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雨降って、嵐来て、地猛る

 稽古場に使われている広間は畳の枚数にして八十。門下生総勢五十四名を指導する場としても、少々広い。外部からの団体を招き入れて試合形式の稽古を行うこともあるためだ。丁寧に掃除が行き届いた稽古場は、普段ならこの時間は鍛錬に励む門下生達の熱気で溢れている。

 だが。

 その門下生一同を隅に追いやって、だだっ広い稽古場のど真ん中に正座させられている少年が一名。彼を見下ろす少女が一名。両脇に更に少年一名ずつ。まるで裁判でも始まるかの様な体裁である。

「で、受け止めた後に彩が勝手にどっか行って、相手の女もふざけてあんな事してきたんだよ」

「裁判長、被告の証言には根拠が無い」

 本当に裁判だった。

「発言を認めます。被告は今までの話を証明出来ますか?」

「彩に聞けば良いだろ。どうせどっか道場の近くに居る筈だ!」

「じゃあ今の所その話は嘘かもしれないんだねぇ」

 弁護役を当てられたにも関わらず、武の発言は全く礼士を弁護する気が無い。

「……お前どっちの味方だよ」

「いやぁ、さすがに今回は手札が弱すぎるよ。場面が決定的だったもん。まぁ無手で証拠を挙げる方法もあるけど」

「よしサッサと教えろ」

「どんな方法かしら?」

 裁判長の声は冷ややかだが、公平だ。

「簡単だよ。門下生の誰かにその投げ技を決めれば良い。あれだけの威圧感を放つ実力の持ち主に対して使ったにも関わらず、礼士が受け止めなければ危険だと判断した技なんです。再現性があれば話に信憑性が増すかと」

 柴門流にカウンター式の投げ技は無いしね、と弁護は締めくくられる。

「そりゃあそうだが……」

 今度は何故か、弁護をされている礼士が態度を濁してしまう。

「何を思案している。やっぱり出任せか」

「ちげぇよっ。単に、多分ここに居る奴らじゃ技が成立しないと思っただけだ」

「なんでまた」

「彩のモノ真似段階だから加減が効かねぇってのも一つだが、一番の理由は相手の心構えだ。下手に怯まれると何処に投げ飛ばすか予想がつかねぇ」

 必殺の踏み込み。勝利を確信したり、相手を打ち負かす気概を持った状態の相手を扱うからこその、仕掛けた側が恐れるような結果が出てしまう危険な技。模倣が完璧で無い事も相まって、生半可では再現も出来ない。

「じゃあ、お爺ちゃんに頼む?」

 登歌が裁判長から普段の調子に戻りだしてきた。

「ぐっ……、いや、さすがにそんな事は言えねぇだろ。やっぱこの案は無しだ。もう嘘でいいぜリンチでも何でも好きにしろ」

 ここまで来たと言うのに、それでも柴門流師範と顔を合わせるのが嫌なのか、礼士は全てを投げ出した様に大の字になった。冷静になってやり過ぎたと思い至った登歌が焦りだす。

「ワシなら一向に構わんぞ。むしろ掛かってこい」

 そこへ現れたのは、正しく真打と呼べる達士だった。


 礼士の証言を信用するなら、屋内で技の再現を行うのは危険である。一同は場所を道場の外、これまた広い柴門家の庭へと移した。空は既に日が落ちて星が瞬いている。

「お爺ちゃん、本当に大丈夫?」

「心配するなぃ登歌。真上に(ほう)られるだけじゃろうが」

 孫娘の心配を他所に、喜一は異常なまでの張り切りを見せている。その姿が礼士にはとても居心地が悪かった。しかし、もう躊躇(ためら)っている場合ではない。全てを振り切る様に頬に一発叩き入れ、叫ぶ。

「どうなっても知らねぇからな!」

「こっちの台詞じゃい! ……【犀身突(さいしんとつ)】でいくぞ!」

「――応っ!」

 前傾姿勢から発動する突進と、そこから繋がる両手突きを放つ技、【犀身突】。流派の技の中でも基本技に分類される。しかし、師範である喜一が放てばそれですら必殺になる。

 礼士も当然、技の流れは熟知している。目の前に立つ老翁が身を屈め、一拍。規格外の速度で間合いの外から飛び入る。繰り出される突きを捉えながら、時間が凝縮された様な感覚を礼士は感じた。

 突進を制して、礼士が大地を踏む。門下生を含む一同の視線は空に集まった。

 投げ飛ばされた距離は目算でも四十メートル。

「高ぁっ!」

「お爺ちゃん!?」

「師範!!」

 ここまでの技だとは全員予想していなかった。驚愕と歓喜の声がざわめく。その高度は――朱焔を投げた時よりも高い。しかし、仕掛けた礼士の表情は渋い。手応えとしては芳しくなかった様だ。

「心配しなくても問題ねぇよ」

 礼士の宣言通り、何事も無かった様に老翁(ろうおう)は着地した。胴衣を乱した様子すらない。

「ふむ、中々良い技じゃな」

「投げる瞬間に姿勢制御しやがって……。真下に叩き付けてやりゃあ良かったか」

「そんな事しようものなら、そっくりそのままやり返してやるわいっ!」

 キッパリと言い放って喜一は豪快に笑った。

「はぁ……まったくもう。ともあれ、礼士の話も本当みたいね」

「そうだねぇ。こんな投げ技、彩さんから食らって覚えた線で妥当だと思うよ。危険と判断したのも……不自然じゃあないね」

「フン、相変わらず馬鹿げた飲み込みの早さだな。そのまま弟子にでもなるつもりか」

「んな事しねぇよ。俺は……」

 応樹の悪態を否定する。それを契機に、今日最大の目的を口に出す。

「俺は、柴門流以外には興味無い」

「それって――」

 登歌は幼馴染みから聞きたかった言葉に、感極まった。頬を染めて今にも泣きそうになる。

「ようやく戻って来る気になったかい」

 武も待ち望んでいた事だった。学校で一緒に過ごす時や街で遊ぶ時も飄々と礼士に付き合っていた彼だが、内心ではやはり門下への帰還を待ち望んでいたのだ。

「ふざけるな!」

 しかし、看過する事が出来ない者も勿論居た。

「応樹……」

「自分の勝手で立ち去って、やっぱり戻らせて下さいとでも言うのか! 嘗めるのも大概にしろ!」

「織畠君。お、落ち着いて……?」

「僕は冷静ですよ。冷静だからこその反対です。師範、ここは厳正な判断をお願いしますよ。でなければ門下生一同に示しがつきません」

 応樹の意見も尤もだった。礼士の実力が折り紙付きなのは周知の事実だが、柴門を離れていた期間、彼はテイルロードという非行集団に所属し活動に関与していた。簡単に受け入れてしまっては要らぬ所で角が立つ可能性もあるだろう。現に門下生の中でも顔をしかめる者がいくつか見られる。

 当然喜一もその点については思案している。

「うむ、確かに。せめてお主らが納得せねば礼士は受け入れられんな」

「お爺ちゃんまで、そんな……」

 師範である喜一の許可が下りなければ、当然復帰する事も叶わない。登歌はすがる気持ちで礼士を見つめる。

 旗色が悪くなってもなお、ここまで来れば礼士の心は揺らぐ事などなかった。

「勝手な事だってのは分かってる。問題だって山ほど起きるだろう。だけど俺にはもう此処しか方法が無ぇんだ。だから――お願いします!」

 真摯(しんし)に頭を下げるしか出来る事は無い。けれども、その行為は礼士を知る者にとっては青天の霹靂とも言える光景なのだ。真意を確認する様に、武が問い掛ける。

「方法って、例の通り魔から登歌さんを守る事かい?」

「――ああ」

「しかし、そんな荒事は全衛隊にでも任せておけば良いだろうっ」

 ひたすらに正論をまくし立てる応樹の姿は、正しい筈なのに何故か滑稽に思えた。

 礼士は最早聞こえの良い道理で引き下がる事などありえない。

「間に合わなかったらどうするんだ。あの日だって現にそうだったろう。俺は、ダチや家族の事位自分の手で守ってやりてえ!」

「よかろう」

 ここまで決心した男の誠意を無下にする程、喜一は耄碌(もうろく)していない。

「但し条件を出す。お主が言う、身近な者を守る為の力があるかどうかを試そうではないか」

「ああ、いくらでも試してくれ」

 当然だと言わんばかりに、礼士は深く頷いた。

「そして、お主らも直接当たって納得せぃ」

 そういって喜一は門下生全員に向かって語りかける。登歌は背筋に寒いモノを感じた。

「な、何をさせるつもりなの」

「なぁに簡単な事よ。時間無制限、禁手公式試合順守の礼士対門下生全員乱取り勝負じゃ!」

 柴門流師範の宣言に、年齢性差関係なく門下生一同は大いに沸きあがった。

「そんなっ! 無茶苦茶よ!」

 礼士の事を思って発言に異議を唱える。しかし聞き入れられる事などありえないだろう。数少ない良心である武すら、この即興に乗り気なのだから。

「いやぁ、これは沸きますね。さすがは師範」

「終了条件は? 俺が勝つには具体的にどうすれば良いんだ」

 当然礼士も怯まない。

「全員から一本じゃ。お主が限界だと思ったらワシが止める」

「了解。なるべく早く済ませるぜ」


 再び舞台は稽古場へ移る。久々に袖を通す胴衣に、礼士は戦意の高ぶりを感じた。

 心底嫌そうなため息を漏らしながら応樹が左に立つ。

「結局乗せられてしまった……。まぁ良いさ、僕がお前を叩きのめせば良い事だ」

「言うじゃねぇか。分かってて煽った様にも見えたぜ?」

 礼士の言葉を無視してそのまま中央へと歩みだす。真意は不明であれ、礼士と戦う事に異論は無いようだ。

 続けて武が右に立つ。

「全員って事は、僕もやらなきゃなんだろうねぇ。あんまり動けないんだけどなぁ」

「別に見てても良いんだぜ」

「イヤだなぁ。僕がそんな勿体無い事するわけないだろう」

 しっかり胴衣を着込んで、肩を竦めながら武も前へ歩みだす。

「礼士!」

 背後からの叫びに振り向く。声の主は登歌だ。顔を俯かせたまま、礼士の目の前に近寄る。

「な、なんだよ」

 思えば誤解は解けたとはいえ、気まずい事に変わりは無いのである。えもいわれぬ威圧感にさすがの礼士もたじろいだ。その隙を突いて。

 顔を上げた登歌が両手で挟む様に礼士の頬を張る。

「……なんだよ」

 大きな弾む音とは裏腹に、痛みは殆ど無かった。今度は怯まず、真意を尋ねる。

「絶対……、絶対負けちゃダメだからね!」

 顔をくしゃくしゃにして泣きながら、登歌は叫んだ。

 嬉しいのだろう。ようやく帰ってきてくれたのだから。

 不安なのだろう。もし負けてしまえば次が無い事に。

「――ったく、要らねぇ心配だよ。ちゃんと見てな」

 軽快な笑みを返して、登歌の頭を撫でる。幼馴染みの不安を拭う様に、自分の真意をはぐらかす様に、銀髪をくしゃくしゃにする。そして舞台に向き直り、礼士は迷い無く一歩を踏み出した。


 場は整った。後は結果を残すだけである。

「そんじゃまっ、一丁派手にやろうじゃねぇか!」

 既に中央には一番手、因縁の相手である応樹が構えている。

「では行くぞ――始めぃ!!」

 試練の火蓋は、切られた――!


 道場から激闘を物語る音が響く。庭に立つ一際高い木の上でその光景を眺める者が居た。

 枝に腰掛け幹に背を預け、餡饅(あんまん)を味わいながら少女は嘆息をもらす。

「フンッ、古巣へ戻るだけじゃというのになんとも騒がしい事じゃ」

 こうなる様に仕向けたのは彩だが、道場の連中があれ程面倒な性格揃いだとは予想していなかった。状況を考慮してさっさと鍛錬に入ってもらい礼士の基礎身体能力を向上させて戦力の増強を狙うのが目的だったのだが、あんな事をされてしまうとただ無意味に体力を消耗するだけなのが目に見えている。下手に負傷されては元も子もない。諸事情あって通り魔達を捕らえる為に増援を追加出来ない以上、数少ない使える手札が減らされては困るのだ。

 困るのだが。

「しかし……。ま、嫌いでは無いかな」

 呆れた視線を向けつつも、その表情はどこか満足そうな雰囲気であった。


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