68話.戦女神アテナ来訪
蓮華が魔力の全てを使いきり倒れたのと同時に、ロキは何もない空間へと目線をやり、声を掛ける。
「それで、いつまでそこで見ているつもりですか?」
「ロキー、放っておいて良かったんじゃない?邪魔しなかったんだし」
「結界を素通りして来たのですよマーガリン。少しは警戒した方が良いでしょう」
「だって、こんな事が出来るのは限られてるし……見えなくても見当はついてるからねー」
ロキとマーガリンの視線を受け、魔法を解除して姿を現した。
要所のみを守り、動きを阻害しない身軽な鎧を身に付けたその姿は、戦乙女ワルキューレと似た服装をしている。
主神オーディンの直轄部隊であり、同じ鎧で統一された戦う天女達。
『ワルキュリア』と呼ばれる彼女達は、『神の正義』の名の元に行動をする。
「これは驚きました。まさか貴女とは……」
「戦女神、アテナ……!」
アテナは両手をあげ、敵意は無い事を示す。
「久しぶりに起きたら、クロノスから下界の話を聞いてな。それで、ユグドラシルの事を聞いたんだ」
アテナのすぐ傍で控える者を二人は見た。
天上界の大地神ガイアの息子であり、本来ゼウスやアテナよりも立場が上の神である。
最高神とも呼ばれ、元々神界に居た彼は、今はアテナと共に地上に降りている。
「クロノス、貴方程の神が地上に降りていたとは。道理で私やマーガリンでも、見つけられなかったはずですね。貴方の力で行方を眩ませていたわけですか」
ロキの言葉に、クロノスは微笑んだ。
「アテナ様がそう望まれましたからね」
「クロノスには感謝してる。私だけじゃ、世界樹の近くで静かに眠るなんて出来なかったから。他の神々ならともかく、ロキの千里眼を掻い潜れる自信は無かったから」
「やれやれ、それで今まで眠っていたお姫様が、今更何の用です?」
ロキの挑発とも取れる言葉に、アテナはただ笑う。
「ユグドラシルに、会いに来た。その子、なんでしょ?」
意識を失い、大精霊達に身を抱かれている蓮華に視線を移す。
大精霊達は蓮華を守るように、その前に立ちはだかった。
それを見て、アテナは微笑み、優しく伝えた。
「安心して欲しい。危害を加えるつもりは無いんだ。ただ、話がしたい。それだけなんだ、本当に」
優しい目をしてそう伝えるアテナに、大精霊達も警戒を緩める。
マーガリンとロキが動かない事も、判断材料となっている。
何よりも蓮華の安全を重視する二人が、何もしないからだ。
「ありがとう、信じてくれて。でも、その少女はユグドラシルではないだろう?」
「そうですね。そして、その中に居る者もまた、ユグドラシルであって、ユグドラシルではありませんよ?」
「はは、禅問答のようだな。良いさ、分かっている。それでも、会って話がしたい。記憶は、あるんだろう?」
その言葉に頷く二人。
アテナはゆっくりと蓮華の傍に歩む。
大精霊達は蓮華を寝かせ、少し後ろに下がった。
「ユグドラシル、頼む。出てくれないか。話がしたいんだ」
そう祈るように言葉を掛けるアテナ。
それに応えるように、蓮華の黒髪がユグドラシルの緑色の髪へと変わる。
「全く、マーリンもロキも、アリスもそうですが、皆寂しがり屋すぎませんか?」
「わ、私は違うよー!?」
「言うに事欠いて、何て事を言うんですかユグドラシル」
「寂しがってなんかないんだからねー!?」
三者三様に言い返してくるのを笑って見て、ユグドラシルはアテナの方を向いた。
アテナの瞳には、宝石のように零れる涙が流れていた。
「ユグ、ドラシル……!」
アテナはそのまま、ユグドラシルに抱きついた。
その顔を胸に埋め、ただただ泣いて。
そんなアテナを、ユグドラシルはただ黙って抱きしめていた。
「ロキ、アリス」
「……仕方がありませんね」
「うん。大精霊の皆も、一旦家に帰らせるね」
それを見た三人は、その場を後にする。
こみ上げる想いが抑えられない気持ちが、とても良く分かるから。
そうしてクロノスも姿を消しており、その場にはユグドラシルと、アテナのみが残された。
空を闇が覆い始め、星々が煌めき始めた。
「……落ち着いた?昔から泣き虫なのは変わらないのねアテナ」
「ち、違う。これは久しぶりだったから……!」
「そう?昔も良く泣いていたじゃないですか」
「今は違うんだ!私ももう大人なんだからな!」
「あらあら、ずっと眠っていただけの大人って、ダメな大人ですよね?」
「っ~!ユグドラシル、久しぶりに会ったのに、なんで苛めるんだ!」
「ふふ、ごめんなさい。懐かしくて、つい。……大きくなったわねアテナ」
そう言ってアテナの頭を優しく撫でる。
気持ちよさそうに目を細めるアテナは、まるで猫のようだった。
「言葉と行動が一致してないだろ!」
しかし、すぐにハッとして言い返す。
子供の頃に戻ったような懐かしさを感じつつも、アテナは笑っていた。
「はぁ、お前は変わらないなユグドラシル。見た目は小さくなってるのに」
「そのうち元の私くらいまで成長するでしょう。私の化身ですからね」
「化身、か。でも、ユグドラシルは今もそこに居る。世界樹として、ずっと。お前は、ユグドラシルの残滓なんだろう?」
「そうですね。私はいずれ消えるでしょう。記憶の残りカスのような物ですからね」
「……教えてくれ。どうしたら、お前を救える?その為なら、私の全てを捧げても良い」
アテナは真剣な表情でユグドラシルに伝える。
心からの言葉だった。
けれど、ユグドラシルは顔を横に振る。
「それは違いますアテナ。私は、犠牲になんてなっていません。だから、救うという言葉は違うんです」
その言葉に、アテナはハッとする。
自分はまだ、ユグドラシルは世界の犠牲になったと考えていた。
だから、ユグドラシルは否定する。
そうじゃない、ユグドラシルは望んでそうなったのだから。
「……すまない。言い方を変える。ユグドラシルを元に戻す方法は、無いのか?」
「無いですね」
「……そうか」
アテナは項垂れる。もしかしたら、ユグドラシルなら何か知っているのではないか、そう思っていたから。
けれど、その続く言葉にアテナは瞳を輝かせる。
「元に戻す方法はないですけど……世界樹を維持したまま、私とイグドラシルを存在させる事は、可能かもしれません」
「本当に!?」
アテナは身を乗り出して言った。
その言葉を、ずっと欲していたから。
ユグドラシルとまた、一緒に生きる事が出来るのなら。
「それは、どうすれば!?」
「落ち着きなさいアテナ。それにはまだ、蓮華の力が足りません」
「よし、蓮華を強くすれば良いんだな!?任せてくれ!」
やる気を漲らせるアテナに、ユグドラシルは溜息をつきながら答える。
「落ち着いてくださいアテナ。貴女が手を出したら、蓮華が死んでしまいます」
「そんな!?」
「貴女はアリスとは別の意味で手加減が出来ないのですから、本当に遠慮してくださいね」
ユグドラシルの言葉に、ずーんと沈むアテナ。
流石に不憫に思ったのか、ユグドラシルは言葉を掛ける。
「ただ、もしかしたら貴女にも何か頼むかもしれません。その時は、力を貸してくれますか?」
「!!も、勿論だ!いつでも言ってくれ!なんなら今すぐにでも……!」
「だから落ち着いてください。貴女は本当に、昔から変わりませんね……」
はぁ、と溜息をつきながらも、ユグドラシルのアテナを見る目は優しい。
それはまるで、手のかかる娘を見るようで。
「アテナ、ゼウスに気をつけなさい。彼は……」
ユグドラシルが全てを言い終える前に、アテナは頷く。
「分かってる。だけど、私とパパは多分互角。戦えば、手勢の差で負けちゃう」
「それで、私の件を理由に行方を眩ませていたのですか?」
「それは偶々タイミングが重なっただけで……というか、私はまだユグドラシルが世界樹に成った事、許してないから!」
アテナの言葉に、ユグドラシルは苦笑する事しか出来ない。
自分の本体が今何を考えているのか、それは自分にすら分からないのだ。
「それで、今日はこの後どうしますか?このまま帰る、わけないですよね貴女は……」
「当然。折角会いに来たのに、なんでこのまま帰るの。そこら辺で寝るから気にしないで」
「どうしてそんな所だけ野生溢れる回答をするんですか。はぁ……マーリンに話しますから、ついてきてください」
「本当!?やった!」
まるで少女のように笑うアテナに、ユグドラシルはやれやれと思いながら、家の中に案内するのだった。




