46 アート師匠
筆者は、人様に誉められるのが苦手である。
理由は、いただいた誉め言葉と自己評価が釣り合わないことが往々にしてあるからである。自らに課す及第点が、とてつもなく高いのだ。お陰で、真に納得して満足できるものはほとんどない。
この性質は子どもの頃からのものだ。ここからは創作の話になるが、例えば絵を描いたとき、大人が誉めたとしよう。すると機嫌が悪くなるのである。
子どもの筆者が望んでいたのは、ダメな点の適切な指摘と、お手本を見せてくれること、つまり指導であった。我ながら誉め甲斐のない、ナンギなガキである。
しかし三つ子の魂百までとは良く言ったもので、この性格は今も変わっていない。人様の好意を無下にするのは問題があるので、歳をとった現在は大人の対応を心掛けてはいるものの、ちょいと熱が入るとそれも忘れがちなのが困りものだ。
さて筆者には、一生の師と仰ぐ人物がいる。中学一年生のときに出会った、アート師匠(仮)である。
お互いに絵や漫画を描くのが好きで、同じ趣味を持つ者として仲良くなったのだが、彼には衝撃を受けた。
圧倒的に上手いのだ。
さすがに中学一年生なのでプロ級とまではいかないが、それでも彼は既に、人物なら骨格を考慮することや最も基本的なデッサンをして、風景・背景なら透視図法や構図、アイレベルなどの概念を持って描いていた。
そして特筆すべきは、筆者の絵を「このド下手くそ」と罵倒し、なおかつ手本を示してくれたことである。
筆者はとても喜んだが、同時に身悶えするほど悔しかった。
だからそれからの三年間、ボロクソに言われながら、寝る間も惜しんで絵を描いた。
ただ、そいつに認めてもらうために、である。
やがてお互いに進学する。
アート師匠は、親の転勤でアメリカのハイスクールに進んだ。
ヤツが選んだのは、それこそ絵に描いたような一芸特化のハイスクールだった。本格的な絵の勉強を始めたのである。
そんなわけで直接に会うことは叶わなくなったが、「あいつは着実に前へ進んでいる。くっそう、いつになったら追いつけるんだ!」と、彼は筆者のモチベーションであり続けた。
そんな高校生時代、アート師匠と国際電話をしているとき、彼から何らかの絵画コンクールで、こちらで言う金賞を獲ったことを告げられた。
さすがやな、おめでとう、と筆者は祝いの言葉を述べたが、何故かヤツはプリプリと怒っていた。
話を聞くに、アート師匠が全身全霊を込めて描いた作品は見向きもされず、教師に勧められるままに嫌々ながらテキトーに描いた作品が金賞を獲ってしまったらしい。
「えー、それでも凄いやん」、そう言った筆者は何も分かっていない大馬鹿者だった。
ヤツは言った。
「あんなもん、なんぼ誉められても何も嬉しないわ。わしのアートはあれやない、こっちや。……誰が何と言おうと、わしがアート言うたらアートなんじゃ!」
この言葉は、筆者に数年ぶりの衝撃を与えた。
筆者はこのとき、アートの本質を見た。
アーティストのなんたるかを知った。
凄いヤツだとは思っていたが、尊敬の念を抱いたのは初めてだった。憧れと言ってもいいだろう。
さらにそれから数年経ち、筆者は息抜きでかじった音楽にドハマりして絵を描かなくなってしまったが、絵の技術や考え方は、音楽のみならず、料理などの色々なものに応用できた。
大雑把な言い方だが、例えば色の配置や重ねかた、奥行きや構図などについて、色の代わりに音や味を当て嵌めることができるのだ。
必死に絵を描いていたのは、ほんの十年ほどだったが、それでも、今も絵は筆者の中に生きている。筆者の根っこには絵がある。
すべてはヤツが、アート師匠がいたからこそだ。
そして。
残念ながら筆者にはアート師匠ほどの強さがなく、また終止頭で考えるタイプなので、畑を変えて音楽をやっても文章を書いても、ついにアーティストにはなれなかった。
だから筆者は「アーティスト」に憧れ、尊敬する。
この気持ちは一生、変わらないだろう。
ゆえにアート師匠、ヤツこそは我が生涯の師なのだ。
――と、そんな話を、アート師匠本人にしたことがある。
アート師匠はコンピューターグラフィックスを用いて業界最前線で戦っており、一方筆者は色々あって趣味ですら全ての創作から足を洗っていた頃である。
「わしがアート言うたらアートなんじゃ? あー、そんなことも言うたなー」
アート師匠は言った。
「それで言うたら今の俺はアーティストちゃうわ。求められたクオリティで納期に間に合わせることしか考えてへんもん」
この言葉は、筆者に十数年ぶりの衝撃を与えた。
なんてこったアート師匠!
「そやな、仕事やもんな。そーゆーのを求められる現場ならともかく、そらそうなるわなぁ」
苦笑する筆者に、アート師匠は「いつか俺に上手いと言わせることを目標にしてたのを知らんかったからやねんけど」と、こうも言った。
「実は中三の終わり頃には、コイツめっちゃ上手いなーと思ってたんやけど、ハラ立つから下手くそーって言い続けててん」
この言葉は、筆者に十数秒ぶりの衝撃を与えた。




