14話「ただいま」
世界最大の貿易港の名に恥じない、広大なルファーラン港。気笛が鳴っては、幾つもの大小の船舶が入港し、出港していく。長大な桟橋は何列にもなり、沖合にまで伸びている。海を見れば見渡す限りの船。方式は少し違うが、陸の道路のように信号まである。
その一角で、由良坂蓮華は八十田連一の帰りを、腹の前で左手首を右手で掴んだ姿勢で待つ。他にも社員の帰りを待つ人達、もう泣いている人もいる。他にはベルガント社の社員。帽子を被って制服を着た者の他、小銃を担ぎヘルメットを被って防弾着を着た警備員もいる。
連一が帰って来る日時が分からなかったので、事前に連絡を取ろうと思ってベルガント社に掛け合ったが「機密事項に触れるのでお答えできません」と回答を頂いた。社員が乗ってくる船の発着場所だけは教えてくれたので、何時帰ってくるかも分からないけど何便も待っている。
安否が分からない。後で知ったが、社員の家族や友人として会社に登録しておかないと事前に安否を報せることができないそうだ。
お守り、妙な羞恥心は捨てて陰毛を入れておけば良かった。根拠の無いおまじないだけれども、やれることをやれていないのが悔やまれる。
軍服姿のフローレが隣に来て蓮華の肩に肘をかける。
「待ちぼうけだな」
「お仕事ですか?」
「軍警察は治安維持が仕事だからな。ベルガント社は今回の戦争で小国とはいえ国を滅ぼしたからな、それだけ恨みも買っている。報復者が事件を起こす可能性が有る。それにベルガント社は武力組織、暴力には暴力で返すだろう? それじゃ街の治安が維持できない」
「なるほど、納得です」
「ニュース見たか? ハンダラットが降伏したな。水害や戦災で困難になった治安維持はマンゼア軍が受け持つことになったそうだ。それからイフェストポリ伯国はマンゼア帝国に臣従だ。これから密入国者が増えて仕事も増えやがる」
「はい」
「ここまできたがアルーマン帝国はハンダラットから手を引いたらしい。”東の”帝国との軍事境界線で発砲事件があって、死者は出ていないが一時緊張状態になっているそうだ。ニ正面作戦を避けるためだろうな」
「はい」
「こんな話じゃ気晴らしにもならんか」
「いえ、そんなことは」
船が岸壁につく。船から細い索が投げ込まれ、それを受け取ったベルガント社の港湾員が引っ張り、その先にある係留索が岸壁に引き込まれる。そして係留索が係留柱に巻き付けられる。
そして船に桟橋が掛けられ、人が降りてくる。まずは棺桶を持った人から降りてくる。戦死した人達の名前が呼び挙げられる。足取り重い人、駆け寄る人、泣き崩れたまま動けなくなった人。
その次ぎに降りてくる人は、無傷な人もいる。怪我をしている人もいる。包帯を顔に撒いている人、手にギプスを嵌めている人、足を無くしたのか、両脇に抱えられている人。あの人がああなってなければいいけど。
次々に現れる顔を見る。疲れ切った顔、談笑している顔、誰かを見つけて叫んでいる顔。再会を喜んで抱き合う人がいた。私もああやったらいいのか? 恥ずかしいなんて思ったらダメだ。後悔する。
フローレは蓮華の耳たぶを指で弾き、そして前方を指差す。
「何でしょう?」
「仕事に戻る」
肩を強めに叩かれる。
「お気をつけて」
立ち去るフローレにお辞儀。そして桟橋の方を見る。
いた。
駆け寄る。あの人は驚いた顔をして立ち止まる。顔から胸にぶつかる。
「おっ」
喋ろうとしても声が出ない。
「おい、どうした。おーい?」
駄目だ出ない。
「痛ェ糞!」
あの人に肩を押されて体から離れてしまう。
「テメェコラ何しやがる!」
目つきの悪い女があの人を蹴飛ばす。また蹴り。
「アホか!」
「止めてください」
あの人の前に出る。目つきの悪い女の顔が、鼻息がかかるほど近寄る。獣臭い。
「何ですか?」
目つきの悪い女の口の端が上がっておぞましい牙が見える。
「おいなんだ痴話喧嘩かァ?」
坊主頭の男性があの人の肩を殴る。
「うっせバーカ!」
あの人は殴り返す。
目つきの悪い女は無言のままで立ち去る……と思いきや蓮華のスカートを捲る。佇まいを直してから振り返る。
「何をなさるんですか」
「別に」
「止めてください」
目つきの悪い女はニヤけながら今度こそ立ち去る。しっしっ。
「蓮華、迎えに来たのか」
「あ、はい? はいそうです!」
あの人連に向き直る。もしや何かあったかと思いながら待っていた。右腕にはギプスが嵌められているようだが、間違いなく生きている。その姿を見ると、ホッとするというか夢みたいだというか。
「悪いなわざわざ」
「いえ」
何て言おうか? 一つしかないか。
「連一さん」
「おう」
「お帰りなさい」
「ただいま」