70話.妖怪⑦
妖怪の王、リオンさん。
母さんより紹介を受けたその妖怪は、ライオンが二足歩行しているかのような印象を受けた。
元より妖怪なので人型の方が少ないらしいけどね。
そして母さんへと伝えた内容を、母さんがリオンさんへと伝えてくれている間、私は先程の妖精の女王について考えていた。
ティタニア=フェア=モルガン。妖精国の女王。
そんな人、と言って良いのか分からないけど……姿は人と変わらなかった。
いや、人離れした、幻想的な美しさだったけど。
黒いボンテージのような服の上から、白いローブを羽織っていた。見る者の目を奪い、一瞬で虜にしてしまうかのような端正な顔立ち。
まるで傾国の女性だ。母さんやミレニアといった、絶世の美女に見慣れている私ですら、素直に美しいと思った。
だけど、母さんに何かしようとしている姿を見て、感情が勝った。
だから、動けた。結果的に母さんを救う事が出来たけれど……
「邪魔が入りましたか。その姿、ユグドラシルのようですが……違いますね」
その瞳で見つめられて、体が硬直した。負けじと、なんとか口を開けた。
「私は蓮華。蓮華=フォン=ユグドラシルだ」
「!!……成程。私は妖精国が女王、ティタニア=フェア=モルガンと言います。以後お見知りおきを」
優雅に一礼する彼女に、また見惚れてしまう。
「多勢に無勢、今回は引くとしましょう。千載一遇のチャンスと思っていたのですが……マーガリンの仲間がまだこれ程いるとは思いませんでしたから。それでは、また」
彼女はそう言って去った。まだこれ程いる、と言った。つまり、彼女は母さんの事を昔から知っている事になる。
母さんを狙っていたみたいだから、当たり前かもしれないけれど……どうして母さんを狙っていたのか。
そして、彼女がまだ母さんを諦めていないのなら、また襲い掛かってくる可能性が高い。
その時、私とアーネスト、アリス姉さんで母さんを守れるだろうか。
勿論母さんもその時は戦ってくれるだろう。
けれど、彼女から感じた力は……正直に言うなら、ここに居る誰よりも強い気がした。
「蓮華?」
「!!」
「どうした? 深刻な顔してんぞ?」
アーネストが私を心配して声を掛けてきた。
母さんやリオンさんも、一旦会話を止めて私の方を見ていた。
「……ちょっと、さっきの女性の事を考えてたんだ」
「なんだ、もしかして恋したのか? 分かるぜ、めっちゃ綺麗だったもんなぁ」
「違うわっ!」
思いっきりパンチを鳩尾に当てる。アーネストは手で受けようとしたがそれは空振り、直撃した。
「ぐぽっ……! ざ、残像、だと……!?」
「いやまっすぐ殴っただけだけど……」
「何やってるのアーくん、蓮華さん……」
アリス姉さんに呆れられたけど、本当にただまっすぐ殴っただけなんだよね。
きょろきょろと周りを見渡した母さんが、何かに気付いたようで、何もない所を指でつつく。
すると、パリンという音と共に何かが割れた音がした。
「どうやら、ここにも結界が施されてたみたいね。全く、相変わらず用意周到なんだからモルガンは」
はぁ、と溜息をつきながらそう言う母さんに、質問する。
「ねぇ母さん。あのモルガンって人と知り合い、なんだよね?」
「そうね、仲間……だった時もあったわね。向こうがそう思ってるかは、分からないけれど」
母さんが苦笑しながらそう言う。なんか意外だ、母さんは誰とでも仲良くなりそうなのに。
「モルガンは自分の理想郷を追い求めて、地下世界へと降りた。それから世界の裏を創り上げたの。それが、この世界。妖怪の世界と妖精の世界と分断したけれどね」
「ああ。俺はこっち側を、モルガンはあっち側を管理する事にした。たまに俺とモルガンは交流もしてんだが……まさかマーガリンに手を出すとは思ってなかった。完璧に俺の落ち度だ、すまねぇ」
そう言ってリオンさんは母さんに頭を下げる。
母さんは苦笑しながら『良いのよ』って言ってるけど、また来る可能性が高い以上、油断はできない。
その事を伝えたけれど、意外にも大丈夫という返事だった。
「モルガンは確かに強いけれど、恐ろしい所は知略の方よ。今回のように、誰にもバレずに陣を仕掛けたり……ね。だから、正面から来ることは無いと思うわ」
それ、正面からくる方が楽なので、かなり厄介な相手って事では。
「それに、どうしても私が欲しいなら、あそこで引かなかったと思うの。私を倒すんじゃなくて、確保が目的なら……モルガンが全力を出せば、確率は半々だったはずよ」
「「!!」」
母さんが動けて、私達も居て、それでも半分の確率で母さんを捕える事ができたって言うのか。
それを母さんが言うのだから、信じるしかないけれど。
私は悔しさに手を握りしめる。
「あっ……えっと、アーちゃんやレンちゃんの実力はこの場合関係ないの。要は私を拘束して、私だけを連れて逃げるって事だからね?」
「モルガンは神代魔法を使えるからね。一時的に、相手が神であろうと完全に拘束する魔法が扱えるの。あれは、例え創造神であっても防げない」
「「!?」」
アリス姉さんの言葉に驚愕する。それは魔法の事もそうだけど、創造神っていう言葉が出てきたからだ。
「こと魔法っていう意味では、モルガン以上はいないってくらいだから。対等と言えるなら、マーガリンくらいだよね」
「昔は、ねー。今ではもう負けてる可能性が高いよー。なんたって、私はサボってるからねぇ」
くつくつと笑う母さんに、アリス姉さんも『そだねー』と言って笑う。
あれ、なんで二人共そんなに呑気なんですかね。
「えーと、俺には理解が追いつかねぇんだけどさ。それ母さん以上の相手って事になんだろ? そんな奴に狙われてんなら、もっと危機感もった方が良いんじゃねぇの?」
アーネストの言葉に私は同意する。
だけど、母さんとアリス姉さんは顔を見合わせて、笑った。
「ああ、モルガンなら大丈夫よ」
「モルガンなら大丈夫だねー」
「「?」」
もはや私とアーネストには頭に疑問符を浮かべるしかない。
どういう事なの?
「モルガンの理想郷はね、恒久的な平和。争いの無い、平和な世界。それを完璧に創っているの」
「「!!」」
それは、どの世界でも掲げて、成し得ない世界だ。
どんな空想の世界でも、それを成し得た世界は存在していないと思う。
「彼女の妖精国では、それが実現しているの。妖精達は女王であるモルガンの統治の元、一切の争いをしない。この数千年、何も変わらない世界、それが妖精国よ」
そんな世界が……。
「まぁ、停滞が幸せなのかとか、そういった事を言う者は居るだろうけれど……外と触れなければ、案外分からないものなのよ。そして、妖精は妖精国から絶対に出ないからね」
「そこでは、妖精達は幸せに暮らせているって事?」
「そうね、それ以外の幸せを知らない妖精達は、幸せなんじゃないかしら」
「……」
それは本当に幸せなんだろうか。とはいえ、そこを見ていない私が口を出すべきことじゃない。
「それがなんで大丈夫になるんだ?」
「つまり、モルガンは個人的に私を招待したいわけね。だけどそれを面と向かって言うのは照れくさいから、こんな事をしたっていうわけ。で、その意図はこうして伝わっているから、彼女はすでに目的を達しているの。ほら、最後に『それでは、また』って言ってたでしょ? あれ、アーちゃんにレンちゃんも連れてきてねって意味よ」
「「……」」
わ、分かるかー!
「まぁモルガン、ちょっとコミュ障だからねー」
アリス姉さんがうんうんと頷きながらそう言うけれど、なんなの、最初のイメージが音を立てて崩れて行くよ!
「あいつ見た目がな、神々しすぎてな……誰も近づけないからよ……。自然とボッチでな……俺やマーガリン、ユグドラシルやアリスティアくらいしか話しかけて無かったからよ……」
リオンさんが悲しそうな顔で言うけど、そんな話聞きたくなかったよ……。綺麗すぎて誰も話しかけられなかったとか、ホントもうね……。
「そっか、なら私の嫌な予感はモルガンさんじゃなかったんだね……」
「嫌な予感?」
「あー。蓮華さん、マーガリンが帰ってこなかった時に、嫌な予感がするって言ってね。だから必死に探してここまで来たんだよー?」
「成程……でもそれは、案外当たってたかもしれないわね」
「「「え?」」」
「空を見て」
母さんに言われて、窓の外を見る。
先程まで青い空が広がっていたのに、そこに凄まじい大きさの亀裂が出来ている。
「次元刀、だったかしら。誰が扱っても斬れるようだけど、それは逆に言えば扱い手次第では、より大きな亀裂を生み出せるという事。あんな風にね」
亀裂の近くに、凄まじい大きさの何かが、居た。
「あれは……ダイダラボッチ!? 何故あいつがこんな事を……!」
リオンさんが叫ぶその名前は、私も聞いた事がある。
この世界でも同じかは分からないが、湖や山を作ったという事で有名な妖怪だ。
土木工事を助けたり、人間に割りと好意的な妖怪として知られていたはずだけど……。
私達は窓を開け、そこから飛んでダイダラボッチの元へと近づいた。