不退転
「遅ぇな……」
既に正門前では点呼作業が始まっていた。普段真面目に授業を受けない礼士や虎太郎が既に到着している姿を見て担当教師達は驚いている。その反面、すずめや巽がまだ戻っていない事には余り心配していない様子だ。
「まさか間に合わないとはな。ふざけて授業を抜け出しでもしたか?」
「それは言い過ぎだよ。でも、中尾さんも戻らないのは確かに不自然だ……。礼士、虎太」
武の呼び掛けに、それだけで全てを察して礼士達は表情を変えた。
「あぁ、そのつもりだ」
「俺達なら、再点呼の時に姿が見えなくても評判は変わらねえからな」
足は既に飛行船へと向いている。フットワークの軽さは不良ならではと言ったところか。しかしそんな彼らを見る登歌の表情は暗い。
「抜け出すなんて事しなくても、ちゃんと先生に話せば分かってもらえる筈じゃあ……」
「面倒くせぇ」
登歌の配慮を一蹴する。さすがの登歌も声を上げた。
「礼士っ!」
「から、お前に任せた。先公に話通すなら、登歌が適任だろ」
続く言葉を指差しで遮って、そのまま額を軽く突いた。本命の理由は後に続いた言葉だろう。
「ま、適材適所だね」
「……ここで僕を置いて行く流れなのは、僕の性格を考えたからか?」
規律と疎外感の間で揺れながら応樹は眉根を歪ませた。
「それは二割程だな。俺と礼士が行くのは、今この館内にはテイルロードの仲間が散ってるからだ」
「連携を取るなら話が通り易いに越したことはねぇ。後はアレだ。汚名返上しろってこった」
何に対してかは、言及しない。言われずとも分かる事である。
応樹から迷いは消えた。
「っ……。そっちは任せたぞっ」
「応っ」
「んじゃ、行くぜっ!」
虎太郎の掛け声と同時にテイルロードが発進した。
武が器用に走りつつ端末を操作する。既に規定を守る気は無い。
「さーて、先ずは情報収集と行きますかっ」
起動したのはテイルロードメンバー内での連絡で使われるアプリケーションだ。接続している団員のアイコンと登録名が表示されている。実名や愛称、ハンドルネームと表示は様々だ。
「今日ここに呼び出された奴らはログインさせてたよな。って三十!? 多過ぎだろっ」
ミッツ :『お、リーダーきたー』
ケン :『待ちかねたぞ!』
宮 :『いらっしゃーい』
団長の登場を受けて、メンバーからの反応が流れる。
フラグレ :『一組につき六名、出店色々四組分』
約一名は文面に特徴がありすぎてハンドルネームの意味を成していない。
礼士も久々にログインしてチャットを流す。
レイシ :『構成は分かった。ちょっと手を貸してもらえるか?』
ミッツ :『元突撃隊長きたー!』
宮 :『おひさっ』
歓迎のログで一気に埋まっていく。未だに礼士はテイルロードでも信望があるようだ。
ホーク :『救援了解、何をすればいい?』
レイシ :『集合時間になっても白玉が戻らねぇ。多分まだ博物館の敷地ん中だと思う』
古鉄 :『白玉のお嬢なら、飛行船に乗り込むとこ見たぞ。ネタが切れた頃だから』
フラグレ :『十分前。降りてきた様子は』
フラグレ :『紅和服』
ミッツ :『飛行船に飛び込んで行ったぞ!』
事態は最速で最悪へと進み始めている。
レイシ :『了解っ!』
「行くぞ虎太!」
「嫌な予感しかしねえぜっ!?」
礼士は更にスピードを上げて走る。端末操作が無ければその速度は学年随一だ。飛行船の入り口が近づく。後少しと言う所で、観覧席の窓ガラスが内側から砕け散った。観客から悲鳴が上がる。
「彩っ!」
礼士は叫んで飛びつき、投げ出された彩を何とか受け止める。
「おぉナイスキャッチ」
二番手は虎太郎だった。武は次の手を打ちに動いたのか、現れない。
礼士は受け止めた彩の体にまとわり付いたガラスの破片を振り払う。
「大丈夫か!?」
「くッ、遅いぞ馬鹿共が!」
すぐさま礼士の腕から飛び降りる。礼士も立ち上がるがさすがにこの反応は面白くなかった。
「助けてもらっといてその態度かよ」
「平常運行って事だろ。さぁ事態は最悪だぜっ」
虎太郎の言葉を受けて礼士も思考を切り替える。
「そうだ、白玉と中尾は!」
「あの中に揃っておる!」
彩は飛行船を指し示した。風穴が開いた窓枠を仰ぎ見る。
中から顔を出したのは、歪んだ笑みをたたえた通り魔、青風と朱焔だ。
「遅い到着だなぁ、小僧共」
「はぁい。ご機嫌如何?」
「最悪だよっ。そいつらは関係ねぇだろうが!」
礼士から巽とすずめの姿は見えないが、彩の言葉と状況から判断して飛行船内部で捕らえられているのは間違いないだろう。
続けて現れた黒滴が口を開く。
「その通り。こちらの予定でも、今の状況は想定していない」
「けどよぉ、利用できるモンはしねえとなぁ?」
「コレは余計な伝手を増やした貴女の責任でもあるのよぉ、彩隊長」
黒滴の言葉とは裏腹に傍らの二名は心底この状況を楽しんでいる様に見える。
あからさまな挑発に彩の形相は阿修羅すら戦慄させる様な威圧感を放つ。
「トコトン外道に墜ちるのぅ、このボケナスがっ」
再び船内へ踏み込もうと一歩前進したその時、不意に強烈な風が周囲に吹き荒れた。
「さて、余暇はここまで。これからこの船を飛ばし、この街のある場所へ落とす」
「なっ!」
「マジかよ!?」
一日中この飛行船がレプリカ、つまり只の飾りだという話を聞いていたのに、目の前でその複製は上昇を始めた。黒滴の言葉と併せて礼士達に衝撃が走る。
「当然この子達は乗せたまま、船は自動操縦よぉ。助け出せるかしらねぇ……」
そして飛行船は完全に浮かび上がった。予想外の事態に周囲の観客は勿論、係員や警備員ですら硬直あるいは混乱している。それは礼士達も同じだった。
「おいおいおい……、どうすんだよ! マジで洒落になってねえぞ!」
虎太郎はここまでの事態は想像していなかった。そもそも出来るような者が居るとも思えないが。
「武! 何か手は!」
同じく何の手立ても浮かばない礼士はすぐさま参謀の名を叫ぶ。
間を置かず返事は背後から響いた。
「勿論、打ってるよ。表と周りは混乱しているから、裏から出ようか」
正門とは反対側を指差す。その先には三角巾とエプロンを外した律が両手を振って合図する姿があった。用意周到この上ない。
「よし、行くぞ彩!」
「……えぇいっ、止むを得んか!」
不本意を包み隠さず、彩も礼士達に続いた。
関係者用の裏口から外へ出るとそこには既に登歌と応樹の姿があった。傍には出店用の荷物と何も積んでいない軽トラックがある。律はすぐさまエンジンをかける。
トラックに乗り込もうとする礼士に登歌がしがみつく。表情は不安の予感で青ざめていた。
「礼士! 白玉さん達は……」
「すまねぇ、説明してる時間も惜しい。虎太、応樹! 他のテイルロードと合流して登歌を守れ! 俺と武はりっちゃんの車で船を追うぞ」
「お前だけであいつらと戦う気か!?」
礼士の采配に応樹は不服を申し立てる様に叫ぶ。その身を彩が押しのけた。
「心配せんでも、ワシもついてゆくわ。それに、短期間ではあるが多少は仕上がった様子じゃしな。これならばそこそこに渡り合えよう」
応樹も彩の規格外加減は承知済みである。望んだ形ではない事を歯がみして悔いるが、やがて与えられた役割の重さを飲み込む。
「く……、戦えない歯痒さはあるが、今は登歌さんを守る事に専念するべき、か」
「そういうこった。こっちは任せてくれ。頼んだぜ、礼士!」
切迫した状況において素早い判断は重要である。虎太郎は今までの場数からそれを思い知ってか、文句をいうどころか激励を飛ばす程だ。
礼士は深く頷いて答えた。
「へっ、さぁ行動開始だ! 行くぜ皆!」
「「「「応っ!!」」」」
咆哮と共にそれぞれの戦いが始まった。