53 食物の最上の調味料は飢えであり、以下略
これまでに一度だけ、明確に腐ったものを口に入れてしまったことがある。
細かい事情は割愛するが、前日に作った煮物が入った弁当を、不注意で炎天下に数時間も置いてしまったときのことだ。
食べる前から「ヤバイかも」とは思っていたので、もし変な味がしたら吐き出そうという心構えをしていたのだが――。
口に入れた次の瞬間には、反射的に吐き出していた。
よく冒険モノなどの物語で、廃虚や朽ちた船の中で酒(恐らくワイン)を発見したキャラクターが、喜んで口にしたとたんに吐いて「酢になっていやがる!」などと言うお約束のシーンがあるが、まさにあの状態である。(ちなみにワインはどんなに熟成が進んでも酸化しても腐っても、ビネガーにはならない)
このとき筆者は、あの演出がとてもリアルなものであることを知った。
口に含んだ瞬間に、何かを思う間もなく、身体の全細胞がいっせいに「吐き出せ!」と命令してくるのだ。
理性よりも先に本能が、それが腐った食料、すなわち危険なものであるという判断を下したのである。生命とは、まことに上手く出来ている。
さてここで疑問に思うのが、いくつかの発酵食品について、人類はいかにして、本能が発する危険信号をかいくぐってきたか、である。
ご存じの方も多かろうが、「(食品の)腐敗」と「発酵、または熟成」は、現象としては同じものである。
両者を分ける基準は、人類にとって有益――例えば単純に美味しくなるとか栄養価が増すか否かという、ただその一点だ。
しかし世には、どう考えてもアウト、生理的な意味で本能レベルでもアウト、という「発酵食品」が存在する。
我が国においては「納豆」「くさやの干物」「なれずし」「豆腐よう」などがそれに当たり、好きな人にはたまらないらしいが、ダメな人にもまた違う意味でたまらんシロモノである。
そして世界にはさらにアウトなモノがある。
有名どころで言えば北ヨーロッパのシュールストレミング、アラスカのキビヤック、中国の臭豆腐、韓国のホンオフェあたりか。
栄養価とか歴史的背景を鑑みるにしても、飽食の現代日本に生きる筆者にしてみれば、これらは思いっきりアウト。実物を目にする前からアウト。一撃でスリーアウト。即死である。
これらを歴史上初めて食べた先人たちは、どうしてそんなモノを食おうと思ったのか。そして冒頭に書いたような反射的拒絶反応を、どうやって抑え込んだのか。
ああ、ソクラテスが笑っている。
拒絶反応などと、そんな大袈裟な――と思うあなたは、先に挙げた発酵食品を知らないのではないかと予想する。もしそうなら、ぜひともキビヤックかホンオフェあたりの製法を調べてみていただきたい。
それでもセーフの判定が出来たなら、あなたは間違いなく勇者だ。
そしてパイオニアになれる可能性も秘めている。
追記:
筆者は食べ物の好き嫌いがなくなったと豪語しているが、よく考えたらそのテの発酵食品は苦手だなあとこぼしたら、とある友人が「それは好き嫌いではなく、まず食料として認識できるか、という話だ」と言った。ものすごく納得した。




