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ニョーイの星  作者: 木端 貴史
第二章 集う紳士たち
5/21

2-1

 ――二○XX年 十二月二十四日。


「そんなこんなで九月から始まった特訓の日々。あれはもう地獄なんて言葉じゃ表現しきれない。まさか二日目にして心臓停止するハメになるなんてな。救命医が現場に待機してなかったら現世に戻って来れたかどうか……はは……へひゃひゃひゃひゃ……」


「おーい、ジャージの兄ちゃん。一人でぶつくさ言ってるけど大丈夫か。顔が青いし汗もダラダラ出てるぞ。係の人を呼ぼうか?」

「うわ、やめろ、やめてくれ。もう食えないよ。それ絶対なんか怪しい成分入ってるだろ。フガ、モガガッ、無理に押さえつけて食わそうとするな! 俺はフォアグラ用のガチョウじゃないぞ……ひ、うひぃいいいい!」

「兄ちゃん、兄ちゃん、ってばよ!!」

「ふぇ? あ、ああ、すんません。ちょっと三ヶ月分の回想で精神のデリケートゾーンが崩壊しかかってました。もう大丈夫です、たぶん」

 近くの出場者に思いっきり肩を揺さぶられて、伍朗は現実に戻ってきた。


 ここはニョーイ選手権の行なわれる大江戸ドーム。外は雪が降ってもおかしくない寒さだが、ドーム内はほどよい空調と参加者たちの熱気によって充分温められている。


「ではお嬢さ……スポンサー企業代表者による開会スピーチを終了しまして、これより予選に移ります。出場選手の皆さんはその場で説明をお聞きください」

 さっきまで弁舌を振るっていた姫梨子が少し後ろへ下がり、壇上では黒メイドの山田さんが粛々(しゅくしゅく)と予選の説明をしている。

 まわりの参加者からは「うひょー、スタイルいいな♪」「金持ちはあんな美人メイドさんを雇えるのか」「きっと普段から上品でお(しと)やかなんだろうな」などと羨望の声が漏れていた。伍朗はこの三ヶ月間を振り返って苦笑いするしかない。

「十三時からの決勝トーナメントに進める選手は全部で十六人、うち三名が予選免除のシード選手となりまして、残り十三枠を争っていただく形です。参考までに、予選の競争率は四十倍弱です」


「予選?」

「まあこれだけ参加者がいればな。『優勝賞金二千万円、参加資格は紳士ならば誰でもOK』に釣られて来た奴も多いだろ。かくいう俺様もその一人だがな。はははっ」

「僕、実はニョーイ経験ないんだけど何やらされるのかな……」

「よく知らんわ。適当に立ち小便(ション)してればいいんじゃね?」

「別に何でも構わねえさ。大声出して騒げて、あの美人メイドさんを間近で見られりゃあ充分だわな」


 周囲では緊張感のない会話が目立った。なるほど、五百人近くのすべてが正式なニョーイストではなく、賞金目当て、クリスマスイブのヒマ潰しに参加した者も多いということか。むしろマイナースポーツだけに、経験者はごく少数派と考えてもいい。だから予選でふるい落とす必要があるわけだ。

 伍朗自身、予選があるとは知っていたが、どんな内容なのかは一切聞かされていない。あのドSな二人のことだ、死人が出なければいいが……。


「予選開始前に、シード選手を発表します。名前を呼ばれた方は壇上へお越しください。まずは町田まちだ 長之介ちょうのすけ様」

「ふぉふぉふぉ。失礼するぞい」

 白いヒゲを蓄えた老人がよれよれと壇上へ向かった。これからニョーイの試合に出るとは思えない超高齢者、おまけにラフな甚平じんべい姿だ。


「続いて鳳凰院ほうおういん 純也じゅんや様」

「紳士諸君、お先にトーナメントで待っているよ」

 こっちのシード選手はシルクハットとスーツを着こなした、まさしく紳士そのものなナイスミドル。


「あの二人、たしかにタダ者じゃないな。俺にも見えたぞ、強烈な尿気ニョーラってやつが……」

 尿気ニョーラ――一流のニョーイストが放つという特殊なエネルギーの力場。普通の人間には見えないが、専用の撮影機材やニョーイスト同士なら感知することができる。股間を中心に黄色っぽい光の(おび)が広がっている感じだ。

 よく全身の感覚を研ぎ澄ますと、ステージ下にいる参加者たちの中にも強い尿気ニョーラを放つ人間が感知できる。きっと決勝トーナメントに出てくるのは彼らだろう。


「最後の一名、前出 伍朗様」

「なっ、俺かよ!?」

 自分がシードになることは知らされていなかった。いや、それどころか現在のニョーイ界では誰が有名だとか、どんな技が高得点を狙えるかといった最新事情トレンドすら「庶民がそんな知識をもっても余計なプレッシャーになるだけだ。それより基礎を徹底的に磨け!」という姫梨子の方針により、まったく勉強していない。ぶっつけに近い状態でこの大会に臨まされているのだ。

 おどおどと壇上へ向かう伍朗。先の二人が堂々たる態度なだけに、参加者たちから「誰だよあいつ」「ひどい小物臭(こものしゅう)がするな」などと言いたい放題に陰口を叩かれている。


「あー、静粛に。アタシからシード選手の選定について説明をしよう」

 ざわつきの中、姫梨子がマイクを握った。

「まず町田氏はニョーイストなら知らぬ者はいないだろう。戦前から日本のニョーイ界を支えた生き字引であり、各地のローカル大会の運営にも深く関わってきた功労者だ。実力もいまだ衰えていない。

 続く鳳凰院氏は、アジア圏を中心に国際大会にも多く出場し、申し分ない実績を残している現役最強の一角。この二人のシードに関して異論を挟む者はおるまい。そして――」

 残った伍朗に全選手の視線が集まった。

「この駄馬ことゴローは、うちのジム所属選手だ。実戦経験ゼロながらその潜在能力は保証しよう。主催者側が送り込んだ刺客(しかく)と思ってもらって構わない」


 だがそれだけの説明では納得しない選手もいる。会場内からは「えー、身内びいきじゃん」「決勝にもイカサマ仕込んでるんじゃないか?」などと声がする。

「皆の不服な気持ちは分からんでもない。少し補足の説明を加えよう」

 姫梨子は言葉を続ける。

「まずメタ的な話になるが、ゴローの身につけているジャージから下着に至るまで、すべて外部スポンサーと提携した広告が入っている。この宣伝をする前に予選で散ってもらっては『大人の事情』で困るのだ。イベント運営の経験がある者ならそこは分かってもらえるだろう」

 生々しい大人の事情を説明する女子小学生。なかなかシュールな光景だ。


「そして、後で山田さんから詳しい案内があるが、予選はニョーイ全般の知識を試すクイズ形式と、構え(フォーム)尿気ニョーラを審査員が判定する模擬試合の二つから構成される。本戦前に貴重な尿量を消費させるわけにはいかないため、このような模擬戦の形となった。だがゴローが仮に予選通過したとしても、皆は『最初からクイズの回答を教えてもらってたんだろ?』『尿気ニョーラの判定にもインチキがあるんだろ?』と疑うことになる。誓ってアタシは不正など仕込んでいないが、それを証明する(すべ)がない。ならばいっそ予選をスキップさせようというのだ」


 筋は通っているようだが、まだ問題は残る。そこも姫梨子は抜け目なくフォローする。

「もちろん実績がない無名選手をノーリスクでシード扱いするのが問題だということは承知している。ゆえに、ゴローだけに『特別なハンデ』を皆にも分かりやすく()そうと思う」

「俺だけにハンデ……?」

 伍朗にも想像がつかない。ただ姫梨子がニヤニヤ笑っているから、ろくでもない仕打ちが待っているのだけは確実だろう。条件反射で泣けてきた。

「では、アタシからの説明は終わりだ。紳士の名に恥じぬよう、残り十三人の決勝枠を巡って存分に戦ってほしい!」


 ここからは再び山田さんがマイクを持って予選を仕切る。

「さて、開会セレモニーから今までの間に、予選クイズ用の舞台を設置しました。グラウンド後方をご覧ください」

 大江戸ドームのだだっ広いグラウンド後ろ半分に、(マル)×(バツ)の書かれた大きなパネルが見える。そのパネル下の地面は白線で四角に区切ってある。


「これから出される質問について、正しいと思った方は(マル)印の白線内に、間違いだと思った方は×(バツ)印の白線内に移動ください。制限時間は一問につき一分間。ケータイなどを利用して情報を得ようとした場合、即座に失格となります。基本的な流れは『ア○リカ横断ウル○ラクイズ』を毎年リアルタイムで見ていた人なら理解できるでしょう」

「何歳なんだよ、この黒メイド……」

 見た目どおりの年齢(二十歳前後)じゃない疑惑が出てきた。

「皆さま、準備はよろしいでしょうか? 第一問です」

 全員に緊張が走る。


「【第一問】

 前出 伍朗選手は中学生の時、マンガで読んた二重人格のヒーローに憧れ、みずからも『死せる狼』に由来する死狼(しろう)という別人格を設定。学校内で気分に合わせてニヒルな死狼しろうと通常の伍朗ごろうとを使い分けていた。――(マル)×(バツ)か?」

「なんじゃそりゃあああああ!?」

 いきなり個人攻撃が来た。


 露骨にあわてる伍朗の反応を見た参加者のほとんどは(マル)のエリアに移動。十人ほどのひねくれ者が裏をかいて×(バツ)エリアに向かった。

「制限時間になりました。正解は(マル)です。不正解の方はグラウンドの(すみ)に移動してください」

 これで終わりかよ~とゴネる不正解の参加者は、係員の誘導で強引に弾き出された。

「おいこら、お子様と黒メイド! 人の黒歴史(くろれきし)をほじくり返して楽しいか!? つかニョーイ関係ないだろ! そもそもどうやって調べたんだよ?」

 猛烈な伍朗の抗議を無視し、マイク片手に主従がコメントを述べる。


「たまにこういうエピソードを聞くな、あー、何と言ったっけ」

中二病(ちゅうにびょう)ですね、お嬢様」

「そう、それだそれだ」

「ちなみに彼の別人格・死狼は、当時片思いしていたクラスメートの|竹中(たけなか)さんに『前出くんって気持ち悪いよね』と言われてから一度も出てこなくなったそうです」

「気の毒に」

OH(オー)……NO(ノゥ)……」

 ステージ上で伍朗はがっくりヒザをついた。

 そんな彼を容赦ない追撃が襲う。


「【第二問】

 二重人格設定を諦めた中学時代の前出選手。今度は不良マンガのヒーローに憧れ、飲めもしない蒸留酒(じょうりゅうしゅ)のボトルと、父親の部屋から持ち出したタバコ&ライターを隠し持って通学するようになった。――(マル)×(バツ)か?」


「だから個人攻撃はやめろと言ってるだろ!」

 伍朗の抗議もむなしく、参加者はすぐさま(マル)エリアに移動した。

「制限時間になりました。正解は(マル)です」

「全員正解したぞ。ところで不良の設定はいつまで続いたんだ?」

「たった二日間です。自宅でタバコのかっこ良い付け方を研究していたら、ベッドカバーに引火して危うく大火事になるところだったとか。父親に顔の形が変わるくらいボコボコにされたようですね」

「いい教育方針のご家庭だ」

JESUS(ジーザス)……」

 参加者からのクスクス笑いに耐えかねて、伍朗はヒザどころか両手も地面に付いた。


「【第三問】

 時代は変わって今年九月の前出選手。運よく合コンで知り合った女性・織田おだ さくらさんと初めてのデートに挑むも、遅刻したあげく牛丼屋に連れて行くという失態をやらかし振られてしまった。――(マル)×(バツ)か?」

 うなだれていた伍朗がピクっと反応した。


 今までの流れを踏まえ、参加者全員は(マル)のエリアに移動する。

「制限時間になりました。今度も正解は(マル)です」

「はい残念でした、ははははっ! 策士が策に溺れたな、ドS主従(コンビ)め!」

「にゃんと?」

 伍朗が急に立ち上がり、勝ち誇ったように姫梨子へ向かって叫んだ。

「振られたのはその通りだが、相手の名前は小野田 佐織(おのだ さおり)。お前らの調査ミスだ。これでシード選手以外は全員予選落ちってことだな。ざまあないぜ!」


 しかし黒メイド・山田さんは冷静だった。

「いいえ、それは本名ではありません。本名は織田おだ さくらさんで、前出様と会うときだけ偽名を使ったとのことです。ちゃんと戸籍謄本(こせきとうほん)で確認しました」

 しれっと衝撃の事実を明かす。

「なっ……んだと……?」


「たしかに近年は恋愛をこじらせてストーカー化する男も多いと聞くしな。あらかじめ個人情報を守るための対策か。なかなか賢い女性ではないか」

「合コンやSNSで知り合うチャンスが増えた分、危険も伴うようになりましたからね」

「なるほど。山田さんも気をつけたほうがいいぞ。アタシと並ぶ絶世の美女だからな」

「ありがたきお言葉。わたくしは殿方(とのがた)になど一切興味ございませんので大丈夫ですが」

 あの美人メイドはフリーなのかと会場中の男が目を輝かせる。


 一方、深刻な精神ダメージを受けた伍朗は両手両足どころか全身を投げ出して地面に突っ伏していた。まるでトラックにかれたカエルだ。

GOD(ガッ)……DAMN(デーム)……もういっそ殺してくれ……」


「頃合いのよろしいところで、前出選手に『ハンデ』を与えるための精神攻撃を終了します。これからが予選クイズの本題ですので、第一問で不正解だった方も他の参加者に合流してください」

 目的を果たした山田さんは、その後も滞りなくクイズ試験と模擬試合を進行させていった。


 予選の様子を何ひとつ憶えていないという伍朗は、後年、大会回顧録において「いじめ よくない」とだけ短く記した。


 こうして二人のシード選手には栄誉を、一人のシード選手にトラウマを、残りの選手たちに試練を与えた予選は全過程を完了。

 ニョーイストの祭典「第一回 全日本ニョーイ選手権大会」の決勝トーナメントが、ついに幕を開ける――。

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