ある王宮騎士の一日
ファンタジーなので、何語でも気にしない方向でお願いします。
私はミカエル・フライツェン。名誉ある王宮騎士の任を拝命している。騎士の称号を授けられ十年目の今年、私は高貴な方々の護衛を命じられた。騎士の中でも花形といわれ、その任に就くには実力は勿論、知識・思想・理念、その他諸々の項目で上級と認められた者しかなれない。その名誉に与れたことを、本当に光栄に思う。
そして、私が現在護衛を命じられているのは、この国の第三王子であられるコーリア殿下その人である。
コーリア殿下は御年十二歳の、愛らしい容姿をお持ちの方だ。来年から大学校に通うことになるほどの聡明な方で、現在はそのための勉学に余念がない。
殿下の一日は、朝6時の鐘とともに始まる。
「おはようございます」
「おはようございます」
コーリア殿下は鐘の音がなるやいなや起床され、侍女の手を借りずに自らの御支度を整えられる。一度私が手伝おうとした時「来年から大学校の寮で過ごすわけだから、自分の身の回りぐらい自分でできないとね」と愛らしいお顔で仰った。世の中の高貴なる方々は身の回りのほとんどを侍女や侍従に任せる。しかし、殿下はこれからの御身の事を考えられ、自主の精神を養われている。
まこと素晴らしいことだ。我が父に見習わせたい。否、殿下を手本とするだなんて不敬に当たる。その考えをこっそりと胸の内に隠した。
「食事を部屋までお持ちいたしましょうか?」
「うん、今日は天気がよさそうだから、テラスで食べたいな」
「かしこまりました」
恭しく一礼して、侍女が部屋を出ていく。殿下の朝食はその朝によって召しあがる場所が異なる。ベッドの上だったり食堂だったり今日の様な天気の場合お部屋のテラスで召しあがることもある。私の無表情なりの中に、その不思議に思う気持ちが表れていたのだろう。以前、私が尋ねる前に殿下が「一日を始めるために不可欠な朝食は、やっぱり気持ちよく食べたいものだろう?」と仰った。その考えに私は成程と納得し、そしてその効率のよさを考えての殿下の深い思慮に感動した。
朝食後、殿下は宮内の蔵書室へ足を運ばれる。ここには国内外を問わず膨大な量の図書が収められている。なんと、殿下はここにある蔵書の半分以上を、既に読破されている。試しに近くにあった本を一冊手にすると、ずしりとその重みが腕に伝わった。さらにページを捲ると、びっちりと細かな文字で記載されており、この本一冊読むのに一体どれほどの時間がかかるのだろうと一瞬眩暈がした。
「僕には時間がたっぷりあったからね」
そうご謙遜なさるお姿の神々しさといったら! その姿に私は再び眩暈がした。
そうして、午前中の時間の大半を、この蔵書室で過ごされる。勿論、殿下の騎士である私は、殿下の邪魔にならなず、しかし、すぐに近づける場所で殿下を見守っている。時折眠気がさす己の脆弱さを叱咤しつつ、時折聞こえてくるページを捲る音に耳を傾け、殿下の読書に浸るそのお姿を眺めつつ、あたりに気を配る。
「どう、ミカエルも一緒に食べない?」
「いえ、私は先に頂きましたので」
「いつもそればっかり。……それに、座ってじっくりゆっくり食べているわけじゃないんでしょ? そんなの、身体に悪いよ」
「お心遣いありがとうございます。ですが、私は慣れていますので大丈夫です」
殿下はとてもお優しい。昼食時、必ずといっていいほど、殿下は私に共に昼食を取らないかと誘ってくださる。しかし、私は殿下の騎士であり、同じテーブルにつくことは不敬にあたる。それに、己が食事をしている時にもし殿下に何かあったらと考えると、身体が凍ってしまう。なので私は、殿下が読書に没頭されているその間に、携帯食料で昼食を済ませている。その時は別の王宮騎士にその場を任せ、十分程で済ませて戻ってくる。彼らの実力を疑っているわけではない。ただ己が殿下の一番近くにいて、殿下をお守りしたい、その気持ち故の行動だ。
殿下は苦笑しつつも私の固辞をお許しくださり、昼食を摂られる。本日の昼食は自室で摂られた。食事用のテーブルに殿下の昼食が手際よく並べられる。この城の侍女は実に有能で、一分の隙もない。以前うっかり殿下の肘に当たったフォークが机から落とされた時も、その毛の長い絨毯の上に着地する前に、侍女の掌にあった。あの時は、さすがの私も驚いた。その身のこなしといえば、騎士の中でもかなりの上位に当たるのではないだろうか。いつかその侍女にそのことについて尋ねたことがある。彼女はにっこりと笑って「侍女の嗜みですから」と答えた。それ以上、私は何も追究することはできなかった。
「今日は調子がいいから、少し乗馬しようか」
「御意」
コーリア殿下は生まれつき、あまり身体が御丈夫ではない。普段の生活には何も困ることはないのだが、あまり激しすぎる行動は制限されている。それでも、王族の一員として必要最低限のことは身につけなければならない。その一つに乗馬がある。殿下は乗馬が大好きな方で、今日のように身体の具合がよい場合、よく乗馬される。
「今日は速歩中心にしましょう」
「うん、分かった」
こくりと殿下が頷かれた。そのお姿がかわいすぎてどうしていいか分からなかった。気を取り戻すかのように軽く咳払いをして、私は私の馬を歩かせた。その後を殿下がついてこられる。始めはゆっくりとした速度で歩かせていたが、徐々にその速度を上げていく。殿下がついてこられていることを確認しつつ、速度を調節していく。
私は騎士になるための必須項目のうち、乗馬が一番得意だ。おそらく、乗馬だけなら騎士内で一番優れていると言っても、それは驕りにならないだろう、と思う、おそらく。
「そうです、殿下。そこで少し手綱を引いてください」
「こうか?」
「はい、それぐらいがちょうどよろしいかと」
殿下の額にうっすら汗がにじんでいる。それを見つけた私は速度を緩めた。それから軽く歩かせて、乗馬を終えた。
「うん、やっぱりミカエルの教え方が一番上手だ」
「勿体ないお言葉です」
「ミカエル、謙遜なんかしなくていいよ。これは僕の本心なのだから」
殿下が私を褒めて下さった! それが嬉しくて嬉しくてたまらないのだが、私はその喜びを常の無表情で隠し、深々と頭を下げた。
馬の世話を厩務の者に任せ、私は殿下と共に湯殿に向かった。
「それでは、また後ほど」
「うん」
殿下はそのまま湯殿に入られ、私はその場を別の王宮騎士に任せ、己の身を清めた。ゆっくり湯につかるのではなく、しぼったタオルで体をさっと拭うだけなので、その時間は短い。そして、新たな服の袖を通し、湯殿へと向かう。まだ殿下は御使用中なので、そのまま湯殿の前での護衛にあたる。
「待たせたね」
「いえ」
湯殿から上がられた殿下はその白皙の頬に軽く朱が差しており、何ともいえず愛らしい。すでに中で髪は乾かされたらしく、柔らかそうな金の髪がふわりと揺れた。一瞬手が伸びかけたが、強固な意思の力でそれを押しとどめた。
「残りは如何されますか?」
「うーん…、少し疲れたから部屋でのんびりしようかな」
「御意」
殿下の部屋に戻る最中、侍女に部屋にお茶の用意をするよう頼む。
すると、殿下の部屋に着くと、そこはすでにお茶の用意がされている。いつも思う、不思議だ。あの短時間でどうやってここまで準備ができるのだろう。同じように侍女に尋ねてみても、あの笑顔で「侍女の嗜みですから」と言われるだけだ。本当に、この城の侍女の能力が高すぎる。
「あ、これ甘くておいしい。ミカエル、食べる?」
「いえ、私には分不相応ですので」
「そんなこと言わなくても…。ミカエル、甘いもの大好きなのに」
「…………」
黙った私に殿下は苦笑し、それ以上勧められなかった。私は見た目に反して甘党だ。私が甘いものが好きだと言うと、それを聞いた者は一様に目を丸くし、「似合わない」「絶対辛党だ」「むしろ酒飲みだろう」「つーか、味覚あるのか?」と失礼極まりないことを言う。どうやら私の面相から甘いもの好きとは連想されないようだ。別にそのことで損をすることはないのだが、こう面と言われると釈然としないのも事実だ。
殿下は私が甘党と知っても笑われなかった数少ないお方だ。それだけで、殿下の人となりが分かるだろう。
「それでは殿下。私はこれにて失礼させていただきます」
「うん。今日もありがとう。明日もよろしく」
「はい。この命に代えても、殿下をお守り申し上げます」
殿下の前に膝をつく。騎士が膝をつく相手は、忠誠を誓う方だけだ。私にとって王族の方々全員だが、やはり殿下は特別だ。何故なら私は殿下の騎士であり、また、殿下の人柄に私が心底尊敬しているからだ。彼にならいつ命を捧げてもいい。剣に誓って、己の名前に誓う。
「ミカエル様」
「何か?」
「これをコーリア殿下から預かっています」
殿下の部屋を退去し、数歩歩いたところで侍女に呼びとめられた。彼女の手には可愛らしい包みがある。殿下からという言葉で私は受け取り、その中を確かめた。
「こ、これは…」
中に入っていたのは、ティータイムで殿下が甘くておいしいと仰っていたカップケーキが入っていた。視線をそれから侍女に移すと、侍女はニコニコと微笑み、「先ほど、殿下からミカエル様の分も作るようにと料理人に言伝がありました」と返ってきた。
「殿下が……」
その言葉に思わず手に力が入る。カップケーキが入っている袋がくしゃっと音がしたので、私は慌てて力を抜いた。
殿下が自分のためにケーキを用意して下さった、その事実が私を喜びの渦へと巻き込む。相変わらずの無表情だが、喜び具合は頂上をとうに超えている。侍女に礼を述べて、再び足を進めた。その速度が先ほどよりもかなり速くなっていることに、私は気付いていなかった。
その一時間後、自室に戻った私はカップケーキを頭上に掲げ感謝の祈りを捧げてから、その甘くまろやかな味を頂いた。
「ミカエル様、とてもお喜びになられていましたわ」
「だろうね。だって、彼女好みのカップケーキを作らせたのだから」
侍女の報告を満足そうに聞くコーリア。
彼の騎士はなかなかその気持ちを表に出さない。そして何よりもコーリアを一番に考え、己のことは二の次三の次にしている。コーリアとしては優秀で愛すべき彼の騎士に喜んでもらおうと日々画策しているのだが、なかなか相手は手ごわく、負けっぱなしである。そして今日、己の目の前でないことは残念だが、彼女に反応があったことを喜んだ。
「明日はどんなことをしようかな…。ねえ、キミ。何がいいと思う?」
「これは殿下の御趣味でしょ。私が口をはさむことではございません」
「ケチ~。でもそうだね、僕が考えたことで喜んでもらうことがいいんだから」
そう言って笑ったコーリアはどこにでもいる十二歳の少年そのものだ。その殿下をみて、侍女はくすくすと楽しげに笑った。
ミカエルはそんなやりとりをしらない。ただただ敬愛する殿下を明日もお守りするぞ! と意気込み、すやすやと就寝していた。
そんなミカエルを見て、ミカエルの両親は思いため息をついていた。
「ねえ、あなた…。いつになったらミカエルは嫁げるのでしょう」
「王宮騎士になってしまったからなぁ…。もう無理かもしれぬ」
「そんな……」
ミカエル・フライツェン。コーリア殿下付の王宮騎士。
二十六歳の独身生活に、まだまだ終止符はつかないようだ……。
コーリア視点も余力があれば書きたいです。
(20120610)