221.それから
「ぐ……ここは……」
「目が覚めたかの、大蛇」
木々に囲まれたその場所は、少しの空間が草原となっていた。
そこに寝かされていたのは、蓮華に倒されたはずの八岐大蛇だった。
「……何故私を助けた、メビウス」
「助けてはいない。お主は、体をもう失ったでな。今のお主はアストラル体ではなく、完全なアストラルボディになっているぞ?」
本体である体がありながら、精神体として行動している場合、アストラル体という状態となる。
しかし、その本体がなんらかの事情で存在しなくなった場合、完全な精神体、アストラルボディとなる。
アリスティアが正にその状態だ。
「そうか。それで、冥界の王であるお前が、何故地上に居る?」
「あやつが地上を気にかけていたでな。私も少し見に来たのだが……お主を見かけて、酒のつまみにしておったのだ」
そう言い、腰にぶらさげた瓢箪に口をつける。
「相変わらず、酒好きなのは変わっていないようだな」
「酒と温泉を知らぬのは、人生の半分を損していると思わぬか?」
そう笑って言うメビウスに、大蛇は同意しなかった。
「それで、もう一度聞くが、何故私を助けた?」
「助けておらぬと……まぁお主に回りくどい言い方をしても仕方ないの。冥界に来ぬか?」
「私がか?」
「ああ。以前のお主は、アストラル体だったでな。長くは留まれなんだが……今のお主なら、もう大丈夫じゃからな」
冥界は、魂の世界。
現世に肉体を残した者は、特殊な結界に身を包まなければ、冥界では存在できないのだ。
「完全なアストラルボディとなったから、か」
「そうじゃ」
考え込む大蛇。
その姿を、冥界の王メビウスは興味深げに見つめている。
「……良いだろう。折角の誘いだ、乗ろう」
「ほぅ、私が言うのもなんだが、断られると思っておったぞ?」
「少し、思う所があってな」
その言葉に、目を妖しく光らせるメビウス。
「ほぅほぅ。あのユグドラシルの娘に何か感化されおったか?」
「……黙れ」
「ふははっ!良いな、今のお主は昔より好感が持てるぞ?さぁ、ではゆこうか」
歩き出すメビウスに、大蛇は続く。
「レンゲよ。今しばらくは、安寧の時を過ごすが良い。私は必ず、この地上へ戻ってくる。その時は……」
そう呟き、大蛇は地上から姿を消した。
-天上界”ベルン宮殿”-
「これで、大丈夫でしょうウルズ」
「ありがとう、ラケシス……!」
そう言って、バルビエルを抱きしめるウルズ。
その姿を見て、ラケシスは慈愛の表情を向ける。
「ウルズ、貴女はようやく、周りが見えたのですね」
その言葉に、ウルズはハッと目を見開く。
この友人は、自分の事をずっと気にかけていてくれたのだと、その言葉で理解したのだ。
「……ありがとうラケシス。私、ユグドラシルと話せて、気がつけたの。私は、今が見えていなかった……ロキにも、言われたのにね」
ラケシスは微笑む。
友人の、久方ぶりに見る微笑みに、胸が温かくなるのを感じながら。
「ふふ、良いではないですか。全然、遅くはありません。それよりも、そろそろその子を解放してあげては?体を酷使させすぎていますから、その体も治療致しましょう」
「あ……ええ、ごめんねラケシス」
「ふふ、貴女からお礼と謝罪ばかり聞くのはくすぐったいですから、もう良いですよ。その代わり……」
「そ、その代わり……?」
ゴクリと喉を鳴らすウルズに、ラケシスは笑う。
「今度からは、お互いに宮殿を行き来してお花見でもしましょうね」
「!!……ええ、そうね」
天上界の最高神であるニ神。
ウルズと交流を持たなくなってから数千年が経っていた。
それは、お互いが過去を想い、今を見ていなかったから。
すぐ傍に、同じ悩みを抱えた友が居たのに。
二人はまた、同じ時を歩みだす。
空白の時間を、取り戻すかのように。
「ロキと会ったら、今度は叱られないかしら……?」
ふいにそう零すウルズに、ラケシスは苦笑してしまうのだった。
「ぎゃー!!もう勘弁してぇー!?」
「こら!逃げんな蓮華!取り押さえろ皆!」
「「「おおおおっ!!」」」
なんなのこの一体感はぁ!?
「蓮華さん、大人しくしろぉ♪」
アリス姉さん、楽しんでますねぇ!?
「確保ですわっ!!」
カレンに背中から抱きつかれ、地面に転がる。
「ぐはぁ……!か、カレン、躊躇なく体当たりは酷いよ!?」
「だって、蓮華お姉様が逃げるからですわ」
「です!」
そう言ってアニスまで抱きついて……いや、捕縛してきた、縄で。
「あ、アニス、どうして縄で縛るのかな?それもカレンごと……」
「カレンお姉様なら、蓮華お姉様と一緒なら喜ぶので大丈夫です」
「そういう問題じゃないよ!?」
「流石アニスですわ、もっときつく縛っても構いませんのよ……!」
「はい……!」
「はいじゃないからっ!!だって、痛すぎるんだよぉ!!」
そう、私は八岐大蛇と戦った時の後遺症が出ていた。
自身の許容量を超える力を行使したことによって、常に纏っていた障壁がなくなり。
更に魔力が一切使えない。
母さんが言うには、一時的なもので、体がビックリしてるだけだから、すぐ治るよって言ってくれたけど……。
で、今はその体を癒すために、マッサージという名の拷問を受けていたんだけど……。
「バニラおばぁちゃんの施術、容赦なさすぎなんだよ!?皆も受けて見てよ!?」
そう言ったら、露骨に目を逸らす皆。
おい、それは良く知ってるのと同意だからな!?
「さぁレンちゃぁーん。観念しなさいねぇ?」
バニラおばぁちゃんが、手をわきわきしながら近づいてくる。
「ひっ!?い、いやだぁぁぁぁっ!?」
叫ぶも、縄に巻かれてて動けない。
私はカレンごと連行された。
そして医務室では、私の叫ぶ声が木霊していた。
「おー、レンゲさんの叫び声が木霊してるねアーネスト」
「はは、まぁしょうがねぇよ。今のうちに体を解しておかないと、マナが戻った時にすげぇ痛みを伴うらしいからな」
「愛の鞭って事だね。アーネストは楽しそうだけど」
「はは、あの蓮華が本気で嫌がってるのが分かるからな、面白すぎるだろ」
「妹想いの兄だことで」
そう笑いあう二人に、春花はぷんぷんと怒る。
「もうお父さん!それにアーネスト様!蓮華様本気で苦しんでるんだから、メッですよ!」
「はは、すまねぇ」
「い、いや、俺は違うよ春花!?」
「アーネスト様と一緒に笑ってたので、同罪です!」
「ぐはぁ……!?」
四つん這いになる明に、アーネストは更に笑いだす。
「ま、蓮華の周りにはアリスも居るしな。そいや、ダンスは中止にならずに延期って事になったけどさ、春花ちゃんも一緒にやってみるか?」
「あの、私学園生じゃないですアーネスト様……」
「あぁ、そういやそうか」
その見た目で、アーネストは勘違いしてしまうのだ。
「さーて、休憩も終わりだな。俺は生徒会から逃げるからよ、明も親子水入らずの時間、楽しめよ」
「ああ。春花はもうしばらく、こっちに居るからね」
「はいです。バニラ様が、ダンスパーティが終わるまで休暇で良いって言ってくれましたので!」
「そっか。やれやれ、この学園内だけでも処理が山積みだからな……あの量は流石に……」
「会長!見つけましたよ!!」
「ゲッ!?アリシア!」
「私に全て押し付けるとか酷すぎますからね!?今日という今日は、絶対に逃がしません!タカヒロ、そっち!」
「おう!」
「な、タカヒロさんまで!?」
「流石にあの量は俺も捌けん。机が書類で埋まってるぞ、観念しろアーネスト」
「うげぇ……」
逃げる事を止め憔悴するアーネストに、明と春花が笑う。
そうして、アーネストもアリシアとタカヒロに連行されていった。
「さて、俺達も何か手伝える事をしに行こうか春花」
「お父さん、どうしてそれをアーネスト様に言ってあげないんです?」
春花の純粋な疑問に、明は笑顔で答える。
「友達に面と向かって言うのは気恥ずかしくてね。あいつは会長室で仕事をするはずだから、その外の部屋で皆の手伝いなら、さりげなく手助けができるだろう?」
「お父さん……ふふ、私も手伝える事があるなら、言ってくださいね!これでもデスクワークは得意なんですよ!」
「そうか、春花もこの世界で仕事をしてきたんだったね。俺よりももう先輩かもしれないね?」
「あはは!」
二人の親子は、笑いながら生徒会室へと足を運ぶ。
空から暖かい光が差し、ゆるやかに時は流れていた。
-その夜-
「ま、まさか一日中施術を受けるなんて思ってなかったよ……」
部屋の中でぐったりする私に、アリス姉さんとセルシウスが苦笑する。
「蓮華さんが逃げなければ、もうちょっと早く終わったと思うよー?」
「いやだって、あれ痛すぎるんだよ……こう、雑巾を絞るみたいに体を絞ってくるんだよ?死ぬよ……」
「ま、それも今日で終わりでしょう?明日からは、ダンスの練習を再開するのよね?」
「そうだね。別に中止でも良かったのに……」
遠い目をする私に、二人も苦笑する。
「蓮華さん、マーガリンにロキ、それにミレニアも来るって言ってたから、例え中止にしててもする事になったんじゃないかなぁ」
……うん、ミレニアはともかく、あの母さんや兄さんなら、するな。
「それでね、蓮華さん」
いつになく真面目な顔で話しかけてくるアリス姉さんに、私も居住まいを正す。
「なにかな、アリス姉さん」
「ユーちゃんはどこ?」
「へ?」
「ユーちゃん、居たよね!?蓮華さん、ユーちゃんを隠してるよね!?」
「お、落ち着いてアリス姉さん!?別に隠してはないよ!?」
「だって、あの時ユーちゃんだったよね!?ユーちゃんだったもん!」
激しく興奮してるアリス姉さん。
ダメだ、私じゃこうなったアリス姉さんは止められない。
ユグドラシル、へるぷみー!!
"はぁ……蓮華、貴女何も説明しなかったんですか……"
いやだって、する暇一切なかったよね!?
あの後、シオンさんが倒れてて、治療に取り掛かって。
それで一日過ぎて、翌日は私が倒れちゃって。
その間に、外では母さんが全国の王様達と話をして、修繕にかかる費用を全て母さんが負担してくれるとか、凄い話をテレビで聞いて。
税率とかもしばらく10分の1になるみたいだった。
まぁ、国ごとの話は私には分からないけど。
で、私は私でその後治療を受け始めて、今の今までゆっくり話す事もできないでいた。
「落ち着きなさいアリス。これで良いですか?」
髪が緑色に変わり、ユグドラシルが表に出る。
セルシウスも滅多に見せない驚いた表情をしていた。
「ユー……ちゃん……ユーちゃん!!」
アリス姉さんが、抱きついてきた。
いつもの力強い抱擁ではなく、酷く弱々しい抱きしめ方だった。
そんなアリス姉さんを、ユグドラシルは優しく抱きしめ返した。
「アリス、久しぶりですね。マーリンの為に、その身を無くしてしまったのですね……」
「そんな事、別にどうだっていいよ!それよりユーちゃんが……!」
「また貴女はそうやって、自身の事をないがしろにするんですから。いけませんよ、大事な事でしょう?」
「それ、ユーちゃんにだけは言われたくない……」
「あら、そうですか?」
なんて、二人微笑み合う。
うん、私の知らない時間が、二人にはある。
それが分かるから、ちょっと寂しい気持ちもあるけど……二人が本当に仲良しなのは、今の会話だけでも分かった。
ユグドラシルを、なんとかこの世界に戻してあげられないかな……。
そう考えていたら、ユグドラシルが言う。
「アリス、私がこの世界に現界できるとしたら、精霊女神であるアリスの力が絶対に必要になります。なんとか、体を戻してくださいね?」
「え、えぇぇ!?なにそれ、それを先に言ってよぉ!?」
「いえ、私も気付いたのは蓮華やアーネスト、それにノルンを見てだったので。あの時は気付いてませんでしたから」
「ぐぅ、相変わらず、しっかりしてそうで抜けてるんだからー!あれ、なんか、そこはかとなく蓮華さんもそうなような……?」
なんで私がそこで登場するんでしょうかアリス姉さん。
セルシウスなんかめっちゃ笑ってるんですけど。
「ふふ、というわけで、なんとか体を取り戻してくださいねアリス?」
「あうぅ……後でマーガリンとロキにも相談してみるよ……」
アリス姉さんの本当の姿か、どんな姿なんだろう。
今でも天使みたいに可愛いのに。
「そうですね、アリスの本体は凄く美人ですよ蓮華。このアリスをそのまま成長させた感じですから」
「ふぇ!?」
「あ、ごめんなさいアリス。蓮華が今でも天使みたいに可愛いのに、どんな姿なんだろうって言うものですから」
「ちょ、ちょっと蓮華さん!?」
いやその、真実だからあれなんだけど、それをそのまま伝えるんじゃないよユグドラシル!?
「ふふ、ごめんなさい。あら……私が表に出る事で、蓮華の魔力が少し戻ってきましたね。もう少しだけ、このままで居ましょうか」
私はそれで構わなかったので、了承する。
「それじゃユーちゃん、今まで心配かけた罰として、私を抱きしめるよーに!」
なんて可愛らしい事を言ってくるアリス姉さん。
ユグドラシルは笑って、アリス姉さんを再度抱きしめた。
幸せそうな表情のアリス姉さんを見て、私も幸せな気持ちになるのだった。
翌日からは皆で集まって、ダンスの練習を続けた。
そうして、ダンスパーティ当日がやってきた。




