足を失った少女と詐欺師の話 俗
「さて、問題です」
男はそう言って私の目隠しを外した。
そこは部屋だった。単なる部屋。しかしいつも私が過ごす部屋よりは広く、そして異常だった。
目の前には透明なガラスがあった。水族館を想起させる、巨大なガラス板。
けれどガラスの奥に広がっているのは南海でも北海でも、ジャングルの大河でも深海の光景でも無い。
白い部屋の中の白い灯りに照らされた、四人の人間。
椅子に括りつけられ、目隠しと猿轡をされ、身動き一つとれない様にされた四人の男女だった。
男は私が目の前の光景を見終わった事を確認したのか、出題を続ける。
「目の前に居る存在の内、誰かは殺人鬼です。そして誰かはサイコパスです。そして誰かは被害者であり、誰かは単なる巻き添えなのです。さて、誰が誰でしょうか?」
気持ちの悪い敬語だ。けれど問題自体はそれで理解出来た。
「今回は質問は?」
「そうだね、じゃあ三回にしよう。三回ならギリギリセーフだろうからね」
三回。回数も重要だけれど、もっと重要なのは質問をしても良いという事実だ。
この男は悔しいし腹が立つのだけれども公平だ。
嘘は吐かない正直者。けれど肝心な事は何も言わない。
はぐらかして、誤魔化して、そうやって人を陥れる。結局は自業自得にさせてしまう。
とはいえ、私もこの問題からは逃げられない。
「なら、そうね。一つ前提を確認しても良い?それともこれも質問に入る?」
「うん、勿論。さぁ一つ目の質問をどうぞ」
質問に含まれないなら儲けものだと思ったけれど、やはり駄目だったみたいだ。
なら仕方がないので、私は一つ目の質問を繰り出した。
「一つ目。殺人鬼、サイコパス、被害者、巻き添え達に私が見て分かる属性の違いは存在している?あぁ勿論、見た目という意味の話ね」
「うんうん。答えはノーだよ。彼等彼女等に外見上の差異は存在しないよ」
「まぁ、でしょうね」
目の前の人間は目隠しと猿轡のせいで顔の殆どが隠れているけれど、それでも私はこの人たちに見覚えは無い。そもそも殺人鬼かサイコパスが最近の事件の犯人とかなら私が分かる訳も無い。
けれどこの質問はしておかなくてはならなかった。
「じゃあ次の質問。殺人鬼、サイコパス、被害者、巻き添え。貴方が提示したこれらの属性に意味は存在しているの?」
「う~ん。そうだね、半分正解。四つの属性に意味自体は無いよ」
意味自体は、無い。成程ね。少しだけ理解出来た気がする。
けれどまだ確信では無い。もう一つの質問権が残ってる。
「最後の質問、三つ目。――貴方と私で有る事に意味はある?」
その質問に、彼は少しだけ微笑を浮かべて、また少しの時間の後に「イエス」と言った。
「さぁ三つの質問が終わったね。ちょっと簡単すぎたかな?さて、答えは分ったかい?」
「そうね。でももう少しだけ待ってくれる?」
「良いよ、じゃあ一分待ってあげる」
そう言って彼は再びガラス板の前に立った。
相変わらずガラス板の奥には四人の人間が縛り付けられて身動き一つとれていない。
体内時間ではあるけれど、大体三分位だろうか。私がここに連れて来られる前から縛られているだろうから、かなりの長時間縛られている筈だ。
なんて、思考をしていると。
「さぁ、時間だよ」
どうやら一分の時間というものはとっくに到達してしまったらしい。
だけれど、必要な時間だった。おかげて確信に変わったのだから。
「さぁ答えを聞こうか」
「そうね。やっぱり正直な貴方のお陰で理解出来た」
彼の言葉には意味がある。嘘が無い、ただ語らないだけなのだ。
なら、最初から答えは言葉の中にある。
「答えは、殺人鬼が貴方、サイコパスも貴方、被害者は彼等、巻き添えが私」
「へぇ、その心は?」
こういう風に推理推測するのはやっぱり私の柄では無いのだけれど、けれども促されたのならせざるを得ない。探偵ごっこに付き合わざるをえない。
「先ず、一つ目の質問で彼等の見た目が関係無い事が分かった。つまり、彼等の見た目や、それに付属する属性は何も関係が無いって事ね」
外見に意味が無い。ならば何を持って彼等を区別する。
人間の外見は、人を判断する第一の要素だ。人は見た目が九割とも言うし、第一印象はその全てが外見で決定される。特に会話が出来ない状況ならもっとその割合は大きくなるだろう。
でも、それらが関係ないのならば。何を以て、人は人を区別するのか。
「そこで、私は思った。じゃあ貴方は私に何をさせたいのかって」
問題には意図がある。特に彼の場合は意図があって、初めて問題が生まれる。
「だから次の質問で四つの属性が何故選ばれたのか、知ろうとした」
その答えに意味が無いと彼は言う。
ならば、四つの属性に意味が無いのなら。関連性は何処にあるのか。
「でもそこに意味が無いのなら。殺人鬼、サイコパス、被害者、巻き添え……この明らかに繋がりのある四つの属性はどうして選ばれたのか」
殺人鬼、サイコパス、被害者、巻き添え。特に意味が無く選ばれたとは到底思えない言葉同士の意味の繋がり。余りにもしっかり用意された言葉過ぎるのだ。
「そこでふと、思ったの。貴方、最初にこう言ったわよね」
すぅと息を吸って、言葉を吐き出す。
「『目の前に居る存在の内、誰かは殺人鬼です。そして誰かはサイコパスです。そして誰かは被害者であり、誰か単なる巻き添えなのです』って」
そうだ、彼は確かにそう言った。
「目の前に居る存在の内……貴方は最初から今まで、一度もガラスの奥の彼等だけに回答を絞っては居ない。一度も候補が四人だけとはしていない」
しかも存在の内、だなんて少しあからさまに怪しい言い方だ。
「問題は解けなければ問題じゃない。答えが無い問題は、問題ではない。一番最初に貴方が私に話してくれた事よね?」
差異が無い四人。意味の無い属性。不可能な区別。
普通なら彼等を区別なんて出来ない。けれどそこに、この男が加われば話は大きく変化する。
「殺人鬼でサイコパス……自分の事をサイコパスと呼ぶのは少し痛々しいけれど、どちらも客観的に貴方に当てはまる事でしょう?」
人は一つの属性だけを持っていない。
外見から得られる属性は、『外見のイメージ』一択だけれど、内面は違う。
会社員であり父親である人も居る。警察官で犯罪者もいるだろう。
同じように、殺人鬼でサイコパスは、なんなら十二分にあり得る属性の組み合わせだ。
「それに、ほら。ガラスの奥の彼等、全員死んでいるんだもの」
視点を動かし、ガラスの奥を見る。
そこには相変わらず文字通り、身動き一つしない縛られた四人の姿。
人が呼吸するのなら、必ず肺が動く。空気を吸って膨らみ、吐いて萎む。
これは人間が呼吸をしている以上絶対に抑える事は出来ない生理現象。であるにも関わらず、目の前の彼等はぴくりとも動かない。
生きているのなら起きる筈の現象が起きていない。
それはつまり、そういう事だ。
「じゃあ何で答えに、君が入っているのかな?君の推理だと、まだ二つの属性は特定できない筈だけれど?」
「それも、簡単だった。考えてみれば当たり前すぎて忘れていたけれどね」
私は目の前を見る。しかし今見ているのはガラスの奥の景色ではない。
見ているのは、ガラスに反射した私自身の姿。ぼんやりと虚空に浮かぶ、薄い透明な私の姿。
「目の前の存在の誰か、ならガラスを通じて向こう側に映る私も勿論候補だものね」
浮かび上がった像は確かに向こう側に居る。
「後は簡単、当てはめるだけ。殺人鬼、サイコパスがあなたなら、殺された彼等は被害者で、問題を出す為に連れて来られた私は巻き添えね」
ガラスの奥。既に死んだ彼等。
属性はたまたま今の状況から抽出されたもので、そこに意味は無い。
彼は、ただ問題を出したかっただけなのだ。
「うん、コングラチュレーション。もう随分と慣れたみたいで、少し寂しいよ」
「……彼等は何だったの?」
見覚えは無い。そこの誰かも分からない。
けれど、彼等は確かにここで死んだ。死んでしまった。
「ん?あぁ君が気にする事は何も無いよ。知った所でどうにも無いしね。彼等は文字通りの被害者で、それ以上でもそれ以下でも無いんだから」
「……そう」
彼は正直者だ。彼がそういうのなら、本当にそうなのだろう。
それは、分かる。分かるの、だけれど。
私は、私を見る。
私は椅子に座っている。
相も変わらず、下半身は無く。
私は彼に連れられなければ、どこにも行けない身なのだ。
「じゃあ、次の質問だ」
そうして私は再び目を閉ざす。
彼に目隠しをされる前に。