
「まったくよ。で?」
「あの、見ての通り」
女の人は、さすっていた左の足首を私に突き出した。
「ケガをして難儀しているので、助けてほしいんですけど」
「ふーん」
ケガ、ねえ。
「なんで?」
「なんで、て。困っている人を見つけたら助けるのが、人というものですよね!?」
「だから、街道に出たら人を呼んで戻ってくる、て言ってるじゃない」
「そ、それでは日が暮れてしまいます! そこ、ホントすぐそこなんです、山小屋まで肩を貸してください!」
私は女の人が指差した方を見た。山道を外れた森の中。山小屋はおろか、道らしいものすらない。
「なにあんた、山小屋に住んでるの? 怪しくない?」
「ち、父が陶芸家でして。週に何日か、泊まり込みで作業してるんです」
「道なんてないじゃない」
「ふ、普段は通りませんけど、ここを突っ切って登ったらすぐなんです。ホントすぐそこですから、助けてください」
ふーん。
「なんだか必死ね」
「このままここで野宿なんてしたくないからです!」
まあ確かに。ケガした状態で野宿なんていやよね。ケガしていなくてもいやだけど。
「でも、すぐ近くなら自力で行けば?」
「ですから、痛くて立てないんですよ!」
「這って行けば?」
「あなた人の心ないんですか!?」
どうあっても私に助けてほしいというわけね。やれやれ。
「じゃあ、助けてもいいけど」
「あ、ありがとうございます!」
「でもその前に」
私はとびっきりの笑顔を浮かべると、女の人に告げた。
「神に誓ってくれる?」
「は? 神に? 何をですか?」
「嘘だったら、全力でぶっ飛ばされても文句は言いません」
「え、は、はい?」
「はい、リピート・アフタ・ミー。嘘だったら、全力でぶっ飛ばされても文句は言いません」
「え、あ、あの……嘘だったら、全力でぶっ飛ばされても文句は言いません」
よし、言質はとった。
仕方ない、山小屋とやらまで連れて行ってあげますか。
◇ ◇ ◇
「ほっほっほ、ようやった。褒めて遣わすぞ、アケビ」
山小屋はあった。それは嘘じゃなかった。
でも陶芸家なんてのは真っ赤なウソだった。
山小屋にいたのは三十前後の、お貴族様、て感じの優男。左右には完全武装の屈強な男が控えていて、いつでも切りかかってきそうな殺気をみなぎらせていた。
「なんだか妙に疑り深い女で。難儀いたしましたわ」
ガチャリ、と大きな音を立てて扉が閉められた。外から見たときは蹴れば破れそうな木の扉だったけど、内側は鉄板で覆われていた。さすがに蹴破るのは無理そうね。
「ですが、私が泣いて懇願したら、コロリと騙されましたの」
え、そうだっけ?
あんたが必死で引き留めるから、渋々ついてきただけだったよね?
「さすがはアケビじゃの。そら、近う寄れ」
「はい、テン様」
優男――テンに呼ばれて、私を連れてきた女、アケビが嬉々として駆け寄った。
ケガをしてるはずの足で普通に走ってるし。まあわかってたけど。挫いたにしては腫れとかなかったし。
「悪いわねえ、お嬢さん。でも騙された方が悪いのよ」
テンにしなだれかかり、勝ち誇ったように笑うアケビ。
いや別に騙されてないんだけど。
うーん、でもちょっと予想外だったのは事実かな。てっきり山賊か何かだと思っていたのに。この気配、たぶん人じゃない。一応確認しておくか。
「あんたたち、魔族ね?」
「ほう、さすがは次期聖女と言われておるだけはあるのう」
――ふーん。
私が誰か、わかってて近づいた、てことか。なるほどね。
でもなんで私? 魔族の四天王二人を倒した、ハヅキが狙われるならわかるんだけど。
「あんな剛の者、正面切って挑むわけなかろう。私はの、己をわきまえておるのじゃよ」
ほっほっほ、といやらしい笑い声を上げるテン。
剛の者、かぁ。ハヅキ、あんた魔族の間で相当評価高いみたいよ。姉シスターとして誇りに思うべきかな?
「で、私ならなんとかなると。そう考えたわけね」
でも、なんで私を狙うわけ?
「アリエールのやつが、言うておったのじゃ」
アリエール――あー、私をだましてた、全身赤タイツのアレか。
「次期聖女の肉体はすばらしいと。髪の毛一本食するだけで、魔力がみるみる高ぶる。おぬしを食らえば、永遠の命も夢ではないそうじゃ」
え、そうなの?
そういえば、よく髪の毛を切ってお供えさせられてたなあ。髪には魔力が宿ると聞いたことがあるけど、そういうことだったのか。
ん? てことは。
あの赤タイツ、私の髪の毛をむしゃむしゃ食べてたわけ? うわ、気持ちワル!
「会うたびに自慢されるので、忌々しく思うておってのう。がっちりガードされていたから手を出せなんだが、アリエール亡き今、早い者勝ちというわけじゃ」
べろり、とテンが舌なめずりする。
テンにしなだれかかるアケビも、左右に控える男も、ギラギラした目で私を見ている。あー、つまりこれって。
「あんたたち、私を食べるつもり、てこと?」
「そういうことじゃ。さてさて、じっくりと楽しませてもらおうかのう」
楽しませてもらう、て――それ、別の意味にとれちゃうからやめてくれないかな。
「まずは両手両足を切り落とし、部下共にふるまうとしようかの」
いや、カニじゃないんだから。てゆーか、あんたは本体独り占め、てこと? ケチねぇ。
「身動きできぬようにしてから、その腹を掻っ捌いて内臓をいただくとしよう。ああ、心配せずともよい。痛みを感じぬようにしてやるぞ。生きながら食される快感を味わわせてやろう。ほっほっほ、どんな顔をするのか楽しみじゃ」
「あっそ」
あきれてため息しか出ない。こいつ、女をいたぶって楽しむ変態さんなわけね。
「ほう、怯えすらせぬか」
「全然怖くないもの」
ハヅキをイジメたことがばれて、大聖女様に叱られたときの方がよっぽど怖かった。私を怖がらせたいなら、大聖女様超えてくれないかな。
まあ、生半可なことじゃ、あの人超えられないだろうけど。
「ふん、なかなかに気の強い女じゃな。さすがは次期聖女、嬲りがいがありそうじゃ」
テンがニタリと笑う。
「その余裕がいつまで続くか楽しみじゃのう」
テンが、ぱん、と両手を叩くと、左右に控えていた男が剣を抜いた。
ビュンッ、と空気を切り裂いて二本の剣が私の眼前に突きつけられる。ほんの数センチ前で止まった鋭い剣先に、私は目を細める。
「まずは目を潰してやろう。次に何をされるかわからぬ恐怖に怯えながら、嬲り者にして……」
「アケビ」
テンの言葉をさえぎって、私はアケビに声をかけた。テンがむっとした顔になったけど、知ったこっちゃない。
「あんた、さっきの誓い忘れてないでしょうね?」
「誓い?」
一瞬眉をひそめたアケビだけど、すぐに「ああ」とうなずいた。
「嘘だったら、全力でぶっ飛ばされても文句は言いません、てやつかしら?」
「そうよ」
「忘れてませんとも。存分にどうぞ」
余裕綽々、という感じで上品に笑うアケビ。
「でもあなた一人で、何ができるのかしらねえ」
「何が、て……あんたたちをぶっ飛ばすのよ」
忘れてないなら遠慮はいらないね。
私は無造作に手を伸ばすと、突きつけられている剣先を指先でつかんだ。
「動かせる?」
にっこりと笑って二人の男に問いかける。ふん、と鼻で笑った二人だけど――私につかまれた剣は、ピクリとも動かなかった。
「なっ……ぬっ、ううっ……!」
「ちょっと何をしてるのさ。さっさとその女の目を潰しなさいよ!」
「い、いや、しかし……」
アケビに叱咤されて、全力を出す二人の男。筋肉が盛り上がり、顔を真っ赤にして剣を動かそうとするけれど、結果は同じだった。
あ、言っとくけど、私がムキムキの筋肉女、てわけじゃないからね。
ちょっと神様を呼んだだけ。
教堂からは「邪神」なんて言われてるけど、どうもそうじゃなさそうなのよね。あんまり呼び出すのもなんだけど、まあ使えるものは使おう、ていうか。こんな状況だし許してもらえるよね。
というわけで、呼び出した神様に「剣をがっちり固定して」てお願いしたら、「アイアイサー!」てわりと軽いノリで応えてくれた。
「な、なんじゃ、何が起こっておる?」
「わ、わかりま、せん」
「くっ、この……」
テンも二人の男も、何が何だかわからない、て顔をしてた。
あ、こいつら神様が見えないんだ。
ふーん、だったら――ねえ神様ー、私のお願い、聞いてくれるー?(ぶりっ子♪)
『え、なになに?』
『モチロンだよ!』
ちょっと呼びかけたら、わらわらと神様が姿を見せた。うーん、こんなに出てくるなんて予想外。ま、いいか。
『さあ、お願いを言って!』
『リリアンちゃんのお願いなら、何でも聞いちゃうよ!』
わあ、うれしい♪
よーし、なら私の合図で、弾けちゃってね!
『イエッサー!』
いくよー、せーのっ!
「はぁーっ!」
気合爆発、て感じで大声を出したら。
ばぁん、と爆発するように、剣が粉々に砕け散った。ナイスタイミング、さすが神様ね!
「な、な……」
驚いて声を失うテンと他三人。あ、いまさらだけど、魔族だから単位は「人」じゃないな。なんだろ、魔?
ま、どっちでもいいか。
「さて、と」
とどめとばかりに、私は右手に力を集中する。
核融合。
気がついたらできるようになっていた、たぶん私の必殺技。原理はよくわからないんだけど、マジでヤバイ力っぽいから、脅しで見せるだけにしておこう。
「それじゃ……誓いを果たしてもらいましょうか」
「ひいぃぃぃっ!」
右手を掲げて、ジロリ、とにらみつけたら、テンたちは情けない声を上げて後ずさった。
「ゆ、許して、謝るから許して! 私はテン様に脅されて、仕方なくやったのよぉ!」
「なっ!? アケビ、裏切るのか! 違うぞ、この女じゃ、この女が私をそそのかしおったのじゃ!」
「違うから! テン様が首謀者だから! ホントよぉ!」
なんだか醜い争い始めたな。うっとおしい。言い訳するぐらいなら、最初からやるなっつーの。
「問答無用」
私はぎゃーぎゃーわめくテンたちを冷たく突き放すと。
「やっておしまい」と、待機していた神様たちにGOサインを出した。
◇ ◇ ◇
テンたち四人――じゃなくて四魔は、神様たちにフルボッコにされた。
『勝ったー!』
『ワーイ!』
『えい、えい、おー!』
神様たちは勝鬨を上げた後、勝利を祝って四魔の周りを踊り始めた。これフォークダンスかな、なんかかわいいなー。
しっかし、なんていうか容赦ナシね。
このまま放置したら間違いなく死ぬ、て感じの虫の息。マジでぼろ雑巾状態。
でも、やりすぎたとは思わない。
こいつら、私を殺して食べるつもりだったし。やらなきゃやられてた。ざまあみろ、ていうのが正直な気持ちかな。
さて、用も済んだし戻るとするか。
「あ」
踵を返しかけて、思いとどまった。
「……これ、使えるかも」
私は瀕死のアケビに歩み寄った。
髪の毛を一本抜くと、ズタボロのアケビの顔をつかみ、口をこじ開けて髪の毛を押し込んだ。
「う……ぐ……げほっ、げほっ……」
アケビの傷がみるみる癒えた。
テンが言ってたことは本当らしい。完全回復とは言えないけれど、命はとりとめた、て感じ。髪の毛一本でこれなら、肉を食らったらどうなるのかな。私を食べたら永遠の命が得られる、てのもあながち噓じゃなさそうね。
「な、なんのつもり、だ……」
冷然と見下ろす私を、恐怖に満ちた目で見返すアケビ。さて、どう煽ってやろうかな。
「これでもシスターなの。だから、一番弱いあんただけは助けてあげる」
「な、に……」
「神の慈悲よ。他の三魔はともかく、あんたなんかいつでも返り討ちにできるし」
クソザコだもの。
そう付け加えてやったら、目に宿る光が変わった。恐怖から、憎悪へ。よしよし、煽りは十分ね。
「二度と邪魔しないでね。私はゴンダーラまで行かなきゃいけないの。あんたたちの相手をしてる暇なんてないのよ」
「ゴ、ゴンダーラ?」
あれ?
アケビの目の光がまた変わった。これは――驚愕?
「あんたまさか、封印を……」
「リリアンさーん!」
アケビが何か言いかけた時、外で私を呼ぶ声がした。
時間切れか。こいつらのこと、ハヅキに知られたくないし。時間稼ぎに一度山小屋出なきゃ。
「ま、そういうことだから。いったん山小屋出るけど、戻ってきたときにまだ居たら、止め刺すからね」
封印。
それが何なのかは気になったけれど、今は確かめている時間がない。次の機会があったら、聞き出すとしよう。
◇ ◇ ◇
山小屋を出たら、すっかり霧が晴れていた。
街道は見えないけど、さっきまで歩いていた山道はよく見えた。山の斜面を登ってきたけれど、もうちょっと先で山小屋から降りる道と合流していた。
「あー、いたー!」
その山小屋から降りる道を、ハヅキが息せき切って駆け上ってくるのが見えた。
小柄な体の、ぱっと見は十四、五歳ぐらいの女の子。三つ編みにした長い黒髪が、走るのに合わせてぴょこぴょこ揺れている。あんなに憎たらしいと思っていたのに、最近は一周回ってかわいいとか思っちゃうんだよね。
ま、本人には絶対言わないけれど。
「ハヅキ、あんたどこにいたのよ。探したのよ」
「こっちのセリフですよ! 山道、何往復もしたんですからね!」
私の前までやってきて、ぜえはあと息を切らすハヅキ。
汗びっしょりだった。だいぶ走ったみたいね。これは心配かけちゃったか。素直に謝るとしよう――
「なんで一本道で迷子になるんですか! トイレが長くなるなら、一言言ってからにしてください!」
――と思ったけど、やめた。なんでトイレ、て決めつけてんのよ!
「ていっ」
「ふぎゃっ! なんで叩くんですか!」
「なんか腹立ったから」
「うう、理不尽です! 断固抗議します!」
ハヅキがぎゃーぎゃーわめく。うるさいなあ、と思ったけれど。
「追手につかまったんじゃないか、て……マジで心配したんですからね」
ぼそっとそう言われて、絶句した。
追手。
もし来るとしたら、相手は教堂直属の聖堂騎士団。王国最強と呼ばれる騎士団が相手じゃ、戦うのはもちろん逃げるのもキツイ。逆の立場なら、私も必死で探し回っただろう。
「……悪かった、てば」
でも言っとくけど、トイレじゃないからね。
「じゃ、何してたんですか?」
「霧が出て迷ってたのよ」
「霧……ですか?」
不思議そうに首をかしげるハヅキ。あれ、霧、出てたでしょ?
「いいえ、霧なんて出てないですよ」
ハヅキいわく、ふと気づいたら私の姿が消えていたんだとか。
なるほど、私だけ狙い撃ちにされたのか。今後は気を付けないと。
「で、迷っていたら、魔族に襲われた、てわけ」
「……は? 魔族?」
ハヅキがびっくりした顔になった。
「え、なんで魔族がリリアンさんを襲うんですか?」
「さあ? また邪神でも呼び出させようとしたんじゃない?」
私を食べるつもりだった――それは、ハヅキには言わない。
「ま、返り討ちにしてやったけどね」
「リリアンさんにケンカ売るなんて、命知らずですねー」
命知らず、て。
人を熊か何かみたいに言うなっつーの。
「いやいや、熊の方が可愛いと思います」
「……あんた、ね!」
カチンときたので、頭をつかんで全力で握り締めてやった。
「言葉には気をつけろ、て大聖女様にも言われてなかった!?」
「痛い、痛いです! わぁん、タスケテ―!」
またハヅキがギャーギャーわめく。今度はわめくだけじゃなく、暴れて蹴り返そうともしてきた。
ふんだ、あたるもんか。
『リリアンちゃん、どうしたの?』
ハヅキとやり合っていたら、神様たちがわらわらとやってきた。なんか、また増えてない?
『敵?』
『こいつも敵?』
『やっつけちゃう?』
キラキラした目で私を見上げる神様たち。うーん、わりと好戦的なのね。
違うから。
この子は私の仲間。これは――そうね、ちょっとした姉妹のじゃれ合いだから、気にしないで。ほら、もう手を離したよ。
『わかったー』
『この子は、ナカマ―』
『みんなにでんたーつ。ナカーマ―』
『ナカーマ―♪』
神様たちが、ハヅキの周りを輪になって踊り出した。ハヅキには見えていないみたい。なんだかこの絵面、生贄にされてるみたいだな―。
ん?
んんん?
いやちょっと待って。
ハヅキの全身をうっすらと包む光が見えるんだけど。
これ、神の祝福とかいうやつじゃないの?
そういうの、あっさりあげちゃうわけ?
『こみーっと!』
パンッ、と光が弾けた。ハヅキを包んでいた光が、すうっ、とハヅキに吸い込まれていく。
『儀式、かんりょー!』
『かんりょー! ナカーマ―!』
神様たちが高らかに宣言し、ぴょんぴょこハヅキの周りを飛び跳ねた。出会って十分かそこらで、神様に仲間認定されるとは。さすがの私もびっくりよ。
まったく。
私の「妹」は、とことん規格外みたいね。次期聖女、ホントはハヅキなんじゃないの?
「どうしたんですか、リリアンさん」
なんだか可笑しくなって、ぷっ、と吹き出したら、ハヅキが不思議そうな顔をした。
「ん、別に。なんでもない」
私はハヅキに背を向け、笑いをかみ殺す。
聖女ハヅキ、かぁ。
破天荒な聖女になるだろうなぁ。大聖堂のみんな、どんな顔するだろう。マイヤー様なんか、苦虫を百匹ぐらい嚙み潰した顔しそうだなぁ。
「え、ちょっと、なんですか。なんで人の顔見て笑うんですか?」
「だから、何でもないってば」
あー、なんかおかしい。ほんとこの子といると退屈しないわ。
神様、私をハヅキと出会わせてくれてありがとう。この子と一緒なら、どんなつらい旅でも乗り越えていける、そんな気がするわ。
◇ ◇ ◇
ハヅキと色々言い争っていたせいで、すっかり日が暮れてしまった。仕方なく、その日は山小屋に泊まることにした。
アケビたちはもういなかった。言いつけ通り、私が戻るまでに去ったらしい。今後どうなるかはわからないけど、とりあえず今日は襲ってくることはないでしょ。
『リリアン殿』
真夜中。
一人起きて、山小屋の外で星を見ていたら、背後から呼ばれた。振り向くと、全身これ筋肉、なトレーニングパンツ一丁の大男が立っていた。
ハヅキに取り憑いている悪霊、アーノルドさん。
上半身だけとはいえ、男性の裸に私は目を泳がせる。こちとら純粋培養のシスター、目のやり場に困るんですけど。できればシャツぐらい羽織ってくれないかな。
『眠れぬのですか?』
「うん、ちょっとね。考え事」
アーノルドさんは私のすぐ近くまで来ると、片膝をついて私をまっすぐに見上げた。
『私でよければ、相談に乗りますぞ』
主と認めるハヅキの姉シスターだからと、アーノルドさんは私に対しても敬意をもって接してくれる。なんていうか、私が今まで出会ったどの男性よりも紳士。生前は教堂の守護者たる聖堂騎士を目指していたそうで、ハヅキよりもよっぽど敬虔で教典の内容にも詳しい。
うーん、なんでこの人、悪霊なんだろう?
「そうねえ……」
そう呟いたきり、私は口を閉ざした。
相談して、結論は変わるだろうか。自問自答して、答えはノーと出る。なら相談しても意味はないのだけれど。
「……じゃあ、相談というか、報告。あ、ハヅキには内緒にしてね」
私はアーノルドさんに、昼間の魔族とのやり取りを話した。
「私の体、魔族にとっては不老長寿の妙薬みたいなものらしいの」
『なるほど』
アーノルドさん、落ち着いた声でうなずいた。
『ということは。今後、リリアン殿を狙って魔族が襲ってくるのではあるまいか?』
「ま、そうなるでしょうね」
でもそれでいい。それこそが私の狙い。
アーノルドさんは何も言わない。その小揺るぎもしない眼差しの奥には、私を気遣う優しい光が見えた。
ああ、これは。
私が何をしようとしているか、もう気付いているのね。
『その身を餌に、大聖女様を狙う魔族をおびき寄せて討つ。そのお覚悟ですな』
長い沈黙の後の、アーノルドさんの硬い声。
私は無言でうなずいた。すると、アーノルドさんはさらに硬い声で続けた。
『それをもって……八年前の大厄災を引き起こした、贖罪とするおつもりか』
「あ、知ってたんだ」
ちょっと驚いたな。教堂が全力で秘匿してることなのに。ひょっとして大聖女様に聞いたのかな?
深呼吸を一つして、私は空を見上げた。
降るような星空だった。あの夜も、こんな空だったっけ。
「やっぱりね、犯した罪の罰は、受けないといけないのよ」
『しかし大聖女様は……』
「いいの。もう決めたことだから」
私は視線を戻し、まっすぐにアーノルドさんを見た。
「この先、魔族は私を狙ってくる。ハヅキを巻き込んじゃうこと、先にお詫びしておくわ」
私はアーノルドさんに、深々と頭を下げた。
「あなたはハヅキを守って。そのついでに、私の贖罪の旅を見守って、証人となってほしい」
『承知』
短く、でもきっぱりと。
アーノルドさんは私の頼みを聞いてくれた。私はホッとして頭を上げる。
「ごめんね、面倒なことをお願いして」
『なんの。次期聖女と言われるリリアン殿と旅ができるなど、悪霊に落ちた身には過分な誉れ』
どん、と力強く胸を叩くアーノルドさん。
『我が全身全霊をもって、お役目を全うさせていただこう』
「ありがとう」
よし、旅の目的は決まった。
覚悟も決めた。
あとはこの旅を全うするだけ。ハヅキの故郷ゴンダーラへ向かう。その途中で魔族を討ち、私は贖罪を果たす。将来のことは、その後で考えればいい。
「そうだ」
ふと思いついて、私はアーノルドさんに問いかける。
「アーノルドさん、あなたは生前、聖堂騎士になりたかったのよね?」
『さよう。力及ばず聖堂騎士にはなれませんでしたが』
「では、その代わりと言ってはなんですが、別の称号を授けさせてもらえませんか?」
『別の、称号?』
それは、今わの際に、母から伝えられたもの。
ただの伝承、おとぎ話に類するもの。今この時代、授けたからといって意味はない。だけど、共に旅をしてくれるアーノルドさんに、ささやかなお礼を込めて贈りたい。
今の私には、もうそれしかないから。
『光栄ですな。謹んでお受けいたしましょう』
よかった。それじゃさっそく。
「汝、アーノルド」
姿勢を改め、私はできるだけ厳かな口調で告げた。アーノルドさんも表情を改め、恭しく首を垂れる。
「その高潔なる魂に敬意を表し、『ザナドゥの騎士』の称号を授けます」
『なっ!?』
私の言葉に、アーノルドさんがあんぐりと口を開けた。
『ザナドゥ!? リリアン殿、あなたはまさか!』
――私の、贖罪の旅が始まる。