49 いま思い返してみるとレアでアレな経験
二十代の頃、筆者が借りていた部屋は友人たちのたまり場になっていた。
主だった奴らには置き鍵の場所も教えて自由に出入りさせていたので、独り暮らしなのに一人になったことはほとんどない……というか部屋の主がいなくても誰かがいた。
さてある日のこと、筆者が仕事から帰宅すると、集まっていた中の一人である天然王(仮名)が「おかえり。次行くとこあるからもう出るねんけど、その前にお土産だけ渡すわ」と言った。
筆者はイヤな予感を覚えた。
天然王はあちこちで「天然王的に面白そうなモノ」を買ってきては、「筆者的にどーにもならんモノ」を置いていくヤツだったからである。
お陰で筆者の部屋は、訳の分からないモノで溢れていた。
こいつが持ってきたもので筆者が喜んだのは、歓喜天像、ブルース・リーのポスター、遮光器土偶と埴輪くらいだ。
そして今回、こいつが持ってきたモノは。
手錠と聴診器だった。
ナナメ上にもほどがある。
「なんじゃこれ。こんなもんどこで買ったんや」
「面白グッズ売ってる店のちょいエロコーナーにあってんけど、よー考えたら俺いま彼女おらんし、やるわ」
呆れる筆者に向かい、天然王はごく普通に答えた。
「いらんわっ! アホやろお前」
「えー、どっちも本物やで? けっこうええ値したし」
「いくらしたん?」
「手錠が四千円くらい、聴診器が八千円くらい」
「アホだお前は。コレでどないせえっちゅーねん」
「使えよ。まだ新品やで?」
「まだって、機会があれば使う気やったんか。こんなもん置いてたらおれの人格が疑われるやんけ」
「布瑠部やったらええかなって」
「まあ、ええっちゃええけど……」
思わず納得しそうになると、外野の一人である、ペインウィンド(仮名)が割り込んだ。
「あかんあかん。そんなん言うてるから、なんぼでもヘンなもん持ってきよんねん」
「ああ、そうやな。いらんから持って帰れ」
「えー、一回も使わんで捨てるの、もったいないなあ」
その美しきもったいない精神を、どうして購入前に発揮できなかったのだお前は?
「だから使わん言うとんねん!」
焦れた筆者は強硬手段に出ることにした。
「……ああもう、分かった。使ったろやないかい。手ぇ出せ。脱げ」
「俺に使ってどうする気やねん!」
「一回使ったら捨てられるんやろ」
手錠を持って迫る筆者。
「アホか。やるのはええけどやられるのはイヤや」
ものすごく最低なことを言って天然王が逃げるので、筆者は隣でビールを飲んでいたヱビス腹(仮名)に手錠をかけた。
「俺かい!」
「これで手錠は使った。次は聴診器」
抗議の声をあげるヱビス腹を無視して、聴診器を着ける。
……と、ここでちょっと予想外のことが起きた。
聴診器。
誰もが一度は目にしたことがあると思うが、アレはハサミ状、いやトングの方が近いか。とにかくその収縮力によって装着者の両耳を挟み込んでくるわけだが、耳の中に入れる部分が棒状になっていて、先っちょには申し訳程度のゴムだかシリコンがついているだけ、というシロモノである。
……つまり何が言いたいかと言うと。
思いっっっきり、深く入ってくるのである。耳の中に。
「ぬわーっ、気持ち悪いっ」
ヘンな声を上げながら、早く外したいので自分のシャツをめくって胸に当てる。
何故すぐに外さなかったかと言うと、どういう風に聞こえるのか、実はちょっと興味があったからである。
すると。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……。規則正しい連続音。
「……おお。めっちゃクリアに聞こえる。スゲーなコレ」
聴診器というのは、言わばただの管だ。
もちろんその管の径や各部の形状などに、さまざまな工夫があるが、それだけでここまで聞こえるとは。驚きだ。
「電気なんか使わんでも、こんなに聞こえるねんなー。みんなも聞いてみる?」
感心しながら言うと、
「俺は聞いたことあるからいい」とペインウィンド。
「あ、ちょっと気になることがあるから聞いてみたい」とヱビス腹。
何となく聞き捨てならない答えが混じっていた気もするが敢えてスルーして、ヱビス腹に聴診器を渡す。
ヱビス腹は自分の胸に聴診器を当てて、
「ああ、やっぱり。ふーん」
と言った。
「俺な、不整脈があんねん。こんなんなってんねんな、初めて自分でも聞いたわ」
聞いてみれば、まさかの告白。
ちょいと焦ったが、不整脈ではあるが今すぐどうこうしなければならないような、危険なものではないらしい。
……となると、聞いてみたくなるのが人情というものである。
不整脈とは、いかなるリズムを刻んでいるものか?
聞かせてもらう。
ドッ、ドッ、ドッ、ズクズドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ズクズドッ……。
擬音にするなら、こんな感じだった。四拍子。意外と規則的だが、たまに変拍子になる。
「わはははは、ロックや。ヱビス腹の心臓にロックの神様が住んどるぞ」
「さすがは俺やな」
笑っていると、天然王が「楽しんでるみたいやから、じゃあ俺はもう行くで」と言った。
筆者はこう答えた。
「待て。もう充分楽しんだから、これ持って帰れ」
理由:予想外に面白かったが、どう考えても絵面がヤバイ。




