11話「開門」
由良坂蓮華はベッドの上で正座し、膝の上に置いた枕を触りながらテレビを見る。テレビには、空をゆっくりと旋回するヘリコプターからマンゼア帝国の西大洋艦隊を見下ろす様子が映し出されている。レポーターの解説によれば、海上で立ち往生している西大洋艦隊は、探照灯で接近する船舶がいないか監視しているそうだ。民間船舶を装った自爆攻撃が行われる可能性がある、らしい。
軍事評論家の解説によれば、西大洋艦隊が動けなくなることによってハンダラット国、そしてそれを支えるアルーマン帝国が有利になるそうだ。マンゼア帝国の側につくあの人の会社が劣勢になるということだ。
遅い夕食を終えたフローレが部屋に戻ってくる。鏡の前に立ってネクタイを締め始める。
テレビにはメルハティナ海峡を横断する大跳ね橋前で抗議する団体が映し出される。軍警察が厳戒態勢で周辺を監視しているため、親マンゼア派と親アルーマン派は衝突していない。
「フローレさんもあちらへ行かれるのですか?」
フローレは室内履きの靴を脱ぎ、ベッドの下から濡れているかのようにピカピカな軍靴を取り出して履く。
「橋の直ぐ近くにな。ここの市民は想像以上に過激だから、一つドンパチやらかすかもな」
ベッドの上に、皺が寄らないように置かれた軍服を手に取り、上着の袖に腕を通しながらフローレが笑う。
「私も連れていってくれませんか?」
フローレの動きが止まり、「どうした、見物か?」、腕を通し終わる。
「まあいい、帰りはタクシー使えよ。夜道の一人歩きは許さん。番号は分かるか?」
軍服のボタンをつけ終える。
「控えております」
軍帽を被り、左右に曲がってないか確認。
「ついて来い。携帯電話を忘れるな」
蓮華はベッドの下から、フローレを真似してみて、濡れたとまではいかないが綺麗にしている革靴を取り出して履く。
フローレは士官用の外套を羽織りながら、「何か着ていけ。今時期、夜は冷えるぞ」と言って部屋のドアを開ける。
蓮華はあの人にこの前、遠慮はしたが買ってもらった外套を羽織る。鏡で身だしなみを確認、これから勝負をかけにいくのだ。
防音性の高い部屋を出て、廊下に立てば喧騒に包まれる。フローレの腹違いの妹に弟、その母親達、その妻に旦那にそのまた子供。家を出た者もいるが、この家には現在、蓮華を含めて五三人いる。家中で騒ぎ回り、遊んだり、泣いたり喧嘩したりしている。友達、彼氏、彼女を連れてくれば更に増える。ヘッドホンを使わないで大音量で音楽を聞いたり、テレビゲームをやったり、それに負けない声でおしゃべりして、それに怒って怒鳴り込んで、また喧嘩になって騒いで、泣いて、見物人が割り込んで被害が広まったり。朝から次の朝まで静まり返ることはほとんどない。
フローレ、鼻水垂らして寄ってくる弟を蹴っ飛ばして退ける。一々説教などはせず、喧嘩中の妹二人の頭に拳骨をくらわせて通り過ぎる。肌の色が違う子供二人に授乳中の母の一人にちょっかいかける弟の横面殴る。お菓子を食いながら歩いている妹から、食いかけの物を横取りして口に放り込む。彼氏と口論中の妹の顔に蹴りを入れながら、屋内から車庫に通じる扉を開ける。
フローレの自動車の車内でイチャつく弟の髪の毛を掴んで引きずり出し、怯えたその彼女は下着が見えたままの姿で逃げ出す。
「中でヤったのか? あ?」
「ま、まだ」
軍帽を脱ぎ、顔に頭突き、蹴り倒す。軍帽を被る。
レンゲは壁にある車庫のシャッターのボタンを押す、自動で開き始める。それを待つ内にフローレは自動車の運転席へ。そして蓮華は助手席へ移動。
「で、何の用なんだ?」
フローレはエンジンを掛けて、ライトを点灯。シートベルトを締めてから発車し、車庫前で犬と遊ぶ弟に対してクラクション派手に鳴らす。
「あの人を助けたいんです」
自動車が家の敷地内から道路へ出る。
「あの人? 団体の中に友達でもいるのか」
「違います」
「まあいい、降りたら側を離れるなよ。ラジオつけるぞ」
「はい」
ラジオからは交通情報、天気予報が流れる。何でもない内容だ。
しばらく夜のルファーラン市街を眺める。夜でも賑やかなこの街だが、今日は何時ものより人通りが激しい。車も混んでいる。
放送内容が変わり、学園の討論会にも参加していた国家元首のシェルンがマンゼア艦隊について、記者会見で受け答えをしているようだ。延々と現状の再確認のような質疑が繰り返される。まるで埒が開かない。
そして抗議団体の旗、垂れ幕が見え、合唱が聞こえるようになった頃、ラジオから聞き逃せない言葉が発せられる。
――国民よ、身体で投票しろ。繰り返す、身体で投票しろ。跳ね橋を上げるのもそれを妨害するのも、お前達が選ぶことだ。歴史は行動力によって生み出される。諸君等の行動力に命運を託す
膝の上で重ねた手の平が汗ばんでくる。赤信号になり、フローレは急ブレーキ気味に車を停車させる。
「またキレやがったかあの糞半透明、誰だキレさせた奴。レンゲ、これで民主主義の心算らしいぞ。神経が暗黒中世で止まった老人は手に負えんな。共和国から名前変えろよな」
「渡りに船ですね」
イラつくように急発進。
「何だそれ」
横断幕にプラカードを掲げ、マンゼア艦隊通過反対を声高に訴えている抗議団体が見え始める。その向かい側には、武装した軍警察、それに機関銃を備えた車両や放水車も待機している。
ヘルメットを被った、吊り紐で肩に小銃を背負った兵士に誘導され、駐車場代わりになった道路に停車。降車してからフローレが、士官に身分証明書を渡す。専用の読み取り機で真贋を確かめた後、身分証明書を返す。
「確認できました。どうぞお通りください」
「ご苦労。連れの女も中に入れるが構わんな」
「了解ですアルラ少佐」
マンゼア艦隊通過反対の抗議団体が封鎖線間際まで押し寄せ始めている中、あっさりとその内側へ入る。
振り返ってフローレは、レンゲに顔を寄せる。
「さて、私は朝まで仕事があるんだが、どうするんだ?」
蓮華はフローレの手を両手で握る。
「お願いがあります。橋を上げたいので通して下さい。あの人が危ないんです」
フローレの額が蓮華の額に当たる。
「何だどうした? あの半透明がそんなこと喋ったがな」
兵士の一人が拳銃を空に向けて発砲。一瞬静かになるが、また騒ぎだす。
「ご迷惑おかけしますが、お願いします」
「言うな。これが身体で投票する直接民主政か? この国面白いよな、好きにしろ」
手を離し、大跳ね橋の上に出る。フローレも後ろについてくる。彼女のおかげで誰も制止する者はいない。
巨大な柱、橋に繋がる巨大なワイヤー、だだっ広い道路、遠くに見える対岸。こんなに大きいのか。人通り、通行する車は勿論無い。
これを動かす! どうやって?
「どうしようかな?」
頭を小突かれる。
「どうしようってお前、何考えてんだ?」
「はい、現状手詰まりです。何か名案はございませんか?」
「おーう、そうくるか? うん、ついてこい。跳ね橋の管制室に行けばいいんだよ、たぶんな」
「案内願います」
「うろ覚えぇえ、思い出した。あっちの柱だ。学生時代に見学した記憶がある」
フローレの後に続き、道路を横断して左側の柱へ向かう。
柱の扉を開けると、男性が二人。年配の男性は椅子に座り、ラジオを聞きながら雑誌を読む。やや若い男性は食べていたスナック菓子を急いで飲み込んで咽る。
「お願いがあります。跳ね橋を上げて頂けませんか?」
電話が鳴る。年配の男性が雑誌に目を落としたまま電話に出る。
「はい跳ね橋管制室。あ、どこで番号調べてきやがった? 耳が遠くて聞こえねぇな。こっちに来て喋ろドアホ!」
電話を切る。
「んん? で娘さん、跳ね橋上げろってか? そうだな。おい! 跳ね橋上げるぞ」
「親方いいんですか?」
「ああん? 一番先に来た奴の言うとおりにするってさっき決めたろ」
年配の男性、立ちあがると同時に放屁。
「えーでもー」
「えーでもでもでも無いわ。口応えすんなアホタレ、十年早い」
「はいはい十年前にも言われました」
「娘さんや。そこらの降りてるブレーカー、あーレバー全部上げてくれ。電源入れて鍵突っ込んで回せばすぐだ」
「分かりました! ありがとうございます」
蓮華は深く、四十五度のお辞儀。
「お姉ちゃんや、そこの配電盤のヒューズ黒くなってないか見てくれ」
「これか? 蓋の……」フローレが言い終える前に年配の男性が喋る「かかってない」
フローレは難なく配電盤蓋を開ける。
「開いた開いた。うん、黒くないぞ」
レンゲは重くて、少し汚れたブレーカーを上げる。これで少しはあの人のためになる。
外が騒がしくなってくる。フローレが外を覗きながら拳銃を抜く。
「道開けたのか? 反対側か。おいおい落ちるぞ間抜け共。全く、何人引き返すかな」
フローレは外へ出る。拳銃の発砲音と「引き返せ!」と怒声。
「どっちにつくって言ったら若くて綺麗な女の方だよな。なあ?」
年配の男性は機械のレバースイッチを一つずつ入れていく。
「知りませんよ、私にゃ女房いますんで」
やや若い男性が機器のボタンスイッチやダイヤルを調節していく。
「通電確認、何時でもどうぞ」
大きな音を立てて警報ベルが鳴り始める。
「ああー娘さん、これ」
年配の男性が胸ポケットから鍵を取り出し、「はい」と言って蓮華は受け取る。大きくて若干錆びついている。
「そこ、刺して左回し」
「はい」
指差す先の鍵穴へ鍵を刺し、左に回す。大きく一度橋全体が揺れる。
「接続具解除開始、原動機異常無し!」
機器を調節しながら指差し確認をするやや若い男性が声を上げる。もう一度大きく橋全体が揺れる。
「接続具解除完了、原動機起動開始!」
やや若い男性がもう一度声を上げ、そして底から響いてくる大きく唸るような音が鳴り始めると同時、橋全体が小刻みに揺れ始める。
そして急に室内の電灯も消え、音が止んで跳ね橋が動きを止める。
「がぁっ!? 電線切りやがったかクソッタレ!」
「修理すんの誰だと思ってやがる!」
二人の怒声と床か壁を打つ音が暗い室内に響く。ここまできて失敗……蓮華は唇を噛む。
一瞬部屋が青白く光り、そして室内の電灯が点る。また底から響いてくるような大きく唸るような音が鳴り始める。跳ね橋が再度動き始めたのだ。ただ、やや若い男性の前にある機器のランプは異常な点滅を繰り返しており、普通の状態ではない。
「なんじゃこりゃァ!?」
何時の間にか部屋に戻ってきたフローレは配電盤に手を突っ込んでおり、そこから飛び散り続ける火花に咥えた葉巻を近づけて火を点け、吹かす。
「どうだ? 明るくなったろう」