163.想い出
蓮華とアーネストがこの世界で生きる事になった時から、はるか数千年前。
マナは存在せず、魔法を使える者と使えぬ者で差別が起こり、実り少ない地上は少ない食料を求めて争いが絶えなかった。
水は濁り、作物は荒れ、大地は乾いていた。
「このままでは、いけない……」
そう呟くのは、神界の最上位神の一神、ユグドラシル。
ユグドラシルは、この世界誕生にも携わる神である。
"ラース"、そう名付けられたこの世界。
創造神であるイザナギ、イザナミにより創られたこの世界は、神界の下に天上界、そのはるか下に地上と魔界、そして更にその下に冥界が存在している。
様々な種族を創造し、箱庭として育てている神の遊びだ。
神々は最初の創造こそしたが、後の成長は完全に放任していた。
しかし全ての神がそうというわけではなく、ユグドラシルのように憂いている神もまた、いたのだ。
「ユグドラシル姉さん!」
そう呼び、ユグドラシルに抱きつくのは、妹神であるイグドラシルである。
「あら、イグドラシル。今日は泉で眠っていたのではないの?」
そう優しい表情で言うユグドラシル。
ユグドラシルは、妹であるユグドラシルが大好きなのだ。
「うん、そうしてたんだけど……最近のユグドラシル姉さん、なんか辛そうだったから……」
「……そう、妹に心配をかけるなんて、私もまだまだね」
微笑みながら、イグドラシルの頭を撫でるユグドラシル。
イグドラシルは、そんなユグドラシルが大好きだった。
「何か悩みがあるなら、遠慮何てしないで言ってね?私にできる事なら、なんだってするんだから!」
そうまっすぐな瞳で言うイグドラシルに、ユグドラシルも笑顔で言う。
「ええ、ありがとう。地上と魔界をね、見ていたの」
「あぁ……。でも、ユグドラシル姉さんが気に病む事じゃないと思うけど……」
「……」
「あ、あ!えっと、それじゃ空から食べ物でも降らせたら良いんじゃないかな!?」
「まーた馬鹿な事を言ってるわねぇイグ」
「げっ!?ウルズ!!」
「げっとは何よ、ご挨拶ね。わざわざ天上界から来てあげたのに」
「アンタはいちいち五月蠅いから嫌いなの!」
「お生憎様、私はイグの事大好きよ?」
そう言ってイグドラシルを抱きしめるウルズ。
「ぎぃやぁぁぁっ!!離せぇぇっ!!」
本気で嫌がるイグドラシルだが、ウルズはそれすらも嬉しいようで、抱きしめる力を強める。
「クスクス。ウルズ、ほどほどにね?」
「ふふ、分かってるってばユグ。貴女達姉妹は本当に可愛いんだから」
「良いから離せぇぇぇっ!!」
なおもジタバタと暴れるイグドラシルを、ウルズは笑いながら離す。
「ぜぇっ、ぜぇっ。アンタ、会うたび会うたび抱きしめるなって何回言わせるのよ!?」
「イグが可愛いから仕方ないじゃなーい?」
「理由になっとらーん!!」
そんなやりとりを微笑ましく見るユグドラシル。
イグドラシルは姉であるユグドラシルにしか心を許さない為、あまり付き合いの良い方ではない。
けれど、ウルズだけは別だった。
そんなイグドラシルの態度も関係なく、イグドラシルを可愛がるのだ。
ユグドラシルは、その事を嬉しく思っていた。
「それで、今日はどうしたのですかウルズ」
そのユグドラシルの言葉に、ウルズは真剣な表情をして答えた。
「ユグ、貴女の運命が視えた。視えてしまった。通常、神である貴女の運命は視えないはずなのに、よ。それはつまり、これは変えられない決まった運命という事」
その言葉に、微笑むユグドラシル。
「……そうですか。ウルズ、お願いを聞いて頂けますか?」
「聞くだけなら」
二人の先ほどまでの態度が変わったのを見て、イグドラシルも黙って聞く事にしていた。
「私がこの世界より去った後、地上と魔界を見守ってくれませんか?」
「どれくらいよ」
「そうですね、私の変わりが生まれるまで」
「それ、どれくらいかかるのよ……」
「ちょちょちょ、ちょっと待って!なんの話をしてるの!?」
イグドラシルが慌てて話に入る。
それもそうだろう。
大好きな姉であるユグドラシルが、世界より去る、と言ったのだから。
「私はね、イグドラシル。この世界を創った一神として、また様々な生を視てきた者として……これからを生きる者達の為に、力を尽くしたいと考えているの」
「そ、それは分かったけど、なんでそれでこの世界を去るなんて話になるの!?」
「地上、そして魔界の大地には、生命の息吹が宿っていない。だから、大地は枯れ、作物も育たない。人が、生命が生きていく場所として、適していないの」
「それは、知ってるけど……」
「なら、そこに無限に溢れ出る生命の息吹があったなら?尽きる事のない恵みがあったなら?争わずとも、生きていける環境になるのではないかしら」
「もしかしてユグドラシル姉さんは、その根源になるつもりなの……?」
その問いに、静かにうなずくユグドラシル。
ウルズは告げる。
「私は、人間や魔族にそこまで期待できない。醜い欲望は、尽きる事を知らない。奴らは満足を知らない。それ以上を、ずっと求めるよ」
「そうかもしれない。けれど、私は信じてみたいの。人の、種族の、優しさを」
その言葉に、なんとも言えない表情をするウルズ。
けれど、ユグドラシルを見て、溜息をついた後に言う。
「はぁ、分かったよ。でも、期限はユグの生まれ変わりが居ると判断した時までだ。それ以降は、見守るかどうか知らないよ。私が納得いかなければ、地上も魔界も無事を約束しないよ」
「ええ。その時は、マーリンやアリスに止めてもらいましょう」
「うわ、あいつら敵とかやめてほしいんだけど!?って、ユグはそういうとこ抜け目ないわね……」
そう言って、微笑み合うユグドラシルにウルズ。
「むぅ、二人で納得してないで、詳しい話を教えてよぅ!!」
そう頬を膨らませるイグドラシルを、ウルズがまた抱きしめる。
「ぎにゃぁぁぁ!!だからやめろって言ってるでしょぉ!?」
「ふふ、イグは可愛いわねぇ……」
その姿を優しく見守るユグドラシル。
ウルズにとって、この二神との絆は、とても大切な物だった。
そして時は現在。
「ユグ、イグ……数千年、経ったわね。約束、果たしたけど……大好きな貴女達の居ないこの世界、私には……つまらないわ……」
カラン
半分ほど飲んだグラスを机に置く。
座っていた椅子から立ち上がり、窓の外を見るウルズ。
「だから……"原因"となった地上と魔界、私が潰す。けれど、私の手を下したりはしない。それは貴女達を悲しませてしまうものね。でも、勝手にそいつらが自滅するなら、構わないわよね?そうしたら、もうそいつらに期待なんてしないで済むし、またあの頃のように……一緒に、笑えるわよね……?ユグ、イグ……」
そう、悲しげに呟くのだった。