568.蓮華side1
アーネストが家を出てから、私は読書を続けていた。
魔法や魔術といった元の世界には無かった力の習得にばかりかまけていて、この世界の歴史については無頓着だったからだ。
元居た世界で言えば、日本では戦国時代の事だったり、中国では三国志の事だったり。
って、全部戦いに関係してしまうあたり、アーネストの事をとやかく言えないな。
幸いこの世界は、地上では大きな戦いは起こっていない。
それでも魔物の氾濫等、小さな争いはあったようで、騎士団が出来たようだ。
人間同士の争いが無い。それだけでもこの地上は元の世界より平和だと思う。
魔物や人間以外の種族も沢山いるけれど、その争いが無い。
いや、実際には記されていないだけで、あったのかもしれないけれど。
ただあったとしても、超越的存在が監視してるからね。
おいたが過ぎると人知れず消されているかもしれない。
『やーねぇレンちゃん。私がいちいちそんな事全部に気を割くわけないよー。だから国王を12人用意したんだし、ね?』
なーんて事を話したら、母さんは笑いながらそう言ったので、多分存在自体が抑止力になってるんだろうな、うん。
「あ、送りすぎた……」
考え事をしながらやったせいで、失敗してしまった。
枯れていた花に魔力を送って回復させていたんだけど……許容量を超えて回復させてしまったらしく、砂になり空中に溶けていった。
「薬も過ぎれば毒になる……って事だよね。うーん、回復魔法なのにやりすぎると下手な攻撃魔法より怖いね……」
「あははは! そんな事気にするのはレンちゃんくらいだろうけどねー!」
「母さん」
庭で花の前に座り込んでいた私の後ろに、真っ黒いローブに身を包んだ、まさに魔女って感じの母さんが優しく微笑みながら立っていた。
「勿論意図的な回復系魔法の反対の効果を持つ魔法もあるけどねー。でも、純粋な回復魔法をそのままに反転させるのは、相手より数倍は魔力量が無いと不可能だからね。そんな事が可能なのは、ユグドラシルのとてつもない魔力量を受け継いでる、レンちゃんくらいなものだよー」
「母さんでも無理なの?」
「私は相手次第かなー? 大抵の相手には出来るだろうけど、回復魔法のまま使ったりはしないかなぁ。通常より多くの魔力を使ってしまうからねー」
「成程……」
私が次の花を手に取ると、母さんは並んで座り込んだ。
「ふふ、本当にレンちゃんは花が好きなのね」
「うん。昔は気味悪がられたりしたけどね。男なのに花が好きなのかって」
「そっか。心無い人が居たんだね。私がその場にいたら、そいつがいっそ殺してくれって願っても殺さないまま苦しめてやるんだけど」
「……」
母さんが黒いオーラを纏ってそう言う。周りに居た動物達が、足を振るわせて逃げようにも逃げれなくなっているんだけど。
「母さん、落ち着いて。それでも付き合ってくれた友達は居たし、そんな人ばかりじゃなかったから」
そう、私の趣味を知っても、変わらず接してくれた友達は居た。
お互い会社に勤めるようになってからは、たまーに連絡を取るくらいになってしまったけれど。
元気で過ごしているだろうか。
「……ごめんね、レンちゃん。私は、私の都合でレンちゃんとアーちゃんを……」
「ストップ。その話はもう決着つけたつもりだよ母さん。私もアーネストも、この世界に呼ばれた事を嬉しく思ってる。第二の故郷って言うのかな、勿論私を生んでくれて、育ててくれた父さん母さんに感謝してる。だけど、結婚もせずにただ働いていただけの生活だったし、結婚したら家を出ていただろうからね。どの道いつかは離れる事になってた。アーネストが別れを告げてくれてるから、その点ももう切り替えてる。だから、そんな顔しないで。今のはちょっと、懐かしく思っただけだから、ね?」
「レンちゃん……うん、ありがとう」
母さんが悲しい顔をするのは、見たくない。
これは私の本心だ。
この世界に来てから、ずっと私達の事を大切にしてくれる。
負い目があるのは知ってる。だからこそ、気にしないで欲しかった。
私もアーネストも、本心からこの世界で家族になった皆が大好きなのだから。
「レンちゃん、また花が!」
「あっ!?」
無意識にまたやってしまった。
「そーだレンちゃん、時間操作系の魔法使えたよね?」
「うん、一応」
「なら、回復する前に戻しちゃえばどうかな?」
「あ、そっか!」
成程、それは盲点だった。
色んな事が出来るようになった反面、思いつかない事が増えた気がする。
というわけで、今度は時間を戻してみた。
「……これは種だね、レンちゃん」
「少しだけのつもりだったんだけど……調整難しいね……」
「ふふ、時間はたくさんあるんだから、要練習だねレンちゃん」
「うー、もう練習からは逃れたと思ったのに、こんなところに落とし穴がー」
「あははは!」
母さんが笑う。うん、私は母さんの笑顔がどうしようもなく好きらしい。
心があったまるというか。
私まで嬉しくて笑顔になってしまう、そんな感じ。
「うう、レンちゃんが可愛いよー!」
「ぐぇっ……」
そしてまた抱きしめられる。ローブの中には直接下着なのか、全身が凄く柔らかい母さんに包まれると少し落ち着かない。
まぁアリス姉さんもよく抱きついてくるんだけど、それとは違った感触が伝わってくる。
「そういえば母さん、アーネストが行くのをよく止めなかったね?」
いや止めてはいたけど。兄さんと共に。
「まぁー……うん。思い付きで言ったわけじゃなかったからね。それに、私もロキも、それにアリスも……二人が本気でしたい事なら、究極的には止めないよ」
成程、それは確かに母さんらしい。
「ただ、あの神島にはその名の通り、神が居るんだけど……あいつが茶々いれてなければ良いんだけどなぁ」
「あいつ?」
「神界に居た頃に、何度か顔を合わした程度なんだけどね。この地下世界……あ、地下世界って呼び名は、天上界より下に存在する全ての大陸の総称でね。その地下世界に降りた数少ない神なんだけど……ちょっと、お転婆なところがある神でね」
ふむ……母さんをしてそう言わせる神という事は、中々にいい性格をしているのかもしれない。良い意味ではなく。
「まぁアーネストなら大丈夫なんじゃないかな」
「ふふ、そうだね。今日はどうするのレンちゃん?」
「んー……何も決めてないんだよね。アーネストが行動を起こしてるのに、何もしないでいるのもアレなんだけど……ゼウスって神が私を探してて、攫いに来るかもなんでしょ?」
そう言うと、母さんは真面目な表情で言った。
「私やロキ、アリスが全力で止めるつもりだけど、それでも戦力比が今のままじゃ厳しいかな。ゼウスの力自体が私やもしかしたらロキと同等。それに加えてゼウスにはオリュンポス十二神って呼ばれる神達が居てね、これもまた凄く強い力を持った神々なの。流石にこれらを全部相手出来るだけの力は……私達でも無理、かな」
母さんや兄さんが負ける姿は想像も出来ない。
だけど、冷静な母さんがそう判断しているのなら、きっとそうなんだろうけど……でも。
「母さん、その戦力分析は、一つ違う所があるよ」
「え?」
「私"達"を含めてない。そりゃね、母さん達に比べたら、劣るかもしれない。だけど、攫われたって私は戦うし、アーネストにミレニア、それにリンスレットさん達だって、力を貸してくれるかもしれない。私達には思っている以上に、味方は多いはずだよ。それに、そんな味方を増やす為に、アーネストは行動してる」
「!!……ふふ、そうだね。レンちゃんを励ますつもりが、こっちが励まされちゃったね。うん、だからこそ、したい事があれば好きにやって良いからね、レンちゃん。それでレンちゃんに手を出して来たら、全面戦争も辞さないから安心して」
それは安心して良い部分じゃない気がするんだけど、今は何も言わないでおこう。
そのまましばらく、私は花を癒していった。
母さんは何をするでもなく、ただ私の横で優しい表情を浮かべながら、見守ってくれていた。