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28/32

その二十七(影と影の真実)

2013/4/7 ご指摘いただいた誤字を修正しました。

 



 東の端から太陽が昇り始めたころ、白み始めた森で二人はジノが残した馬に乗っていた。



 フィアナのぼろぼろの体には、ラジェの上着が巻きつけられている。ところどころ上着が切れていようと、フィアナのドレスよりはましだった。

 ぎゅっとその上着の端を握ったフィアナは、目線を上へと向けた。

 その視線の先で、森から飛び出した鳥が空に羽ばたいていくのを追いかけた。あっという間に小さくなったその姿に、フィアナはそっと目を細めた。



 ―――――彼が、自由であれますように。



 ジノが身を投げた先は、丘の先でもほぼ崖に近いくらい急な場所だった。その先は暗い森に続いていた。おそらく、あの身体では生きていないだろう。

 二人とも言葉はなかったが、長くその場にいたくはなかったフィアナの気持ちを察してラジェは馬のいた場所へと導いた。



 ジノという男は、確実にフィアナの中に大きな傷跡を残していった。

 今回のことは今までの影武者としての記憶を塗り替える、大きな事件だった。



「…もうすぐ、ルチエと合流します」



 背から聞こえてきた彼の声に、フィアナはびくりと身体を揺らす。

 どうやらぼんやりとしていたようだと小さく首を振る。いつぞやの様なときめきは今はなく、この怒涛の一日にただ疲れだけがこの身に満ちていた。


 それでも、話さなければならないことがある。


 フィアナは大きく深呼吸をする。

 はっきりさせたい。国に帰る前に、全てを。



「あなたは…ラジェ、なんですね」



 その確認の言葉に、後ろのラジェは黙っていた。

 彼はゆっくりと馬を止めると、急に馬を降りた。手綱を掴まれた馬は大人しくしていたが、思わぬ衝撃にフィアナは驚いて声を上げる。


「急に何を…!」


 抗議の言葉は、ラジェの顔を見た途端引っ込んだ。

 彼はフィアナに向けて、綺麗に微笑んでいたのだ。


 悲しげで美しい笑みだった。



「はい…私は、ラジェ・リンドウ。王子の影武者です」


「影…武者…」



 影武者。では、こちらの国もフィアナ達と同じように、偽っていたということになる。

 ラジェの顔からは、王子の仮面が剥がれていた。いつぞやの港町のように、崩した言葉遣いで彼は話し出す。



「あなたに…言っていないことがいくつもあるんだ」

「それは…先程ジノという男が言っていたことですか」


 そうだね、と彼は言った。



「私は、影武者になる前は暗殺者だった」


 フィアナは息をのんだ。ジノの言っていたことは真実だったのだ。

 胸の前で手を組むフィアナから少し視線を逸らして、ラジェは言葉を続けた。


「私が初めて手を汚したのは、六歳の時だったよ。それから今の王子の元につくまで、ずっと人を騙し、殺めてきた」


「ジノ…という男と同じなの…?」


 あの理性を失った獣のようなジノの姿に、フィアナの背はぞくりとする。


「ジノは…そういった制限ができない子だった。だから実の親に捨てられ、リンドウの家に来たんだ」


 ジノのような子はリンドウの家にはたくさんいたのだと、ラジェは言った。


「私は、そういった制御ができないということはないから、彼の様な事にはなったことはないし、ならない。今後絶対に」


 言葉尻を強めてラジェは言い切った。その眼は強い決意に彩られていた。


「家を…潰したと言うのは」

「私の家、リンドウは元々そういった素養がある子供集めて教育していたんだ。だから、私も彼らと血縁関係はない。潰した…と言われても仕方がないのかもしれないけれど、私は彼らと手を切った、それだけだった」


 その時に、リンドウの家は狂ってしまったのだろう。それ程、自分の存在はあの家にとって特別だったのだ。

 それが今わかったとラジェは自嘲するように笑った。


「どれだけ足跡を消しても、関係を断ち切っても、それでも付き纏うものがあるんだ」


「どうして…影武者に」


「君に、逢うために」


「え…?」


「覚えているだろうか。前、この国で開かれたパーティを…あの時、私は貴女に…」


 そこでラジェは言葉を切って、振り切るように言葉を次々と並べたてる。


「最初は君に会えればと言う望みだった。だから王子の傍を欲したよ。けれど傍に長くはいられない。いつかは貴女を王子に渡さなきゃいけないと思えば、苦しくてどうにかなりそうだった。本当に頭が狂いそうだった!!」


 目を見開くフィアナの前で、ラジェが吐きだすかのように言葉を紡いでいく。


「遠乗りの時なんてそうさ。リュウの…ヴィルのことなんて私の前でいわないでくれと思ったね!私との折角の二人きりの時間だったのに。分かっているのか?あれが私達の初めてのデートだったんだよ!」

「…デート?」

「…わかってなかったのか」


 呆けたように言うフィアナに、ラジェは目を見開いて長い溜息を零した。


「私の…緊張はなんだったんだ…」などと呟いていたが、あの時のフィアナは姫だったのだ。


 シャアラのように振る舞うその時に、デートだなんだとは考えなかった。

 これが、影武者ひめとするべきことだと思っていたし。


「あなたは…どういうつもりで私に近づいたのですか」

「君の心が私に向いたなら、掻っ攫おうと思って」


 王子にも許可は貰っていたんだ、とからりとラジェは笑った。

 その笑顔に、フィアナの心はきゅう、と痛んだ。


 ――――な、何かしら…この気持ち…。


 意味のわからないこの胸の痛みにフィアナが戸惑っているというのに、ラジェは乾いた笑顔のまま、言葉を続けた。





「でも、もういいんだ」



「え…?」



「何より姫の君とは身分が釣り合っていないし、僕には、余りに敵が多すぎる…今回のことでわかったけどね。明日にでも、君を完璧な警備のもと国元に届けると約束するよ…」



 巻き込んでしまって、申し訳なかったと彼は深く頭を下げた。

 目の前で揺れる月白の髪を見つめていると、意識が遠のいていく。

 今、彼はなんといっただろうか。

「もういい」と言っていた。

 フィアナの気持ちも聞かずに、彼はその身を引くというのだ。


 確かに今のラジェの言葉全てに、驚いた。

 そうだ、このまま国に帰ればいいのだと理性のフィアナが叫んでいる。

 けれど心の隅のフィアナは、泣いていた。



 …それでいいの?


 このまま、ラジェと別れてしまって…。


 体の奥からにじみ出る感情に押されるように、フィアナは口を開いた。



「ラ…」









「あぁ―――――…主だめだ」

「こりゃだめだな、押しが足りねぇ」

「主ってこんなへたれだったか?」

「いや、姫様限定だ」



 何か言葉を発しようとしたとき、覚えのある声がひそひそと聞こえてきてラジェとフィアナは硬直した。



「お前らっそこにいるのか!!でてこい!!」


 下げていた頭をがばっとあげて、ラジェが目を怒らせて声を荒げた。

 途端にフィアナ達の周りの草木が、ざわざわと揺れた。まるで動物の様なその動きに、フィアナは小さく悲鳴を上げる。

 すると草木が喋り出した。



「げっ、気付かれたぞ」

「逆に気付かれていないのが奇跡だったろ」


 聞こえる野太い声に、フィアナは顔を引きつらせる。



「でてこい…と言ったのが、聞こえなかったようだな」



 笑顔なのに恐ろしい気配を纏ったラジェが、すらりと剣を腰から引き抜いた。

 その途端、草木から人の頭が次々と現れる。

 その顔は一様に厳ついが、悪戯を咎められた子供のように頭を掻いている。


「姫、特殊隊の隊員たちだよ」


 そう言ってラジェは自身の肩に剣を置いた。「お前等、後で仕置きだ」というその顔は、どこか諦めのような、仕方がないな、という顔をしていた。

 ルチエ以外の特殊隊を見るのは初めてだったが、ラジェが彼らを大切に思っているのを感じて、フィアナは彼の新たな一面に目をぱちぱちと瞬かせた。

 そのフィアナの姿を興味津々というように見つめてくる特殊隊の男たちに、ラジェが見るなと言わんばかりにフィアナの前に立つ。


「いやぁ、美人っすね」

「隊長、やっぱり面食いだったんすね」



「やっぱり…?」

 特殊隊の男たちの言葉にフィアナが片眉を吊り上げてラジェを見る。港町での女にしな垂れかかられた姿を思い起こしてしまったのは仕方がないだろう。

 どこか嫌悪感を滲ませたフィアナの目線に、ラジェが取り繕おうと慌てている。

 そこにやんややんやと厳つい男たちが茶々を入れながら近づいてくるものだから、フィアナは顔を引きつらせた。





「あぁ、お前等の厳つい顔で姫様が怯えているじゃないですか」




 少し高めの声と共に現れたのは、ルチエだった。

 その身体は普段見たことのない黒装束を纏っていた。


「ルチエ…!」


 嬉しげに声を上げたフィアナに、ルチエは臣下の礼をとる。

 すると横のラジェがむっとしたように唇を尖らせたが、フィアナは気付かない。



「ラジェ様、先程のお話、全て聞かせていただきました。これから貴方に振り掛る全て、一緒に被って差し上げましょう」


 そういって胸を張ったルチエに、ラジェがぽかんとした顔を向ける。


「は…?」

「今後今回のように貴方様が狙われることがあろうと、共に戦うと申しているのです」

「いや、お前達は今後王室勤務に…」

「主と共に茨の道を歩く。それが貴方に救われた私達の総意ですから」


 ラジェの言葉を切って、ルチエは言い切った。

 そしてラジェに向けて膝を折った。ルチエに倣って、全員が膝を折る。


 満たされたような、覚悟を決めた顔を面々がラジェに向け、臣下の礼をとるその姿は、圧巻だった。






「ったく…しょうがない奴らだ」





 月白の髪を掻きあげながらラジェはぷいっとそっぽを向いた。


「照れていますか、姫」

「ええ、ラジェは照れているわ。耳が赤いもの」

「っっ!姫までっやめてくれ!」


 ルチエの質問にフィアナが答えれば、苛立ったように髪を掻きまわすラジェに、フィアナはくすくすと笑う。

 その姿を見て、ルチエは目を細めた。



「願わくば、その一員にあなたがいてくだされば…」


「ルチエ、やめろ」



 硬質な声のラジェが、ルチエの腕を掴んで引き留める。



「姫は、明朝に国元に送る。それが私達の最終任務だ」

「主、ちょっと…!」


 むっとしたようにルチエが言い募ろうと口を開いたが、凛とした声がその場に代わりに響いた。


「ルチエ、私が言うから、ちょっと黙っていて」


「え」という顔をしたのは、ルチエだけではなく、ラジェも特殊隊の面々もだった。

 恐る恐る顔を向けると、笑顔なのにその背に般若を背負ったフィアナがいた。



「ラジェ」



 有無を言わせぬその口調に、ラジェがぴたっと止まる。


「先程から好き勝手なことばかり申しておりますけれど、私が国元に帰るのは当り前ですわ。その警護、ルチエにお願いします」

「ひっ、姫?」

「わぁ―――僕でいいんですか?」


 深く頷くフィアナに、ルチエはぱっと顔を輝かせ、ラジェは肩を落とした。



「それにラジェ、以前申しましたけれど」


 馬上でフィアナは悠然と微笑んだ。


「わたくしは、『程々の収入と、どこか片田舎の領地をもっている殿方』としか、お付き合いいたしませんの」


「その台詞せりふは、貴女があの港町で言っていた…」


「ですから、それを手に入れて、私の気持ちを聞いてから、全てを決めて下さらないかしら」


「姫…それは、どういう意味?」



 固唾を飲む月白の髪の美男子と、顔を輝かせる童顔の騎士、そして厳つい面々の興味深々な瞳に、フィアナの顔は真っ赤に染まる。

 これ以上言わせるな、という気持ちを込めて、フィアナは言い放つ。



「自分で考えてくださいまし!」



 そういうと恥ずかし紛れにフィアナは馬の腹を思わず蹴りとばした。あっと言う間に馬は嘶きと共にラジェの手を振り切って駆けだす。


「あっ!!」

「きゃぁぁあああぁ」


 驚いたラジェと特殊隊の面々を残し、フィアナの甲高い悲鳴に更に速度を上げる馬の姿は小さくなっていく。


「まずい、姫は馬に乗れないんだ!者ども、追え――っ!」



 ラジェの焦った声と共に何人もの男たちが馬の背を追って走り出した。






 *******






 場所は変わって、王族が住む屋敷へとフィアナ達は無事に帰ってきていた。

 屋敷の中は先程のまでの喧騒を残し、疲れと安堵の空気がじんわりと漂っていた。


 恐らく執務室に当たるだろう一室には、安堵の表情をしたリュウと、泣きはらした顔のシャアラ、そしてぼろぼろの服からとりあえずと用意された服に着替えたフィアナと月白の髪を晒したままのラジェがいた。


 そのラジェの風貌に「誰?」と首を傾げるシャアラだったが、とにもかくにもフィアナが無事だったならとフィアナに抱きついてシャアラはおいおいと声をあげて泣いた。

 その背を優しくたたきながら、フィアナも静かに涙を零した。



 しかしここからはきちんと話をせねばと、涙を拭ってフィアナとシャアラは所在なさげに立つリュウとラジェに向き直った。



 銀縁メガネを外したリュウの目は、ラジェの色とよく似ていた。

 そのことに目を細めたフィアナに、全てがばれてしまっているとラジェから聞いたのか、リュウは潔くその黒髪の頭部を掴んだ。

 何度かぐいぐいっとその髪を引っ張れば、ずるりとその髪の毛がずれた。


 その下から現れたのは、金茶の髪だった。耳にかかるかどうかというラインで切りそろえられた髪の奥から、湖のように透き通った瞳が見つめてくる。


「…改めてご挨拶します。私はこの国の王子、ヴィル・アララギと申す者です」


 やっぱり、とフィアナは思ったが、対するシャアラはその口をあんぐりと開いた。


「…どういうこと?」


 そのシャアラを悲しげにリュウ改めヴィル王子は見つめたが、フィアナに対して静かに頭を下げた。


「此の度は大変申し訳ないことを致しました。謝ってすまぬとは重々承知しております」


 そうか…まだラジェもヴィル王子も、私のことをシャアラ姫だと思っているのね。

 ジノという男は、ラジェにフィアナのことを明かさなかったのだ。明かす必要がなかったのか、それとも単なる気まぐれなのかはもう分からない。

 ちんぷんかんぷんといった顔をするシャアラにそっとほほ笑んで、フィアナは姫の仮面を外した。



「いいえ…この屋敷にて姫を守り抜いて下さったこと、心より感謝いたします」



 今度はぽかんとした男二人の顔に、ふんわりと笑う。



「どういうこと、姫…?この…屋敷…にて?」


 指を指しながら目を彷徨わせるラジェに、フィアナは胸を張った。

 自分とシャアラを指差し、くすくすと笑いながら改めて説明する。


「だから、彼女がシャアラで、私は侍女兼影武者のフィアナってことです」


「「「ええっ!!」」」


「どういうこと?!君は姫じゃなかったのか!」

「…では、本当のシャアラ姫は…」

「なっ、なんでばらしたの?!フィアナっ?」


 三人が同時に口を開くものだから、フィアナは手をぶんぶんと振った。


「同時に喋っても分かりません!」


 話をまとめるのは、中々に大変だった。

 何せお互いがお互いに嘘つきだったのだから。

 一番苦労したのは、何一つ話についてこれていなかったシャアラであったが。


 なんとか半刻をかけて全員が呑み込んだところで、フィアナはヴィル王子に向き直った。




「ヴィル王子は…シャアラ姫がお好きなのでしょう?」


 さも当然、というようにフィアナが言った言葉に、無表情のヴィルの顔がぽっと染まった。

 なんという純粋さだろう。

 そのフィアナの言葉にシャアラが「なっ何言ってんのよ!」と姫らしからぬ言葉遣いで素っ頓狂な声を上げた。しかしちらちらとヴィル王子の方を見るのだから、こちらも十分ピュアだった。


「…私は、無駄な事をしてしまったのかもしれないな」


 ヴィル王子は観念した、と言わんばかりに肩を竦めた。

 シャアラを侍女だと思い、侍女である彼女に近づく為にと自分も身を窶したのだと彼は言う。

 ラジェの狙いも『姫』だと思っていた『影武者フィアナ』であったから、利害が一致して都合は良かったのだが、かえって事は複雑になってしまったのだ。


「今更だが、改めて。私は、『貴女』と婚姻を結びたい…どうかシャアラ姫、私と結婚してほしい」

「…なっ!」

「ほら、姫様」


 気持ちは固まっているのだからとせっつくフィアナに、シャアラはおどおどと視線を彷徨わせる。


「けど…今回こんなことがあって、そんなおいそれと返事はできないわ…」

「そんなことは置いておきなさい」


「「「そんなこと…?!」」」


 フィアナ自身があった災難だというのに、そんなこと呼ばわりする彼女に、その場にいたほかの面々が目を見開いた。

 けれどフィアナにとっては当然だ。いくら自分の気持ちに気付こうと、どうしようと、今この瞬間を姫の為に逃すわけにはいかないのだから。


「姫様、今の状況は一度おいておいてください。姫様のお気持ちを、そのまま伝えればよいのですから」

「わ、私…」


 ぎゅっと、胸の前で手を組んで目を潤ませるシャアラに、フィアナは温かい視線を送る。

 その正面でまるで断頭台に上ったかのように緊張した面持ちをしている王子。


「わたし…ヴィル王子とは、婚姻を視野に入れてもよいと…思っております」


 途端、ヴィル王子の目が零れんばかりに見開かれ、顔を真っ赤に紅潮させた。

 シャアラも負けないくらい林檎のように顔を真っ赤に染めた。

 こう見えてヴィルとシャアラはこの中では最も年下にあたる二人だ。

 ピュアすぎる二人の姿に、影武者二人は微笑ましい目線を送る。

 ラジェなどいっそにやにやしながらヴィル王子の肩を思いっきり叩いた。


「し、しかし、勿論私の独断では決めかねます!一度国に戻らせていただきます!」


 最後にシャアラの口から余計なひと言がついたにしろ、及第点だ。

 これで収まるべきところに収まったと頷いていると、まだ顔の紅潮が収まらないシャアラが真面目な顔で言いつのった。



「でも!私達はともかく、フィアナは侯爵家の娘よ。さすがに身分差がありすぎるのではないかしら!」


 何の話だろう、とフィアナは一瞬ぽかんとした。

 何やら愕然とした顔をしたラジェの顔を見て、そうか、まだ自分のことがあったのかとフィアナは呆然としたのだった。


「特殊隊としての名を出せば多少は…」


 そこで期待するかのようにちらりとヴィルを見たラジェだったが、褐色の肌の貴人は申し訳なさそうに首を振った。


「悪いが、特殊隊としての名は公にはして欲しくない。国内ならともかく、国境を越えるならば余計にだ。すまない、ラジェ」

「ならば、王子の権力で私を貴族にしてくださいよ」

「…無理難題をいう。影武者からいきなり貴族。普通の騎士ならともかく、お前は特殊隊の隊長だ。正直難しいな」


 力なく首を振る王子に、ラジェが呆然としている。

 まさかフィアナが爵位ある家の女だとは思っていなかったのだろう。今更立ちはだかった壁に、頭が回っていないようだった。


 


「その辺は、大丈夫ですよ。主」


 急に部屋に響いた新たな声に、全員がその方向を見れば、にこにこと笑うルチエがドアに凭れかかっていた。そしてそのドアの奥から、のそのそと杖をついた老人が現れる。

 老人の口から伸びた煙管から、ぷかりと煙が立ち上った。


「ほっほ。ラジェ・リンドウよ。貴殿の後見人、このヒイノ・ヤマブキ、名を挙げさせてもらったぞ」

「は…?」


 人好きのいい笑顔を浮かべた老人に、ラジェが訝しむかのように声を上げた。

 それはそうだ。この老人、賭博屋の主なのだから。状況が呑み込めない面々を置いて、ヒイノと名乗った老人は話を進める。


「そなた、儂の養子に入れ。お前達程の影武者であれば、我が家で十分やっていけるからの。なんなら夫婦できてくれてもよいぞ!」

「え?」

「ほれ、早くこれに印を」


 そういってほくほく顔で老人は養子縁組の手続き書類を差し出してくる。なんとその横で拇印を持つのは、ルチエだった。


「ルチエ、どういうことだ?」


 しかしルチエは素知らぬ顔で、もはやサインをするためのペンすら差し出してくる始末である。


「ヒイノさんは、隣国の辺境伯です。お忍びでこの国にずっと居座っていたみたいですけどね」

「儂の所は自然と学校以外なんにもないところじゃからの。素養ある者達を集めて、商人やら学者やらにするのが儂の趣味でのぉ。ま、儂自身今は領地から離れて、妻の出身であるこの交易地に留まっていろいろと商売しておったのよ」


 若い時も各国飛び回っているうちに、気付けば子供に恵まれないままこの年になってしまったと老人は笑った。最愛の妻も逝ってしまったために、跡継ぎは今まで育ててきた面々から選ぼうと思っていたそうだが、気が変わったという。


「今から儂がお主を鍛えなおしてやる。そうすれば辺境の土地と、貴族の位が手に入るぞ」


「ま、儂の眼鏡に叶ったらじゃがな」とかかかっと老人は笑った。

 顔を引き攣らせるラジェは、ルチエに視線を向ける。


「お前はどういう立場だ!」


 その問いに答えたのもヒイノ老人であった。


「ルチエとは契約を結ばせてもらっておる。ある対価に、“儂の養子にラジェ・リンドウがなるように助力する”とな」

「そーいうわけでしてね、主。今はヒイノの親爺さんは契約相手ですから、こちらの命令に従わざるをおえないのです」

「おまっ、何が主と共に茨の道を歩くだっ、さっそく裏切っているじゃないか!」

「まぁまぁ。悪い話じゃないでしょう?フィアナ嬢のお子様、僕が手塩にかけて育てます…ああ今から楽しみです!」

「なっ!!お前…っ!!」



 その話に真っ赤になったのはラジェだけではなかった。

 今までぽかんとしていたフィアナは、首まで真っ赤に染めた。


「のんびりとここにいては流されてしまう!」とフィアナは悟った瞬間叫んでいた。





「今すぐ国にかえらせていただきますっ!!」














次で最終話になります。

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