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ニョーイの星  作者: 木端 貴史
第一章 黄金色の出逢い
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1-2

 ここはどこだ。薄暗い。

 ここはどこだ。体が重い。


 なぜだか小学校時代の担任が目の前で喋っている。

「お宅の伍朗くん。ええ、目立った素行不良もなく成績は平均点、ごくごく普通に過ごしていますよ」

 次は企業の採用面接官。

「履歴書は拝見しました。まあ普通の学歴に賞罰なし、運転免許はAT限定。ふーん、平穏な人生を送っていますね。なにか自己アピールできることはありますか?」

 今度は高校時代に一世一代の告白をした内藤さん。

「いきなりのことで、その、気持ちは嬉しいんだけど、前出くんって平凡すぎるのよね。だからごめんなさい」


「俺だって好きで凡人やってるわけじゃねえよ!」

 逆ギレした自分の絶叫で目が醒めた。


「……ん? ここどこだ?」

 伍朗が転がされていたのはだだっ広い部屋のソファーの上。室内には貴族の邸宅かよと思うほどの高級ベッドや調度(ちょうど)類。巨大な本棚には何やら難解な書籍が並んでいる。そして作業机、複数のモニターが接続されたパソコンなどなど……。

 さっきまでのリクルートスーツではなく、地味なグレーのジャージを着ていた。

 意識を失っている間に、どこかへ連れて行かれたらしい。記憶が少しずつ蘇ってくる。

「そうだ。たしか面接に行く途中で立ち小便(ション)して、それから後は……ああ、思い出せない。っていうか思い出したくない……夢だろアイツらのことは……」

 あんな鬼のように冷徹で、男の局部(アレ)を見ても恥じらわない女どもが、いっぺんに二人も現われるなんてリアリティがない。


「ようやく目覚めたか、庶民よ」

 現実は非情だった。大きなパソコンモニターの陰から、栗色サイドテールがひょっこり顔を覗かせた。利発そうな勝ち組オーラ全開の少女、たしか姫梨子きりこと名乗っていた。

「夢じゃなかったよママン……」

 がっくりうなだれる。

「廊下まで叫び声が聞こえていましたよ。駄馬、こほん、前出様が起床されたのですね」

「この黒いのも現実かよ……」

 黒オーラ全開の美人メイド、山田さんが湯気のたつティーセットを持って部屋に入ってきた。もちろん伍朗の分はなく、姫梨子だけに給仕される。


「待てよ、なんで俺の名前知ってるんだ? 名乗ってないはずだけど。それにここはどこだ? お前らの目的は?」

 混乱を収めつつ、ともかく最優先で訊くべきことを口にした。

「では順を追って簡単に説明いたしましょう」

 姫梨子からの目(くば)せを受けて山田さんが話す。

「貴方の素性は、捕獲してからここへ搬送するまでの移動時間にあらかた調査が完了しました。前出(まえで) 伍朗ごろう。二十一歳の大学四回生。都内の某アパートにて一人暮らし中。さそり座のB型、結婚歴なし。両親ともに健在で父は準大手の出版社勤務、母は専業主婦。三歳離れた姉は結婚して実家を出ていますね」

「なんでそこまで個人情報を!?」

「病歴、犯罪歴いずれもホワイトですが、学生ローンからの借り入れがありますね」

「学生ローンとはなんだ?」

 ローンと無縁そうな姫梨子が口を挟んだ。

「返済能力の低い学生を専門にした無担保キャッシング、早い話が借金のことです、お嬢様」

「ほほぅ。庶民はいろいろ大変なのだな」

「やめろよマジで! バイト先の店長に無心されたり事情があるんだよ!」

 半べそかく伍朗をよそに、山田さんは次なる疑問に答えた。

「ここは東京から約二百五十キロ離れた、N県の山中です。窓から外の様子をご覧ください」

 言われて部屋のカーテンを開けてみる。この質感あるやわらかな手触り、布ひとつとっても特注品ぽいな。たぶん端切(はぎ)れだけでも伍朗のリクルートスーツ上下セット(九千八百円&ポイント還元)より高い。

「な……なんも見えないっ」

 今いる建物の外壁が少し見えるくらいで、あとは生い茂る木々のシルエット、そして一面の暗闇。人里からはかなり離れている様子だ。昼前に拉致されたのにもう夜ということは、相当眠っていたらしい。

「ここはお嬢様の実家、日本橋グループが所有する研修施設の一つです」

「研修施設?」

「それはまあ、表向きの分類と申しましょうか。企業活動をしていると大っぴらに処理できないトラブルもございまして、このような場所も必要なのですよ。(てい)よく人間の身柄を拘束しておける、外界と遮断された施設が」

 さらっと物騒なことを言う。

「ちなみに見ただけでは分かりにくいが、施設内外のセキュリティは鉄壁だ。一歩でも外に出たら訓練された番犬と高圧電流のフェンス。よしんば敷地内から抜け出しても追跡者に狙われ、見つからなくても遭難死は確実。そんな場所だぞ」

 こともなげに姫梨子が付け加えた。会話をしながら手は忙しそうにカタカタとパソコンのキーボードを叩いている。


「……な、なんでそんなトコに俺が? 誘拐しても身代金なんてろくに出ないぞ」

「ここからが目的の話です。わたくしたちは貴方を三ヶ月という短期間で一線級のニョーイ選手――すなわち『ニョーイスト』へと育成せねばなりません。それがここに拉致、こほん、お連れした目的なのです」

「ニョーイ……だと?」

 路地裏で気を失う直前、たしかにニョーイという単語をそこの少女から聞いた。

 だけど一体なんなのだ、そのニョーイとは。

 思考の追い付かない伍朗に、予想していたとばかりに山田さんがフォローを入れた。

「ではご覧ください。これが紳士の国で生まれたエクストリームスポーツ『ニョーイ』です」


 いきなり天井から大型スクリーンが降りてきて、そこにプロモーションビデオらしき映像が映し出された。

 シルクハットにステッキを持った西洋人男性が、カメラに向かっておもむろに股間を向け、ズボンのファスナーを開く。彼の正面には純白の洋式便器が置かれている。日本の家庭にもあるごく普通の形状で、上フタのみが取り外されている。


「うわぁ……」

 思わず変な声が出た。


 画面内の紳士は、優雅なしぐさで放尿をはじめる。視線は手元ではなくカメラがある前方に向き、背筋もぴんと伸びている。他人に排泄を見られている時の恥ずかしさが微塵(みじん)も感じられない。むしろ演奏中のバイオリニスト、演武を行なう武術家のような自信と誇りに満ちた姿だ。

 画面には「最古の七型(オリジナル・セブン) その一『黄昏(たそがれ)のテムズリバー』」というテロップが見える。

「なんだ、なんなんだコレは!?」

 言葉を詰まらせる伍朗。だが彼を驚かせているのは、その特異なパフォーマンスだけではなかった。

「このオッサン、なんで光ってるんだ? 股間らへんを中心に、なんか全身がぼわっ……と」

「ほほぅ、やはりな。こやつは尿気ニョーラを目視できるか」

「お嬢様の目に狂いはございませんでしたね」

 主従は伍朗の漏らした感想に満足げな様子だった。

「ならば庶民よ、次にこれを見よ」

 少女に命じられたメイドがリモコンを操作し、画面が切り替わった。「INC国際標準技『メリーゴーランド 試演』」とテロップが出ている。

 画面には先ほどと同じ西洋人紳士が映った。

「あれ?さっきより全身の光が強く……」

 思わず目を見張る伍朗をよそに、紳士が放尿を始めた。まるでダンスを踊るように優雅なステップで便器の周囲をまわりながらの放尿。その間、尿は一滴たりとも便器外に飛び散っていない。

 伍朗はこの紳士の姿を不覚にも、ほんの少しだけ「美しい」と感じてしまった。


「驚いたか、庶民。これが『ニョーイ』の技だ。そして貴様が見えたと言った全身からの発光……これこそがニョーイストたる証、尿気ニョーラである」

「にょ、にょーら!?」

「特殊な力場のようなものです。一流ニョーイストはこれを自在に操り、試合中に通常を超えた身体能力を引き出すことが可能なのです。なぜかニョーイ競技でしか使用できない点、ニョーイスト同士でしか肉眼では認識できない点など、まだ科学では解明しきれていません」

 混乱する伍朗に、次々と新しい知識が浴びせられる。

「こ、この怪しい世界は一体……いやそもそも『ニョーイ』って何なんだよ!」

「教えてやろう。ニョーイがいかにして誕生したか、その誇り高き秘話をな。山田さん」

「承知しました」

 山田さんがリモコンを操作すると、画面がナレーション付きの解説動画に切り替わった。

 イラストも使った紙芝居のような形式で、ニョーイとの起源が語られる。


◆「ニョーイ」とは?◆

 紳士の国で誕生したエクストリームスポーツである。起源は十四世紀、紳士の国が隣国と長きにわたる戦乱に明け暮れていた頃まで(さかのぼ)る。

 戦争中、有力諸侯の一人・ニョーイ公が敵軍に捕らえられてしまった。この時、ニョーイ公は敵の指揮官から「処刑前に命乞いでもしてみるか?」と挑発を受けた。だが彼は挑発に動じることなく「ならば最後に用を足したい」と答えた。許可されるとニョーイ公はその場で立ち上がり、雄々しく放尿したという。その芸術的とも言える放尿ぶりに敵軍は深く心打たれ、ニョーイ公は処刑されるどころか土産まで持って帰国することができた。後にこの出来事は「ドルドーニュの奇蹟」と呼ばれることになる。

 これ以後、本国でもニョーイ公の名声は語り継がれ、この国の紳士たちは争い事が起きると「放尿の美しさ」で勝敗を決めるようになった。こうした放尿の美学をスポーツの領域まで昇華させたのが、エクストリームスポーツ「ニョーイ」である。

 競技は基本的に一対一で行なわれ、放尿にかかわる基礎技術、何よりも独創性に重きをおいた採点がなされる。また、競技中いかに紳士であったかを示す紳士力(しんしりょく)も重要な採点基準のひとつ。後発有利のため、先に抜いた者へ「クイックドロウ」ポイントが加算されるなど、さまざまな独自のレギュレーションを持つ。なお近年は映像処理技術の発達によって、競技者の局部にリアルタイムモザイク処理(象やバナナなど)が施され、婦女子でも安心してモニター越しの観戦を楽しめるようになった。

 いささか特異な競技思想のため、世界各国ではマイナースポーツとしてしか認知されていないが、他に類をみない美技の数々に魅了される者も多い。お忍びで競技を視察した某国元首は「これぞ人類が到達しうる美の極北!」と賛辞を惜しまなかったと伝えられる。

 まさに新世紀に相応しい、未来を担うスポーツだと言えよう。

 (インリン書房刊 『世界のチンスポーツ一〇八選』より)


「こ、これがニョーイだと……」

 さっきよりさらに唖然とする伍朗に

「あまりの斬新さに驚いただろう。これを我がグループは日本に広めて定着させようとしているのだ。まだどこの企業も着手していない未踏(みとう)の分野だからな。独占すればとてつもない利益を生むぞ。何よりこのスポーツ、楽しそうではないか。くくくくく」

 夜でもドレス姿の姫梨子は「どや」とばかりに顔を輝かせた。

「お嬢様の企画された日本初となるニョーイ全国選手権大会が、この十二月に開かれます。前出様は『日本橋ニョーイジム』所属の選手として出場する手はずです。身に余る光栄、しかと受け止めてください」

 さも当然のように話す山田さん。


 この二人の態度に、さすがの伍朗もムカついた。

「ふざけんなよテメェら!」

「にゃ?」

 不意を突かれたように姫梨子が反応する。

「さっきから聞いてれば斬新なスポーツだの光栄に思えだの、上から目線でちくちくとご高説垂れやがって。誰が好きこのんで宝物(ブツ)を人前に出して、放尿するシーンを見せなきゃいかんのだ!」

「……」

 主従二人は黙って聞いている。

「しかも勝手に拉致同然でこんな山奥まで連れてきて、庶民には基本的人権もないのか? バカにするのもいい加減にしろ。……俺は帰るぞ、お前らのヒマつぶしに付き合ってもらいたいなら他を当たれ」

 一方的にまくし立てて部屋のドアにつかつか歩み寄る。

 セキュリティが死ぬほど厳しいなんてどうせハッタリだ。一時間も歩けば国道へ出るに違いない。そうでもなければこんな豪華施設を維持するだけの物資を調達できるはずがない。

「……」

 心配していたような、暴力的な引き留めはなかった。しょせんは貴族の道楽か。また別の生け贄を探せばいい程度にしか思っていないのだろう。「凡人」にはいくらでも代わりがいるのだ。ドアノブに伍朗が手をかけようとした瞬間、


「――二十万分の一の『才能』」


 背後から姫梨子の声がした。たった一言、だけど確信に満ちた口調。

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