2-5
伍朗がファン(?)からの手作りチョコを堪能した、およそ一時間半後。
「それではこれより、全日本ニョーイ選手権大会の二回戦に入ります。第一試合は前出 伍朗選手、鳳凰院 純也選手の対戦です。皆さん、どうぞ盛大な歓声でお迎えくださいっ!」
「「おおおおおおっ!!」」
大声援とともに伍朗が、そして対戦者の鳳凰院が両コーナーにスタンバイした。
「なんか観客の数が増えてるような……」
一回戦の時より心に余裕の出てきた伍朗は、スタンドに目をやって気づいた。がらがらに空いていた客席が埋まりはじめている。まだ空席は半分以上残っているが、それでも珍しい光景に思えた。
「やあ、キミが驚異の新人、前出君だね。一回戦は興味深く拝見したよ」
「あ、どうも」
試合前だというのに、鳳凰院が親しげに話しかけてきた。誰が見ても上質そうな白のスーツにシルクハット。貴族風のヒゲが非常にダンディ。同性の伍朗にすら「こんな風に年が取れたらなぁ」と思わせる好紳士だ。
「これはポイントで優劣を競う大会だが、お互い勝敗に関係なくベストを尽くした戦いをしようじゃないか」
「はい」
素直に伍朗も答えた。
「ところでコンディションはどうだい?」
「え、まあ特にこれといって」
「ふむ、そうか……」
少し考え込むように鳳凰院は自分のヒゲを撫でた。そして伍朗にも気づかれぬよう、観客席の女性二人に視線をやり――彼女らのゼスチャーに満足したのか、便器へ向かった。
今回は、伍朗が和式便器一つ、鳳凰院が洋式便器一つという互いにシンプルな選択だ。
「そろそろ効いてくる頃か……」
鳳凰院が小声でつぶやいた。
「――股間準備」
司会者によって試合開始が告げられる。
「尿意解禁っ!」
「参るぞ、青年!」
先制は鳳凰院。スピードこそゆっくりだが、紳士のお手本ともいえる上品な仕草で銃身を抜いた。こうした構えには両手抜きがよく映える。
「青、クイックドロウ!」
青コーナーの鳳凰院にポイントが加算された。
「……ぐうっ!?」
だが伍朗にはそれに対抗している余裕がない。
この直前から、ある激しい『異変』に襲われていたのだ。
「一体どうされたのです? 急にアヒルのような内股姿勢になって……」
耳元のインカムからは、山田さんの怪訝そうな声が聞こえる。
「ちいっ、まずい。なんでこんなタイミングで!?」
「だからどうかしたのかと聞いているのです。今回は先手を狙っていく戦略と打ち合わせしていたでしょう?」
「いや、だからその……」
伍朗の答えも要領を得ない。
「おや、先の試合で『ケルベロス・ロア』による大勝利を飾った前出選手。今回は動きが鈍い……というか、妙な気がするのですが」
「たしかに挙動不審だな。どうしたのだ、ゴローは」
セコンドの山田さんだけでなく、放送席や客席にも彼の異変は伝わっていた。
すでに技のモーションに入っていた鳳凰院は、口元にわずかな笑みを浮かべながら本格始動。
ちなみに鳳凰院の銃身は、天然石から彫られた芸術的な噴水、その放水口の形にモザイクが施されている。彼にかかればコンピュータ制御のモザイク処理すら美術品に変わるのだ。
「はあっ!」
軽やかな跳躍で、洋式便器の「へり」に両足で立つ鳳凰院。この不安定な状態でも重心が一切乱れない。
そして驚異的な背骨の柔軟性を生かし、雑伎団のごとくしなやかに、やがて獄炎のように激しく。どんどん後方へ反り返った頭部が背中に、腰に……股間に近づいていく。
尿気による身体強化をバランス制御・柔軟性に活かしているのだ。同時に異なる二方向の強化を施すことはベテランであっても難しい。鳳凰院の卓越した尿気コントロールセンスがあって初めて可能な所業である。
「し、信じられません鳳凰院選手! ついにエビ反った頭部が股をくぐり、銃身の付近まで届きました。ヨガ行者も真っ青の超絶パフォーマンスだっ!!」
「これは凄まじい強敵だな。……ええいゴローっ、何を呆けているか!」
しかし伍朗はまだ動かない。いや、「動けない」。
「動かぬのか青年。ならば、これでひと思いにギブアップさせてあげよう。この日のために開発してきた新技だよ」
ついに尿紳士・鳳凰院の本気が牙を剥く。
「秘技『マー○イオン』っ!!」
しぱっ、しゃーしゃーしゃー。
「「おおおおお……」」
会場中が一気にどよめいた。
「で、出ました。これは鳳凰院選手の完全オリジナル技だ! その名も『マーラ○オン』!! 某国との関係を考慮して一部伏せ字にしていますが、人間離れした身体性能があってこそ可能な、超美技です!」
股間と一体化するほどまで上半身を反らし、まるで頭部から放尿が出ているように見せる。たしかに、そのシルエットはマーライ○ンだ。
司会者も興奮を隠せない驚嘆の必殺技だった。
「相手はもうフィニッシュを決めましたよ。しっかりしてください!」
「…………」
「前出様、いつまでそんな内股で――はっ、まさか!?」
試合開始から三分あまり、ようやく山田さんは異変の正体に気づいた。
「――勃起……」
「そ、そうだ」
弱々しく伍朗もそれを認めた。
ニョーイにおける絶対のタブー。その一つが競技中の勃起である。
紳士のスポーツを標榜する性質上、ニョーイストはいかなる場合においても紳士であらねばならない。ましてや衆人環視の中で性的興奮をおぼえるなど、もってのほか。
大会規定では「開始から十分間が過ぎても、技のモーションがない場合、審判員によって選手の状態チェックが行なわれる」とある。ここで勃起が判明すると、即退場のうえに六ヶ月以上の公式試合出場停止という重い処分が下されるのだ。
「しかしなぜ今になって急に……山田さん、どう思う?」
解説の姫梨子がセコンドとして質問した。会場内には聞こえないようインカムを直通モードにしている。
「分かりません。特訓中の三ヶ月間は栄養面の管理も万全でした。むしろ不用意な勃起を起こさないよう、毎日の食事で薬剤を投与していたくらいですから」
「うむ、日本では未認可の少しばかり危険な薬剤だったな」
「……お前ら、後でちょっと大事な話がある……」
インカムから漏れ聞こえてくる主従の暴露話に伍朗が声を絞り出した。
「考えられるとしたら今日の行動が原因です。何か変わった物を食べたり飲んだりしませんでしたか?」
「別にフツーの物しか――いや、ひょっとして」
さっき女の子たちが差し入れたチョコレート……。
「何か心当たりがあるのですね?」
「の、ノーコメントで……」
「ふん、普段からころころ騙されているゴローのことだ。おおかた気の緩んだところに怪しげな女が近づいてきて、妙な薬物でも盛られたのだろう」
ほぼ的中しているのは凄い。
「ふふっ、今回は楽な任務だったわね。あのムッツリ君、鼻の下伸ばしちゃってさ」
「最強精力剤『モカビンビン』配合のチョコをあれだけ食べたのですもの。これで二回戦もジュン様の勝利は動かないわ」
ドーム内、観客先の最後列で事態の成り行きを眺める女性が二人。そう、彼女らは鳳凰院に雇われ、彼に付き従う「影」。あらゆる策略を駆使し、対戦者を試合不能に追い込むことが任務だった。
鳳凰院は決して「勝つために手段を選ばない」タイプのニョーイストではない。ただ、圧倒的な実力プラス策略をすべて乗り切った相手だけをライバルに認定するという、独特な勝負美学を持っているのだ。穏和な紳士でありながら冷酷な悪魔、その二面性がニョーイストとしての彼を際立たせている。
――再び試合会場。
「くそっ、原因はともかくだ。どうにかして『コレ』を抑えなきゃマズい……」
「あと約六分で、前出様に審判からのチェックが入ります」
「どうすりゃいい?」
「……もはやわたくしでは対処できません。試合中はセコンドが選手に直接触れたり、物を渡したりすることが禁じられていますので」
敏腕メイドの山田さんは、はっきり自分の力不足を認めた。いつまでも無駄なプライドを保ち続けるのは二流の証。彼女は一流メイドであるゆえ、そこをごまかしたりしない。
「こうなれば誠に無念ですが……。『体調不良による試合放棄』を審判に告げましょう。自己申告であれば今後のニョーイ大会出場にもペナルティはありませんから」
インカム越しに聞く山田さんの声も、苦渋に満ちていた。
だけど伍朗はまだ納得いかない。
「冗談じゃねぇ。全力出して負けるならともかく……こんなところで……こんなザマで終われるかよ!」
あの生意気な小娘は笑顔で言ったんだ。今日この時間を「楽しい」って。
「諦めるのはまだ早いぞ。アタシに考えがある」
インカムの会話に姫梨子が割り込んできた。その声は自信に満ちている。
「にゅふふふ。忘れたか山田さん。ゴローの応援用にと予定していたものの、あまりに刺激的すぎて出番を逸していた『アレ』を」
「何だ?」
伍朗には見当がつかない。しかし主の衣装を管理している山田さんは思い当たった。
「まさか、まさかお嬢様……『アレ』を?」
「アレでもソレでもいいから策があるなら早く出してくれ」
観客席がざわついている。それはそうだろう。
セコンドとの会話が聞こえていなくても、この不自然な前かがみの体勢を見れば勃起ということくらい想像できる。きっと観客たちは「あれって大会パンフレットに書いてる反則の勃起じゃね?」「うわー最低よね」なんて言い合ってるに違いない。
「は、早まってはいけませんお嬢様!」
「いいから早く頼む!」
山田さんと伍朗の声が真っ向から対立したが、姫梨子は後者を選んだ。
「任せろ、見て驚くがいい!」
叫ぶと同時に姫梨子は解説席の上へのぼった。
おもむろに、迷わず、エレガントさのかけらもなく、着ている豪奢なドレスを脱ぎ捨てる。
ドレスの下から出てきた姿は――!
「げふぅ!?」
「お、お嬢様っ!?」
「「ゲゲェー!?」」
すべての人間が唖然とした。
瞬時にして脱衣を済ませた姫梨子――そこから出現した格好はドレス時の「黒ニーソックス」を残しながら「ネコ耳&シッポ」、そして今さら時代遅れな「紺色ブルマー」の体操着。
あまりにエキセントリックな状況に、人間だけでなく空間までが凍り付く。
「ふっ、どうだ庶民ども。以前、どこぞの海外論文で読んだ記憶があるのだ。『オスの昂ぶったリビドーは、さらに大きな性的興奮を加えることで臨界を超え、一時的に平衡状態になる』とな。そこな駄馬ゴローがどんな性癖かは知らぬが、アタシのみわく的ぼでぃを見て興奮せぬオスなどおらんっ!」
がらがらぴっしゃーん!と姫梨子の背後で雷が落ちた……ような気がした。
敗北のリミットが迫る伍朗は、その威風堂々たる姿をあらためて見る。
薄ぺったんのバスト、くびれが皆無なウエスト、貧相きわまるヒップ、申し訳程度に肉のついた太もも……。さらに無意味な自己主張をするニーソと、浮きまくっているネコ耳シッポ。
すべてが渾然一体となり
その少女が自信たっぷりに見せた光景は
――あまりに痛々しかった。
「うわぁ……」
一気に伍朗のテンションが醒め、ついでに勃起も収まった。後年、彼は大会回顧録において「あれは、まあ……結果オーライ」とだけ記し、それ以上はいっさい語らなかったという。
「ふははははっ、見たか。これがアタシの魅力だ!」
ともかく事態打開に大いなる貢献を見せた姫梨子は、自分を誇っていいはずだ。
「嗚呼、お嬢様……」
クールが信条の山田さんは、はらはら零れる涙を止められなかった。
「え、あ、……アナウンスが途切れて失礼しました」
ようやく我に返った司会者が話し始めた。その隣でいそいそとブルマー姿の上からドレスを着込んでいる姫梨子には、あえて触れない方向で。
「一時は勃起疑惑による棄権が懸念された前出選手ですが、どうやらセコンドの機転で復活したようです。内股をやめて、しっかり大地を踏みしめております。『妙に味のある表情』なのは見なかったことにしましょう。それがヒトの情けというものです」
この人の司会進行役も板に付いてきた。
「さあ、いろいろあったけど俺は元気だ。これから反撃開始といかせてもらう!!」
息巻く伍朗。
「よかろう。トラブルの理由は私のあずかり知らぬ話だが、生半な技で『マーライオ○』を超えられると思うな」
圧倒的な実力に策略まで弄する試合巧者、鳳凰院が負けじと吼える。
しかし、両者の熱き魂が激突せんとする瞬間。
会場内の誰かが「あっ」と言った。
その波紋は徐々に広がり、試合をしている伍朗にも伝わった。
「どうしたんだ前出君。戦意を取り戻したはいいが、早く試技に入らねば今度は十五分間のリミットに引っかかるぞ? 私はそれでもいっこうに構わんがね」
「いや、アンタ……鳳凰院さん――『ソレ』……」
伍朗が対戦者の腰あたりを指さす。試技の後もまだ抜き身のままだ。
「一体どうしたと……ぬわぁ!?」
鳳凰院の銃身はいきり立ち、これ以上ないほどハッキリと勃起していた。
「しまった、私としたことが! 先ほどの眼福な光景を見て……」
結果オーライ的に伍朗の窮地を救った姫梨子のアレは、さらに予期しない効果も発揮していたらしい。
「まっ、またしても前代未聞っ!! 今度は鳳凰院選手が勃起です! しかも審判団からはっきり見える形での勃起により、ポイント判定を待たず即失格となりますっ!!」
司会者が七三分けを振り乱して絶叫する。
「前出様、勝利です。貴方が勝ったのですよ。んきゃー♪」
珍しく山田さんがハイになっていた。
「んな……アホな」
一方で怒濤の展開が信じられない伍朗。
よもやの敗北を喫した鳳凰院は、それでも爽やかな態度だった。
「ふっ、負けたよ前出君。私の完敗だ。まさかキミも、あんな驚天動地の策を用意していたとは。こちらの策にあえて嵌ったフリをして完璧な迎撃か……末恐ろしいな」
「勝手に勘違いなさってるよーですがね」
「どうやらキミとは戦術系ニョーイスト同士、長い付き合いになりそうだ。また縁があれば互いに策と技をぶつけ合おう、我が永遠のライバルよ」
「それはそうと、アンタ……『ネコ耳ブルマーのコスプレ衣装』と『女子小学生の太もも』のどっちで勃起したんだい?」
「…………は、ははっ、どちらでも良いではないか青年よ」
「いや、その返答によっては、俺も今後の付き合い方を考えなきゃいかんので」
「……今夜も月が綺麗だ」
「こら変態オッサン、ドームの中で空は見えんだろ」
そんな試合後のやりとりがあったとかなかったとか。




