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ニョーイの星  作者: 木端 貴史
第四章 闘尿の果てに
17/21

4-5

 ――同時刻。大会医療チームの待機所。


「医師長、前出選手の生命兆候バイタルが危険域に入りつつあります!」

「分かっている。もう回収班は準備できてるな? AEDスタンバイ! ゲートの手前で待機。こちらの合図があり次第、すぐに選手を回収するんだ。――外部への搬送を待たず、この場で緊急オペもあり得る。そちらの用意もいいな?」

「はい!」

 てきぱきと指示を出すのは、準決勝後に伍朗の診察をした男性医師だった。タバコの火を揉み消しながら愚痴をこぼす。


「やれやれだな。私はあれほど止めたのに」

 この大会、試合前のドクターストップはないが、試合中に選手の意思疎通ができなくなった場合のみ「医師裁量によるTKO判定」が認められているのだ。

「これだからアスリートって連中は」

 選手といっても立派な年齢の大人ばかりなのに、一つの勝ち負けとかコンマ一秒のタイムに寿命を削りやがる。


 彼らの熱意や克己心には一定の敬意を表しよう。しかし何が許せないかって「根性」とか「気合い」で肉体がどうにかなると信じ込んでいるところだ。


子供(ガキ)じゃあるまいし。まったく、子供ガキじゃあるまいし……」

 医師のイライラは止まらなかった。


   ◆


 けたたましい声が聞こえる。この三ヶ月、さんざん耳元で響かされた、あの娘っ子の声だ。


「……ロー……もう……ろっ! ゴ……。誰か……めてっ!」

 こっちを見て、必死な顔で何か叫んでいるのは分かるんだが……さっぱり内容が頭に入ってこない。っていうか、ここはどこだっけ? いやに全身がだるい。ひどく現実感が薄い。知らん間に俺は、事故にでも遭って死んじゃったんだろうか。


「……様っ! 前……」

 あっちにいるのは黒メイドか。何だよ、珍しく泣きそうな顔しやがって。お前はいつもみたいにツンツンしてろ。


「……嬢……っ!?」

 娘っ子がなんかの机を乗り越えて、こっちに駆けて来ようとしてる。……あ、つまづいて転んだ。それでもベソかきながら立ち上がって、

 俺のところへ――


 あれ? 俺はなんで、手を挙げてあいつが来るのをストップしてる?

 そんなビックリした顔すんじゃねぇよ。まるで「死体」が動き出したのを見たみたいに。


 反対の方向からも別の声が聞こえる。

「戦……出……朗っ! お前……れでも……ニョー……かっ!」

 そうか、ここにはあの二人以外にも誰かいたのか?

 ニョー……なんだっけ? どっかで聞いた単語……ニョー、ニョー、

 ――そうだ、「ニョーイ」の大会かっ!


 思い出してきた。俺は試合中、力を使い果たして動けなく……だから娘っ子は心配してベソかいてたんだ。やっと納得した。

 おいおいバカ娘が。「その程度」で泣き出すなよ。いやまあ小学生だったら普通そんなモンかもしれんけど。


「もうやめてよ。アタシには()えた。ゴローが二度と立ち上がれない未来が……だから今からでも……もうやめて、戻ってきてよっ! ゴロー!」

 今度はハッキリ声が聞こえた。黒メイドに後ろから抱きかかえられながら、びーびー泣いてやがる。


 ああそうか、俺の死ぬ未来が()えたと言ってるのか。

 それは都合がいい。その未来を変えてみせれば済むんだからな。


 お前は何度も俺に言ったはずだろ。「ニョーイ」とは紳士のスポーツ。


 ならば……それを操るニョーイストは、紛れもない紳士。

 すなわち!


「紳士に絶望なく――」

 自然と口が動いた。ほら、まだ力が出せるじゃないか。


「紳士に背信なく――」

 折れていたヒザに根性と気合いを注入する。そして立ち上がる。


「紳士に撤退なく――」

 すべての感覚に光が灯る。


 俺は、お前に、胸を張って叫ぶ。

「――ゆえに、紳士に限界はないっ!!」


   ◆


「医師長、前出選手の生命兆候(バイタル)が急激に回復っ! これは……こんな……!」

 驚きを隠せない様子で若い医療スタッフが叫んだ。


「ああ、私も分かってるさ。ちゃんと映ってるんだからな……う(あち)いっ!?」

 モニターを見ながら医師は答えた。そしてタバコの灰を落とし忘れていたことに気づく。

「……回収班に通信だ。ゲート前にそのまま待機。おって私からの連絡を待て」

 ズボンの焼けコゲ跡をふーふー吹きながら指示した。

「し、しかし医師長! 一時的に生命兆候バイタルが復調したからといって、試合をできるかどうかは別次元の問題でしょう。依然、状態は危険と判断します。万一に備え、すぐに前出選手の強制回収を!」


 別のスタッフからの反論にも

「ここの責任者は私だ。何かあった場合の責任はすべて私が取る。何より、見てみたくなったんだよ。あの青年が起こすかもしれない『奇跡』をね」

「ばっ……、あなた、奇跡とか何とか……もし学会で言ったら村八分むらはちぶですよ!? そんな子供じみた考え方の人だとは思いませんでした!」


 それでも医師はモニターから目を離さず言う。

「自分でも驚いてるよ。……で、やっと思い出した。私にもね……少年(ガキ)の頃があったんだって」


 小じわが目立つようになってきた中年医師の目元には、うっすらと涙が浮かんでいた。


   ◆


 紳士に限界はない――その宣言通り、


「たっ、立ちました前出選手。一時はヒザを付き危篤状態かとも危ぶまれましたが……セコンドの声援によって不死鳥のごとく蘇ったあああっ! これぞ絆の力、無限の紳士力(しんしりょく)、ニョーイスト魂っ! 私、ワタクシ、またも失禁が止まりませんっ!(じょぼぼぼぼ)」

「…………」

 今度は観客のツッコミがなかった。誰もが一点に、ただ一人の紳士(ニョーイスト)に注目しているのだ。


「前出様……あなたという人は、本当に……」

 山田さんも目に涙を浮かべている。


「せやっ、それでこそワイの認めた(おとこ)やっ!」

 もう廉士の頭に復讐はおろか、優勝したいという意識すらなかった。ただ互いに全力で技をぶつけ――傷つけるのではなく、純粋に競いあう。なんと素晴らしいことか。


「ゴロー……お前はどうして、アタシが何回止めても戦う……その体でどうして……諦めてもいいのに……っ」

 嬉しさととまどいと感動と切なさで、姫梨子の小さな胸は張り裂けそうだった。


(さあ――ここまで盛り上げたんだ。責任重大だぞ)

 立ち上がった伍朗は、自らの心に語りかける。


 無意識で聞いていた廉士への大歓声は、おそらくアイツが「画竜点睛」以上の技を成功させたと想像できる。……さすがだな。

 さて一方、こちらは文字通り「立ち上がっただけ」の状態。あいかわらず肉体は言うコトを聞かず、残尿(ざんだん)も乏しい。再延長にもつれ込むなど論外だ。


 ――しかし諦めだけは存在し得ない。


 あの小賢しい娘に教えてやらねばいかんのだ。お前に()える「未来」なんてのは、実はカンタンにひっくり返せるということを。

 面倒な任務だ。ああ、まったくもって面倒だな畜生め。


「おい、姫梨子っ!」

「にゃひっ!?」

 初めて名前を呼ばれ、少女はビクッと驚いた。

「お前の願いを言え! 今なら一個だけ絶対に叶えてやる!」

 選手用インカムのボリュームを最大にして、世界中に響けとばかり叫ぶ。


「ゴ……ゴロー……。アタシは、アタシは……」

 思考が混乱する。天才と言われた頭脳がまともに機能していない。顔だけがカーッと熱くなり、心臓がバクバク鼓動している。高熱を出した時の症状みたいだ。

「遠慮するな! お前の本心を言え、姫梨子っ!!」


「アタシの……本当の……心……」

 未来視なんて異能(ちから)は欲しくなかった。

 そして今になって少女は考える。

 自分には本当に「未来が()える」のだろうか?

 もしかして自分の思ったことが「未来になる」だけではなかろうか?

 母親に「死んじゃえ」と叫んだその日に起こった事故。

 誰よりも自分にやさしい人を殺してしまったのは、

 他でもない自分の、弱く卑しい心なのではないのだろうか?

 少女は今でも時おり未来が()えてしまう。

 少女は待ち続けている。

 この未来という牢獄から自分を救い出してくれる者を――


「姫梨子っ! お前の望みは……願いは何だああっ!?」


 アタシの願いは――「確定した未来」なんてちっとも信じない大バカ野郎を、全力全開で戦わせることだ。


「頑張れ、戦え、ゴロー! 戦って戦って戦って……絶対に勝ちなさいっ! 未来なんて変えて! アタシのために勝ってよ、ゴローっ!!」


 小さな体から声を振り絞った。

 それを聞いたジャージ姿の青年は、やさしく微笑む。

 そしてひと言


承りました、(イエス・マイ・)我が姫君よ(プリンセス)

 姿勢を正して仰々しく、ユーモアたっぷりの仕草で、解説席の姫梨子にお辞儀した。


 ほんの刹那(せつな)の幻か。

 そこにいた全員が、伍朗の背後に浮かぶ一人の紳士を見た。

 小じゃれたステッキを持った、壮年の西洋人。ぼんやりしたシルエットしか分からなかったが、ニョーイストなら誰でも肖像画で見たことがある……そんな人物のような気がした。


 無言のまま、ゆったりした動作で動作(フォーム)に入る伍朗。

 この歩幅(スタンス)、この動作順、この手足の軌道はニョーイストなら誰でも知っている基本型。両手抜き(ダブルアクション)銃身(バレル)を出し、背筋を伸ばしたまま放尿(シュート)するだけだ。

 世の男性が日常的に行なっている動作にもっとも近い。だがシンプルゆえ、もっとも奥が深い型とも言われている。


 長之介がつぶやいた。

最古の源流(オリジナル・ワン)『黄昏のテムズリバー』、しかもニョーイ公直筆の型じゃな。やはり青年よ、そこへ到達しおるか……」


 ゆっくりだ。ひどくゆっくり伍朗は動いている。始動から三分が過ぎ、まだ伍朗の手は銃身バレルに触れていない。

 緩慢なのではない、静止しているのでもない――ただ、それが自然であるかのように。伍朗は「テムズ河」を演じようとしている。


「――妙ですね。気のせいでしょうか、会場の雰囲気が……?」

 気配に敏感な武闘派メイド、山田さんがポツリとつぶやく。さっきの廉士は試技をしている本人だけが、ひどく穏やかな様子に見えた。しかし今、伍朗が銃身バレルを抜いた今は、彼一人じゃない。ドーム内すべての空気が……何か、神聖なものに……。

「あ、前出選手がようやく銃身バレルを抜き終わりました。そこに映ったモザイクは――金色の、いや、黄龍(おうりゅう)だっ! 榊選手は龍の絵を地に描きましたが、こちらは尿気(ニョーラ)でそれを超越! 幻想生物の頂点たるドラゴン、その最高位にあるという伝説の黄龍おうりゅうを呼び出しましたっ! しかし不思議です。威圧感はまったく感じません」


「何を騒いでおるんじゃ司会者よ。青年はまだ銃身(バレル)を抜いておらんではないか」

 同じ解説席で同じ光景を見ているはずの長之介が、司会者の実況に疑問を挟んだ。

「え? ……いえ、たしかにほら……町田さんこそ何を言ってるんです?」


「お二人とも何を……もう前出様は放尿(ビーム)を撃ち始めていますよ。それにしてもなんと優雅な……」

「ちょいと待てメイドさんや。ワシゃ放尿ビームを見逃すほど耄碌(もうろく)してはおらんぞ」

 話が噛み合わないのは解説席の面々だけではなかった。

 観客席からも「銃身(バレル)が九本に分裂」「あまりの尿量に便器(ターゲット)のタンクが溢れ出した」「前出選手が四人いる」など、さまざまな声が漏れ聞こえる。

「ゴロー。なんて暖かい笑顔……」

 姫梨子もおそらく違う光景が見えていた。


「こ、この現象は……町田さん? どういった……」

 魅入られたように眺めている姫梨子ではなく、長之介に司会者がコメントを求めた。

 というより、司会者自身も本能的に分かっていたのだ。何か声を出していないと、この空気に自分も魅入られてしまうと。


「……『永字八法(えいじはっぽう)』」

「は?」

「書道の言葉じゃよ。『永』というたった一文字には、書に必要な八つの技法がすべて含まれているという。ことニョーイでは基本型『黄昏のテムズ(リバー)』がそれにあたるんじゃ。あの若者は基本技だけで――何かを起こそうとしておるやもしれん」


「は、はぁ……」

 達人の説明は難しすぎた。だから「何か」って何だよ、と司会者は心の中で愚痴(ぐち)る。というより長之介自身も、先の展開が想像できない。予感はあるのだが……まさか……!


「「…………」」

 観客席は一様に沈黙していた。ある者は伍朗のフォームをじっと凝視し、ある者はスクリーンに向かって祈りを捧げている。またある者は、手に持ったアイスクリームが溶け落ちているのに気づかない。

「……っ、汗が目に?」

 いつの間にか司会者の額から汗が垂れ、慌ててメガネを外して拭う。


「なんやねん一体? さっきから時間の感覚が……おかしいで」

 伍朗の間近で試技を眺めている廉士。これまで他流の幻術使いなどとも仕合ってきた彼だけに、催眠への耐性は並外れて高い。だが催眠破りの呼吸法、急所(ツボ)への圧痛……何を試しても感覚が戻らない。そもそも修行していない一般人と、催眠耐性を鍛えた廉士の状況が同じというのはおかしい。

 この現象は――催眠や幻などではないのだ。


「こんな技がニョーイにはあるんかいな? いや、まさか、これ……『(けん)』の入り口か!?」

 廉士は修行中に聞いた記憶がある。


 古流の教えに曰く――「(けん)を究めし先にけん在り」

 流派によって「領域」「境」「結界」など呼称はさまざま。それは単なる個人への催眠スキルではない。けんに至った者は意識を果てしなく拡張し、やがて一定エリアの空間内すべてを掌握。そこでは現実世界への干渉が行なわれると言われている。


 シンプルに言えば、

「人間がイメージし得る事象はすべて実現する」


「なんで、なんでや? 武術の秘義(ひぎ)が西洋のスポーツに? 地球の反対側で、長年かけて目指した境地は同じってことか……」


   ◆


  長之介は解説席で、誰に語りかけるともなくつぶやいた。

 伍朗は技のフォームに入りながら静かに口を開いた。


 「ワシはずっと考えておった。ニョーイ公が生前に『テムズ河』しか型を残さなかった意味をな」

「あんなに疲れてたはずなのに。ちっとも悪くない気分だ」


 「思うんじゃよ。まだ当時ニョーイ競技が未成熟だったからではない。ひょっとして、ニョーイ公は『基本型ひとつで総てが足りる』と確信しとったんじゃなかろうか」

「姫梨子、山田さん、司会者のオッサン、町田じいさん、それに廉士も客席のみんなも」


 「そういえばもう一つ、誰にも言わんでおったが……。ニョーイ公は日々『テムズ河』の型稽古のみを繰り返し、晩年に『ある境地』へ辿り着いたという伝説があるんじゃ」

「ありがとう。昔っからダメダメな俺だったけどさ……今はもうどうでもいい。今ならやれそうな気がする」


 「その境地……否、技じゃな。いかなる技じゃったのか、誰も詳しく伝えてはおらん。ゆえに、根拠のないウワサじゃと見る専門家も多い」

「まだ俺にもどんな技になるかは分からないけど、その鼓動を感じるんだ。見ててくれよ、みんな」


 「じゃがワシは信じたい。ニョーイ公の最後に到達した技は実在しておると。なぜなら……技名だけは伝説の中に残っておるのじゃから」

「さあ、いくぞ。これが仕上げだ」


 「その伝えられし技の名は――」

「これから出す技の名は――」


 「――『The Universe』」

「――『森羅万象』」


 満員満席のドーム内に、おごそかな水音が木霊(こだま)する。

 ゆっくりと数秒、いや数十秒か、それとも永遠か。誰にも時間を計ることはできない。


 これは「本人にすら結果が分からない技」

 あるいは「歴史に埋もれた伝説の技」

 そして「見る者の数だけ存在する技」

 それが、ここに解き放たれた。


 対戦相手、放送席、客席、審判席、医師団控え室。

 誰も目を逸らさず、だが誰一人として何処(どこ)も見ていない。

「…………っ!」

「…………?」

「「…………」」


 (とき)が過ぎていく……


 ――ピチャン……。

 静寂を破った音は伍朗の放尿(ビーム)、その最後の一滴(ゴールデンドロップ)だった。

 すでに伍朗の形成した「圏」は消え、会場内の人々が現実世界に戻ってきた。


 誰も、彼の試技を鮮明に憶えてはいない。


 ただ口々に、

「お嬢様……あのお姿はお嬢様? いえ、でも、あれはまるで十年後の姿では……それに、手を繋いで隣にいた男性はまさか……」


「戦場……どっかの古い戦場やった。あの武士(もののふ)は『尿術』使いか? 知らんかった。まだワイの知らん技があった……?」


「ワシゃ全盛期の若い姿に戻っておった。そして老境のニョーイ公とまみえ、全霊で仕合(しあ)い、なす(すべ)なく敗れた。くくく、この年齢(とし)でまだ修行不足を痛感させられるとは。これじゃからニョーイはやめられん」


 誰もが無意識に思い返していた。すべての因果を超え、自分だけが訪れてきた「時空(せかい)」を。


 そして姫梨子も

(かあ)さま……ちゃんと無事に帰ってきて、仲直りできた。うっ……えぐっ……やさしい手で撫でてくれた……ふ、ふぅぇええええん……」

 少女の手には、母が好んで身につけていた象牙ぞうげ製の髪留めが握られている。一つだけしか生産されなかった特注品。あの事故で失われてしまい、本来この世界には残っていないはずの髪留めが。


 名前だけ残り、実像が決して記録されないニョーイ技。

 見た者はいても、正しく伝えられる者など誰もいない。

 数百年におよぶ歴史上、これを為し得たと思われる使い手は二名のみ。


 そうだ、これを忘れてはいけない。

 決めゼリフ。

「ごきげん――――尿」

 ぐっ!(拳を静かに頭上で握りしめる)


「「…………」」

 誰も反応を返さない。いや、返せない。

「あ……すいません……涙で、涙と鼻水とその他の体液でマイクが見えませ……」

 かろうじて司会者がマイクを握り、話し始めた。

 それを境にして、ようやく他の人間も精神活動を取り戻していく。


 ――待つこと数分後。全員のコンディションが正常化しつつある頃。

「み、皆さん。ついに放送席へ届きました。戦士、いや、紳士たちの命運を決める、これがポイント判定の結果です……」

 努めて冷静に司会者が告げた。ドーム中の意識がその声に集中する。

「赤コーナー、前出選手。……『0点』です」

「「…………」」

 技を出しただけで点が入るニョーイ競技で、このポイントはありえない。だが選手もセコンドも観客たちも、誰一人として異論を唱えなかった。


「続いて青コーナー、榊選手。……『二千八百五十九点』。また記録更新です」

 平然と司会者はアナウンスを続ける。史上最高点を更新したのに、絶叫もしない。

「これで決定しました。第一回 全日本ニョーイ選手権の優勝者は――」

 視線が試合場の二人に集まる。姫梨子のような異能(ちから)はないが、この先にある結末を誰もが正しく予想していた。


 廉士が伍朗に歩み寄った。

 解説席の長之介をちらりと見やる。

(ふん、準決勝のアンタもこんな気持ちだったんやろうな)


「優勝はこの男や。前出 伍朗――っ!!」


 疲れ切って満足に動かない伍朗の右腕を握り、高らかに掲げる。

 廉士が獲得した二千点を超えるポイントにもはや意味などない。伍朗が0点だったのは、審判団が採点を諦めたからだ。あの「現象」を、人間ごときが採点することはできない。

 それを皆が分かっていたからこそ、0点と発表された時に誰も騒がなかったのだ。今はこのドーム内に、奇妙な一体感が生まれていた。



「ここに、ここにっ、優勝者っ、決定いいいいっ!

 赤コーナー……前出 伍朗選手です!っ!!!!!!!」

「「ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!」」

 まるで百万匹の大怪獣が一斉に咆吼したような音量。そして振動! 事実、ドーム最寄りの観測施設では、同時刻に原因不明の地震を記録していた。


「終わったな。やっと長かった戦いが全部――むごぉ!?」

「ふっ、ワイの負けや。前出伍――うおぉ!?」

「ゴロー、やったぞゴロー! にゃ、にゃはははははははっ!」

 勝利宣言の余韻が冷めやらないうちに、解説席から姫梨子がブッ飛んできた。標的はダイレクトに伍朗。

 ネコのような身軽さで飛びつき、見事に伍朗の顔面をヒップで組み敷いていた。

「ごふぉ! ……むぐぐぐぐぐっ!!」

「このこのこのおっ! ホントにやったな。凄いぞ! 大好きだぞゴロー!」

 その顔面上で、ドッスンドッスンと跳ね回る。そして仰向けに倒れた伍朗の指先が、ビクンビクンと痙攣(けいれん)する。

「にゃははっ! にゃははははっ!」

「あのー、お嬢様。そのあたりでご容赦しませんと……前出様は耳血(みみぢ)を流しておられます」

「む、そうか?」

「あうあうあうあうああああぁぁぁ……(ビクン、ビクン)」


 最後まで出番なしと思われていた医療チームが、ここで緊急出動する事態になった――。

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