運命の迷い子
館内へ向かった礼士達は展示されている西欧の写真や小物を見学していた。内部の喧騒も外と引けを取らず、彼らは未だ知らないが、期せずして巽が来なかった事が幸いとなっていた。
「中尾さん、大丈夫かしら」
「虎太郎がついてるんだ、心配要らねぇよ」
「体は大きくて繊細さに欠けるけど、気遣いにかけては反比例しているからねぇ」
登歌はやはり残してしまった巽を心配している。
「わたしは巽ちゃんの為に色々メモするよっ」
「瓶底は少々的外れだな……」
三階の天井まで吹き抜けになった館内は重圧を感じさせない作りになっている。展示物によっては直射日光が厳禁であるため今は天窓に仕切りが施されているが、そこを開放した館内は展示物がなくとも映える技巧が凝られている。
全フロアを惜しみなく使用した展示はじっくりと見学するには時間が足りない程の量だ。一階を軽く見て回っただけでも小一時間程消化してしまう。
二階では航空学についての研究や実験機材が展示されていた。すずめの気持ちも高ぶりが止まらない。瞳は輝く宝石の様だ。
「しかし、この飛行船ひとつでイベントとして成り立つというのは改めて思うと凄いよねぇ」
「科学技術の進歩はいつもドラマチックだからねっ」
「その劇には、悲劇と惨劇が常に付きまとうがのぅ」
唐突に傍から話の腰を折る一言が乱入した。
絹糸の様な輝きの黒髪と、飾り豊かな和装。そこに辛らつな口調が合わさればまず間違える筈は無い。
「彩っ!? お前なんでこんな所にっ」
「別に今到着した訳では無い。ワシは初っ端からお主らを見ておったが? こちらから声を掛けるまで気が付かぬのでは、護衛など無意味に思えてしまうのぅ」
「で、何故そのまま潜まずに僕達に声を掛けてきたんですか?」
嫌味も受け流して問い掛けると、彩の背後から更に和装を着た子供が現れた。
「ワシの状況が変わった。コイツをどうにかせぃ」
彩に突き出されて前のめりになりつつ、子供は上目遣いで礼士を見上げた。
前髪は眉の上で切り揃えられ後ろ髪も肩の上で均一に揃った頭に、白い小袖と濃い小豆色の袴。彩と並んで見る分には随分と絵になる姿だ。
「わぁかわいいっ」
一番反応が良かったのはすずめだった。対照的に登歌は冷静である。
「どうしたんです、この子」
「この館に入ってからずっと袖を掴んで離さぬ。ワシの容姿では詰め所へ送り届けても纏めて捕まるのが目に見えておるから、引っぺがしてお主らが連れて行け」
「面倒事持ってくるんじゃねぇよ……」
「何か言ったか?」
聞こえない程度に抑えた小言だったが彩は地獄耳だった。予定調和のように睨み合いが始まる。そんな光景が目の前で始まれば、年端のいかない子供は当然怯える。
「あぅ、あの、ごめ、んなさいっ」
「こっちこそびっくりさせてごめんねっ。そうだ、お名前っ。なんていうのかな」
今にも泣き出しそうな子供を登歌が慌ててなだめる。なんとか涙をこらえて、子供は恥ずかしそうにぎこちなく答えた。
「あの、シキってゆいます」
「シキ……君? ちゃん?」
「其奴はおのこじゃぞ」
どうやら彩には分かるらしい。礼士は判別がつく彩にも驚いたが、今まで少女と思っていたシキ少年にも驚いた。登歌は構わずしゃがみこんでシキに視線を合わせた。
「そっか。それじゃあ一緒に来たご家族の特徴教えてもらえるかな。簡単でいいから」
「おじいちゃんと来ました。えっと、みんなからはハクシって呼ばれてました」
「なんだそりゃ。何もわからねぇ様なもんじゃねぇか」
「まぁまぁ。あの位の子にとっては、お爺ちゃんお婆ちゃんの形容なんてかなり大雑把なもんだよ。ハクシが『博士』なのか固有名詞なのかは分からないけど、彼の名前とセットで館内放送でもかけてもらえばすぐに見つかると思うよ」
「この子の服装もかなりの特徴だしな。添えて伝えれば確実だろう」
特徴としてはこの上ないほどの要素を持っている子供だ。しっかりと自分の名前も答えられるし保護者の事も伝えられる。なんとも難易度の低い迷子である。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「うんっ」
この短時間のやり取りで既に登歌に懐いた様子だ。
そんなシキを見て彩はやれやれと言わんばかりに息を吐いた。
「フン、ようやく肩の荷が降りたのぅ」
そのまま礼士達に背を向ける。
「オイ、お前は何処に行くつもりだよ」
呼び止める声に彩は一瞥だけ向けた。視線は今までの中で一番鋭く冷たい。
「ワシはワシでやらねばならぬ事がある。お主らは気を抜かずに銀の娘を守っておれ。……この館、少々キナ臭いぞ」
「どういう意味だっ……もう居ねぇ」
気に掛かる一言を残して彩はそのまま喧騒に紛れて見えなくなった。
「新藤、今の言葉どう取る?」
深く捕らえなくとも、この場で何かが起きようとしているというニュアンスは伝わる。やはり通り魔達はここで仕掛けて来るようだ。応樹の言葉を受けて武は肩を竦める。
「そのままで良いと思うよ。仕掛けらた時の為に手を打っておこうか」
先ずはシキを保護者の元へ送らなければならない。見学を一時中断して一行はロビーにあった迷子センターへと向かった。
センターに設けられた預かり所は案の定、大勢の迷子で騒がしかった。入れ代わり立ち代わりで保護者が現れているものの、すぐさま次の子供が追加されている状態だ。一度保護を請け負った以上、ちゃんと保護者が現れるかどうか気になるという登歌の意見で礼士達もその場に残っていた。係員に館内放送を行ってもらったものの、シキの保護者が現れる気配は無い。
時刻は既に二時半になろうとしていた。
「ぅわあもうこんな時間っ! だよっ」
「なんだよ、素っ頓狂な声あげて」
「む、そろそろ集合時間だねぇ」
周囲を見渡すと他の生徒達はもう殆ど居なくなっていた。見かけられる数名も集合地点へと移動している最中だ。
「だが、まだ保護者が現れていない」
「どうしよう……もう三十分近く待ったよね。なんだか心配になってきたわ」
「俺達はここで待ってりゃあいいだろ。どうせすずめはまだ見てぇ所があるんだろうから、行ってこいよ」
時間を気にして悲鳴を上げるという事は、まだ心残りがあるという事である。
「良いの? 分かった! シキ君、ばいばーい!」
手を振るのが早いか、駆け出すのが早いかといった具合ですずめはあっと言う間に博物館の外へと見えなくなった。
「……早過ぎんだろ」
「外に向かって走って行ったって事は、十中八九飛行船目当てだろうねぇ。どうやら余程操舵室の光景が気に入ったみたいだ」
「熱心で羨ましいこったな。で、こっちのお姫様の感想はどんなもんよ」
急に話題の矛先を向けられて、登歌がきょとんと呆ける。
「え、わ、私?」
「もう他の面子は野郎ばっかじゃねぇか。ちゃんと楽しめたかって聞いてんだ」
思いも寄らない質問に少々どぎまぎしていた登歌だったが、今日一日をひとつ一つ振り返りつつ唸る。
「楽しかったわよ。楽しかったけど――最後まで皆と一緒が良かったかな」
そう言って礼士に向けた笑顔は少しだけ残念そうだった。
「中尾か……。あればっかりはなぁ」
今日集まった全員は、多かれ少なかれ登歌の為を思って行動していた。結果としてその中のメンバーが欠けた事で目標は達成されなかった。皮肉とも思えるが、ある意味では当然の結果なのかもしれない。
「及第点。って所かな? 次は満点にしたいね」
「フン、勿論だ」
礼士達が目標確認をし終えた所で、係員に近寄る壮年の男性が現れた。
「失礼、ここで和装の子供を保護していると聞いたのだが……」
折り目正しい西洋式の正装が似合う利発な面立ちに違わない落ち着いた口調で問い掛ける。その姿を確認してシキの表情がぱっと明るくなった。
「あ、ハクシっ」
「やはり詞麒だったか。無事でなによりだ」
ハクシと呼ばれた男も安心した表情でシキを呼んだ。
引き受けの為の書類と手続きを済ませてようやく詞麒が開放される。礼士はハクシという呼称が気になって遠目から書類を確認したが、男の名前は見えなかった。その代わり詞麒の名前であろう字面が想像以上に難しい事は分かった。
改めてハクシが頭を下げる。
「君達が詞麒を保護してくれた学生かね。どうもありがとう。君達のお陰で最悪の事態にならずに済んだよ」
「いえ、大事に至らなくてなによりです」
受け答え役は登歌である。その場に居る面子を考えれば妥当だ。
「では行こうか。詞麒、ちゃんと礼を言いたまえ」
「はい。みなさん、ありがとうございましたっ」
礼儀正しく元気良く、詞麒はぺこりと頭を下げた。
「おう、また迷子にならないようにな」
「どういたしまして。ばいばい、詞麒君」
ハクシに手を引かれて詞麒は空いた手をずっとこちらに振りながら、博物館を去って行った。
入れ違いになって巽と虎太郎が現れる。
「おー、いたいた。あれ、すずにょんは?」
「時間ギリギリまで楽しむってんで、さっき外へ単独突撃してった」
「自由過ぎるだろ……」
どうやら彼らはすずめとすれ違わなかったようだ。虎太郎が片手で頭を抱える。
「一応この時間は課外授業だからねぇ。勉強熱心って事になるんじゃないかな」
「ともあれ、もう時間は余り無い。正門前に集まらないといけないが……この混雑では瓶底と合流するのは少々骨が折れそうだな」
時計を見ればもう三時までには時間が無い。
「端末があるだろ」
「飛行船の入り口で電源オフの確認があるから、端末だと届かないね。船内は以外と混んでたからなぁ。最悪白玉さんは遅刻かな」
終始時間を気にして行動していたすずめだが、飛行船内部での高揚を見ていると集合時間を失念していてもおかしくない。笑い話の様に武は言うが、手を打って然るべきだろう。
「じゃあ私が捕まえてくるわよ。皆は先に戻ってて」
「中尾は体調、大丈夫なのか? さっきまで虎太に見てもらってただろ」
「あー……」
巽の聴力があれば同級生の居場所など手に取る様に分かるだろう。しかしまだその事を礼士達は知らない。今まで体を休めていた彼女が張り切ろうとすれば心配するのは当然である。
虎太郎はここで事情を打ち明けるか悩み巽の表情を伺ったが、彼女は目配せをして肩を軽く叩いてきた。
「だいじょぶだいじょぶっ。じゃ、集合場所でっ」
声色も明るく、巽は先に駆け出していった。
「調子は良くなったみたいね」
「だねぇ。で、何があったのさ。だ・ん・ちょ」
「な、何もねえよっ!」
からかう様に絡む武に対して、虎太郎は真赤になって否定した。とはいえ、あんなやり取りを見せられて何も無かったと言われても説得力は無い。
「祭事に成立した恋仲は長続きしないという俗説を聞いた事がある」
意外な所から更に追い討ちが続いた。どうやら応樹もこういった話題は嫌いではないらしい。
「そ、そういう事なのっ?」
「手が早えぇぞ、虎太」
畳み掛ける様な合いの手だった。登歌は頬を染めている。
「だぁから! 違うっつってんだろっ!」
周囲の注目を無視して声を荒げて否定する虎太郎だったが、その弁明が聞き入れられる事はないだろう。空しい叫びがロビーに響いた。