Epilogue
カーテンを開けると、真っ青な空が広がっていた。
思わず…憂鬱なため息をつく。
今日はせっかくの日曜だというのに…
何で、わざわざ学校に行かなきゃならないんだろう。
しかも…それが模擬試験なんだから、尚更だ。
高校生になっても、学校の成績は相変わらずの低空飛行で。
最高学府に現役合格した不知火先輩が、どんだけすごかったのか…改めて実感する。
朝食のパンをかじっている俺に、母さんがねえねえ、と声を掛けてくる。
「仁知ってた?あの子、彼女いるらしいわよ!」
あの子…って。
母さんが指さしたTVに写っていたのは………
「ああ…知ってるよ」
「そうなの!?なーんか、ちょっとショックよねぇ」
アイドルに彼女がいることくらいで、何がショックだ…と、思いながら。
少しだけいたずらっぽい気持ちになって、母さんの会話に付き合ってやることにした。
「でも、それ…そいつが言いだしたの、年末くらいじゃなかったっけ?」
良く知ってるわねぇ、と感心したようにつぶやいて、母さんは尚も言う。
「でもね!なんか最近、更にカッコよくなったと思わない!?やっぱり男の子も、恋すると綺麗になるのかしらねぇ」
………何だそりゃ。
「一般の人なんでしょ?一体どんな人なのかしらねぇ。やっぱりすっごい美人なのかしら」
最近綺麗になった………か。
前に野球部の先輩が言ってたこと。
『眼鏡外したらすごい美人だったりして』…てやつ、大当たりだったもんな。
「綺麗な人だよ。それに…優しくて」
思わずそう答えて…
目を丸くした母さんと…目が合う。
「あんた…KEIくんの彼女知ってるの?」
「あ………いや、まさか………そんな気がしただけだよっ」
慌てて椅子から立ち上がり、肩掛けカバンを手にして。
いってきまーす、と叫んで、俺は玄関へ向かった。
自転車を飛ばしていたら…
なぜか、あの神社にたどり着いていた。
「…あれ?」
何でこんなとこ…来ちゃったんだろう。
ウンディーネと別れて以来、不知火先輩の合格祈願に不知火と訪れたことを除いては、一度も足を運んだことがなかったというのに。
一人で来るのは………やっぱりちょっと、辛い。
どこかから、彼女の明るい笑い声が聞こえてきそうな気がして。
この神社は…俺にとって、更にかけがえのない場所になっていた。
姉ちゃんとの思い出。
それに…ウンディーネとも。
あの日の精霊達の戦闘現場は、ニュースによると『不発弾の爆発事故』だったのだそうだ。
そして………
あの高層ビルの屋上から、姿を消した筈の…土橋。
俺達が訪ねていった、あの研究室で…拳銃自殺を図り、死亡したという。
俺は、野球部の練習があって行けなかったけど…
『あんな寂しいお葬式、初めてだったわ』
と…不知火は眉間に皺を寄せながら、つぶやいた。
あの日、あいつがわめいた言葉の一つ一つが…改めて思い返され。
ゲームに翻弄された…あいつの分まで。
精一杯生きようと…誓った。
春に正式入部した野球部で、俺は監督に宣言した。
『俺、ピッチャーやります!』
最初は呆れていた先輩達も、コントロールの不安を克服し、練習の成果も徐々に現れ始めた俺を…段々認めてくれるようになってきた。
こないだの練習試合では、先発を任せてくれて。
調子が良かったので、最後まで投げきることも出来て。
結果は、完封勝利。
応援に来た不知火は、あの日と同じ、大きなガッツポーズで喜んでくれた。
それもこれも………
ウンディーネのおかげだ。
ポケットから携帯を取り出す。そして…カメラのソフトを起動する。
ウンディーネと出会った…あの日みたいに。
今日も…何か映るのだろうか。
と………
「サラマンドラ!?」
思わず叫んだ俺をぎょっとした顔で見て、彼は…ゆっくりと姿を現した。
「よお、仁!よく俺が分かったなぁ」
せっかくおどかそうと思って、隠れてたのに…と笑う。
けど………
「お前…何でこんな所に!?」
あの日から、もう半年近くたっているのだ。
きっと、どこか遠い異国の地にいるとばかり…思ってたのに。
俺の動揺ぶりに気を良くした様子で、彼は胸を張って言う。
「実は…お前に話さなきゃなんねぇことがあってよ」
「………俺に?」
不知火じゃなくて…俺か?
「実はさ…」
勿体ぶった様子のサラマンドラに、ちょっとイライラしながら続きを促す。
と………
「ウンディーネから…伝言預かったんだ」
「………ウンディーネから!?」
…どういう意味だろう。
彼女は今、別の世界にいて…話なんて出来無い筈なのに。
それがさぁ、と、サラマンドラは自慢げに腕を組む。
「なんつーか、魔力の関係なのか、何なのか知らねーけど…時々あっちの世界の様子とか?聞こえてくることがあるんだよな。前にも何回かあったんだけどよ、今回はかなりはっきり聞こえてきて…」
「それって………」
何か…よく分からないけど。
まあ…そんなことはいい。
「で…何だ!?」
「ああ、そんなにせっつくなって!そんなに長い時間は話せなかったんだけどさ」
『私は元気です。いつの日か、あなたに会える日を楽しみにしています』
そう伝えて欲しいと…彼女は言ったのだそうだ。
「なんかよ…せっかくだったら、もっとかわいらしい事言えばいいのにな、あいつはほんとに真面目っつうか、堅いっつーか」
「いや…ありがとう」
…ウンディーネらしい。
伝えたいことが沢山ありすぎて、言い始めたらキリがないから。
結局…そういう他人行儀な伝言しか、残せなかったんだろう。笑顔になった俺を、不思議そうに見る…サラマンドラ。
「そうそう、シルフィードが『私は幸せです』って、睦月と文ちゃんに伝えてくれってさ」
「………何だ、それ?」
いや、と怪訝そうな顔で首を捻る。
「あいつらに言えば分かるって。だから伝えてやってくんないかな」
「そんなの…直接会って言えばいいだろ?…っていうかお前、不知火には会ったのか?」
「………あ」
気まずそうな顔で、頭をかく。
「あいつは………いいんだ。俺…もう行かなきゃなんねーからよ」
「もう…って、何だよ?」
どうせ…用事なんかないくせに。
「よろしく言っといてくれ。じゃあ、また…」
「ちょっと…待てよ!」
『あいつのことは、もういいんだ』
強がって笑う、不知火の寂しそうな瞳を思い出す。
『いつ会えるかも分かんないのに、そんな毎日毎日思い出しててもしょうがないもん』
俺は、すたすた歩いて行く、サラマンドラの背中に向かって叫ぶ。
「あいつ、お前にすっごく会いたがってるんだぞ!?それなのに」
こんなに近くにいて、顔も見ないで行ってしまうなんて…
あまりにも、素っ気ないんじゃないだろうか。
すると………
振り返った彼の目は…困惑の色に満ちていた。
「すずに会ったら…俺、どうしていいかわかんねえし」
「…どうしていいか…って」
「別れんの…辛くなるの………やだし」
…はっとした。
「だから………」これ以上言わせるのは…何だか酷な気がして。
「分かった…もう言わない。不知火にはよろしくって伝えとくよ」
そう告げると、彼はほっとした様子で…笑った。
「ありがと!けど………俺がこんな事言ってたなんて、すずには言うなよ!」
肩ごしに手を振りながら、サラマンドラは…
竹林の中に…姿を消した。
「先輩!お久しぶりです」
『仁くん、お久しぶり…でも、どうしたの?』
びっくりした様子の…先輩の声。
どうやら、車の中にいるらしい。
ということは…睦月も一緒なのかな。
サラマンドラの話をすると、声が急に大きくなる。『…サラマンドラに?』
「何でも、偶然…あっちの世界と繋がって、その…うまく説明出来ないんですけど」
シルフィードの伝言の話をすると…
彼女はほっとしたように、ありがとう…と言ってくれた。
サラマンドラと二人で首を捻った、あのメッセージ。
どうやら、本当に先輩には伝わったらしい。
なら…良かった。
今度二人で野球の試合、観に来てくださいね、と告げ、電話を切った。
ふと携帯の時計に目をやる。
「やべ…急がなきゃ」
猛スピードで自転車を走らせていると…
まだ半分寝ぼけているような、ふらふら歩く不知火の後ろ姿が見えた。
「不知火!」
彼女は振り返り…いつものように、不機嫌そうな顔で悪態をつく。
「何?あんた…遅刻?」
「馬ー鹿、俺が遅刻ならお前も遅刻だ!それより…」
サラマンドラに会った、と言うと…彼女は目を丸くした。
だが、彼とのやりとりの一部始終を聞かせ、一息ついた俺の肩を…
不知火は思いっきり掴んで…怒鳴る。
「あんた…何であいつ、ここに連れて来なかったのよ!?」
彼女のもっともな苦情に、気まずい思いで口ごもる。
「いや…それが」
「ったくもぉ…あんたもあんただけど、サラマンドラもサラマンドラよ!ねぇ、あいつ…今どこにいるの!?神社に行ったら私も会える!?」
目を輝かせる彼女に…話すのはちょっと、勇気が要った。
「ごめん、多分………もうあいつ、どっか行っちゃったと思う」
「……………えええ?何でよぉもう、あの馬鹿」
寂しそうな顔で、憤慨した声を上げる不知火に…
つい…口を滑らせてしまう。
「お前に会うと………別れんの辛くなるからって言ってた」
と………
彼女はぽかんとした顔で…俺を見る。
「『俺がこんなこと言ったなんて、すずには言うな』って…言われたんだけど」
すると…不知火は。
大きく深呼吸して、にっこり笑って頷いた。
「分かった!私も聞かなかったことにしてあげるっ」
俺とウンディーネと一緒で。
こいつとサラマンドラは…パートナーだったのだから。
きっと…あいつの気持ちが伝わったのだろうと思う。
そして………
腕時計に目を遣り、素っ頓狂な声を上げる不知火。
「あ、やっばーい遅刻しちゃう!!!ちょっと水月!後ろ乗っけて!!!」
「あ!?何だよお前…重い」
「うっさい黙れ!!!」
さっきまでの、聞き分けのいい様子はどこへやら。
相変わらず…忙しい奴だ。
風を切って走り始めた自転車の後ろで。
ふいに不知火が…あっ、と声をあげた。
「…どうした?不知火」
一瞬…間があり。
「…んーん、何でもない」
彼女は楽しそうに…答える。
相変わらず…変な奴。
こんな所、クラスの奴らに見られたら…冷やかされて大騒ぎだろう。
そんなの…不本意この上ない。
自転車の後ろに乗せるんだったら…やっぱり。
『いつの日か、あなたに会える日を楽しみにしています』
彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ。
そうだな。
いつの日か………
「ねえ水月!?」
「…何だよ?」
不知火の明るい声が、五月の青空に…響き渡った。
「水月………春だねっ」