15 プチコロス
筆者は何だかほぼ常時考え事をしている。
きっと無駄に脳力を浪費するように設定された生き物なんだろう。
考え事の内容は学術的な小難しい事から腰が抜けそうなほどバカな事まで、あまり一貫性はないが、やはり「言葉」について考えている頻度が高い気がする。
で、ある時ふと思ったのだ。
「ぶち殺すのぶちって、何だ?」
まあ、接頭語――ではあるのだろう。
接頭語とは、語の上について下の語を修飾する働きを持った接辞である。
「お酒」「不器用」「すっ転ぶ」などの「お」「不」「す」がそれだ。
「お」や「不」は、それぞれ丁寧な表現、否定を示していることが解る。
「すっ転ぶ」は「素っ転ぶ」であると想像がつく。
では、「ぶち」あるいは「ぶっ」とは何を意味する?
解らない。
もう少し考えてみる。
三つ目の例「すっ転ぶ」は他にも似たような例がたくさんある。
「ひっぺがす」「とっ払う」「けっつまづく」「かっ切る」、ちょいとひねって「おっ始める」。
これらはそれぞれ「引き剥がす」「取り払う」「蹴り躓く」「掻き切る」、「おっ始め」は「お始め」に「っ」を加えたものであろう。
さてここで注目すべきは「っ」で、これは下の語を強調する働きがあるようだ。さらに言うなら、これは下の語の意味そのものではなく、それを行う者の気勢というかテンションというか勢いを強調しているように思う。
ならば。
「ぶち」「ぶっ」とは、それ単体には何の意味もなく、ただ下の語の行為の勢いを強調する為だけの語ではなかろうか?
そういえば他にも「ひっ叩く」とか「かっ飛ぶ」という例がある。
「かっ剥ぐ」などは、まさに「うおおッ、剥がれるゥッ」といった鬼気迫る迫力を感じるではないか。
つまり「ぶち」は「っ」の変形としての例外だったのだ。
そーかそーか、そーだったのか。
筆者は(勝手に)深く納得し、さっそく友人に考えを披露してみた。
そしたら友人はこう言った。
「ぶちころす、は打ち殺す、だぞ」
……………………。
一言で論破かよ。
えええええ。おれ、めっちゃ考えたのに!
くっそおう、どうしてくれよう。
腹がたったので、ちょっとプチ殺しておきました。
馬鹿の考え休むに似たり、という教訓話である。
注:
プチ殺す、とは布瑠部がよく使う表現。プチ、つまりちょっとだけ殺すの意で、実際のダメージに換算するとマツコ・デラックスのデコピン三発分くらいであろうか。




