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暗雲


 飛行船の操舵室ですずめはひたすら操縦席のメーターと配置をノートに書き写していた。展示されている物はレプリカと言えど、構造や計器の場所は完全再現がこの展示会の売りの一つである。すずめは目に見える部分を出来る限り捕らえる事で内部構造まで理解しようとしていた。普通に考えればそんな事は無謀でしかない。しかしすずめは、砂粒一つ分たりとも無謀と思っていなかった。

 ひたすらにペンを走らせながら、横歩きで移動する。当然周囲に注意は向かない。傍に居た別の見物客にぶつかってしまう。その拍子にすずめの手からペンがこぼれ落ちた。

「ひゃんっ。ご、ごめんなさい。あぁあペンがぁ」

「大丈夫かね」

 偶然にも見物客は先程まで礼士達と会っていたハクシだった。当然お互いに面識は無い。

「――ッ! は、はいっ」

「熱心なのは良い事だ。君が歩む修学の道が明るい事を願うよ」

 ハクシは床に落ちたペンを拾ってすずめに渡すとそのまま飛行船の下層へと姿を消した。

「い、行っちゃった。――どうして、こんな所に……?」

 すずめはペンを握ったまま呆然と立ち尽くす。表情は蒼白だ。背後から忍び寄る影にも気付かない。影は両手を振り上げ――。

「どうしたすずにょーんっ!」

 力強くすずめに抱きついた。

「ぎにゃあああああああっ!」

 不意打ちを食らって尻尾を踏まれたドラ猫の様な悲鳴を上げる。余りにもひどい大声に仕掛けた側の巽が耳を抑えて仰け反った。

「何よヒドイ悲鳴ね。さすがに品が無さ過ぎじゃない?」

「ご、ごめん。つい」

 すずめはその場にへたりこんでしまっていた。瞳からは涙も流れてしまっている。

「ちょっと、本当に大丈夫? 顔真っ青よ」

「うん、だ、大丈夫だよ? ほら、時間だよね? 早く皆の所へ行かないと」

 心配する巽にすがり付く形で立ち上がると、そのまま支えられて覚束ない足取りで一緒に外へと向かう。どう見ても様子が異常だが、巽も先ずは外の礼士達との合流を優先した。

「そうね、もう時間も――っ!」

 その半ばで巽は気付く。

 こんな様子がおかしい学生が居るのに、誰も気にも留めない事。いや、それ以前に。

 この飛行船内に誰も居なくなっていた事に気付いてしまう。

(嘘っ!? 私が今まで気が付かなかった!?)

 喧騒の変化に敏感な巽は自身の異常をある面では評価していた。音を立てずに事を成すなんて事は出来る筈がない。だから、敵が仕掛けて来るならすぐに感知して構える事が出来る。その自信はあった。

 けれどそれは思い上がりでしかなかった。

「た、巽ちゃんっ」

 すずめが搾り出す様な声を出して巽にしがみつく。巽は抱き返す事しか出来なかった。

「飛行船内部で端末の使用を制限するのは、航空管理機器に悪影響を及ぼすから。だそうだ」

 大陸式胴衣を揺らして、尾を持つ男が静かに語る。

「この科学機には未だに解明出来ていない部分が多いから、本来なら制限を設けても展示なんて出来るわけがないのよねぇ」

 派手な柄の赤い和装を着崩した女は、甘ったるい声でそう言った。

「そしてこの会場も、目的の場を整える為の一手に過ぎん。こうも目が多くなるとは思わなかったが……」

 黒い西欧式の外套(がいとう)を着た男が言う。

「大衆の記憶に大きく残る物ほど、科学の一歩は輝きを増す。我が国の結束を強めた、大量殺戮兵器への畏怖がそれを物語っているだろう」

 最後に現れた男を見て、すずめは最上に怯えた。事前に礼士達から聞いた情報に、この男のものはない。巽は振るえるすずめの肩を抱き締めるが、この振るえが彼女のものなのか自分のものなのか、既に分からなくなっている。

「本当にこのお祭り騒ぎで仕掛けてくるとはね……」

 巽がなんとか搾り出した一言を律儀に黒滴は拾って答えた。

「言っただろう。この場すら一手に過ぎんと」

「祭りの中だって安全圏だと思ってたんだろうが、さすがにコレはガキ共には思い及ばない悪意だったろうなぁ」

 青風は心の底から愉しそうに嗤った。

「さて、(おのの)いている所悪いがまだこちらの用事は済んでいないのだよ」

 首謀者であろう、礼儀正しい口調の男はそう言って巽達に近寄る。最早されるがままだった。

「んふふふ……。さぁ、八卦の妖精はどう手を打ってくるかしらぁ」

 これから起こるかもしれない騒動を妄想して、朱焔は恍惚の笑みを浮かべた。


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