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ニョーイの星  作者: 木端 貴史
第四章 闘尿の果てに
13/21

4-1

 全日本ニョーイ選手権大会。


 決勝トーナメントの開始からどれだけ時間が経っただろう。

 どれだけの叫びと、汗と、涙と、尿が流れただろう。

 時計の針はすでに深夜零時を指している。

 それでも会場へ詰めかけた老若男女は眠気を訴えるどころか、いっそうテンションを上げながら最終決戦ファイナルを待つ。


 決勝戦スタートまで残り一時間。


 その頃――。

 寒風吹きすさぶドームの屋根には、袖無しの白道着を纏った青年が一人で腰掛けていた。天を仰ぎ、星空に語る。

「ジイちゃん、待っとれや。もう少し、もう少しで無念を晴らしたるからな……」


 そしてドーム内、選手控え室では――。

「ふぉふぉふぉ。ワシじゃ。ちょいと邪魔するぞい……ふぉ?」

 ニョーイスト代表として決勝を戦うことになる伍朗。その様子を見にきた「尿神」こと長之介だが、眼前に広がるのは予想外の光景だった。


「つ、疲れた……これで全部か」

 頭にハチマキを装着し、ドレス姿のままぐったり突っ伏す少女。

「おそ、らく……理論面は完了かと。まだ仕上げは残っていますが。……私もこの短時間で、フルマラソン級の距離を走ると……かなり堪えました」

 珍しくクールな仮面を脱ぎ捨てて、書類の束で豊かな胸元をバッサバッサ煽いでいる黒服メイド。

「な、なんか買い出しくらいしか役に立ってないが……。それでも連戦の後にコレはしんどい……」

 決勝戦を一時間後に控える伍朗すら、なぜか汗まみれだった。

「何をしとったんじゃ、お主ら? 体ほぐしのスパーリングかえ?」

 怪訝そうに長之介が尋ねる。

 密室でジャージ青年と幼女、美人メイドの三名がスパーリングを繰り広げる絵面(えづら)を想像したら、たいそうシュールだ。


「そんなわけない。(ほう)けなさったかご老人」

 面倒くさそうに姫梨子が返事し、伍朗も答えた。

「ああ町田さんッスか。ちょっと決勝で使う技の準備で……」

「これがニョーイ技の準備じゃと?」

 控え室の中では、数々の数式が走り書きされたレポート用紙、そしてドーム内の業者用設計図とおぼしき大量の書面が散乱している。まったく何が行なわれていたのか見当つかないが。


「ところでご老人、一体なにをしに来たのだ。まさかトイレと間違って入ってきたわけでもあるまい」

 わりと失礼な姫梨子の問いに、甚平姿の長之介は答える。

「ふむ。なにせ決勝戦の『尿道』使いは只者ではないからのぅ。お主が戦える状態にあるか、確認にきたわけじゃよ。ま、どんな技の準備をしとったかは見るまでの楽しみにしておくが、どうやら問題はないようじゃな。ふぉふぉふぉ……」


「いや、それが大きな問題がまだ一つ」

「ふぉ?」

 伍朗は自分の股間をうっそりと眺めた。

 技の準備は着々と進んでいるが、その使用条件が揃っていない。

「伸びきった包皮(ブースター)がですね、まだ戻らないんスよ」

 銃身(バレル)の炎症はひとまず薬で抑えたが、それを取り巻く包皮ブースターの伸びは手の施しようがない。

「決勝ギリギリまで治療を考えるけど、最悪、無理にでも二つ折りにして輪ゴムで止めるとかに……」

 あー、考えただけでも痛い。そして実に見栄えがよろしくない。


「なんじゃ、医療班の医師に頼めばよいじゃろうに」

「それが、決勝戦に出ると話したとたん『勝手にしなさい! 私はもう知らん』ってブチ切れちゃって……」

「実に困りました」

「こんなことなら本家から医師を連れてくるべきだったか」

 姫梨子も山田さんも困り果てている。


「ふぉふぉふぉ。そうかえ、そうかえ。そんな事情なれば、この年寄りが力になれそうじゃの」

「え?」

「今でこそ火星殺法(マーズ・アタック)は邪道技の分類じゃがな、ワシの若い頃は使用するニョーイストも少なくなかった。ゆえに……お主と同じ症状の者も多く、熱心に対処法を模索した時期があるんじゃ」

「なんとっ!?」

 姫梨子をはじめ、当然誰も聞いたことのない話だ。さすがニョーイ界の生き証人。

「なーんだ、一発で治す方法が使えるんなら、もっと早く言ってくれれば」

 伍朗もひと安心の表情を見せる。

「じゃがこの方法は、東洋武術の『内気功』を応用したものでな。外部から働きかけはするが、最終的な治癒にはお主自身の生体エネルギーが消費されおる」

「つまりご老人……それは」

「いかにも。ただでさえ疲労の極みにある伍朗君が、包皮ブースターの復元と引き替えに生命力を根こそぎ奪われるかもしれんのじゃ」

「ゴロー……」

 姫梨子は心配そうに伍朗の顔を見る。だが本人にしてみれば逃げる理由にならない。これであと一度、戦いの場に立てるのなら。


「町田さん、頼みます」

「ふぉふぉふぉ。お主ならそう言うと思っておったわい。では、さっそく治療にかかるか。よろしいな、セコンドのお二人も?」

 姫梨子と山田さん、両者ともコクリと頷く。

「あー、それともう一つじゃが。この技はワシの銃身バレルにも生体エネルギーを集める必要があってのぅ」

 ちらり、と女性陣のほうを見る長之介。視線の先には山田さんが。

「できればその、精神統一のために、そこなメイドさんのバインバイ~ンなお乳で銃身バレルをじゃな――」


 うわぁ。

 っていうか九十過ぎても枯れてないのか。この妖怪ジジイは。

 対して敏腕メイドは

「私は日本橋家の専属S級メイドとして、あらゆる個人データを登録しております。しかし唯一、握力の数値だけは登録できていないのです」

「……ふぉ?」

「なぜか私の使う握力計は、軽く力を込めただけで圧壊してしまう不良品ばかりで」

 壁際に立っている山田さんの腰あたりから「めきっ」と破壊音が聞こえた。控え室のコンクリート壁が、後ろ手にアイアンクローで(えぐ)られていたのだ。

「よろしければご老公、ご自身の股間(カラダ)で測定なさってみますか?」

 笑ってない。口元はちょっと微笑んでるが、メガネの下が明らかに笑ってない。


「……ちょっと町田さん、あの日本橋家のメンツを怒らしたらヤバいですって」

 思わず見かねた伍朗が長之介に耳打ちした。

「あいつらは平気で宝物(ブツ)を握りつぶすだけじゃない。それを金にまかせた先進医療で再生して、また握りつぶす……そんな連中ッスよ」

「ひっ、ひいっ……。鬼じゃ。鬼嫁じゃあ!」

「俺も同感ッス」

 あと嫁はカンケーない。


 こうして十五分後。

「あのー、ひとつ質問が」

「なんじゃね?」

「俺はあとどんだけ、この恥ずかしい格好を続けなきゃならんスか?」

「うむ、残り五分といったところかのぅ」

「……五分か……」

 場所は先ほどと同じ控え室。

 長之介と伍朗は、伸びきった包皮ブースターを復元する気功治療に明け暮れていた。


「ほれどうした、逃げるでない。互いの銃身(バレル)が離れてきておるぞ。密着ギリギリまで、ミリ単位を見切るんじゃ!」

「とっほっほー。キモい、超キモいよこれ……」

 二人のニョーイストは「電車ごっこ」のような体勢。ただし両者がほぼ密着状態で向かい合う位置関係だ。互いに銃身バレルを近づけ、長之介と伍朗の尿気(ニョーラ)を同調させている。


 まさにノーマルな男にとっては地獄絵図。しかも長之介は銃身バレルへのエネルギー補給のため、売店で買ってきたアレな雑誌を読みながらだ。

「ふぉおおおぉ! なんちゅう水着の食い込み方か! けしからん、最近の若い娘はけしからんっ!」

「あんまり目の前で変なページを広げないでくださいッス……」

 この体勢で勃起(バースト)したら目も当てられん。

「あのメイドさんが快く協力してくれたら、こんな本も要らんかったわい。だいたいワシの金で買ったんじゃぞ」

「売店までパシらされたのは俺でしたけどね……あ、ちょっと今めくったページ、もう一回」


「最悪だなコイツら……」

 姫梨子は自分の計算式を検算しながら、グダグダな野郎どもに呆れていた。ちなみに山田さんはドーム内を駆け回り、「技」の最終調整を行なっている。


 そんなこんなで、ようやく五分経過――。

「さあどうじゃな? お主の銃身バレルを確認するが良い」

 長之介が伍朗から股間を離して言った。

 まさかこんな短時間で都合よく……と実は半信半疑だった伍朗たちだが、

「うおっ、ほ、ホントに治ってる!」

 下着ホルスターを覗いた伍朗もびっくり。あんなに伸びた包皮ブースターが、見事に元のポジションへ戻っていた。

「ふぉふぉふぉ……。ニョーイの長い歴史には、このような技もあるということじゃよ」

「アタシからも感謝するぞ、ご老人」

「気にすることはない。困った時はお互い様じゃて。……まあ嬢ちゃんには恩返しとして、十年後ぐらいに成長したお乳――もげらっ!?」

「なにか仰られたか?」

 姫梨子の小さな手が、老人のオムツ深くまで容赦なくめり込んでいた。

 っていうか百歳過ぎても現役のつもりとは図々しい。

「ひいいっ、鬼じゃ、鬼孫じゃあ!」

「あんたの孫でもないッスけどね……」


 ともかく包皮ブースターは見事に復活。

「よしゃ! 回復記念に基本型――『黄昏のテムズ(リバー)』やってやるぜ」

 ちゃきっ、じー、もろんっ、(※放尿省略)……しゅたっ。

「ごきげん尿(キラッ☆)」

 あらゆるニョーイ技術の原点とも言われている|型の一つ「黄昏のテムズ(リバー)」を難なくこなした。

「おおっ。型も完璧じゃないか、ゴロー」

 見ていた姫梨子もご満悦だった。


 だが長之介は驚いた表情をしている。

「お主、その『テムズ河』……どこで習いおった?」

 いやに真剣な口調だった。

「え、いや、普通に入門書ッスけど。なあ?」

 姫梨子に同意を求めた。

「そうだ。だいたい『黄昏のテムズ(リバー)』は『麗しのメアリー』『雨に歌えば』などと並び、ニョーイで源流の七型(オリジナル・セブン)と呼ばれる基本型の代表格。どんな初心者ニョーイストでも知っているはずだろうに」

 それを細かく気にするとは……伍朗たちは長老の意味不明な態度を(いぶか)しんだ。


「ふむ。ならばお主が参考にした書名を当ててやろうか。――『和訳 尿偉(ニョーイ)指南書』の初版本ではないかのぅ?」

「まさか……なぜ」

 驚いた顔で、姫梨子がバッグから大量の本をドサっと取り出す。その中にはたしかに「和訳 尿偉(ニョーイ)指南書」初版本があった。姫梨子がニョーイに興味をもって関連書籍を手当たり次第に漁っていた時、ある古書店の奥で見つけたボロボロの一冊だ。値段はわずか五十円。


「ふぉふぉふぉ。やはりのぅ。日本のニョーイ黎明期れいめいきに記されたその本だけは、ニョーイ公の直筆による『テムズ河』の型指南が載っとるからな。現在の『テムズ河』とはわずかにフォームが違うんじゃよ」

「はぁ、そうなんスか」

 心底どーでも良さそうな豆知識をありがとうございます。

「しかし気になるのは……お主ら、なぜ数あるニョーイ書の中から、わざわざ古い挿絵の本で『テムズ河』を修練したのじゃ?」

「たしか(こだわ)ったのはゴローじゃなかったか?」

「ああ、そうだった。いろんな本を読んだけど、なんだかコレが『しっくり来る』ような気がして……」


 その話を聞いた長之介は、いきなり大声で笑い始めた。

「ふぉふぉふぉ、ふぉーふぉっふぉっふぉ!」

「ん?」

「ほにゃ?」

 そして眼をぱちくりさせる選手とセコンドに

「いやはや、長生きはしてみるもんじゃ。基本技さえ満足にできんニョーイストが跋扈(ばっこ)する昨今、ワシもしばらく表舞台から遠ざかっておったが……。ふぉふぉふぉ。こうして今日、お主と出逢えたのは――老い先短い年寄りへ、ニョーイ公からの手向(たむ)けかもしれんのぅ」

「……なあ、俺にはさっぱり意味が分からん」

「……アタシもだ。いよいよお迎えが近いか、あのご老人」


 そんな陰口も気にせず、ひとしきり笑った長之介。

「おっと、あまり年寄りが長居しては調整に差し支えるかのぅ。ではそろそろお(いとま)するとしよう」

「それはどうも、大したお構いもできませんで」

「ゴローの治療は感謝しよう、ご老人」

「うむうむ、ワシもお主らの健闘を祈っとるぞ!」


 ドアを後ろ手に閉めて、長之介はひとり呟いた。

「ワシも『尿神』の名誉称号を返上せにゃならんかのぅ」


 伍朗青年は知っていたのだろうか。『源流の七型(オリジナル・セブン)』はその名に反し、六つまではニョーイ公の高弟(こうてい)が後年に残した亜種だということを。唯一『黄昏のテムズ(リバー)』だけが本当にニョーイ公の開発した最古の源流(オリジナル・ワン)だということを。……否、知っているはずがない。


 そして、一切のアレンジが加えられていない古書を偶然入手し、ニョーイ公直筆による『テムズ河』を伍朗青年は見出した。ひたすら愚直に型を繰り返して、もはや完璧に我が血肉(もの)としている。

 何より。伝え聞くところによると、彼は嬢ちゃんが街角で偶然に拾ってきた選手だという。


 まるで何者かが導くように紡がれた、運命の連鎖。

 これらの符合は何を意味する?

 きっと何かが起きるとすれば、この決勝戦――。


「……あの若者、どうやら神に愛されておるわい。ワシなんかではない本物の神様にな」

 人の身で尿神と称えられた男は、静かに言った。

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