SCENE-001H
最終改訂2022年11月16日
「──がはっ!?」
心臓を直に殴られたような衝撃で、俺は目を覚ました。
一瞬、何事かと思ったが、
〈おはようございます。北斗〉
そんな聞き慣れた〝少女〟の声で状況を理解する。
「レラ、AEDを目覚まし代わりに使うのはやめろ。死んだらどうする」
さっきの衝撃は、俺が着ている強化操縦士用の航空戦闘服に装備された除細動機──心臓が停まったときに活を入れてくれる装置──によるものだったのだ。
まったく、なんてことをしやがる。
〈何度か呼びかけましたが、覚醒する様子がないので、最も確実であろう方法を選択しました。もちろん出力は抑えています。統計上、死亡する確率は無視できる値です〉
ふざけた言い分だ。
レラに〝ふざける〟なんて概念は無いはずだが──こいつは自己再構築機能の適用範囲が制限されていないから、いつのまにか獲得した可能性は否定できない。
一度、認知フレームのログを調べてみるべきかもしれないな。
それはさておき、俺を起こしたということは、そろそろ目的地が近いのだろう。
「レラ、あとどのくらいでネレイドの防空識別圏に入る?」
〈240秒です〉
「わかった。アクティブ・ステルス解除、識別信号発信。モードVで巡航しつつ、六千まで降りろ」
〈了解〉
俺の指示通り、レラは機体を現状のモードDからモードVに変型させ、それによって増加した抗力(空気抵抗)で減速しながら高度六千メートルまで降下させた。
モードDはデルタ翼型の高速/巡航形態。
モードVは前進翼型の高機動形態のことをいう。
現在の主力である第2世代型前衛戦闘機の多くは同様の可変機構を持っているが、レラの肉体とでもいうべき本機──NVX-0『レラシゥ』の変形システムは少々煩雑だ。
主翼の角度のみならず、前翼、水平尾翼、そして二対四枚ある垂直尾翼の角度と位置が全て変化するのである。
そもそもデルタ翼機と前進翼機とでは求められる空力特性の最適解が異なるのだから、高い次元で両立するには複雑な機構にならざるをえまい。
とはいえ、さすがに複雑すぎたのか、レラシゥの量産型であるNV-0『晨風』では簡略化されたが、俺は本機の変型ギミックを気に入っている。
〈ネレイドの防空識別圏まで、あと30秒〉
「了解。手動操縦に切り替え」
宣言し、俺は操縦桿を握った。
同時に、HUDに表示されたレーダーマップで『ファルコ』の位置を確認する。
ファルコとは俺の──いや、レラの、と言うべきか──無人僚機の愛称。
晨風をカスタマイズした機体だ。
そのファルコは今、巡航中の定位置──すなわち本機の後方のやや上に位置している。
〈ネレイドより入電。音声のみです〉
ネレイドの防空識別圏に入るや、さっそく通信が来た。
相手は第一艦橋の索敵士だろう。
「つないでくれ」
〈了解〉
〈──こちらはGAIA第三遊弋艦隊旗艦ネレイド。貴機の識別信号を確認した。認証コードを口頭で入力せよ」
「崇拝されし悪魔の犬はあたかも神のごとくありけり──以上」
〈認証コード、声紋、虹彩照合──オールクリア。以後、貴機をV3、同専属無人僚機をV4と呼称する。ようこそ、ネレイドへ〉
「ありがとう」
俺は手短に応えた。
〈ところで、ひとつ訊いてもいいか?〉
相手は急にフランクな口調に変わる。
ここからは雑談というわけか。
なら、俺も同じ調子でいいだろう。
「なんだ?」
〈変わった認証コードだが、なにか深い意味でもあるのか?〉
それが気にかかるってことは、この男、クリスチャンか?
あるいはムスリムかもしれないが、いずれにしろ、俺の認証コードに含まれている〝神〟や〝悪魔〟というフレーズに反応してることは確かだろう。
「そっちのモニターに表示されてるだろ? 逆から読んでみな」
〈逆から? ──ああ、そういうことか〉
気付いたか。
そう、俺の認証コードは後ろから読んでも同じ意味。
つまり回文になっている。
英語の回文の中では、かなり長いほうだろう。
「ただの言葉遊びだよ。他意は無い」
〈そうか。いや、妙なことを訊いて悪かった。最近、姪っ子が変なカルトにハマっちまったもんだから、神とか悪魔とか言われると気になってな。すまない〉
そう言って、相手はハハハと笑った。
ゴシック体で「HAHAHA」と綴りたくなるような、いかにもアメリカ人的な愛想笑い。
変なカルトって、もしかして、最近世界中で問題になりつつある『合神教団』のことか?
二十年前に人類の七割を死に至らしめた『ゼノレイド』を神罰と呼び、それをもたらした地球外敵性体群『XENEMS』を神の使いとして崇めるカルト。
他人様の信仰をとやかく言う気はないが、自分たちを殺しに来る奴らを崇める心理は理解できないな。
もっとも、強いて理解する必要があるとも思えないが──
そんなことより問題なのは、こいつが大事な仕事を忘れてることだ。
「本機は間もなくそちらの絶対制空圏に入る。誘導を求む」
〈あ、すまん。本艦は現在、方位070に進行中。ルートAでアプローチして左舷に降りてくれ。以上〉
失念を指摘されてバツが悪かったのか、索敵士は早口で告げて通信を終えた。
直後、ネレイドからの誘導電波を受信。
コクピット内殻の全天モニターに、なぞるべきルートを示す輪が表示される。
着艦はレラに任せてもいいのだが、今回は自分でやるとしよう。
◆ ◆ ◆
一言で言うなら、ネレイドは〝空母のバケモノ〟だ。
洋上要塞艦という厳つい分類名の通り、その規模は半端ではない。
波動貫通型双胴式の艦体は全長580メートル、全幅182メートル。
搭載された前衛戦闘機は140機以上。
乗組員は5300人あまり。
随伴するルーフ級対空護衛艦4隻とクレ級潜水艦1隻をあわせた戦力規模は、そこらの中堅国家の空軍を軽く凌ぐ。
ちなみに『ネレイド』という名は、ギリシャ神話に登場する海の精から採られたものだ。
そのネレイドの姿が水平線上にあらわれたところで、
「ファルコ、先に着艦しろ」
俺は機体を僅かに右へ傾斜させつつ、無人僚機に命じた。
ファルコは「承知」を意味する短い電子音を返し、緩やかな右定位旋回に移行する俺達を追い抜いてゆく。
ファルコのAIにレラのような固有人格は搭載されていないので、その反応はきわめて機械的だ。
機械を機械的と評するのはナンセンスだろうが、ヒトじみた知性をもつように振る舞うレラと比べると、やはり機械的という表現になってしまう。
もっとも、道具──いわんや兵器としての機能性だけを考えるなら、
〈北斗。何故、ファルコを先に?〉
こんなふうに任務遂行上不可欠ではない雑談をしてくるレラのほうが異端児なのだが。
「特に理由は無い。強いていうなら、レディーファーストだ」
まぁ、戦闘機相手にこんな冗談を言う俺も兵士としては異端児だろうから、端から見ればお似合いなのかも。
〈たしかに、航空機は女性になぞらえられることがありますが、それなら私もレディーなのでは?〉
「……だな」
俺は思わず吹き出した。
そんなことを言う戦闘機と、戦闘機に一本取られた自分がおかしくて。
とはいえ、愛機に言い負かされたままではパイロットの沽券にかかわる。反撃はしておこう。
「でも、お前の操縦桿を握っている俺は男だ」
〈なるほど。私は男性である北斗を内包しているため、総体として見た場合、ファルコよりも女性的イメージが減衰しているわけですね〉
「そういうこと」
正直、そこまで理詰めで考えていたわけではないが、ここはレラの御高説に乗っておこう。
そうこうしているうちにファルコがネレイドに着艦し、HADにその旨が表示された。
大きく旋回しながら待っていた俺たちは、ちょうど一回りして着艦ルートに戻るところ。
パイロットたるもの、この程度の計算はできて当然だが、ここまで的確だと我ながら気持ちがいい。
俺は自分でも気付かないうちに笑みを浮かべつつ、機体をネレイドの左舷甲板の真後ろにつけた。
フラッペロンを下げ、失速すれすれまで減速。レラに指示する。
「脚を出せ《ギア・ダウン》」
〈了解。ギア、ダウン〉
着陸脚を出し、機首をわずかに上げたまま降下。
この姿勢、乗り手の感覚的には後尾を下げるというほうがしっくりくる。水面に卵を産みつけるトンボのようなイメージだ。
ちなみに、前衛戦闘機に従来の艦載機のような着艦フックは無く、エンジンの逆噴射と、導電ゴム製のタイヤを甲板上の電磁石で引き留める電磁ブレーキで停まる仕組みになっている。
どっちも自動的に機能するので、俺はただ機体を静かに降ろすだけでいい。
その作業は我ながら完璧で、時速170キロでタッチ・ダウンした機体は、百メートルも走らずに静止。
〈ナイス・ランディング〉
いつものように、レラからお褒めの言葉をいただいた。
どことなくリクガメを思わせる風貌の自動牽引車がレラシゥの前輪に接続され、エレベータへと連れゆく。
エンジンは既に消火され、冷却するために電動で回っている。
エレベータに乗せられたところで、レラは主翼を前にスイングさせ、駐機体勢になった。こういうことは、いちいち指示しなくても勝手にやる。
まもなくエレベータが降下。機体は艦内格納庫に収容され、俗に巣と呼ばれる駐機ブースに運ばれてゆく。
さて──
最初に声をかけてくるのは、どんな奴だろう。
新入りを威圧して精神的優位に立とうとする輩か。
それとも、仲間思いで面倒見のいい好漢か。
あるいは単に好奇心旺盛な奴か。
そんなことを考えているうちに機体はネストに納められ、自動的に給電ケーブルが接続された。
それ自体が脱出ポッドでもあるカプセル型のコクピット・モジュールが機体からせり上がり、前方へスライド。
キャノピーが開き、機体側面の昇降用梯子が展開される。
そのステップの途中から意気揚々と飛び降りて着艦した俺を待っていたのは──
およそ軍艦には似つかわしくない二人組だった。
一人は、高校生かと思うような初々しい雰囲気の女。
もう一人は、十歳かそこらにみえる〝女児〟。
これは、まったく予想外のお出迎えだな。
まぁ、悪い気分ではないが。
──TO BE CONTINUED──