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ニョーイの星  作者: 木端 貴史
最終章 紳士たちの黄昏
18/21

5-1

「えー、選手の治療などでやや時間を取ってしまいましたが……」

 じろり、と司会者が隣席を見やる。


「すまん。アレはちょっとやりすぎた。今は反省している」

 スポンサー代表の姫梨子が余計に小さくなっていた。


「ふぉふぉふぉふぉ。まあ良いではないか。無礼講じゃよ」

 微妙に言葉の意味を間違っている尿神。


 第一回 全日本ニョーイ選手権大会。

 長之介が表彰台を固辞したため三位決定戦は行なわれず、これにて全試合が終了したことになる。さっきまで試合会場だったドーム中央部では、表彰台のセッティングが進められていた。


「貴様の勝ちや、前出 伍朗。ワイはこんな男と戦えたことを誇りに(おも)とる」

「いや、お前も、お前こそ本当に強かったよ」

「へ、へへへっ……」

「ははははっ……」

 ドーム中央から少し外れた場所で、伍朗と廉士は言葉を交わしていた。過去のわだかまりがあったにせよ、共に同じ頂上を目指して放尿した仲間なのだ。


「ライバル同士が互いに競い合い、決して一人ではたどり着けない領域へ到達する。ええのぅ、若い(もん)はええのぅ」

 近くの解説席に座ったまま、長之介は涙している。

「なあ、またどっかで会えるかな?」

 表彰式をすっぽかすと聞かされた伍朗が、廉士に尋ねた。

「さーて、どうやろ。今日はジイちゃんに黙って出てきたけど、後でバレたら何言われるか分からんわ。ひょっとしたら大会で戦えるのは最後かもな……」

「そうか……」

 二人とも寂しそうにつぶやいた。

「でも、またどっかで。試合じゃなくても戦おうぜ!」

「せやな。ワイらの戦いに終わりはあれへん」

「便器があれば何でもできるっ!」

「世界中がワイらの便器やっ!」

 声高らかに宣言し、再びガシッと握手をする。

 見ていた場内からは、またも大歓声。

「ゴローは優勝だけでなく、生涯の強敵(とも)を得たか。アタシも嬉しいぞ」

「ええ。一般常識的には通報したくなるような宣言でしたが……」


 そして、ついに別れの時がやってきた。

「じゃあワイはここでサイナラや。またな!」

「おい、ホントに表彰式ぐらいは……」

「だからアカンのやて。あんましでっかく雑誌とかに出てもたら、ジイちゃんにもバレやすくなるからな」

 心底残念そうな顔で廉士は言った。


 その時、客席の最前列から

「――いい仕合であった」

「え?」

 長之介とも違う、老齢の声が聞こえた。声の方向を見た廉士はいきなり叫び出した。

「あ、あああっ! ジイちゃん……何でここに!?」

 廉士の祖父――つまり因縁の張本人?


 姫梨子たちも一斉にそっちへ注目する。白の道着ではなく、仏僧を思わせる軽装の袈裟を身につけた老人。長之介よりかなり若い。……といっても七十歳は過ぎているだろうが。

「愚か者が! あの程度で我輩(わがはい)の目をごまかせると思うてかっ! お前が出しっぱなしにしとる『お小遣い帳』を見れば、新幹線チケット購入代やら何やらが一目瞭然じゃい!」

「し、しまったあ! ワイとしたことが!」

(お小遣い帳って……意外にマメだな)

(やっぱりウッカリさんだ)

(やっぱりウッカリさんじゃのう)

(やっぱりウッカリさんでしたか)


「……だがな、レンよ。何を心配することがあるか。優勝に届かなんだとはいえ、お前はよく戦った。我輩はちゃんと見ておったぞ。胸を張って堂々と表彰台に上らんかいっ!」

 周囲の大気が震える。

「うひっ!?」

 あの廉士が本気で怯えていた。

「……で、でも。ニョーイストへの復讐はまだ、ワイ……」

「もう良い。もう良いのだ、レンよ」

 一転して落ち着いた声になる。


「我輩もヌシを育て上げ、ニョーイを潰そうと考えていた。されど、されどな。――あの決勝戦を見てしまえば、過去の怨念など綺麗さっぱり浄化されてしもうたわ。いい仕合であった。本当に……いい仕合であった」

 何度も、噛みしめるように繰り返した。


「ふぉふぉふぉ。久しいのぅ、さかき 謙真(けんしん)。いや、もう一つの呼び名のほうが良かったかの?」

 長之介がひょっこりと顔を出し、謙真と呼ばれた老人に話しかけた。

「ふん、尿神の(おきな)か。まだしぶとく生きておったとはな」

 疎むような口調だったが、それを長之介は軽く流す。

「ふぉふぉふぉ……お主も息災(そくさい)で何よりよ」

「ご老人、あちらは有名な御仁なのか?」

 気になった姫梨子が聞いてきた。


「ふむ。『尿道』の先代継承者にして、あ奴こそは尿鬼(にょうき)と名乗っておった強者よ。国内で活動した時期が合わんかったから、ワシゃ試合で直接対戦したことはないがのぅ」

「ほー、そんなに手練れの御仁だったのか」

「そうじゃよ。充分すぎる実力はあるくせに、あ奴自身はめったに人前に出ようとしない秘密主義者だったからのう……いつしか付いた仇名(あだな)が――」

 なんかオチが読めてきた。

「――『秘尿鬼(ひにょうき)』じゃよ」

「「最悪だ!」」

 全員の声が見事に揃った。


「されど尿神の翁よ。我輩らはもう復讐など考えぬが――あの過去の屈辱だけは忘れまいぞ。以後は公明正大な審判を心がけるよう願いたい」

「ふぉ?」

 そういえば卑怯なジャッジがどうとか、さっき廉士が言ってたっけ。

「とぼけるな! 四十八年前の地方大会……。『便器から尿が漏れたら減点』などという決まり事を、なぜ我輩にだけ報せなかったのか! 『尿道』の実力を恐れ、卑劣な手段で『尿道』締め出しを目論(もくろ)んだ非を認めよ!」

「せや、ワイもずっとそれを聞いて育ったんやで。ここだけはハッキリ認めてもらわんとな。恨みやなくてケジメの問題や」

 和解した廉士も、ここではニョーイに対抗する立場となる。当時の長之介は海外武者修行中だったらしいが、たしかに今の日本ニョーイ界を担う責任者ともいえる。

 さて、どうしたものか……。


「横槍すまん。先代継承者の御仁よ、どうも気になる点があるのだが」

 そこへ姫梨子が口を挟んだ。

「何かな、ご令嬢?」

 不機嫌そうに謙真が問うた。

「いや、御仁な……たしか素性を偽って当時のニョーイ大会に参加したと聞くが」

「いかにも。それが?」

「その、大変申し上げにくいのだが……『尿道』使いだと分からない周囲の者が、どうやって尿道家を閉め出そうとしたのか、とな」

「…………む」

 二人の尿道家は、ぴたっと動きを止めた。


「ワシも思うところあるんじゃが、良いかのぅ」

 今度は長之介が言った。

「ワシゃ自分が出とらん試合でも、大会パンフレットだけは全部揃えて部屋に保管してあるんじゃが……『尿漏(フォルト)』の規定を書き忘れた大会パンフレットなぞ一冊も無かったぞえ?」

「…………ぬ?」

 今度は二人が怪訝そうな顔になった。

「ふむ、疑うのならば後日お見せしようか? 四十八年前といえば……北関西のローカル試合じゃったかな。だいたいお主、考えてもみよ。尿漏フォルトなどという基本中の基本ルール、あらゆるニョーイ大会資料にきっちり明記されとらんわけがなかろう」

「…………ぐっ!」

 二人は無料配布されている今大会のパンフレットを取り出し、急いでページを()った。


「今日の大会パンフレットじゃと……まず表紙の折り返しじゃな。そして三十四ページ、『はじめての方へ』にも読みやすいイラスト入りで解説しとるじゃろ?」

 まさか今回のも読んでないのか、それとも読んだけど見落としたのか。


「…………」

「…………」

 非常に気まずい沈黙が流れる中、謙真が叫ぶ。


「――いい仕合であった!」


(うわ、また腕力で押し切った)

(ウッカリ一族だな)

(ウッカリ一族じゃのぅ)

(ウッカリ一族ですね)

 こうして今度こそ、あっさりバッサリきっぱり葬り去られた四十八年間にわたる妄執。


 後年、伍朗は大会回顧録において「あれは、うん……ノーコメント」とだけ記し、それ以上はいっさい語らなかったという。

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