妖精の愛し子ことみそっかす令嬢は真実の愛を解き放つ
「私は婚約破棄をここに宣言する!イーディス!お前に明日など絶対来ない!」
その晩のパーティー開始当時から漂っていた緊張感が、最高潮で弾けた瞬間であった。
いつもと違い夜更けまで設定された第二王子の婚約者ことイーディス・アーヴァンティナ公爵令嬢の誕生日祝いの最中にそれは告げられた。
イーディス・アーヴァンティナ、国内で最も力を持つ公爵家のひとつアーヴァンティナの長女兼一人娘として生を受けた彼女の人生は、一見単純なものであった。
王家との契約により6歳の誕生日から10年間、厳しい王妃教育をアカデミーと並行して日々忙しくこなすことが始まりだった。王子が彼女との同行を嫌がるため社交界には必要最低限だけ顔を出し、普段もごく限られた一部のごく親しい人間とだけ交流していた。
そうやって過ごし、ゆくゆく成人の16歳となったあかつきには正式に未来の王妃として確定、一年後に折を見て婚姻。それがこの国のしきたりであり彼女が努力して来た日々の一区切りでもあった。
そして現在時計の針は11時45分。
イーディスがまさに運命の鐘の音を浴びんとする直前に起きた青天の霹靂であった。
「婚約破棄……そうおっしゃいましたか」
「は!そうだ!私は真実の愛を見つけたからだ!お前のような貧相な”みそっかす”には一生わからない至高の愛だ」
「……左様でございますか……?」
「当然だろう!歳を重ねるごとに汚らししくなる白髪に泥棒猫のような黄ばんだ瞳、骨と皮だけの貧弱な体。そのくせなんだ生意気にめかし仕込んだ上に一丁前に婚約者面して……もう我慢の限界だ!目の前で吐かれないだけありがたいと思え!」
この茶番劇に、周囲の反応はおおよそ二つに分かれていた。
一方は、当惑気味に王子を見つめている令嬢の姿を、ああかくもあらんとばかりに広げた扇の陰で揶揄嘲笑する者、無鉄砲かつ非情な行為に若気の至りだと苦笑しながらも密かに王子の言葉に賛同する者。
そして、ごくごく少数ではあるが王子の物言いの意味が徹頭徹尾理解できぬとしきりに首をかしげる者。
「殿下、こちらのドレスはこの日のためにと王妃様から賜ったものでございます。……ああ……殿下はいささか酔っていらっしゃるのです。お腹立ちはご理解いたしますが。あら。そんなこと、おやめください。どうぞ!」
「黙れ黙れ!誰に向かって話している!」
バシャッ!
業を煮やした王子が、とうとう脇にいた給仕の盆から両手でシャンパンのグラスをもぎ取ると、中身をイーディスにぶちまけ、近距離でかぶったイーディスは頭からぐっしょりと濡れる羽目になってしまった。
金糸や小ぶりな宝石が完璧な配分で散りばめられた正に主賓のため、未来の王族の風格にふさわしい品格をたたえた象牙色のドレスにみるみる染みが広がっていく。
「……陛下。お約束通りご一考なさる時がまいりましたようでございます」
突然の余興もどきに周囲から小さい嬌声や押し殺した笑い声が起こる中、さきほどから王のそばに無表情で控えていたアーヴァンティナ公爵が、目に宿した光以上に冷徹そのものの声で淡々と王に告げる。
「そうだな……。まさに『犬には骨を、馬には鞭を』の刻来たれり、か」
一瞬だけ諦念した表情でかぶりを振った王はため息をつくと、両手を上げ、朗々とした声を発した。。
「集まった皆のもの、心して聴くがよい。この時、この場をもって、イーディス・シルフィルディア・レギウス・アーヴァンティナ公爵令嬢の第二王子との婚姻候補契約を白紙とする。これは『二度と覆らず、筆を加えず。表裏一体白紙の誓い』こと聖王宣言となる。若き二人の前途に妖精王の恩寵とご加護のあらんことを。我らが真の光の王よご照覧あれ!」
厳かに響く王命に、会場内のすべての者が動きを止め、この機会にどう立ち回るべきかを目まぐるしく計算していた、正にその時。
「きゃあああああ!やりましたわぁ!クラディウス様あぁ!真実の愛が勝ちましたわぁ!」
「エリー!おお愛しのエリーよ!!!」
群衆の中から、巣穴から飛び出す獣のごとく現れ、王子の後ろからしがみついてきた小柄な少女がいた。
それはエリスという名の少女で、ストロベリーブロンドを綿あめのようにクルクルと結い上げ、こだぬきのような丸顔とどこかこ狡さをたたえた焦げ茶の大きな瞳をしていた。
彼女は男爵家婚外子の養女として半年前に二人が通うアカデミーに編入して来て以来、見目の良い男子学生たちに舌ったらずな声で片端から接近しては一方でその婚約者である令嬢たちに対してはあらぬ罪をなすりつけて陥れるとの評判で、周囲からは敬遠されていた存在だった。
今夜のエリスは様々な色のフリルとリボンをまるで幼子が遊ぶ人形のごときふんだんに縫い付けたドレスを身にまとい、顔の幼さを引き立てようと目の端を必死で垂れさせている化粧の割に、本体生地だけは王子の瞳に合わせたであろう地味な灰褐色で仕立てており、それゆえ二人の関係を知りえた者達の目にはかえって一層の滑稽さと醜悪さを誘っていた。
みながあきれ返る中、二人はひしと固く抱き合い、熱い口づけを一通り交わすと、紅潮した顔でイーディスに向きなおりこれ見よがしに指を絡めながら手をつないだ。
「エリー、もうひとりぼっちじゃないよね!あたしのラヴ?」
「ああ、なにがあってもおまえを離さないよ、愛おしい人」
イーディスはというと、あまりの衝撃に打ちのめされのであろうか、流れているのが酒か涙かわからぬ目元だけを静かにぬぐい、時折かぶりを振りながらも無言で二人の方をを眺めているだけだった。
その姿に勝ち誇ったクラディウスがさらに追い打ちをかけんと言葉を投げかつけた。
「ふっ。エリーに嫉妬してはほかの生徒たちを使って陰で泣かせていたお前にはふさわしい姿だ!この私が知らないとでも思ったか!」
「やだぁ。びしょびしょで死にかけのハツカネズミみたぁい」
「…………(ぼそぼそ)」
「なんだ!?言いたいことがあるならもっとはっきり言ってみろ!お前みたいな女は一生誰からも愛されることなど……」
と王子が言いかけたその時、
リーン、ゴーン
日の変わる知らせ、イーディスの16歳の訪れを告げる鐘が鳴り始めたのだった。
(ああ……ついにその時が来たのね……)
イーディスはゆっくりひざまずき、そっと目を閉じると両手を合わせ頭を垂れた。
そしてその瞬間、いずこともなく白い光が差し込み、彼女の全身を繭のように包み込んだのだった。
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「なんだ!?この光は!」
「えっやだぁなに~!?彼女にばちでも当たるのかしらねぇ?きゃはっ」
「公爵、これは何事ですか!?」
「誰か、誰か衛兵を!!」
「王、王妃様、直ちご避難を!」
「ええい、しずまれ!そして刮目せよ!」
動揺する会場内の群衆は王の一喝で皆黙り込んだ。
どうやら自分に害はないと悟ると一転、今度は湧き上がる好奇心を隠そうともせずに、鐘とともに強さを増してゆく謎の光に完全に包まれてしまったイーディスの影を探して薄眼横目を必死に凝らすことにきめた。
そして12度の鐘が鳴り終わった途端。
あれだけまばゆかった光はまたたく間に消失したのだった。
皆が遠巻きにかたずをのんで見守る中、イーディスはゆっくり立ち上がると伏せていた顔を再び人々に向けたが、その姿は皆がこれまで以上に我が目を疑うような衝撃を与えた。
なぜなら、そこに立っていたのはみなのよく知っているイーディスでもありながら、みなの知っているイーディスではなかったのだ。
いまの彼女は、一言で言えば絶世の美少女だった。
まるで先程の残光が内側にこもっているがごとくに煌めく銀糸の髪が腰元までふわりと波打ち、黄金色の中に翠と碧の光が散らばる瞳は長いまつ毛に彩られ、東方の絹もかくやといえる染み一つない滑らかな乳色の肌、内面の芯の強さを映すような凛とした面立ちと初々しく可憐な唇。それを崩れかけた薄化粧が微妙な塩梅で際立たせえも言われぬ美しさだった。
さらに、その体躯はほっそりとしながらも、女性を象徴する部分は十分すぎるほど豊かで綺麗な弧を描き、それはまるで朝日にほころびかける一輪の初々しい白薔薇のような可憐さと艶やかさを同時に匂わせるたおやかな立ち姿に、その身を伝うしずくですら幻想的な月光に震える露のごとく不思議な蠱惑さを加えており、畏怖に静まり返ったはずのホールのいずこから今度は喉を鳴らすような音が聞こえてきた。
「なんだ。何が起こったんだ!?」
「これは一体どういう事でしょう」
「私たちは何を見せられているんだ」
「なにかの魔法なのか?」
「あの美しさ、まるで妖精の女王では……!?」
「妖精……そういえば!?まさか……⁉」」
あいかわらず遠巻きにさざめく者の中で年配貴族の数名の脳内にふとある伝承がよぎった。
アーヴァンティナ家は建国の志士の一人でもある初代当主が、精霊王のためにとある誉れを奉げたことにより、以来その恩寵を文字通り享受している一族である、と。
それは家の繁栄や並外れて優れた器量のみならず、一方で娘を授かった際にはその美しさが呼び起こすであろう禍根より護るために、成人するまでは、彼女と真に愛しあうか、理解者以外には実の姿から目をくらませる術がかかっているといういわく話があった。
そしてさらに娘の姿は見るもの自身の心の美しさ、内面がいかに豊かで大らかであるかによってそれが反映されて見えるというのだ。
だからこそ昔は各国の王族から引き手(引く手)あまたであった時期もあったはずが、イーディスが誕生したときには前回の女児誕生からにすでに五世代分の歳月が経過していたためにその逸話もとうに忘れ去られているか、もしくはどこかで耳にしたとしてもこどもが好む妖精のおとぎ話として一笑に付されていたのだ。
そしてなにより、ほとんどの人の目にはイーディスは薄茶色の瞳にくすんだ金髪を気まぐれに結い、凡庸な顔でときおりぶつぶつ独り言をつぶやいている「公爵家のみそっかず令嬢」にしか感じられなかったからであり、今回の婚約も久々の娘誕生で浮かれ親馬鹿が極まった公爵家が王家にむりやり嫁がせようとした、とまことしやかに噂されていたからだった。
「イーディス、いままでお疲れ様。みんなもよく耐えたね」
「エドワードお兄様」
「イーディスうううう!本当にすまなかったああ!取り決めとはいえ、パパさっきは胸が張り裂けそうだったぞぉお!私のかわいいはちみつりんごちゃんん」
「レチェ姉ぇええええ!!みんなもう姉上がちゃんと見えちゃってるの?見えちゃってるの?もう僕たちだけのレチェたんじゃなくなっちゃうのヤダァアアアアア」
「あなたッ、リチャード!んもう思い切り地が出ておりますわよ。御前です。お控えなさいませ!エドワードもです!そんな顔で周囲を見渡すのは今すぐおやめなさい」
そう苦言を呈しながら手にした扇で軽快かつ目に留まらぬ速さで夫と息子たちの尻を叩いて周る母親こと公爵夫人は、ぬば玉の髪に湖底で月光を待ちわびるエメラルドような深い碧をたたえた特徴的な瞳の持ち主であった。
名もよく知られていないはるか西方の地より公爵が娶ってきたとある小国の姫とのことで、本当は妖精の血が混じっているのではないかなどと密かに噂されている理由は、服装こそ落ち着いてはいるものの「結婚相手を求めて宴に来た令嬢の一人では?」と指さされても違和感のない昔から変わらぬ若々しさで、さらにどこか娘に通じる内に秘めた強い輝きを感じさせる凛とした美女だった。
そして公爵のほうは、太陽の光を溶かし込んだような豪奢な金髪を撫で付け、アメジストに金の欠片が混じった瞳で、歳相応に目じりに刻まれた笑い皺がかえって男の色気を添える高身の美丈夫だった。
先ほどの茶番では、あまりに滾った憤怒を押さえんと必死のあまり硬直した顔から醸し出されていた肉食獣の無慈悲さが一変、叱られながらもなお未練がましく溺愛する愛娘の両手を包み込んでる大型犬のような愛嬌を溢れさせており、そんな二人は国内でも評判のおしどり夫妻であった。
さらに二人の息子たちは両親の良いところをそれぞれ分け合った美形で、老若問わず女性陣の熱い視線を常に四方八方から浴びていた。
そのせいもあってか、心無い者たちに家族の誰にも似ていないと思い込まれていたイーディスは、幼少時代より今日にいたるまで「公爵家の妖精の取り換え子」「みそっかす」と陰口を叩かれる羽目になったと言ってもよい。
だがしかし、実際にはイーディスは良い意味で両親と似ていない「妖精の愛し子」としての美貌の持ち主であり、仲の良い家族や心を開きあった数少ない友人たち、あまたの妖精たちから愛し愛されて育ってきたのであった。
周囲がまだ混乱している中、王と王妃が座を降りてゆったりと一家に近寄ってきた。
「ああ。慙愧に堪えませぬがやはりわたくし達の見立てに間違いはございませんでしたわ。こんなこともあろうと思って、と申しますより、もとより貴女のドレスは他にもございますのよ。ぜひ披露させて頂戴」
「着替えるにしても控えの間までは遠いであろう。令嬢に御前での使役を許可する。もちろん愚息にはふさわしい報いを受けさせようぞ」
「御意。我が身に余るお言葉、誠に感謝に堪えません。それでは遠慮なく…セルフィン、アーデン!」
今度は風が舞い上がり、くるくるとイーディスの周りを上から下へと交互に旋回し始め、あれよあれよという間に彼女の服が乾いていった。
「完璧ですわ。ありがとうございます」
『これくらいちょろいもんよ!』
『ねぇねぇ。ほんとにあのバカ王子にお仕置きしちゃダメなの?』
『そうだよ。さっきからぶっ飛ばしてやんよってずーっと言ってやってるのに』
「はい。殿下は酔っていらっしゃるだけなのです。真実の愛という幻想に」
『また今度髪の毛で遊ばせてねぇ~』
「ええ」
『またいつでも呼んでね!みんなも楽しみにしてるよ!』
『あーん。あいつぶっ飛ばしてやりたかったかったなぁ』
点滅して消えゆく淡い光と小声で語らいながら花のような笑みをたたえるイーディスの美しさと。
すべてを知っていたであろう王達と公爵家以外の傍観者たちはただ口を開けて見ているだけであった。
この後の王子達へのさらなるざまぁと最終的に誰と結ばれるかとかも考えています。
もし機会があったら読んでいただけると嬉しいです!