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その八(影と王子とその他の遠乗り:後)

1と2をまとめました。

 



 

 小さくため息をついて、フィアナは準備を終えた王子の元に近寄った。

 彼は腕を差し出して、フィアナが騎乗するのを手伝う。

 二人分の体重を受け止めた馬が、不満を零すようにぶるりと首を振った。

 


 二人の間に横たわるどこか気まずげな雰囲気に、フィアナは居心地悪く身体を縮込める。

 見上げれば直ぐそこにあるだろう王子の顔を見ることができない。

 


 いくつか解けてしまったフィアナの薄紅色の髪が、さらりとフィアナの顔を覆って上手くフィアナの顔を隠した。その事に安堵したフィアナは、じっと潜めていた息を零す。

 フィアナの顔を隠してしまった髪に、王子は明らかに不機嫌な顔となった。彼は思わず手を動かそうとして、しかし馬上であるが故それが叶わず。空を仰いで口の中でぶつぶつと呟いた。

 


「・・・なんでこうチャンスを上手く・・・」

「? ・・・あの、何かおっしゃいました?」

 


 王子の声におそるおそるフィアナが声をかける。直視する勇気はまだなく、じっと自分の膝と自分を囲う王子の腕を見つめた状態だ。

 そこで自分が今いかに恥ずかしい態勢かを改めて思い出して、顔がかあっと熱くなった。思わず王子の腕を掴む手にぎゅっと力が入る。

 


 手綱を握った王子の手がぴくりと動き、思わずフィアナは身体を強張らす。

 左側に感じる王子から何やら熱い視線を感じて、また何か間違えたかと今度は顔を青くした。

 王子の手の力が緩んだりきつくなったり、まるで手綱の握り具合を確かめているように動き、やがてフィアナの頭上から思いため息がおちてきた。

 


「・・・願望はまたの機会に叶えます」

「え?」

 


 フィアナは見ることが叶わなかったが、彼はむっつりとした顔のままそう言った。

 


「姫の国はどんなところですか」

「はい?」

 


 行き成りの問いかけに、フィアナが思わず眉を顰めて顔を上げた。

 そこにはあっという間に仮面をつけ終わって、変わらない笑顔を称えた王子の顔が目と鼻の先にあり、フィアナは慌てて顔を反らす。

 


 ―――ああ、もう上手くいかない!

 


 美貌の王子が持つ青の瞳を間近で覗きこんだせいか、頭がくらくらした。フィアナが耳まで真っ赤になったのを見て、王子はくすくすと笑いだす始末。

 むっとしたフィアナがそれを窘めるように睨めば、王子は「すみません」と零したがまだ笑っている。

 


「・・・我が国は、工業の国ですわ。特に細工においては、どこの国にも負けない技術があると自負しております」

 


 つんと顔を反らせて言葉を放つフィアナに、やっと王子は笑うのをやめてその目を細めた。先程まで漂っていた険悪さはなくなっていた。

 


「そちらの金細工や硝子細工は、我が国でも重宝しております」

「ええ、できればもっと硝子の方は普及させたいとおもっております」

 


 王子の住む屋敷も吹き抜けが多く、もっと硝子を取り入れる要素はあった。

 そのことを思い出しながら、話題に出してみると王子も頷いた。どうやら植物が多いこともあって、吹き抜けは掃除が大変だとか、虫が多いといった問題があるようだ。ならばかなりの需要があるだろう。フィアナは小さく頷く。

 


「国に帰りましたら、直ぐにでも自国から質のいいものをお送りしますわ」

「――――国に帰る、ですか」

 


 王子の言葉でフィアナははっとした。

 またも失言した!とフィアナは思わず口を覆う。

 


「も、申し訳ありません。そのようなつもりは・・・」

「いいんです。貴女が今、帰る心積もりの方が勝っていると、知る機会になりました。今から僕を見てくれるように努めるだけです。それに」

「そ、れに?」

「・・・貴女がもし、私を見てくれなかったら」

 


 切なげに眉を顰める王子が何事かを呟こうと口を開こうとする。

 その顔をじっとフィアナは見つめた。

 


 彼の言う、もしもの続きを期待して。

 



 

 

 

「ぅぅぅ、ぅぅううぅう!!!」

 

 



 

 

 突如森に響き渡った意味のなさない人語。

 


「? なんのこ、」

 


 声でしょう、と言おうとしたフィアナ達の傍を、一頭の馬が全速力で駆けていった。

 馬上に乗る人物はどうやら黒髪だったように見えたが。見間違いであってほしいとフィアナは目を瞬かせた。

 


「待ちなさいよっ!ちゃんと手綱とりなさいってば!!こらっ!!」

 


 その後ろから飛び出してそのままフィアナ達を追い越し、森の奥へと消えていったのは確かに見慣れた後姿。

 それを見送った後で、フィアナと王子は同時にため息をついたのであった。

 

 

 



 ***

 

 



 

「王子が連れてきてくださるつもりだったのはここなのですね」

「ええ。―――本来ならこんな予定ではなかったんですが」

 

 



 フィアナと王子の目の前には雄大な湖が広がっていた。

 これが敷地の中に納まっていると考えれば、かの屋敷の本来の広さは如何程なのだろうとフィアナは目を見張る。

 


 本来なら何事もなく王子との乗馬を終えてここに辿り着く予定だった筈で、ならば湖など見慣れていないフィアナは大いに感動したに違いない。

 何しろこの湖は美しい。辺りを取り囲む湖の恩恵を受けた木々が、その枝を悠々と伸ばし、その枝葉の間からピンク色の花が覗いている。湖は透き通るように美しく、日光を反射してきらきらと輝く。鳥の奏でる音色が耳を擽るのはとても気持ちがいい。

 


 けれど。

 


「全く・・・残念です。私もここまで彼がやるとは思っていませんでした」

「彼は大丈夫なのでしょうか」

「・・・正直体は強くないので、早期に帰還しなければなりませんね」

 


 呆れ顔の二人の目の前には、びしょ濡れになったリュウの姿があった。

 一体どうすればそうなるのか、と王子も顔を顰めている。その顔は苦笑に近くて、彼が本気で怒っている様子はないようだ。

 リュウは暴れ馬と化した、元は気性が大人しいと有名だった馬の背から跳ね飛ばされ、見事水面に突っ込んだらしい。

 まだ水を滴らす黒髪は顔に張り付いて、その顔は不機嫌そうに顰められている。ぎゅっと袖を絞ってぼたぼたと水を落としている姿は哀れだ。

 シャアラはといえば、散々笑ったのだろう、顔をまだ赤くしてぷるぷるしているが、持ってきていたらしいタオルやハンカチを総動員して甲斐甲斐しくリュウの世話をしている。

 ごしごしとリュウの頭を拭くシャアラに、殿方になんてことを!とフィアナは絶句したが、王子の手前その場で注意するのはやめた。

 二人から視線をそらして、フィアナは湖を見つめる。

 


「海とはこれの何倍もあると聞きますが、想像できませんわ」

「姫は、やはり海を見たことがないのですか?」

「ええ。残念ながら知識のみです」

 


 彼は「貴女様の祖国では、見る機会がないのではと思っていました」と言って、よかったと笑った。選択は間違っていなかったと。

 


「いつか、海もお見せいたしましょう。城から少し離れますが、大きい港があるのです。時期を見れば美しい海が見られましょう」

「それは、楽しみですわ」

 


 本心から瞳を輝かせたフィアナに、眩しそうに王子が目を細めた。

 


「ちょ、あんた水飛ばさないで!」

「はぁ?俺は何もしていない」

「嘘いうんじゃないわよ、ほら!頬についたじゃない」

 


 ほら!と頬を指さすシャアラの頬には、確かに水滴がついていたらしく、リュウは怪訝そうに顔を顰めている。

 そしてはっとしたように空を見あげた。

 


「まさか、雨か?まずいな、ラ・・・じゃない王子!!」

「何?まだ邪魔をするつもり?」

 


 ぎろりと冷たい目で王子から見られた従者は、若干顔を青くしながら言い放った。

 


「・・・雨だ。帰らねばまずいだろう!」

「雨?まさか・・・」

 


 晴れているだろうと空を見上げた王子の目に映ったのは、先程自分たちが駆けてきた方向からじわりじわりと近寄ってくる暗雲。

 それを見つめる王子と従者の顔は、ただ天気の先行きが悪いことを案じているだけにしては、深刻だ。


 王子はさっと上着を脱ぐとフィアナに被せた。大きな上着はフィアナの体を頭からすっぽり包み込む。折角セットした髪だが、文句は言えまい。

 ふわりと王子の香りがして、なんとなしにいい香りだな、なんて考えてしまいフィアナは激しく自己嫌悪した。

 


 ―――変態みたいじゃないの!

 

 


「リュウ、先に出なさい。馬をちゃんと」

 


 珍しく真面目な顔をした王子の言葉も半ばに、へっぴり腰で馬に乗ったリュウが鐙を蹴った途端、馬は甲高い嘶きを伴ってあらぬ方向へと走りだした。

 それを唖然と見つめていた三人だったが、我に返ったシャアラが慌てて「待ちなさい!」と叫びをあげてリュウを追っていく。

 命じたわけではないのに、余程リュウが心配なのか。それとも義務感なのかはその場で推し量ることはできなかった。

 王子も小さく息を零し、呆れの表情を見せていたがフィアナに向き直ると、その眉を下げた。

 


「我々もすぐにでましょう。本来なら、もっとゆっくりしたかったのですが・・・行っただけですね。申し訳ない」

 


 フィアナの手を握って、王子が本当に申し訳なさそうにいう。それにフィアナはかぶりを振った。頬にあたる雨が、段々と強くなってきていて、王子の顔を見ることは難しかった。

 少し俯いて、取れ始めているだろう化粧を気にしながら返事を返す。

 


「いいえ。多くの物を見せ、体験させていただきました。十分ですわ」

 


 これは本当にフィアナが思っていたことだった。

 


「―――貴女はお優しい方だ」

 


 王子が苦笑する。

 馬上の人となった王子が、きりっと顔を引き締めて、フィアナに声をかけた。

 


「姫、すみません。飛ばします!」

「きゃっ!!」

 


 走り出した馬の激しい筋肉の躍動にフィアナは驚き、王子に縋り付く。

 王子は馬の鐙を蹴って速度を上げる。風と共に強く頬を打ちつけてくる雨に、フィアナは目も開けられない。

 



 

「こんなに降り出すとは・・・姫、聞こえますか」

「は、はいっ」

「頼みがあります。決して私の方は見ず、しっかりしがみ付いてください。危険ですからね」

 


 フィアナ自身も化粧が取れて姫としての様相が取れなくなった自分を見せるわけにはいかないと、何度も首を縦に振った。

 


「ありがとうございます。これで貴女に情けない姿を見せなくて済む」

 


 安堵したような声と共に、王子から被せられた上着を更に強く押さえつけられた。

 ぎゅっとしがみ付く体は鍛え上げられており、フィアナはそんな場面でもないのに顔を朱に染める。馬上の荒波がフィアナをどこかに飛ばしそうになる度に、力強い腕がフィアナを抱きしめる。

 


「―――っ」

 


 安心感を感じながら、フィアナは目を閉じ、完全に王子にその身を預けた。

 

 

 

 



 ***

 



 

 

「―――戻られたぞ!」

 


 遠くにそんな声が聞こえたと思い薄ら目を開けると、景色は並び立つ木々は消え去り、整然とした庭に変わっていた。

 どれくらい雨に打たれていたのかは分からないが、手先は冷え切って、乗馬服も濡れそぼっていた。

 


「姫、もうしばしです」

 


 そういう王子の言葉は切れ切れで、彼の息が荒いことを伝えていた。

 フィアナの体もただでさえ慣れぬ乗馬に限界を迎えていて、更に冷えた体がそれに拍車をかけていた。朦朧とした意識のまま、フィアナは首を縦に振る。

 しかし、フィアナの冷静な部分がそっと語りかけてきた。

 


 ―――なぜ、こんなに慌てて帰ってきたのかしら。

 


 確かに、雨が降ることは予想外だったかもしれない。それにしても。

 フィアナ自身、化粧が取れるとやはりシャアラという本来の姫とは違う顔立ちへと変貌してしまうため、早期の帰還はありがたいことだ。

 けれど、焦りすぎではないか。

 この国の雨は、温度を奪うとは聞く。確かに急激な温度変化を肌で感じる。危険と判断してか。しかしそれはこの雨の中、帰ってくることと天秤にかけても怪しいのでは―――

 


 やはり何か、ある?

 



 

 

 唐突に馬がその走りを止め、フィアナの思考を遮った。はすはすと鼻を広げて閉じてを激しく繰り返している。随分と無理をさせたらしい。その息は白く帯状になって空気へと溶けていく。

 


「姫、つきましたよ」


 

 そういう王子の声はやや震えていて、その固い胸板も激しく上下していた。運動量の問題なのか、それとも。



 タオルを、という声と共に幾分かのタオルが王子に手渡されたらしく、彼はごそごそとそれを身に着けたのをフィアナは音で悟る。

 ・・・雨の当たらない所にいるといっても、普通私が先では?という言葉は寛大なのでしまっておいた。喉まで出かかったのは秘密である。

 フィアナの体が大きなタオルで包みこまれ、頭まですっぽりと包みこむそれにフィアナの視界は著しく狭められる。


 

「すぐに姫を部屋へお連れしろ。慎重にな。私のせいで大事な御身を冷やしてしまわれた」

 


 言葉は重く、使用人たちにも伝わったらしい。神妙な顔をして彼らは動き出す。

 王子に手伝われて馬を下りる。その間も顔を上げることなどできず、ただ曖昧に微笑んでいた。それが王子に見えたかは謎だが。

 寒い。とにかく寒いのだ。

 きっと唇は真っ青になっているに違いなかった。

 



 

「すみませんでした」

 


 もう一度王子は謝罪して、フィアナの手を離した。

 思わずそれを追うように手を伸ばし、フィアナは同じように冷え切った彼の手を取っていた。

 自分でも驚いた行動だったが、更に驚いたのは冷えた唇からするりと零れ落ちた言葉である。

 


「―――私は、感謝しているといいました。しつこい男性は嫌われましてよ」

 


 握ったときは大いに反して、慌てて手を離したフィアナは「で、では失礼いたします」といい、身を翻した。その時ちらりと、目深にタオルを被った王子から見えたもの。

 


 ―――あれ?

 


 そう思って振り向こうとしたが、そこには既に使用人たちが陣取っていて、フィアナをやや押すように「さぁさぁシャアラ様!濡れたままではお体に悪うございます!」と屋敷の中へと促した。

 後ろ髪をひかれる思いでフィアナは屋敷へと向かった。王子も違う方向から屋敷へ向かったようだ。

 



 

 なにかしら、さっきの・・・。

 


 一瞬だけ見えたそれが、フィアナの頭を占しめていた。

 



 ***

 


 

 促されるまま浴室へと辿り着いたフィアナは、手伝うと必死な女中たちにお帰りいただいた。

 化粧をとれた顔を見られたくない、という気持ちは健在であった。

 


 一人になった浴室で、フィアナは衣服を脱ごうと動く。

 タオルを外そうと掲げた手に、光り輝くものを見つけてフィアナは目を瞬かせる。

 


「これ・・・何かしら。白髪、じゃないわよね」

 


 フィアナの手に絡まるそれは、白銀に輝く一本の髪の毛であった。

 





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