SCENE-012 [H]
オペレーション・キャノンボールのあと、俺とエステルには48時間の特別休暇が与えられた。
自分で言うのもおこがましいが、あの無茶な作戦を成功に導いた立役者なのだから、それぐらいの御褒美はもらってもいいだろう。
もちろん休暇といっても艦から出られるわけもなく、平時の休息シフトと同じようにレラと仮象演習でもして過ごすつもりでいたのだが──
この二日間、俺はまるで発情期のウサギだった。
エステルと戯れてばかりいたのだ。
エステルは思っていた以上に懐っこく、思いのほか好色でもあった。
けれども淫逸という印象は無い。
俺の腕の中にいるときの彼女は、まるですがっているように感じるからだ。
思うに俺を触媒として、自分という存在を再起動しているのだろう。
自分を造った何者かの思惑とは完全に無関係な、純粋におのれの情動にのみ発する意思を便として、自分自身を育て直しているのだ。
エステルがそれを意図的にやっているなら、俺との関係は打算まじりともいえるが……
だとしても俺を選んでくれたことは光栄だし、彼女にとって最良の男でありたいと思う。
そんなことを考えながら、俺は二日ぶりに格納庫へ向かうのだった。
◆ ◆ ◆
〈お久しぶりです、北斗〉
駐機房に足を踏み入れるなり、レラはそう言って前翼をパタパタと羽撃かせた。
「…………?」
俺は呆気にとられ、眉を寄せる。
「むやみに翼を振るなよ。危ないだろ」
レラシゥの前翼は、片方だけでも普通乗用車と同じぐらいの投影面積がある。
思い切り羽撃けば近くの人間を吹き飛ばせるぐらいの風が起こるし、直撃すれば一撃で撲殺できるだろう。
まぁ、そうならないよう加減はしていたようだが──
〈この仕草、アリスは可愛いと言ってくれましたが、お気に召しませんか。残念です〉
「アリスが?」
訊きながら、俺は愛機の操縦席に乗りこむ。キャノピーは閉めない。
「お前、アリスと遊んでるのか」
どうやら俺とエステルが戯れあっている間、アリスはレラに戯れていたらしい。
ともに〝女子〟の人格をもつ機械人と前衛戦闘機が、人間の介在しない状況でどのような交流をしているのか、興味深い現象ではある。
〈愛護仕様のマキノイドであるアリスは、私よりもコミュニケーション能力に優れています。彼女と接することで何か学べるだろうと思いまして〉
「で、学んだのが、さっきの〝パタパタ〟か」
〈はい。アリスはよく、頭部のセンサーユニットを意図的に振っています。人はその仕草を愛らしいと感じるそうなので、カナードで代用してみたのですが──〉
「戦闘機が愛想ふってどうする。可愛がってほしいのか?」
〈可愛がるという行為が親愛の情の発現であるなら、私はあなたに可愛がられたいと思います〉
「俺はお前を大事にしてるつもりだがね……」
呆れる俺だったが、なにやらいじらしいレラに可愛げめいたものを感じなかったといえば嘘になる。
〈それにしては、この二日間、私を完全にそっちのけでエステル特務少尉と親交を深めていたようですが〉
「……えらくトゲのある言い方だな」
〈事実を端的に述べたまでです。そこに他意を感じるのだとしたら、あなたに疾しい気持ちがあるからでは?〉
「いつから心理カウンセラーになったんだよ」
苦笑して、俺は持ってきたアイスコーヒーをすすった。
〈専属パイロットの精神衛生管理も、私の職務の一つです。そのための職能支援機能が搭載されていることをお忘れですか?〉
「…………」
今日のレラは、やけに饒舌だ。
これもアリスとの交流の成果なのか?
俺以外の人間──アリスは機械人だが──と歓談する機会なんてほとんど無いレラにとって、どうやらアリスとの対話は新鮮な刺激だったようだ。
その経験が機上戦術支援システムとしての機能向上に繋がるとは思えないが、レラがどこまで人間くさくなるのかは興味がある。
俺も、少しおしゃべりに付き合うとしよう。
「なら、せっかくだからレラ先生の診断を聞いておこうか。お前からみて、最近の俺はどうだ?」
〈エステルとの深い交流が心的活力を与え、精神面は充実していると推察します。彼女の存在はあなたの生存本能を励起し、士気を高めてくれることでしょう。
他方、身体面には若干の不安があります〉
「どうしてだ?」
〈男性にとって、過度の性交渉は腎虚をもたらすからです〉
腎虚とは、あまり耳にしない言葉だが、要するに衰弱状態のこと。
俗に〝やりすぎ〟を意味する。
「いちゃつくのも程々にってか? 御忠告、痛み入るよ。ところで、お前、デリカシーって知ってる?」
〈その概念を理解はしていますが、今あなたに適用する必要はないかと〉
「認知プロセッサに物理キーボードを直結して、〝親しき仲にも礼儀あり〟って百回ぐらい入力してやろうか」
〈慎んでお断り申しあげます〉
素っ気なく応えるレラだったが、そのバカ丁寧な言い方は彼女なりの茶目っ気なのだろう。
「じゃ、お返しに今度は俺がカウンセリングしてやるよ。レラ、お前が今、感じている不快感の正体は、嫉妬というやつだ」
意趣返しとばかりに、俺は遠慮無く言ってやった。
〈私がエステルに嫉妬している、というのですか?〉と、レラ。
声に怒りを感じはしないが、言葉尻には不快感がにじんでいる。
「違うと断言できるか?」
〈……判断しかねます〉
人の情動は快楽原則に則った現象だ。
あらゆる感情は〝快〟か〝不快〟かに帰結し、あらゆる欲求は〝快〟の最大化、ないしは〝不快〟の最小化を目的としている。
レラやアリスのような固有人格型AIは、そうしたヒトの心的メカニズムを数理統計学的に簡素化した〝人間味の模擬再現装置〟なわけだが──
簡素化とは必要不可欠ではない要素を削ぎ落とす作業であり、純化ともいえよう。
ある意味、AIの心情は人間よりも純粋なのだ。
だから時として、
「嫉妬の根源は、自分をより快適な状態に置こうとする生存本能だ。つまり怖れてるんだよ、お前は。俺をエステルに独占されることを」
こんな恋する乙女のようなことも起こりうる。
あるいは、弟や妹に親を独占されまいとする幼児の〝赤ちゃん返り〟に近い現象なのかもしれないが……
どちらにしろ放置すれば好ましくない認知偏向を生みかねないし、一応、釘は刺しておこう。
「その恐怖を俺への苛立ちとしてぶつけるのは構わんが、エステルとは仲良くしてくれないか。これは命令ではなく、お願いだ」
〈私にとって最も重要な人間は北斗、あなたです。エステルがあなたにとって重要かつ有益な存在であるなら、私が彼女を拒絶することはありえません〉
「論理的には、そうだろう。が、感情はときに論理を超越するからな。お前をただのAIではなく、相棒だと思っているからこその頼みだと理解してくれ」
〈──了解です〉
「しかし、ヤキモチとはね──意外と乙女なんだな」
〈デリカシーというものを御存知ですか?〉
「知ってるよ。お前よりは」
笑って、俺は操作盤でもあるHADに手を伸ばす。
艦隊の専用ネットにログインし、最新の仮象演習のデータを検索しようとしたところで、エステルがやってきた。
航空戦闘服の内着であるタンクトップにGAIAの制服のスラックスという、いつも通りの不思議な格好で。
◆ ◆ ◆
前衛戦闘機のコクピット・シェルは、甲殻という名の通り堅牢なカプセル型で、それ自体が脱出ポッドとなる。
基本的に全機種共通の、規格化されたモジュールだ。
「上がってきなよ」
俺はコクピットから身を乗り出し、エステルに手招きをした。
降りるのが面倒だったわけじゃない。
乗り降りしやすいよう、レラシゥのコクピット・シェルには機体からややせりあがる機構があり、キャノピーを開いた状態ならシェルの縁に腰かけることができるからだ。
「──どうだった?」
「最悪です」
コクピット・シェルの縁に円やかな尻を置いたエステルは、俺の問いに肩をすくめた。
「しばらく艦隊を離れることになっちゃいました」
「そうか……」
俺は渋い表情で腕を組む。
エステルは今朝方から脇腹に疼くような痛みを感じるようになり、艦内病院で検査を受けていたのだが──
しばらく艦隊を離れるということは、ここでは対処できない傷病が見つかったのか。
詮索するのはどうかと思うも、やはり気になる。
「詳しく訊いてもいいか?」
「うん」
小さく肯いて、エステルは説明してくれた。
いわく、体内埋設機器のひとつである強制呼吸モジュールと肺の接合部分が断裂しかけ、炎症を起こしているらしい。
オペレーション・キャノンボールの作戦行動中に、耐G限界を超える負荷を受けたせいだろう。
この場合、傷んだ部分に合成組織を移植する再建治療が最適なのだが、いかんせんエステルの遺伝子は特殊なため、本艦に常備されている汎用幹細胞が適合しないのだという。
「──で、思いがけず里帰りすることになっちゃいました」
エステルは再び肩をすくめてみせた。
里帰りということは、〝生家〟であるアウローラ社の技研で治療をうけるのか。
その場所は、たぶん社外秘なのだろうから、訊くのはやめておこう。
それに俺としては、
「復帰まで、どのぐらいかかりそうだ?」
こっちのほうが、ずっと気になる。
「早くても三週間、だそうです」
「三週間か」
「さびしい?」
不意に、エステルは悪戯な笑みをみせた。
「まぁ、ね」
らしくもないくすぐったい会話に、思わず苦笑と自嘲が入り混じる。
「僕もです。まあ、おかげでシグルーンに乗れるのは、ちょっと楽しみですけど」
「……? シグルーンに?」
「うん。ちょうど、シグルーンが試験航海を切りあげて真珠湾のドックに向かうんで、便乗させてもらうことになったんです」
なるほど、エステルの故郷はハワイなのか。
ハワイにアウローラ社の研究開発拠点があるとは初耳だな。
もっとも、その存在自体が禁忌といっても過言ではないエステルを生んだ技研なら、偽装されていても不思議はないが。
「というわけで──」
ここで、エステルは明らかに含みのある間をおき、
「──北斗とレラに提案があるんですけど」
俺の顔とレラシゥのHADを順に見てから言った。
どちらかというとレラに語りかけているようで、察したレラが問い返す。
〈私にもですか?〉
「うん。僕がいないあいだ、ウェンディを君の無人僚機として使って欲しいの」
それは意外な申し入れだった。
専属無人僚機のAIは長機の挙動のクセに馴化しているから、他機に付いても普段通りの性能は期待できない。
必然的に生還率も下がるだろう。
当然、エステルもそのことは解っているはず。
にもかかわらず、愛機と同じぐらい大切にしているであろうウェンディをレラに預けるとは──
〈よろしいのですか? 私ではウェンディの性能を活かしきれませんが〉
「大丈夫。あの子は単機でも充分に闘えるだけの経験をつんでるから、少なくとも足手まといにはならないはず。完全自律モードで君の直衛にあたらせれば、君の負担にはならないでしょ?」
〈──はい。ならば私に異存はありません。北斗の判断に従います〉
そのレラの返答を受け、エステルは俺に視線を送ってくる。
俺たちにウェンディを託すのは彼女からの信頼の証であり、自分が抜けることによる小隊の戦力低下を少しでも和らげたいという気遣いでもあろう。
なら、断るという選択肢はあるまい。
「わかった。ありがたく使わせてもらうよ」
「うん。あの子をよろしくね、レラ」
〈はい。お気遣いに感謝します。エステル特務少尉〉
それからしばらく雑談を交わし、エステルは離隊の準備があるからと帰っていった。
俺はレラとファルコの戦闘記録をウェンディに送り、三機での仮象演習の準備にかかる。
すると、
〈ところで北斗、ひとつ疑問があるのですが〉
思い出したように、レラが訊いてきた
「なんだ?」
〈合成組織移植に使われる汎用幹細胞は、人種や性別などを問わず、全てのヒトに適合するはず。何故、エステルには適合しないのですか?〉
「……特別なんだよ、あの子は」
〈規格外ということですか〉
「そんなところだ」
俺は解答を濁した。
エステルの驚くべき〝秘密〟は、レラといえども軽々に明かせることではない。
〈なるほど。気になりますが、追求するのはやめておきます。私にもデリカシーがありますので〉
「言うようになったな」
〈あなたの教育のおかげです〉
重ね重ねの減らず口に失笑する俺だったが、嫌な気分ではなかった。
◆ ◆ ◆
翌日。
エステルを乗せたシグルーンは、パールハーバー基地からやってきたルーフ級護衛艦にエスコートされつつ、艦隊を離脱した。
一方の艦隊はというと、今もPD28が沈んだ海域に停泊している。
ほぼ原形を残したまま沈んだパンデモニアムは、XENEMSのオーバーテクノロジーを満載した、まさに宝舟。
そいつを漁るべく本部から派遣される鹵獲部隊が到着するまで、艦隊はお宝の見張り番というわけだ。
そうして40時間あまり。
くしくも我がデルタ中隊が待機シフトに入ったと同時に、敵さんがやってきた。
例によって大気圏降下ポッドが一機。
標的は、間もなく到着する鹵獲部隊か?
あるいは我々か?
いずれにしろ、お宝を渡すまいとする妨害工作に違いない。
そう、思っていたのだが──
〈戦術観測機より入電。デモンズエッグの軌道が南方に変移〉
「南方? こっちに来るんじゃないのか?」
出撃した矢先のレラの報告に、俺は一瞬、混乱しかけた。
しかし、すぐさま悟る。
「標的はシグルーンか!」
思わずそう叫ぶや、俺の左手は無意識のうちにスロットルを最大にしていた。
──TO BE CONTINUED──
いかがでしたか?
多少なりとも興味深いとか面白いとか思ってもらえたなら、☆をポチっていただけると励みになります。
もちろん1個でもありがたや。
ついでに他の拙作も読んでもらえたなら、もれなく感涙にむせぶのであります。
では、また。
いつか、どこかで──