48 菩薩が地獄を連れてくる
居酒屋での飲み会、好物のお刺身。
そこに添えられた大葉のはしっこを、ちょっぴりちぎって、口に入れる。じっくり味わう。
「ぬあああ。あかん。やっぱダメ! 食えん!」
「ダメ」ではなく「らめ」だったかも知れない。苦しみ悶え、酒で流し込む筆者。
「えーかげん諦めえや」
呆れて笑う友人たち。
ずいぶん長いこと繰り返された、お馴染みの光景。筆者の「好き嫌い根絶、あわよくば美味しくいただいてしまおう計画」の一幕である。(※詳しくは前回を参照)
不断の、というかもはや妄執じみた努力と好奇心で、数多の嫌いな食べ物を克服してきた筆者。
しかし大葉と納豆、この二つだけはどうしても、どうしても、どーーーーぉしてもダメだった。
納豆はわざわざ狙わなければ、そうそう目の前に出てくるものではないが、厄介なのは大葉。大葉だ。子ども時代を通して、嫌いを通り越して受け付けないレベルでダメなのである。
しかもこいつはそこそこの頻度で出現し、本気を出せばステルス性能も高い。油断していると無色透明な焼酎にまで溶け込んで忍び寄ってくる、恐るべきインビジブル・キラーだ。
もちろん遭遇頻度が高ければ克服チャレンジの機会も圧倒的に多かったわけだが、本当にもう徹底的にダメで、長きに渡る苦闘の末に「ちょっと我慢すれば食える」程度まで持っていけたのは、なんとここ数年のことだったりする。
というわけで、以下は何としても大葉嫌いを治さねばならぬと痛感した、筆者の若かりし頃の話である……。
筆者は昔、宣伝販売という仕事をしていた。
主に大阪市内の催事場などを巡っていたのだが、年に数回は他県への出張があった。
期間はだいたい四日~二週間ほどで、その出張先で筆者が必ずするのは「いい喫茶店を見つけること」だった。
さて、ある出張の折、一軒目から大当たりを引いた。
モーニングがとても美味しくて、ランチもやっており、絶妙な距離感で接してくる店のおばちゃんとも、いきなり仲良くなってしまったのだ。
そうして日に少なくとも三度は通う常連となって、何日目かのお昼どきのこと。
店先でラップをかけられて展示されている日替わりランチ(実物)が、豚の肉巻きフライだった。
肉巻きフライ――で、通じるだろうか。人参やいんげん豆、アスパラガスなどを豚バラで巻いてフライにした、筆者の大好物である。
「いらっしゃい。日替わりね?」
「はい。昨日から楽しみにしてました」
実はこの前日に、おばちゃんとの雑談の中で肉巻きフライが好きだと言ったら、では明日の日替わりランチのおかずはそれにしてあげると約束してくれていたのだ。
ありがたいことである。いい人だ。
ほどなくして出てきた皿には、見本では二本だったフライが三本になっていた。
「大好物って言ってたから、サービス」
おばちゃんが笑う。本当にいい人だ。いま思い出しても感涙を禁じ得ない。
「ありがとうございます。いただきます!」
大喜びで、さっそくパクつく。
――次の瞬間、口の中でとてつもない違和感が炸裂した。
違和感がある、とか、覚える、などという生易しいものではない。炸裂である。
例えるなら「麦茶だと思って飲んだら実はめんつゆだった」ときの五十倍くらいの違和感。
その正体は……お分かりですね、そう、大葉である。
筆者がどんなに頑張っても、どうしても、どうしても、どーーーーぉしても食べられない、大葉だったのである。
そういえばこの料理は、大葉も一緒に巻かれていることが多い。子どもの頃に母が作ってくれたものは、大葉を受け付けない筆者を見かねて、大葉を抜いてくれていたのだった。
そんな大事なことを忘れるとは、なんたる不覚か。まさに痛恨。
見よ、この惨状を。
皿の上には、筆者がどうしても食えない大葉入りの肉巻きフライが、ほぼ三本まるまる残っている!
筆者は絶望した。
中学生の頃によく夕食をごちそうになっていた友人宅でも、「ごめんなさい、どうしても食べられないんです」と白旗を上げていた大葉。
もし一見で入った店だったなら、何も言わず残して、逃亡することもできよう。
だがこの店は期間限定とはいえ常連だ。おばちゃんはとてもいい人だ。そしてこいつは筆者のためにわざわざ用意してくれたメニューだ。しかも一本増量サービスしてくれたのだ。とてもいい店なのだ。おばちゃんは、とてもいい人なのだ!
今回ばかりは、退くわけにはいかぬ。
魂が砕け散ろうとも、笑顔で完食せねばならぬ。
筆者は覚悟を決めた。
どうするか?
知れたこと。一気に掻き込んで、流し込むのだ。
突貫する。
噛むまでもなく口に入れただけで広がる、大葉の風味。
無視しろ。飲み込め!
いやさすがに丸呑みはできない。
噛む。
とたんに、爆発的に広がる(以下略)
……三本すべてを平らげるのに、たぶん三分もかかっていなかったと思う。永遠にも似た三分だった。
おばちゃんに申し訳ないので、このときの詳しい心情描写等は控える。控えるが、それこそ控えめに言って死ぬかと思った。
地獄を見たとはこのことだ。
ともあれ脅威は去った。
満身創痍になりながらも、なんとか乗りきったのだ。
どっと吹き出ていた汗を拭い、筆者が残った副菜にゆっくりと、この日初めて心安らかに取りかかろうとした、その時。
ことり。
筆者の目の前に、小皿が置かれた。
見上げると、茶目っ気たっぷりに頬笑むおばちゃん。
「あんまり食べっぷりがいいから」
筆者は、感涙とは別の意味で泣きそうになった。




